夏、お盆の時期。大抵の花屋は忙しくなるこの時期は、アマノもまた繁忙期である。なので前日からアルバイトを入れて店舗業務を回しているところだった。
現在、店主の姿は無い。車で配達に出ているからだ。店に残った従業員は陳列棚で清掃に勤しむ樟美と、カウンターに立つバイトの結梨である。
その結梨の前、カウンターの上に厚手の布が敷かれ、更に布の上へ球根が一つ置かれていた。球根を持ち込んだ人物は、身の丈が180㎝を越えようかという巨漢の三人組、その内の一人である。
「おうおう、店員さんよぉ。この球根、大丈夫だよな? 来年にまた花を咲かせるよな?」
チューリップは多年草の球根植物であるため、複数年に渡って花を付ける。ただし、それも条件があってのこと。相応の手入れをしないと、たとえ花が咲いても以前と同じ大きさ美しさは保てない。
結梨は球根を見つめながら軽く掴み、それからおもむろに問い掛ける。
「球根は、いつ掘り上げましたか?」
「今月の頭ぐらいだな」
「遅くても7月までには済ませてください」
そのシーズンの開花を終えたら、土から球根を取り出し、茎より上を切除して養分が球根に回るよう仕向ける。それが掘り上げ。掘り上げを適切に行なうことで、次のシーズンも見応えある花が期待できるという寸法だ。
作業着に包んだ筋肉を震わせ、スキンヘッドの厳つい顔に不安の色を浮かべる彼も、掘り上げについては知っていたのだ。ただ、時期を逸してしまった。これでも咲かないことはないが、見栄えが相当落ちてしまう。
「何とか、何とかならないのかよぉ……。苗から大事に育てたんだよ……」
巨漢からの懇願を受け、結梨は自身の顎に指を当てながら少しの間考える。
「来年、新しいものをお買い求めください」
「そんな……」
無慈悲な宣告に、男はがっくりと膝を突いた。
後ろでハラハラしながら見守っていた男の連れ二人が、すかさず両脇から駆け寄っていく。
「兄者っ」
「しっかりしてくれ、兄者」
男は泣いていた。涙は流さず、嗚咽は漏らさず。しかし泣いていた。僧帽筋が、三角筋が、上腕筋が、そして大腿筋が悲しみに打ち震えて泣いていた。
結局、三人組は失意のまま店を後にした。別件の買い物をちゃっかり済ませてから。
人の世話を受けているとは言え、自然の中に生きる草花の世知辛さを、彼らも身に染みて感じたことだろう。
「さっきはよくできました」
棚の掃除を終えた樟美が褒め言葉を掛けた。
褒められた結梨はと言うと、「当然」と言わんばかりに澄ました顔。しかしながら、頬が微妙にぷるぷると震えている。破顔するのを堪えているのだろう。大人になっても、こういったところに彼女の正直な気質が表われているようだった。
「結梨さん、もうカウンターも大丈夫、かな」
「うん。よっぽど難しいこと聞かれない限り、大丈夫」
実際、結梨の上達は大したものだ。元々物覚えに優れているので、業務自体に支障はない。懸念だった言葉遣いも、大人になった今では及第点。多少の粗は、持ち前の明るさで帳消しにできるレベルだった。
問題になり得るとすれば、よほど捻くれた客か、初めからクレーム目的の人間ぐらいだろう。ただしそういった手合いが花屋をターゲットにする確率は、飲食店などより低いのは間違いない。その意味で、保護者である梨璃と夢結がアマノに結梨を送り出したのは正解と言える。
もっとも、あの二人のことだから、業種云々以前に信頼できる人間の元でないと預けられないのかもしれないが。
「じゃあ、私バックヤードと事務室を整理してくるから。ここ、任せていい?」
「いいよ、樟美お姉さん」
「何かあったら、呼び鈴、鳴らしてね」
「うん、分かった」
若干の迷いを残しつつも、樟美は決断した。
売り場からバックヤードへ向かう途中、一度振り返ってカウンターの方を見る。そこに立つ結梨の姿から意欲と頼もしさを認め、樟美は安心して店の奥へと進んでいった。
「今日のお夕飯、結梨さんも一緒だし。冷しゃぶにしようかな? 夏野菜のカレーなんていいかも……」
安心したせいか、意識はすっかり今晩のメニューへと移っている。
先々の献立表を用意している樟美だが、勿論いつも予定通りにいくわけではない。取り分け、今日みたいにゲストを招いた日は色々と工夫したくなる。
