月からの帰還間もなく第八の使徒との決戦の報告を受けた老人は部下に一切叱責を行わなかった。それどころか、まさか有り得ないぐらいに労った。自分がいない中で従来の戦法が通用しない敵に対し、エヴァ3機の総力出撃と原始的な作戦を繰り出して撃破する。3機の内で最も重要と言って差し支えない初号機が損傷し、パイロットも負傷しているが許容範囲内である。使徒に完全な勝利を納めることは不可能で多少の犠牲は覚悟の上でいるべきだった。今回は加えて自爆型使徒のデータも得られたので、叱責するような点はどこにも見られない。
今回の激闘で使徒への恐ろしさが薄れつつあったNERVは引き締まり、階級を問わず全ての職員が一層仕事に取り組んだ。老人も例外ではなく、表向きの仕事と裏の仕事を両方ともを素早く的確に進める。予定を狂わせるわけにはいかない。
「私だが…」
内線がけたたましく鳴った。直ちに応答すると明らかに常時とは思えない切羽詰まった声を以て報告がなされる。短い返事を繰り返すばかりであり、特にめぼしい反応を返さない。まるで自分が仕組んだことを確認するかのように。
「万事承知した。向こうのエヴァと我々のエヴァは思想の段階から大きく異なる。心配したくなる気持ちは理解できるが別に要らぬことだ。引き続き情報収集に努めてくれたまえ」
おもむろに立ち上がり、大きな一面張りのガラス越しで外の景色を眺めた。既に多忙な時期に追加の忙しいを加えられた事態を受け、これからの仕事の割り振りなどを考えている。基本的に(表向きの)面倒な仕事は部下達に押し付ければよかった。特段の問題はなくても(裏の)面倒な仕事を処理する方策を再確認して修正を入れようか考える。
「NERV第三支部(通称アメリカNERV)が正体不明の事故により完全に消滅した。原因は不明で未確定とされているが、まぁ間違いなくエヴァンゲリオン肆号機の自爆による。あれは力を持ってはならない愚かな人間が強欲が招いた自滅だ」
報告の内容は関係者にとってショッキング過ぎる事態だった。なんと、名は支部でも同胞のアメリカNERVが完全に消滅したらしい。厳密には正体不明の大爆発が支部で発生し、周囲一帯を抉り取っていったと。現地の状態は人工衛星から送られた写真や映像だけで分析する必要があり、微細なまでの原因究明は現時点では不可能だった。しかし、赤い海を挟んだ土地の事情を知っている者は容易に原因が読めてしまう。アメリカNERVはNERV本部(日本NERV)に対抗するべく、新型機を建造した上で使徒の力の源であるS2機関のコピー&人工化を目指した。無限機関のS2機関を複製して且つ人工の製造に成功すれば対使徒戦で世界を出し抜くことができ、全ての使徒を撃破した後の世において絶対的な地位を作り上げることが可能となる。つまりは自己の益のために危険な博打に出た。余程追い込まれていない限り、博打はやるものではない。ましてや、強欲を滾らせてまでとは思わないだろうに。
崇高からかけ離れている願いが迎えた結果は…破滅だった。
(試験機として建造されたエヴァ肆号機は人工のS2機関を搭載して各試験を行っていたはず。搭載されていたのは初期生産にも至らないプロトタイプか。よくもまぁ、あれだけ不安定な代物を器に載せようと思った。人が手にするべきではない。だから、神によって粛清されたのだよ)
複雑に絡み合った事情だが起点は1点に集中している。何人たりとも神に近づこうと試みれば身の程を知らされる。
「フッ…」
薄っすらと笑って思考を切り替えてから作業に戻った。作業と言ってもタブレット端末に表示される専門的な単語に数値と睨めっこし、時折唸っては修正を入れてより良くする努力を怠らない。手を抜くべき仕事は際限なく手を抜き、拘りを持つべき仕事は遠慮容赦なく拘りを貫いた。キリの良い箇所で止まれば傍らのコーヒーを啜る。
「次世代型にして自律制御が可能な量産型エヴァンゲリオンの開発。有人機より性能は幾分か劣るだろうが数ですり潰す運用のためにどうでもよい。所詮は使い捨てに等しい集中投入を前提とした捨て駒のエヴァだ。ディファー・サードインパクトが生み出した戦乱の世において主力を務めてもらう。そして、これが君の機体になるよシンジ君」
「器用に隠れたと思ったんだけどなぁ」
「上手に気配を消したつもりかもしれんね。だけど、60年以上生きて来た爺には通用せん。それはさておき、君のエヴァンゲリオン初号機は改修が進んでいると思うが」
第三の少年碇シンジが操るエヴァは初号機と決まっている。その初号機は損傷したため、数少ないスペアパーツを使って修復が急がれた。NERV創設初期から存在する機は思い入れが込められている。よって、修復の名目で近代改修が施された。どれだけ思い入れが込められても、熱い想いが体現されなければ意味が無い。戦闘システムなどは大幅な更新によって刷新され、機体本体は新型特殊装甲に張り替えるなど全体的にテコ入れが試みられた。
「ありがとうございます。冬月コウゾウ先生。僕とアスカ、綾波のために」
「なに、これぐらいは私の仕事の範疇に収まる。エヴァは私の専門分野であり、最も得意とすることなんだからね。この初号機改は君の使徒戦を大いに変える。ついでに言うと、コアのリミッターも外しておいた。思う存分暴れるといいだろう」
「はい。話は変わりますが、僕の『弟』はどうなりましたか?」
「あぁ!」と冬月コウゾウは両手を叩き、すっと立ち上がってシンジ君の肩に手を置いた。両者顔を合わせれば笑い合って部屋を後にした。会話は断ち切られて意志疎通は困難なはずだが、祖父と孫に言葉は不要であり以心伝心を見せつける。彼らが向かう先は地下にあるNERV本部の中でも最下層を超えた未知の場所だった。下位の職員は当然として幹部級ですら存在を把握していない。良くても都市伝説として冗談交じりに過ぎなかった。エレベーターを乗り継いでも真なる最下層部までは15分以上を要し、到着した先には危険マークが付いた重厚な扉が2人を阻んだ。専用のカードキーと暗号、生体認証を動員して承認されると道が開かれる。
空間には数多ものケーブやホースが繋がった水槽が並んでいた。水槽を満たす液体は薄いオレンジ色をしており、少なくとも水ではないことが分かる。下から上に泡が浮かぶのは酸素が供給されているのだろうか。金魚か熱帯魚を飼育するには豪華な設備であるが、水槽の中にいる存在から勘定すれば相応以上である。
「やぁ…僕の弟達」
「本来は量産機用のクローンパイロットを用意するためだったが、量産機はダミーシステムの実用化によって無人運用に変更されている。せっかくの設備を腐らせては勿体なかった。しかし、それにしても君の優秀な『弟』を用意させ、オップファータイプのエヴァンゲリオンのパイロットにする計画には度肝を抜かれた。彼女には悪いが君の『弟』の方が戦力になり得るな」
「そうかもしれませんね。あと、エヴァンゲリオンMK-01はまだですか?弟達を早く解き放ってあげたくて」
「なにも焦る必要はない。適切な時に解き放てるように準備を進めているが、機体は第壱拾参号機を踏襲し、正規版のS2機関の調整もあって先にならざるを得ん。すまんね」
「いえ、儀式に間に合うなら文句はありません。本当に何から何までありがとうございます」
深々と頭を下げた少年に対し老人は短く答えた。
「君たちの幸せのためだ」
続く