街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第1話 アマノ

 鎌倉の市街中心部から離れた並木道に沿って、多数の商店が並ぶ中に、木造平屋の小ぢんまりとした建物が紛れていた。

 表の通りから見て開放的なその建物内で、多様な花が自らの色鮮やかさを誇る。鉢植えの中で、陳列棚の中で、ガラス張りのフラワーキーパーの中で。見る者の心と嗅ぐ者の鼻に、何かしらの情を訴えかける。

 その建物とはフラワーショップ、花屋であった。

 

 店内の奥まった所にあるカウンターに、一人の女性が立っている。腰まで届く白銀色の髪を後ろで一本に纏めた、少女とも見紛う童顔小柄な女性。白いカッターシャツの上から黒の胸当てエプロンを着けた彼女は店の従業員だ。

 女性店員――樟美(くすみ)はカウンターの内側から外の通りをぼうっと眺めていた。平日の15時で、天気は曇り空。来客は疎ら。有り体に言って、暇だった。

 

 そんな樟美が奥の陳列棚に向かって作業をしていた時のこと。

 

「すみません」

 

 ちょっとだけ間延びした女の子の声が耳に入る。

 樟美は作業の手を止めて振り向いた。

 

「いらっしゃいませ……?」

 

 誰も居ない。少なくとも視界に映る範囲には。

 そこで樟美は少しの間考えた後、店の奥から店先へと歩いていく。

 すると、やはり居た。鉢植えから伸びたデルフィニウムなど背の高い花に隠れ、お下げ髪の女の子が遠慮がちにこちらを見上げている。

 小学校低学年といったところか。小柄だが20歳の歴とした大人である樟美に比べて、当然ながら背が低い。

 少女がいつまでも用件を告げなかったので、樟美はその場で屈んで女の子と目線を合わせた。

 

「どんなお花が欲しいんですか?」

「あの、お母さんの誕生日で……それで、お母さんにお花をあげたいです……」

 

 樟美は決して愛想が良い方ではない。それでも女の子はたどたどしくも、話し始めてくれた。

 見て分かる通り、この小さなお客さんは引っ込み思案なのだろう。かつての自分を見ているようで、樟美は自然と頬を緩ませる。

 

「お母さんへのプレゼントですね。お金は持ってきていますか?」

「お小遣いで……」

 

 女の子の予算を確認すると、樟美は折り曲げていた膝を伸ばして中腰を止めた。そうして店内を見回しながら考える。

 

 母に贈る花と言ったら、定番は言わずもがなのカーネーション。だが母の日はもう少し先だ。それに女の子が「誕生日だから贈りたい」と言った以上、かぶらない方が良いかもしれない。

 

 そこまで考えてから、樟美は陳列棚に置かれた透明なガラス瓶に目を付けた。そこには赤や白や桃色など、鮮やかな何枚もの花弁がギュっと重なった花が活けられている。

 

「薔薇はどうでしょうか」

「ばら?」

「5月の誕生花なんですよ」

 

 小首を傾げる女の子の前で、樟美が作業机の上に広げた厚手のペーパーに薔薇を横たえていく。ピンクの薔薇を主役に、赤やオレンジのものを添える。本数は、母の日ならば『最愛』を意味する11本が最適だろう。しかしここは予算を考慮して、『感謝』の意を持つ8本にした。

 樟美の手の中に慎ましやかな花束(ブーケ)が出来上がる。

 

「きれい……」

 

 その花弁の明るい色どりに、女の子は見入っているようだ。

 それから幾ばくもせず、8本の薔薇はお買い上げされる。

 ブーケを受け取った少女のはにかんだ笑顔が印象的で、樟美はじっと見つめるのだった。

 

「ありがとうございました」

 

 店先でそうお礼を言う女の子。

 

「お母さん、喜んでくれるといいね」

「はい!」

 

 店の外、歩道の上を女の子が急ぎ足で歩き出した。

 だんだんと遠ざかっていく小さな背中に、転ばないよう見送る樟美が小さく手を振る。

 やがて見送りを終え、店の中に戻ろうかと思ったところ、後ろの方に気配を感じて振り返ろうとする。だができなかった。背中から密着されて、脇の下から腕を回され抱き締められたから。

 

「ただいま、樟美~」

「天葉姉様!」

 

 樟美の銀髪に顔をうずめてきたのは、セミロングの金髪を後ろで束ねた女性。彼女、天野天葉(あまのそらは)はお店の主。フラワーショップ『アマノ』の店主だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子、嬉しそうだったね」

 

 店内のフラワーキーパーの中身を整理しながら天葉がそう言った。

 ちなみに、フラワーキーパーとは花用の冷蔵庫。温度管理が求められる花はこの中で活けられることになる。

 

「見てたんですか?」

「うん。声を掛けても良かったんだけど、折角の樟美の接客だし。外で見てたんだ」

 

 天葉の言葉に恥ずかしくなったのか、陳列棚の拭き掃除をしている樟美が軽く俯いた。

 実際、この仕事を始めてから樟美の人見知りは大分改善されている。ガーデンに居た頃、リリィだった頃に比べるとそれは明らかだ。流石にニコニコ愛想良く……とまではいかないが。天葉はこのぐらいで十分だと思っている。

 

「樟美も何だか嬉しそうだった」

「そう、かもしれません」

「う~ん、ちょっと妬いたなあ」

「えぇ? 子供に妬いたんですか?」

 

 冗談めかしてそう言う天葉だが、全くの嘘というわけでもない。樟美が自然な笑顔を向けたことに、ほんの少しだけ妬けたのは事実である。

 可憐な容姿に、儚げな雰囲気に。身贔屓を差っ引いても魅力的な女性だと天葉は思っている。

 時折、一瞬だけ、「宝箱か何かに大事にしまっておきたい」などと考えることがあった。だが勿論実際にはしない。天葉も樟美も、そんなことを本当に望んだりはしないのだ。

 

