後半部分に番外編を置いてあるので、よかったら見てください。
とある日の朝
チュンチュンと小鳥が鳴いている。窓の外ではスズメに交じってヒヨドリがちょこちょこ動いている。時刻は朝の7時ピッタリで大抵の人は起きているはずだ。しかし、それは平日であればの話であって休日となると変わる。どうも人間と言うのは「少しでも長く寝ていたい」と本能が働く生き物だ。それは非常に手強い意思のため、生半可な刺激では起こすことは不可能だろう。
まさに今、実際にその事態に直面している少年がいた。2人用の大きなベッドを独り占めして寝ている同居人を起こそうと思って寝室に来たのだが、声をかけてもカーテンを開けて日光を入れても、身体を揺さぶっても、まさに「うんともすんとも」言わなかった。これは参ったと右手で後頭部をポンポンとする。だが、今日ばかりは少年は負けていないぞ。寝ることと同じぐらいの幸福感を得られる武器を突きつけてやる。
「まだ寝ていたいか。しょうがないや、今日はパンケーキを焼こうと思っていたんだけど」
さらりと言い残して寝室を後にしようとした。一歩を踏み出すよりも早く毛布を引っぺがして飛ばす音が聞こえる。
「パンケーキ!?」
「早いな…」
睡眠欲と同等又はそれ以上の力を持つのは言うまでもなく食欲だろう。無論、人によって差異が生じるから必ずではないのだが、この家においては料理担当の少年が絶対的な権力を握っていた。よって、食欲が睡眠欲を圧倒するのが相場である。残る最後の大きな欲求については言及を避けさせていただく。まぁ、触れるのは野暮と言うやつだ。
「起きてくれたから、ちゃんと2人分(少女の方が多め)を作る。はい、着替えたりの最低限の身支度をしてね。僕はキッチンで作業するけど、何かあったら呼んでね」
「は~い」
素直に言われたことに従って少女は着替え始めた。対して、少年はもはや朝の定位置と化しているキッチンに向かった。準備してあったパンケーキミックスや卵をガチャガチャとボウルで混ぜ合わせる。食べる人数はたった2人でも、相方が恐ろしく食べる。それを踏まえて材料はかなり多めに用意しておいた。オーソドックスな市販のものだと1個に2人分~3人分だが、少年が使っているのは違った。なんと一食分のみの使い切りである。単身者や余らせたくない人向けの商品ではなく、割とお高めなやつ。箱の表紙には「一流ホテルの朝食!」と盛大に書かれてあった。普通のと比べて2倍のお値段だから、その味はしっかりとしているはずだ。
「あんまり膨らせてもあれだし。そのままでいいや」
これも人の好みによるため、必ずしも一概には言えないが、こういうケーキ系ははフワフワに膨らませたものが人気である。空気が入ったフワフワは何故か特別な感じを覚えて、それはそれは幸せだろう。しかし、この少年も少女も特段の拘りを有していなかった。家で食べるなら普通で構わない。そういうのは良いお店で2人で食べるのがよろしいと。だから今回はオリジナリティを加えることはしない。生地にだまが完全に消えたのをヘラの感触と目視で確認してから、コンロにかけて温めておいたフライパンの上に流し入れる。お玉一杯とプラスα少しにして、1人分を僅かに大きめにしておいた。
腰に手をあててジッと生地の焼け具合を見る。神経を尖らせている見て、また見て、そして見る。適切なタイミングで焼く面を切り替えなければ、最高の美味しさが欠けてしまう。これは中々に難しいのだが、類まれな才能を持つ少年に不可能はない。それでもかなり集中する必要があるから、まず楽な仕事ではなかった。
ギュッ!
「どうしたの?アスカ」
「なんとなく…シンジの背中を見ていたらさ」
コンロの前で仁王立ちする少年のことを抱きしめる少女がいた。真面目な人なら危険だと怒る行為かもしれない。しかし、この家では日常茶飯事であるから、むしろ気にすることは逆に怒られてしまう。
「まだ焼けないよ。まだたっぷり(ボウルを指さす)焼く前の生地があるから、長くてあと15分はかかるかな。ごめんね」
「そんなことはどうでもいいの。なんか、ふと考えちゃった」
「何を?」
「こうしてシンジと美味しい物を食べて、一緒に笑って、一緒に寝る毎日がずっと続いてくれるか」
彼女は絶賛のナウで過ごしている幸せな人生をいつまで送ることができるのか心配になったようである。なんせ、この世の中は常時戦争状態であるのだから。使徒はいつ出現して、どう侵攻してくるか一切が不明な以上、幸せな生活は瞬時にして消え去る可能性がある。
賢い先人は『万事塞翁が馬』と言い残している。その言葉の意味は重い。
「僅かな時間だけでも無駄を出さないように過ごすしかないと思うな。だって、今を幸せに生きないと」
「そう…か」
いつもハキハキしている少女でも彼には乙女らしくなる。愛する人といつまでと考えることを珍しいとは断じれない。
「だって、世界は残酷だから…」
そう言って少年は丁度良い程度に焼けた生地をフライ返しで反転させた。
彼が放った最後の一言は、既に決めていた少女の覚悟を改めさせた。
世界は残酷なら、自分がもっと残酷になってしまえばいい。毒を以て毒を制すのだ。
そして、自分の望む世を。
創り上げよう。
続く