天葉が百合ヶ丘卒業後に園芸専門学校へ入ったのと同じように、樟美は調理師専門学校に入っていた。近い将来、天葉の店が上手くいかなかった場合に備え、手に職を付けるためだ。そうして得た調理師免許は現在の所、幸運なことに天野家の中でしか活かされていない。
五年前、結梨は由比ヶ浜沖から生還した後も暫くの間――具体的には一年とちょっと――その生存が秘匿されていた。情勢が彼女にとって好転するまでの間、ガーデン内、あるいはガーデンが保有する限られた敷地の中にずっと隠されていたわけだ。なので隠遁中、結梨が交流できたのはガーデン上層部の人間と生徒会三役、あとはガーデン直轄の特務レギオンぐらいである。
結梨が退屈していないか、寂しい思いをしていないか。そう気を遣ってくれたのだろう。当時、生徒会長の一人だった
結梨が街でのアルバイトを望んだのは、梨璃たちへの羨望からくる冒険心と、ほんの少しの反抗心が原因だったりする。
「あっ」
ふと結梨はお客の来店に気が付く。
いつの間にか店内に入っていた。考え事はしていたが、上の空ではなかったはずだが。
その客、高校生ぐらいだろうか。ノースリーブの白シャツと黒のスカートを着た女の子だ。色素の薄い、ともすれば茶色にも灰色にも見える長髪が左右に跳ねている。彼女は先程から店内をきょろきょろと見回していた。
何かお探しでしょうか、と声を掛けようと考えた結梨。ところが口を開こうとした直前、偶然に女の子と目が合った。
どこか眠たげな様子で、しかし爛々と輝きを湛えた黄金色の瞳。その瞳に結梨の視線は釘付けとなる。
「きれーい……」
思わず口を吐いて出た感嘆。
それは相手の耳にばっちり届いていたようで。女の子がカウンターの方へ近寄ってくる。
「なに? お姉さん、もしかしてナンパ?」
「ちっ、違うよ!」
女の子が瞬きしながら聞いてきたものだから、恥ずかしくなった結梨は慌てて否定した。
結梨の言葉を信じたのか信じてないのか、その子はじろじろと無遠慮に見つめてくる。二人は見た目の年齢も同じぐらいなら、身長もほぼ一緒だった。
「ふーん……」
女の子は更に距離を詰め、カウンターの上に両手を付いて結梨の顔を覗き込んできた。
目と鼻の先まで接近したことで、当然結梨からも相手の顔がよく分かる。白くきめ細かい肌に、やや幼いながらも端正な顔立ち。そんなのが間近に迫ってきたものだから、結梨はますます決まりが悪くなってしまう。
「うん、いいよ」
「えっ?」
覗き込むのを止めた女の子が突然そう言ってきた。
「お姉さん可愛いから、携帯の番号交換してもいいよ」
「ええっ?」
結梨は目を丸くして驚いた。ナンパと誤解されたのは、揶揄われただけだと思ったのだが。
しかし若干の戸惑いを抱えたまま、結梨は相手の提案を受け入れた。携帯を取り出して、番号を交換したのだ。
本来、業務中にこのような真似は御法度である。だが結梨は彼女ともっと話がしたいと、不思議とそう思ったのだ。
「あ、私、
「私は白井結梨。こう見えて
「二十歳? なーんだ、同い年か」
意外に思ったのは結梨とて同じ。この藍という女の子、容姿も言動も高校生程度に見えたから。結梨自身も他人のことは言えないのだが、彼女の場合は出生が特殊なのである。
それから結梨は藍と、互いのことを話せる範囲で話し合った。
聞けば、藍もまた元リリィであり、現在はガーデンと提携するラボで手伝いをしているのだとか。研究職には見えないので、体を動かす仕事だろう。そうなると、彼女は強化リリィなのかもしれない。投薬や外科手術で能力を引き上げられた強化リリィは、マギの減退が特に遅い。結梨も似たような存在だから、今でも工廠科や稀に前線でも仕事があるのだ。
ちなみに現在、藍は連れの用事で鎌倉に来ているそうだ。こっちに知り合いが居るらしい。
「それで藍、お花は買わないの?」
「買うんだけど、連れが来るまで待って」
「電話したんだ」
「してない」
「してないのに、来るの?」
「多分大丈夫。多分」
のほほんと答える藍。根拠など無いのは明らか。
結梨は内心で首を傾げるが、同時に、まだこの子と別れないで良いのかと喜んでもいた。
