街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第16話 異邦人

「雨嘉さん?」

 

 神琳がそう声を掛けると、掛けられた方はビクッと肩を震わせる。

 すぐ横に近付かれるまで気付かなかったのだろうか。猫背気味に座ってホテルデスクの上のノートパソコンにかじり付いていた王雨嘉は、慌てて神琳の方を向く。

 場所は鎌倉市街にあるホテルの一室。時刻はまだ夜になったばかりだが、宿泊客である二人は既にホテルのガウンに身を包んでいた。

 

「顔が強張っていましたよ」

「そうかな? 神琳の気のせいじゃない?」

「いいえ、気のせいではありません」

 

 雨嘉が誤魔化そうとしてきたので、なおも踏み入っていく。

 すると口を引き締めて目を少しだけ細める雨嘉。非常に些細な変化だった。けれども、これはムキになっているのだと、神琳には手に取るように分かった。

 

「顔が怖いのは元からだから」

「雨嘉さん」

「…………ごめん」

 

 真顔で見つめていると、やがて根負けした雨嘉はバツが悪そうに謝罪した。

 雨嘉が素直になるのを待ってから、神琳は彼女が見ていたパソコンのディスプレイを覗く。そこには横書きの文字が何列にもわたって書き込まれていた。とある匿名掲示板の、とあるスレッド。大よその中身に関してはスレッドのタイトルから察しが付いた。

 

「台湾外征について、ですか。日本の中では賛否が分かれていたので、議論になるのは当然でしょうね」

「そういうことじゃあ、ないっ」

 

 軽く流そうとする神琳と対照的に、雨嘉は我慢がならない様子。

 そこでスレッドの内容を詳しく見ていくと、憤りの理由が分かってきた。

 書かれていたのは、神琳個人に対する言及だ。それも大概はネガティブなものだった。

 元々、神琳はリリィ関連雑誌に載って知名度があった。それを利用し、メディアに出演して台湾外征への支持を訴える。外征反対派からは当然の如く目の敵にされるだろう。

 

「雨嘉さん、匿名掲示板とはそういうものよ。肩肘張って見るようなものじゃない。話半分程度に受け止めないと」

「だからって、こんなの……っ! 神琳は腹が立たないの!?」

「雨嘉さんの怒っているお顔を見てたら、毒気が抜けてしまったわ」

 

 そう言って神琳は後ろから雨嘉の両肩に手を乗せる。

 雨嘉は椅子に座ったまま、首を回して横顔を向けてくる。

 まだ何か言いたそうな彼女の唇を、神琳は不意打ちで塞いでしまう。

 

「んんっ~~~!」

 

 始めは驚いてのけ反ろうとする雨嘉だが、神琳の手の平に頬を包まれると、途端に大人しくなった。目を閉じ、力を抜いて、その身全てを神琳へ委ねる。

 5秒か、それとも10秒ほど過ぎただろうか。互いに顔に掛かる鼻息が荒くなってきたところで、神琳は唇を離した。これ以上は自制が利かなくなりそうだったから。

 

 台湾とアイスランド。百合ヶ丘を卒業してから二人の道は別たれた。それでも長期休暇などを利用して会う度に、空白の時間を埋めるかのように肌を重ねていた。

 勿論本日もそのつもり。神琳は取材やテレビ出演の合間を縫って、二人の時間を作ったのだ。

 だが、今この時は自制した。雨嘉の想いを有耶無耶にするべきでないと、途中で思い止まった。

 

「わっ、私は! 真面目に話してるのに!」

「申し訳ありません、つい」

 

 真っ赤な顔の雨嘉に怒られて、素直に謝る。

 その後、彼女の息が整い落ち着くのを待ってから、神琳は改めて口を開くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自国の土地を後回しにされた点を非難するのは、無理からぬことです」

 

 自身も椅子を持ってきて雨嘉の隣に座り、神琳がゆっくりと説き始める。二人きりの時の砕けた調子から、外での丁寧な口調に戻っていた。

 

「わたくしとて台北を捨て置いて海外に外征などされたら、心穏やかにはいられないでしょう」

「それは、そうかもしれないけど」

「その上で、日本の政府とガーデンが台湾支援を選択したのは、台湾海峡の確保による利益と南西諸島奪還に掛かる負担を斟酌した結果に他なりません」

 

 国内領土であり地理的にも要地である沖縄本島。だがここのヒュージネストを攻略しようと思ったら、満足な地上支援抜きで降下作戦を実施しなければならない。たとえ奪還できたとしても、大陸方面や小笠原方面、更にはマリアナ方面からのヒュージ襲来に備える必要がある。

 それに対して、台北は現地のリリィたちが陸路を確保済みなので部隊展開が容易だった。金門島は難所だが、現状こちらのヒュージ群は台北や沖縄のものより戦力が低い。奪還後の防衛は無論台湾ガーデンの役目なので、戦力を長期間拘束されない点も大きいだろう。

 先に成功の可能性が高い台湾外征を終わらせ、然る後に腰を据えて南西諸島奪還に乗り出すというのが日本政府の目論見なのだ。

 

「台湾を支援することの利点を、これまで様々な手段でアピールしてきました。台湾政府もガーデンも、そしてわたくし自身も。わたくしの場合、雑誌モデルなども務めさせて頂いているので、軽薄な印象を持たれたのかもしれませんね」

 

