碇シンジはNERVに帰還を果たしてからの数日を現状の理解に費やした。14年間を初号機のプラグの中で寝て過ごしている。彼がこの世界で何が起こったのかを知りたくて当然だった。この世のことを知り、噛み砕かない限り、終わりのない混乱に襲われる。最悪は発狂してしまうに違いなかった。
「この世界はニアサーとサードによって変貌を遂げている。シンジが初号機と共に覚醒してニアサーが起こった。ニアサーは第二の使徒リリスを冬眠から目覚めさせ、リリスは第十二の使徒であるMK-6と接触し、サードインパクトを発生させた」
「僕が引き金であることは一切否定できない」
「でも?」
「ぜんぜん後悔していない。こうして、アスカの温もりを直に感じられるから」
NERVの廃墟から外に出れる階段を降りる。見晴らしの良い所で下る人と上る人がすれ違う待避所が設けられた。待避所は簡素な床しかない。安全柵は一つも置かれなかった。荒廃した世界でも気象は残される。空には雲が広がり、大地には霧や靄が撒かれ、高所は強い風が吹き荒れた。
「赤い大地が広がる。ありとあらゆる物がコア化されてL結界密度を帯びた。L結界密度が高いと、人は魂への返還を強いられる。そして、人の魂が集結して首なしのエヴァンゲリオンが生まれた」
「首のないエヴァンゲリオン…」
霧が晴れた先に赤い大地の地獄が敷き詰められる。第三新東京市は灰燼と化していた。一つの都市が丸ごと吹っ飛ぶ程の破壊を受ける。マンションや一軒家の残骸が散らばり、電柱が折れて斜めに倒れ、コンクリートは砂に戻された。死の大地に生えるは首のない赤いエヴァンゲリオンである。アスカが言うに『エヴァンゲリオン・インフィニティ』だった。
「そこら中に蔓延る首なしエヴァは『インフィニティ』なの。サードで人類が強制的に進化された姿かな。多くの人の魂が集結して一つのインフィニティを為した。あれのおかげで大地のコア化が急速に進められる。人いう人はLCLに還元されていった」
「サードは何のために行われたの。僕が招いたことだけど、この手で関わっていないからさ」
「簡潔に言えば、人類が定められた運命を乗り越える儀式ね。人類がインフィニティに姿を変えても生きている。サードを起こす以外に人類が地球に生き続ける術はなかった」
「じゃあ、ミサトさんたちは?」
サード・インパクト後の世界は、常識的に考えて、地獄絵図の以外に当てはまる言葉が見当たらなかった。街が消し飛ばされたことが可愛く思える。あれだけ文化的な生活を送った人々は概して自他の境界を失った。人の魂は凝縮されてインフィニティを為している。
例外的に葛城ミサトなど真っ当な人間を僅かでも確認できた。
「WilleはNERVに反旗を翻した反乱軍を中心にしている。反乱軍はセントラルドグマのリリスと第十二の使徒を強制停止させた。サード・インパクトは約9割まで実行された所で止まる。だから、残りの1割は奇跡的に生き残ることができた」
「ニアサーと違うの?」
「ニアサーは初期段階で強制停止している。サードは完遂されるギリギリね」
サードは完遂される直前に強制終了させられた。したがって、葛城ミサトに代表される生存者は奇跡を享受している。NERVを諸悪の根源に定めて不可逆的な壊滅を目論んだ。
そして、Willeが誕生する。
「あいにく、サードを止めたのは加持リョウジよ」
「加持さんは自分の生き方を貫いた。あの人の最期が僕に正か負のどちらかを与える。それは一切気にしないよ。あの人はあの人なりに生きた。僕が馬鹿にできるわけがない」
「優しいのね。あたしの王子様は人を素直に認めるから好きなの」
大地を真っすぐ見つめる彼の頬にキスした。
「サードは良いとして、この後はどうすれば?」
「シンジの望むことを叶える。ただそれだけ」
「僕はアスカと綾波、母さんとみんなと一緒にいたいんだ。この世界を造りを変えてしまいたい」
