かつて北極が存在した赤い海に多数の護衛艦を連れた巨大戦艦の姿があった。無人機が飛行して若い作業員が走り回っている。あれから何年が経過したのかわからないが、世界の様子は大きく変化してしまったようだ。
そんな空中戦艦はこのように名を刻まれている。
AAAヴンダー
「ここは…どこだ」
少年が目覚めた所は液体に満たされた個室の中だった。目覚めるとすぐに周辺からざわめきが聞こえてくる。どうやら、自分はどこかの組織に捕縛されているようだ。下手に抵抗しないで流れに身を任せるが吉だろう。
個室から引っ張り出され、薄い患者着に着替えさせられる。厳しい監視下に置かれているようで常に視線を感じた。決して、露出の趣味は無い。言われた通りに素直に着替えている。その後は重装備の兵士に小銃を突き付けられながらストレッチャーに寝かされた。ストレッチャーでも拘束が厳重であり、僅かにモゾモゾと動くこともできない。
ある所まで移動すると、重装備の兵士から大人の女性に交代した。
「お久しぶりです。碇さん」
「…」
「黙秘されるのは悲しいですね。私は碇さんを助けるために…」
相手がよくわからない。喋ること自体が危険と考えて目線だけは合わせた。特に口頭や動きによる応答は慎んでいる。相手が悲しそうな表情を浮かべても気にしなかった。そうしている間にストレッチャーが押されている。
「私は碇さんのことを良く知っていますよ。こうして会うことは初めてですが」
「ここはどこですか」
ここで初めて質問が飛び出した。
「それはお答えできません。正確には、まだ、お答えすることができないんです。ごめんなさい」
「わかりました。煮るなり、焼くなり、蒸すなり。好きしてください」
ストレッチャーはコロコロと音を出し、数分の時間をかけて到着した先は大きな扉だ。何やら事務的な応答をした後に広大な空間へ突入する。そして、予想だにしていない再会を遂げた。空間の一段高い所にNERV時代の指揮官が立っている。
「ミサトさんっ!」
未知の世界という不安の中に懐かしい人を見つけた。思わず、声が上ずってしまうが、周囲の反応というべきか空気は非常に冷たい。小銃や拳銃を突きつけられることはなかったが、その空間にいる人達の視線は何よりも鋭利な刃物となって、少年の全身に突き刺さった。
「なんですか。喋ってくださいよ」
「茶番のつもり?ニアサーを起こした張本人が」
「ニアサーってなんですか。ミサトさん、答えてくださいよ!」
ヒートアップしたため、後ろに立つ女性が静止した。質問に答えてくれる者はいなかった。まるで、沈黙が質問への答えであるかのようである。どうやら、この場では自分がアウェーを超えた諸悪の根源に定められた。
「あんたのせいで、ニアサーが起こって、多くの人が死んだのよ!」
特徴的な椅子に座っていた、オペレーターらしき女性が飛び出して来る。どれほど、自分は恨まれているのだ。自分の行いが災いをもたらしたことは察せられる。しかし、過去にしたことは改められなかった。今更何をどうしろと言うのだろう。
「つまり、僕が悪いってことですか。僕が悪いって言いたんですか!」
「そうよ! あんたのせいで大変なことになったのよ!」
「ミドリ、いい加減にしなさい」
この中でミサトさんが最も偉いことはNERVの時から継続された。ミサトさんの一言で怒りは抑圧される。
「シンジ君。あなたには何もしないで欲しいの」
「なんですか、僕は使徒を倒すために一生懸命やったんです! それに、アスカと綾波も助けるためにやったんです!」
「あなたのせいでニアサーが起こり、サードに繋がっている。多くの人が亡くなるどころか、この世界が滅びかけた。そう、あなたのせいでね」
こうして断言されてしまっては、少年に反論のやりようがなく、ムっと押し黙らざるを得なかった。ヒートアップし過ぎた故に両腕を手錠で拘束される。別に武力を行使しようとは思わないが、予防的措置と封じられてしまった。
「なら、教えてください。アスカは生きているんですか! 綾波は生きているんですか!」
今回一番の力強い声で問いかけた。あいにく、質問と同時に訪れた凄まじい振動と物音にかき消される。いいや、艦長席に立つミサトさんには届いた。なぜなら、微妙に動揺を意味する震えが確認できている。それだけでも満足した。
「パターン青です! NERVのエヴァMK-4」
「彼は隔離室に運び、拘束を一切解かないで。彼の奪還に来た可能性が高い」
「わかりました」
「うっ…」
更なるヒートアップを鑑みて、少年には電気ショックが与えられた。あくまでも、一時的に動きを封じる目的のため、電気ショックの強さは弱く設定され、意識を失う一歩手前で踏ん張る。しかし、あえなく、再会と対面の時間は終わりを告げられた。再びストレッチャーに乗せられると、厳重な拘束に縛られて、鉄の部屋へ送られる。
ポツリと漏らした言葉が少年の心をを物語った。
「僕が何をしたって言うんだよ…」
隔離室の監視は専門の重装備の兵士に任せる。残念ながら、一対一で話し合える機会は持ち越しだった。NERVが送り込んだエヴァMK-4の迎撃戦闘が予告される。本艦の全力を発揮したいため、一時的な待機が命じられた。自室に引きこもることを強いられる。
「碇さんと会えたことは大きな収穫だった。でも、私がしっかりしないといけない。碇さんが式波特務少佐のオリジナルに奪われてしまう。それだけは絶対に防ぐ」
思い出しただけで、涙が零れそうになった。部屋の壁には少年の眩い笑顔が焼かれた写真が画鋲で止められている。この世のデジタルが支配する中では随分とアナログだ。なるほど、アナログな故に味を感じられる。
「私の正規の伍号機は式波少佐や真希波少佐には遠く及ばない。それでも、碇さんを奪われるわけにはいかないの」
(3分後にヴンダーは飛びます。持ち場にある近場の物に掴まってください)
アナウンスを聞くと、椅子に深く座り込み、シートベルトを両肩と腰に通した。各々の持ち場で働く職員は近場にある手すりや頑丈な物に掴まっている。両脚と腰で耐久しようと思わない方が身のためである。アナウンスが宣言した通りの3分後に凄まじい負荷が圧し掛かった。
(高機動戦に移行します。揺れと衝撃は我慢してください)
次のアナウンスは耳に通すだけ通している。自身の仕事を貫徹するために端末を取り出した。端末のスリープ状態を解除し、少年が縛り付けられている個室をリアルタイムの映像に視聴する。この映像は自分以外の戦闘班の兵士も視聴して一寸たりとも見逃さなかった。
皮肉なことに、自分が最も愛して守りたい存在は、この世の中で最たる災厄の塊である。
「そんな悲しい顔をしないでください。碇さんの歪んだ顔はあっちゃいけない。見たくないですから」
艦内の内側にある部屋の中でも、外で行われているだろう、戦闘の音が聞こえる。しかし、驚異的な集中力が必要に応じて音を通したり、音を通さなかったり、柔軟に対応した。女性はモニター越しの少年に意識を注いでいる。
「碇さんは悪くない。自分を犠牲にしてきました。本当は楽しい学生生活、親子で過ごす休日、友人と遊ぶはずだった。碇さんは全てを使徒にNERVに奪われている。いかなる理不尽を承知している。だから、最後は自分の願いを優先したにもかかわらず…」
沸き上がる感情から言葉に詰まった。
この時は一瞬だけ目を離しているが、モニターの少年の目に淀んだ赤みが宿った。
続く