アスカと一緒に運動不足解消のため、NERVの施設内をグルグル散歩している。すると、通路に設置された長椅子に冬月司令が座っていた。会釈して通り過ぎるところで声をかけられる。
「シンジ君。将棋は打てるかね」
「え、はい。駒の動かし方は分かります」
「無理に将棋を打てとは言わない。将棋は将棋でも崩しでいこう」
「なるほど」
退屈な日々を凌ぐ娯楽に将棋崩しを提案される。
そうして、冬月司令に連れられた先は暗かった。どうしても「暗い」以外の感想は出てこない。照明は足元を確認できる程度で慎重を重ねる。安全に行動可能な必要のみを充足した。
それはともかく、冬月司令と僕は向かい合う形で畳に正座している。近代的な空間に敷かれた和の畳の上に3人分の座布団が置かれた。座布団が気休め程度でも正座による足と腰への負担を軽減する。僕と司令の目の前には立派な将棋盤が鎮座した。
「ほいっと」
「うん、これでいいだろう。ありがとう」
アスカが将棋盤の中央部に木箱を投下した。木箱の中には将棋の駒がランダムにごちゃ混ぜにされる。木箱本体をゆっくり引き揚げた。綺麗に将棋の駒が山になっている。
将棋崩しは駒を交互に抜き取って行き、先に山を崩した方が負けのルールだった。
「私は第三者的な審判になります。どうぞ、お気になさらず」
「よろしく」
「さてとだ。こうして、シンジ君と膝を突き合わせること。それは特段珍しいことでなかった。しかし、非常に真面目な話になると、自分の臆病者が出てしまう。将棋を緩衝材に挟まねば、君と碌に話せない臆病者ですまない」
「そんな、僕は大歓迎なのに」
「君は優しいからね。お母さんによく似ているよ。そう、君は母を知っているか?」
この質問は歓迎されるべきでないが、僕にとって、冬月司令は理解者でしかない。僕は詰まることも淀むこともなくハッキリと答えた。僕の母さんは空白が詰まっている。
「実は全く知らないんです。父が母さんの遺品を全て処分しました。それに、母さんを事故で失った時の僕ですが、あまりにも幼過ぎるので、欠片も記憶がありません」
「やはりか。ならば、これを渡したい」
「これって、父さんと母さんですか。なんとなく、どこか、いや、言葉にできません」
「シンジの赤ちゃん時代だ。シンジとは小さい頃から会いたかったなぁ」
冬月司令は胸ポケットから1枚の写真を差し出している。写真はいかにも古かった。写る人は若かりし頃の父さんと母さんらしい。そして、赤子時代の僕を抱く母らしき女性は僕が愛した少女と瓜二つに見えた。
「君の母たる女性の碇ユイ君。私の教え子だった。旧姓は綾波ユイという」
「綾波…それって」
「結論を先に言おう。綾波レイは君の母である碇ユイを基にしたクローンだった」
「綾波が僕の母さん…なんですか」
衝撃的な事実を明かされても、駒を引き抜くことは止めない。僕も冬月司令も駒の見定めに長け、なかなか、山は崩れないでいる。駒を抜き取る手も会話も止まることを知らない。
「お、ようやく照明が復活したか」
NERVの発電所からの電力供給は不安定で知られ、一時的に安定した供給が開始されると、僕とアスカ、冬月司令の前に巨大な十字架が上げられた。十字架はリリスを打ち付けることなく、むしろ、エヴァの残骸がそこら中に散りばめられる。
NERVにこんな施設があったのか、記憶を探っても探っても掬い取れなかった。
「これは極初期型のエヴァンゲリオンの試作品だ。初号機よりも前だからプロトタイプのプロトタイプでもある」
「もしかして、母さんを失った事故とは、ここで発生した」
「その通り、初号機を建造するにあたり、碇ユイ君は自らが考案したコアへの『ダイレクト・エントリーシステム』を完成させた。それは我が身を初号機へ投じることを意味している」
