今日のシンジは珍しくアスカと離れての単独行動をしていた。しかも、これがNERV本部内のことであるから驚きであろう。学校や本部、その他の場所を問わず、基本的にシンジとアスカの2人は常にセットで動いていて、表向きは「戦友」でも実際は「ラブラブカップル」であることは明白だ。彼らを知る者ならば、皆一様に2人が離れることは無いと言う。しかし、それは原則の話であった。世の中で原則に対する例外は存在する。今回はその例外のようだ。
「君の自由時間だというのに。こんな老人の道楽に付き合ってもらったことについて、心から感謝するよ。碇シンジ君」
「いえ、気にしないでください。僕も冬月司令と話してみたかったので」
彼は本部内でも特に広い部屋で、ポツンと置かれた畳スペースに礼儀正しく正座をしていた。その前には将棋盤を挟んで、このNERVトップの冬月コウゾウが座っている。この老人がとっても偉いことは、重々承知していて、恐ろしく頭脳が切れる人物であることも知っていた。ただ、一度も話したことが無かった。これはいただけない。そこで、シンジはテッペンの人と話さないことは、どうしても許せなかったのだ。
そう考えていたら、老人から「将棋を打てるか」と聞かれた。これは「将棋を介して君と話をしたい」という呼び出しであるため、立場上聞くしかない。また、願ってもない申し出である。まさか、断るわけがないだろうて。とは言え、将棋と呼ばれる頭脳スポーツで彼が勝てるわけない。それでは気まずくなってしまうため、将棋は将棋でも将棋崩しを選んでいた。
「アスカ君とは仲良くやっているかな。彼女は強そうに見えて、意外と弱いところがある。どれだけ強く見える人間でも、どこかしらに弱さを持っている。無口で寡黙な男でも、腕っぷしの強い女でもな」
「はい」
「まぁ、独り身の私が言えることではないかもしれない。だが、少なくとも誰よりも経験は持っている私が言うんだ。老い耄れの戯言と断じてもいいが、聞いて損は無いと思う」
シンジは淡々と語られる老人からの言葉を聞き逃さないように集中する。
「君は彼女と共に使徒と戦い、生活を共にし、ゴールインするなら。君が彼女を守ってやらないといけない。どれだけ強い少女でも、独りぼっちは辛いものだ。誰かが寄り添わないと、暴発してしまう。かつて、家族を失い独りぼっちになった者が私の教え子にいてね。まさに暴走しかけて、トンデモナイことをしようとした。幸いにも大事には至らなかったが、まったくもって、究極に追い詰められた人間は本当に恐ろしい。だから、いつまでも彼女におんぶにだっこになっているのはね」
「は、えっ!ゴールインって」
確かに、今の自分は彼女のお世話になりっきりであった。彼女から一方的にお世話されていると見える。しかし、それを彼女に指摘すれば、もうたちまちNN爆雷が降ってくるだろう。シンジは自分が彼女に依存してしまっている点を突かれたのだが、一部に変な箇所があったため、見るからに分かり易く動揺した。上手いこと山が崩れないように駒を外している冬月は至って真面目な顔をしている。少年を茶化したのか、真面目に言っているのか不明だ。
「別に、私はそのままの意味で言っただけだよ。シンジ君とアスカ君が将来を、未来永劫を二人三脚で歩むのだろう?そのためには、互いに助け合うことは必須だと言いたい」
「えっと、なんで僕とアスカが結婚するみたいなことになっているんですか?」
「自覚が無いのかね。君とアスカ君はきっと素晴らしい夫婦になるよ。な~に、この私が言うんだ。誤差は生じても、完全な誤りにはならんから安心しなさい。あぁ、そうだ。私の名前を貸して、2人の保証人ぐらいにはなれる。その時はいつでも言いなさい」
矢継ぎ早に告げられる衝撃のことに彼は動揺を重ねた。同様のせいで手が僅かでも震えてしまい、駒を上手に取ることを失敗した。すると、どうなるか。相場は決まっている。駒の山はあれよあれよと崩れるではないか。
