数多もの管や電線が繋がれた装置の中に碇シンジの姿はあった。彼は「第九の使徒に蝕まれた後の精神汚染の治療を受けている」と説明される。NERVの職員は納得せざるを得なかった。どこか陽と陰の両面を有して、時には菩薩のように慈愛を抱えるが、時には閻魔の容赦なきを下す、彼を理解するのは並大抵のことでない。
職員の中でも、深層という真相に辿り着きたい葛城ミサトは、本人が起きるの待つしかできなかった。NERVとSEELE、人類補完計画など、意味深長な単語は尽きない。管理モニターに映る彼の精神汚染度、スピーカーから聞こえる呼吸音に眉をひそめた。
「碇シンジ君に惣流・アスカ・ラングレー、綾波レイ。全ての子供たちが鍵になっている」
「深入りはおすすめしないぞ。葛城」
「やっぱり…あなたが関わっていると」
「すまない。せめて、隠し通せたらと思っていたが、使命に裏打ちされた探求心を侮っていたよ。俺から言えるのは少ないが、葛城には生きて欲しいからな」
普通の職員は入れない区画だが、彼女は使徒戦の責任者である。入室が許されて当然だった。しかし、彼は外様大名の適当な椅子を用意された職員に過ぎない。もちろん、司令と副司令の腹心であることは言わずもがなだ。
ここで、敢えて確認するまでもない。
「もう一度言う。深入りはやめておけ。真っ当に生きたいなら、成り行きに身を任せることだ…」
「あいにく、私は狂った実父の計画を突き止め、継承された事と物を全て不可逆的に阻止する。それが生きる意味なの」
「そうか、わかった。なら、俺も罪滅ぼしさせてもらうさ。他意はない」
返答は一個しかないと読めた。
とはいえ、女性の真意は本人から語られるが良い。
「今すぐには無理なの?」
「その時が来たらな。俺だって好き好んで、動けるわけじゃない」
昔馴染みの男の笑いは概して碌でもないことの前触れを示した。同時に、漢の笑いがなければ、どうにもならないこともある。腐れ縁と言うと悪い意味に捉えがちだった。腐れ縁と言うぐらいに長い付き合いを築いたが故に可能な妙策がある。
「火いるんじゃない?」
「助かる」
ここは禁煙のはずだが、2本の紫煙が揺らめいた。
「待ち伏せって、いい度胸しているじゃない」
「表現を柔らかくしてほしいな。僕はイレギュラーの発生を確認した。だから、報告しにきた」
「良くなさそうね」
「良くないどころの騒ぎじゃないかな。まさか外部から干渉を受けるとは」
NERV本部の随所に設けられた休憩所は、ずらっと自動販売機が並んでいる。水にコーヒー、緑茶と種類は大学並みに豊富だ。また、NERV本部が24時間365日体制で動く都合で非常食の携帯食料も購入できる。普通は買われない携帯食料は1日で売れるのだから驚きだ。
なお、業者が補充に来るところをNERVパート職員が代理している。業者は届けるだけであり、補充作業は内部の人間が行った、外部の人間に入られては困る以上は当然の対応と言える。
そんな休憩所でアスカは見知らぬ少年と背合わせで話した。
「僕たちの世界が円環の理に縛られていること。わかるね」
「もちろん」
「そして、君が願い、彼女は呼応し、僕が連携した。三人寄れば文殊の知恵で円環の理を脱した。今の世界は言わば特異点のブラックホールと化している」
「それで?」
「何者かが何らかの手段で割り込んできた」
数秒の沈黙が流れる。
世界は途切れることなく連続した。終わりなき円環の理に囚われ、幾度となく、失敗が繰り返されている。反省は尽きず終着点を目指したが、円環の理という仕組みは堅牢を誇った。
バラバラだった者達は手を取り合う。一人の少年を中心に据えた同盟を組んだ。強固な円環の理と雖も世界を司る者達の前には紙紐と同然である。そして、現世界は特異点と化していた。
「おそらく、また別の特異点かイレギュラーの世界が察知したらしい。存在が許される終着点は一つだけだ。よって、他を排除し続けた末に僕らの世界に辿り着いている」
「歴史の修正が入り込んだわけね。奴らの世界が優れているって?」
「そこまでは、僕をしてもわからない。ただ、言えることは現世界に存在しないイレギュラーが干渉を試みている。あまり人の事に指をさせないんだよ。僕らだって、やっていることは同じなんだから」
特異点を生じさせるのは一つと限らない。宇宙に存在するブラックホールは複数個確認された。紙面上の論理から導かれる予想と様々な観測で得られた結果から導かれる予想より、ブラックホールは超大質量や双子まで数え切れない程にあるらしい。
そして、ブラックホール同士が衝突することもあり得た。
「面倒ね。ディファ―・サーバー・インパクトも早めた方が良いかしら」
「いや、どうせなら、決戦の舞台を整えよう。僕らは準備だけ整えて、儀式の遂行は任せる。現世界を左右することの重大さを身をもって教えないと」
「悪い男よ。ほんとね」
「いいんだ。清廉潔白なんて、第一の使徒には似合わなかった」
自然と笑みがこぼれる。ゲームが最たる例だが、簡単に事が進んでは、まったく面白くなかった。それこそ特異点を作り出す試行錯誤は、難解なゲームと同義と表する。エンディングまでには難関という難関が立ち塞がった。
「どう出てくるかお手並み拝見じゃない」
「次元を超越して干渉した先が、こんなに狂っているなんて」
「碇さんの苦しみが聞こえてきます。碇さんは望んでいない。ただ、操られているだけの人形にされている」
「へっくし」
「ちょっと、時と場所を考えなさいよ」
「ごめんち。でも、こんな時にくしゃみするって…」
「迷信と断じたいけど、勘付かれたみたいね」
変なタイミングに原因の無いくしゃみをした際は、どこかの誰かが自分(達)の噂をしている。なんてことはない迷信と断じるのは容易だが、このような時世であるが故に信じたくもなった。
「向こうも、そういうこと」
「上手く入り込めるか。最悪サードが起こっても、仕方ない」
「多くの犠牲を払うのは気が引けるにゃ」
「大いなる目的のためには、大いなる犠牲を払わなければならない。お人好しは身を滅ぼす」
「辛いけど、碇さんのためなら」
大の虫を生かして小の虫を殺すは非情な真理だが、現世界ではより一層の非情な真理が存在している。小の虫を生かすために大の虫を殺すのが正解だった。不条理な大災厄は存続の手段なのは居た堪れないことこの上ない。
「あんたを殺すか生かすかは…私が握っているのよ」
続く