異様な光景に駒を取る手が止まった。
僕から失われた記憶が蘇りに蘇る。
僕は確かにここにいた。誰かに抱えられていた。僕の目の前で母さんは天使の姿となり、赤い球体のコアへ沈んでいき、当時は幼い故に訳の分からない光景であるよ。しかし、現在は得られた知識と積み重ねた経験を携えた。旧劇に蘇る記憶から受けるショックの緩和に解している。そういえば、初号機に謎の安らぎを覚えた経験があった。母さんの鼓動を感じ取った。
「初号機の中に僕の母さんがいる」
「初号機を制御するシステムが碇ユイ君なんだ。私や君の父親はエヴァを制御することに頭を抱え、ユイ君がコアへのダイレクト・エントリーシステムを考案している。他の人に任せられないと自ら志願したが、息子が乗ることを見越していた。君が危機に陥ったり、強く願ったりした時に彼女は現れる」
一時停止を強いられた駒を抜き取る動作を再開する。
「結局のところ、実験は成功した。しかし、彼女は初号機へ取り込まれている。この世には碇ユイの情報だけが残された。碇ユイを忘れたくない。彼女を現世に取り戻したい。我々は碇ユイの情報を元手にクローンの肉体を作成し、魂を吹き込んだ存在が綾波レイなのだ」
「ほんのり、なんとなく、綾波から母さんの気配がありました。僕の母さんが初号機にいること、綾波が母さんと似ていること、これで全てに納得が行き届いています」
「そして、君に問おう」
冬月司令はスッと駒を引き抜いた。
同時に一つの問いを突き付ける。
いつにも増して両目が僕の真底まで索敵した。
「君は母である碇ユイを取り戻したいか。アスカ君と永遠の時を歩みたいか」
「はい。ただ、訂正させていただいて、よろしいでしょうか」
僕が母さんを取り戻してアスカも含めた皆で永遠を生きることは本望である。
もっとも、訂正を挟みたかった。
「構わん。まずは言ってみなさい」
「アスカのお母さんも取り戻したいです。僕が自分の母さんだけを取り戻すことは不公平でした。なので、アスカのお母さんも取り戻さなければ、個人的に納得できませんでした」
冬月司令の番に将棋の駒の山がボロボロと崩れ去る。将棋崩しのルールから僕が勝者となり、敗者となった冬月司令はニコリと笑った。普段は荘厳な空気を漂わせる方である代わりに優しい時はトコトン優しい。
「わかった。君の答えを聞いて心底安心している。万事承知した」
コホンと老い由来の咳を挟んだ。心配は無用と手をヒラヒラ振っている。
「君の母と彼女の母を取り戻す方法は共通した。まあ、面倒を幾つも重ねことも共通する。全てが始まった大地にして、セカンド・インパクト爆心地である、南極で儀式を行う。ありとあらゆる想いが現実となる空間を開き、君が心から願うことで、この世の終幕と新世紀が訪れた」
「そのためにフォースが必要なんですね」
「ごめんね。言葉足らずでミスリードを呼んじゃった」
僕はアスカから「フォースによって世界を書き換えられる」と教わった。しかし、よくよく考えたら、フォースは途中駅であることに気づいた。冬月司令の話を聞いて確信を掴んでいる。これはアスカが生んだミスリードに伴う僕の勘違いだった。
「いや、早とちりした僕も悪い。ここは眠らない夜を過ごして、お互いの認識をすり合わせよう」
「そうね。それが手っ取り早い」
とにかく、僕の母さんとアスカのお母さんを取り戻す。そして、皆で永遠の時を過ごすという願いを叶える。今の僕がやるべきことは「フォース・インパクトを発動させる」に収束した。
「さて、私が伝えたいことは以上だ。そのだな、シンジ君の時間が許すなら」
「わかりました。もう一局いきましょう」
微妙に悔しそうな冬月司令のリベンジを受け取る。
この後はアスカも含めた3人で将棋を楽しだ。
カヲル君は…その…ごめんね。
続く