「さて、勝負がついたことだ。少し、込み入った話をしようか」
将棋崩しの勝ち負けは決まった。2人は畳のスペースから移動して、シンジは応接用のソファーに座り、冬月は司令官専用の良いお椅子に座った。割と辛い正座から楽な体勢に座り直した両名は向き合う。先のお遊びは終わりを迎え、これからは本当に真面目な話をするようだ。
「君は何を願う?」
「何を願うです…か」
極めて大雑把な質問が飛んできたが、聞きたいことは分かる。自分が何を望んでいるかを伝えて欲しいようだ。それを答えるならば、幾らでもあるだろう。待遇の面や私生活の補償などなど多岐にわたる。しかし、それは答えるべきことではない。答えるべきは、もっと大きなこと。私生活の面など、チマチマした小さなレベルではない。言うなれば、人生についてか。
「突然、難しいことを聞いてしまって申し訳ない。だが、聞いておかないと、これからの動きが定まらない。こんな老いた爺でも、君の希望は最大限に応えたいと思っている。今すぐに答えないでも構わない。じっくり考えた上でいい」
「そうですね。僕は大きなことを望みません。ただ、アスカや綾波、皆と一緒に幸せに過ごせれば。使徒を全て倒して、手に入れた平和を皆で過ごしたい」
「そうか…」
もっと多くを望んでもいいのに、彼は控えめに望んだ。友(?)と一緒に暮らせるだけでいいと。謙虚なのか、単に多くを願わないのか。いや、そのどちらもかもしれない。質問をした冬月は思わず笑ってしまった。その笑みを受けてシンジはきょとんとする。決して不快に思ったわけでは無い。
「いや、すまないね。そうか、君は多くを望まないか。しかし、本当にいいのか?君は壮大なことを願ったとしても、誰も君を責めないだろうよ。贅沢を言っても、罰は当たらない」
「いえ、本当に良いんです。何ていうか、ただ平穏に暮らせれば。それで良いんです」
彼の答えから老練な冬月は裏にある真なる願いを感じ取った。彼は冗談抜きで、幸せに生きたいのである。その理由が「今が幸せではないから」と言うのは間違いであって、彼の辛すぎる過去から生み出されているのが正解だ。復習になるが、彼は幼少期の記憶が定着するかしないか微妙な時に、最愛の母親を事故で失っている。幼い時は言わずもがな、生涯において最愛でしかない母親を失うことは辛すぎた。それだけで終わらず、辛うじて残った父親も失った。いや厳密に言えば、その父親が蒸発して自分を捨てた。結果として、一番愛を欲する時期に両親を失い、見捨てられたことで絶対に癒えることが無い傷を負ってしまった。現在も心に深く刻まれており、彼の成長に影を落とすことになっている。辛い過去から、ただ誰かと一緒に、愛する人と普通に生きたい。それが、それこそが、彼にとって何よりも望むこと。
「わかった。君の心からの願いが叶うように、私にできることをさせてもらうよ。う~むしかし、その実現のためには、全ての使徒を殲滅することが大前提の必須条件になるか。すまないが、使徒殲滅については君たちに頼みたい。もちろん、サポートや体制づくり等の全部を任せてもらう。爺だからできることもある」
「はい。自信はないですけど、アスカとならやれます」
「それは困ったな。自分にある程度の自信を持たねば、出来ることが出来なくなる。少なくとも、アスカ君やレイ君、そしてこの私はシンジ君のことを認めるよ。君がしたことが破滅を招いたとしても、私は何も言わん。ただ、君の頭を優しく撫でるだけだ」
事実としてNERVのトップたる人間が自分の本当の祖父の様に接してくれて、シンジは面食らった。非常に優しいことはアスカから聞いていたが、まさかここまでとは思わない。誰よりも子供たちに寄り添ってくれる冬月にシンジはアスカへと同等の信頼を寄せるようになった。
彼はアスカとお爺に追従する姿勢を採用したのだが、これが後に彼の運命を決めることになる。幸いなことに、彼は知ることができなかった。
続く
次回は第五の使徒戦の予定です。一応、LASになっているはずです。