碇シンジの望む世界は「愛する人と永遠に過ごす世界」と予想される。しかし、彼は彼なりに配慮や気配りを怠らなかった。なにも、全てを破壊し尽くして消し去ることは本望と限らない。
サードへの関わりが薄かったことは反省すべきだ。
人はまだしも罪なき自然を消し去ったことは慚愧に耐えない。今となっては後の祭りだが、碇シンジはサードに関して「もう少し手心を加えて、上手くやれたんじゃないか?」の反省を抱いた。ニアサーも激情に駆られて煩雑になったことを反省している。
もっとも、アスカと再会して愛を存分に貪り合える世界へ変えたこと。
それは、まったく、後悔しなかった。
「僕ならサードを上手くやれた。次のフォースからは僕が遂行する」
「SEELEはサードで満足した。フォースから先は私達に一任されている。存分にやれるからね」
「道具は揃ってる?」
「第十三号機だけ完成を待っている。それ以外は全てが揃えられた。あいつは個人的に気に食わない。ただ、どうしても仲介人が必要だから。まぁ、我慢してるの」
ニアサーとサードから得られた様々な反省を踏まえる。フォース以後に関しては碇シンジが担当した。彼が14年も眠っている間に材料は揃いつつある。残りはエヴァンゲリオン第十三号機のたった一つに絞られた。
「フォースはやり直しの機会じゃない。シンジの望む世界へ修正する機会なのよ」
「ねぇ、アスカ」
「なに?」
「彼は放っておいていいのかな」
ふと階段の上方に視線を向ける。ズボンのポケットに両手を突っ込んだ少年が立った。うっすら笑みを浮かべている。アスカとシンジのプライベートを侵して誠に申し訳なく思っていた。
「いや、これは大変失礼した」
「あの時以来だから、どうせなら、君の名前を教えてよ」
少年が自ら撤退を選ぶこと、および、アスカが追い出すことを瞬時に汲み取る。彼は先手を打った。アスカに付け入る隙を与えない。彼女は不満だがシンジの交友を狭めることを慎んだ。例の少年はトントンと小気味いい音を立て、2人の立つ待避所に降りて来る。
アスカが譲って少年2人が向かい合った。
「僕は渚カヲルさ。第一の使徒タブリスともいうけど、カヲルって呼んでくれると嬉しい」
「僕は碇シンジだ。これからよろしくね。カヲル君」
「使徒の事は気にならないのかい?」
サラッと第一の使徒タブリスであることを明かした。碇シンジは何ら気に留めないでいる。面白い挨拶に笑いが零れてしまう。彼女は渚カヲルに碇シンジの説明をしてあげた。
「シンジはね。あんたが思っている以上に懐が深いのよ。一度でも懐にしまってもらえるたら勝ちってこと」
「そうみたいだ。さすがはリリンの救世主たるメサイア」
「君の正体が使徒と聞いても、僕はな~んにも気にしない。だって、僕が人間を捨てているもん」
渚カヲルは呆気に取られている。碇シンジの懐の深さはかねがね聞いた。なるほど、彼の父はリリンの王と自称したのに対し、息子は自他共に認めるリリンのメサイアだろう。自分が人を捨てた故に使徒と交わることに嫌悪感を覚えなかった。何という懐の深さであり、渚カヲルは感服が連鎖して止まらない。
「それなら、首輪は外した方が…」
「そっか、すっかり、忘れていたよ」
渚カヲルがシンジの首輪を触ると、軽い電子音が鳴って簡単に外れる。
首の血流がほんの少し良くなった。
「この首輪は僕が貰っていいかい?」
「え、付けない方が身のためだよ」
「フフッ、違うよ。僕の私的な研究に使いたい。同じものを作れたら、君が従えるリリンを縛れる」
渚カヲルは工学分野に造詣が深いらしい。Willeの拵えた首輪の研究を希望する。シンジもアスカも首輪の必要性を感じなかった。対価を求めず譲渡している。彼は首輪を将来を見据えた研究に用いた。首輪をまじまじと見つめながら、意味ありげに呟いている。
「これはリリンが僕たちを恐れて作った。これをそっくりそのままお返しする。それが一番じゃないかな」
朗らかに笑う渚カヲルだが、笑みには怒りが隠された。
続く