とは言え、現在はお昼前。まだまだ客は来るだろう。なので残念ながら、藍の相手ばかりするわけにもいかない。
そんなことを考えていると、ちょうど図ったかのように来店する者がいた。
「ちょっと藍! 捜したんだよ!」
「おー。結構早かったね、
駆け込むように店へ入ってきたのは、青みがかった黒髪をショートカットにした凛々しい女性だった。体力があるのか体を鍛えているのか、急いでいた割りに息を切らしていない。眉を上げて藍を叱る姿は外見年齢の差もあって、さながら姉と言ったところ。
「すみません、お騒がせして。花を見させてください」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
申し訳なさそうに謝罪してくる一葉と呼ばれた女性に、結梨はお仕事モードへ切り替える。
藍の連れということは彼女もガーデン関係者なのだろうか。だとしたら、このお盆の時期に花屋へ来たのは霊園に供える花のためだろう。
結梨が見ている中、一葉は少しばかり時間を掛けて欲しい物を選んだ。
カウンターの上にキクやリンドウ、ユリといった花々が束となって置かれる。色は赤・黄・紫・白と様々。法事に使う花は淡い白や紫が一般的だが、墓前に供える物に関してはむしろ彩り豊かな方が好まれるのだ。
結梨はそれらの花を五本ずつの束にして、丁寧に包装していく。それから、お代とお釣りのやり取りを交わした直後、一葉がゆっくりと口を開く。
「貴方、どこかでお会いしませんでした?」
「……いいえ、会ってませんけど」
身に覚えのない結梨は首を左右に振った。
それでも一葉は顎に手を添えてジッと考え込んでいる。考えられるのは、彼女の方が一方的に結梨を見たことがあるというケースだろう。
「あーっ! 一葉もナンパだ!」
「ちょっ、ちがっ! 何言うの藍!」
「さっきのはどう考えてもナンパの常套句だよ。一葉ったら、もー」
「違うってば!」
藍が割り込んだことで、その場が一気に賑やかになった。
二人の掛け合いを、結梨はきょとんとした顔で眺めている。
「
「藍! ……あっ、では失礼します。お花、ありがとうございました。……こらっ、待ちなさい! 藍っ!」
二人して慌ただしく店を出ていく。
見えなくなった彼女らの背中に対し、結梨は聞こえないと分かっていても、お決まりの挨拶をする。
「お買い上げ、ありがとうございました」
心の中に名残惜しさを残して。
その日の夜、結梨は天野家にて夕食の御相伴に与っていた。
白く平らな器に盛られたご飯とカレー。カレーの中に浮かぶ玉葱に茄子に南瓜など、夏野菜の数々。それらを前にしても、結梨の手が握るスプーンの動きは今一つだった。
「結梨さん、味、合わなかった?」
「ううん、違うよ。カレーは美味しい」
心配する樟美の問い掛けを否定する。
だがこのままでは心配させ続けるばかり。そこで結梨は思い切って、胸の内を二人へ明かすことにした。気恥ずかしさはあるものの、自分一人では解決できそうになかったから。
「今日、お店に来た女の子のことが気になってて」
「それってもしかして、お昼に話してくれた元リリィの子?」
「うん」
結梨は天葉の予想を肯定した後、一つ一つ思ったままを話していく。己が心情を、声に出して自分自身で確かめるかのように。
「その子の顔を見てたら、話をしたくなって。話をしてたら、もっとその子のことを知りたくなって。その子がお店を出る時、また来て欲しいなって思った」
「その子と話してる時、結梨さんの胸の中はどんな感じだったのかな?」
「暖かいけど、ふわふわして不思議な感じ。梨璃とも夢結とも少し違う」
「そっか」
結梨の答えを聞いた天葉は横目で隣の樟美と頷き合ってから、再びテーブルの向かいに座る結梨に向き直る。
「それはずばり、恋だね」
「……やっぱり」
天葉の口からその単語を耳にしても、特段驚きはしなかった。結梨だってもう何も知らない子供ではない。第一、すぐ近くに、これ以上ないと言っていいほどの実例が存在するのだから。
問題は、この感情をどう持っていくか、どのように叶えるかということ。
結梨にとっての、ちょっとした試練の始まりである。