「ま、私がちゃんと見てるから、変な虫は寄ってこれないんだけどね」

「もう、姉様!」

 

 天葉が横から小さな肩を抱き寄せ、頬と頬を擦り付ける。樟美もリリィの頃に比べて少しだけ背が伸びたが、天葉も同じく伸びたため、頭半個分という身長差は変わっていなかった。

 

 変わらないものと言えば、呼び方もそうだ。ガーデンを卒業して今の関係になってからも、樟美は天葉を姉様と呼ぶ。今更変えるのもしっくりこないのだろう。天葉も特に不満はない。

 そんな二人の関係を、近所の人間や常連客は大体知っている。殊更に喧伝しているわけではないが、隠してもいない。初めてここを訪れる者が見たら、似てないが仲の良い姉妹に映るだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天葉と樟美が居を構えているのは、お店から10分ばかり歩いた所。大通りから外れた閑静な住宅区にあった。

 二階建てだが店と同じく小ぢんまりとした一軒家で、入り口横には業務用のミニバンが止まっている。二人で暮らす分には十分過ぎる環境だ。駅を利用する際に多少不便なのが問題なぐらいであろう。

 

「うん、まあ平日だし。売り上げはこんなものか」

 

 一階のリビングにあるテーブルの席で、天葉はタブレット端末と見つめ合っている。お店の帳簿を付けているのだ。

 以前は個人所有が珍しかったタブレットも、今ではそれなりに普及しつつあった。戦況好調につき、民間生産が回復している恩恵である。それはリリィとして活躍していた彼女らにとって誇らしいことだった。

 

「お店、厳しいんですね」

 

 心配そうな顔を覗かせてくる樟美はテーブルの向かい側。彼女は彼女でタブレットではなく、紙のノートにペンで書き込んでいる。家計簿と献立表を作っているのだ。

 

「ああ、いや、店頭売り上げの話だから。本当に予想の内だよ」

「ほっ。よかった……」

 

 事実、売り上げ先のメインは店に足を運ぶ個人客ではなく、大口の契約をくれる法人であった。

 天葉の言葉通り、店頭売り上げは収入の主体になり得ない。それは店の性質を考えれば仕方がないことだった。店頭まで大量の客を呼び込めるのなら、話は別なのだが。

 

「ところで姉様、明日のお夕飯は何がいいですか?」

「もう明日の夜の話? う~ん、特には。何でもいいかな」

「『何でもいい』が一番困るんです!」

「えーっ、本当に何でもいいのに」

 

 樟美の料理には非の打ち所が無かった。天葉が元々好き嫌いしない性分なのを抜きにしても、相当な腕前と言えるだろう。天葉はパン派、樟美は米派という好みの違いこそあるが、彼女の腕の前では些細な問題である。

 

「なら、あれ使ってよ。依奈(えな)(いち)がお裾分けしてくれた鮭」

「サーモンですね。あれを使うならシンプルにお刺身と、マリネと、ホイル焼きと……」

 

 天葉からの要望を聞くや否や、樟美は真剣な顔で献立表の上にペンを走らせ始めた。

 こうなった樟美はちょっとやそっとでは止まらない。テーブル越しに右手を伸ばして樟美の頬っぺたをふにっと触ると、天葉は手を引っ込め自身の仕事に戻った。

 

 彼女たちのような元リリィにとって、日々の食事はある意味で現役リリィ以上に切実な問題である。うっかり現役時代のペースで食べ続けると、忽ちお腹がラージ級ギガント級にランクアップしてしまう。20歳を過ぎると緩やかにマギが減退していき、それに伴い代謝もゆっくりと下がっていくからだ。

 とは言え、流石に献立表を用意するほど厳密な管理は必要無い。樟美の料理に対する拘りがそうさせるのだろう。お陰で天葉は何の苦労もなく食事を楽しめているのだが。

 

「樟美ー」

 

 暫く経って、視線を手元のタブレットに落としたまま呼び掛ける。

 しかし返事が無い。

 

「樟美ー?」

 

 今度は呼び掛けながら視線を上げる。

 すると目の前には、自分の腕を枕にして机上に突っ伏した樟美の姿があった。耳を澄ませば、小鳥の寝息もかくやと、小さな音が漏れ聞こえてくる。

 天葉は作業を終えて椅子から静かに立ち上がった。

 

「お疲れ様」

 

 敢えて聞こえないであろう大きさの声でそう言うと、慎重に樟美の横に移動し、慎重に彼女の体を抱え上げた。

 相変わらず、軽い。

 そう思ったのも束の間。眼前に近付いた白く細やかな頬と、薄ら桃色の唇に、天葉は口づけを落としたくなる欲求に駆られる。

 けれどもその欲求は、本日のところは我慢した。

 

「いつもありがとね」

 

 代わりに耳元で感謝の言葉を囁いて、寝室に向けて歩き出す。二人は右手中指の代わりに左手薬指へ指輪をはめていた。

 

 カーテンと窓ガラスの外側では、すっかり夜の帳が下りていた。そんな暗闇の中に、ぽつぽつと複数の灯が灯っている。人家と街灯の灯りである。

 今、灯りの中の一つが消えた。その家の表札には住み処としている二人の名が記されていた。

 

 

 

 

 

AMANO  SORAHA

     KUSUMI

 

 

 





そらくすが仕事したり旧交を温めたりひたすらイチャコラするだけの、ヤマもオチもない話になります。
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