 話を聞いた雨嘉はすっかり押し黙っていた。未だに納得したとは言い難い表情だが。抗議の言葉を探しあぐねているのだろう。

 

(その怒りも、苦悩も、わたくしのためなのね)

 

 感情表現の不得手な彼女の精一杯の情動が、神琳の胸を打ち心を震わせる。

 それと同時に神琳は疚しさも覚えていた。平静な顔に一欠片も陰りを差せない、些細な疚しさ。しかしながら、神琳の中から完全に消え去ることもなかった。

 

 今さっき雨嘉に向けた説明には要点が抜けている――――

 

 それは神琳が敢えて触れなかったせいだ。台湾外征に関する舞台裏について。敢えて物事の一面を語るだけで、雨嘉を宥めようとしたのだ。

 成る程、確かに台湾海峡の安定化は日本にも益になる。だが果たして、日本のガーデンが戦力を出すほどのことだろうか?

 日本にとって、貿易相手は多少距離が離れていても、東南アジアや豪州に米国と選択肢はある。それだけの海軍力と海運力を何とか保持しているのだ。

 その一方、台湾にとっては事情が異なってくる。無数の大型ヒュージが跋扈する混沌の地と化した大陸。その大陸に代わって通商保護とヒュージ撃滅を担ってくれる者が、日本ぐらいしか存在しない。

 

(即ち、台湾と日本の関係は相互互恵のように見えて、実際は片務的。日本にはまだパートナーを選ぶ余地があるけれど、台湾には無い)

 

 神琳は自身の故郷が置かれた現状を、残酷なまでに正しく把握していた。

 

(では何故日本が台湾を支援する選択肢を選んだかというと、それは台湾側のロビー活動の結果)

 

 これまでガーデン同士の交流について、台湾はかなりの力を入れてきた。高雄に日本のリリィたちを招き、見た目麗しい台湾美人のリリィが応対し、わざわざ日本人向けに薄口にアレンジした台湾料理でもてなす。無論、戦術勉強会や工廠科の技術交換など、実利的な交流もばっちりだ。

 そこまでしたのだから、同じリリィ同士、関係が深まらない方がおかしいだろう。実際、恋仲に発展する者も出るぐらいだった。

 

 ガーデンだけでなく、一般市民に対するアピールも忘れてはいない。その中で神琳は重要な役割を果たしてきた。

 幼少期から日本で暮らし、ネイティブと遜色ない日本語を操り、更には日本の文化に精通している。そんな女の子が「奪われた故郷を取り戻したい」と必死に訴える姿を見て、心を動かさないでいることは難しいだろう。よほどの捻くれ者でない限り。

 神琳は自身の()()を正しく理解していた。

 

(一度味方と判断した者に対しては、どこまでもお人好しになってしまう。良きにつけ悪しきにつけ。それが日本人というもの)

 

 幼き日の神琳が「郷に入りては郷に従え」の次に覚えた諺が「魚心あれば水心」であった。今の台湾に対する日本の姿勢がまさしくそれだと言える。

 利だけでもなく、情だけでもなく、その二つが絶妙なバランスで混ざり合って考慮された。その結果の台湾外征。

 しかし日本側の事情はともかく、神琳たちが相手の情に付け込んで支援を引き出そうとしたのは事実。故に、掲示板で為された批判にも一定の理はある。故に、雨嘉が心を痛める必要など無い。

 沈黙を続けている雨嘉へ、神琳が念押しを図ろうとする。

 

「匿名の掲示板でここぞとばかりに不満を吐き出しているようですが。逆に言えば、この掲示板の外では吐けないとも取れます。現に特番以降は外征賛成が多数派になっていますから」

「うん、分かってる……」

「だから本当に、雨嘉さんが気にする必要は無いのですよ」

 

 そう言って雨嘉を諭す。これで納得してくれれば重畳。

 しかし、そんなに都合良くはいかないことを、神琳はどこかで察してもいた。

 

「でもっ、やっぱり、おかしい」

 

 静かに言い放たれた雨嘉の言葉。そこに万感の思いが込められていることは、神琳ならば手に取るかのように分かった。

 

「神琳のこと何も知らないのに、好き勝手言って。神琳が今までどんな思いで戦ってきたか」

 

 だんだんと熱を帯びてきた言葉が堰を切って溢れてくる。

 

「なのに、それなのに! こんな……スパイとか、色目とか、こんなこと!」

 

 普段、自分から何か主張することも感情を露わにすることも少ない雨嘉。そんな彼女が眉間に皺寄せ、目の中に涙を溜めている。他の誰でもない、神琳のために泣いている。

 彼女にここまでされて、昂らない女がいるだろうか?

 高揚と幸福感と罪悪感と、様々な感情が胸の中でない交ぜとなりながら、神琳は真っ直ぐに雨嘉を見つめ続ける。

 

「わたくしは、雨嘉さんに分かって頂けるだけで十分だわ」

「……また誤魔化そうとしてない?」

「いいえ、本心です。望もうと望むまいと、誰にでも自分を取り繕わなければならない場面が必ず存在する。それは動かし難い現実でしょう。だから、身近な人が素顔を知ってくれるだけで十分なのです」

 

 神琳がそう言い切ると、反論を試みようとしていた雨嘉は口をモゴモゴとさせただけで沈黙する。少々強引かもしれないが、涙を止めることはできたようだ。

 

「それに、重ねて言いますが、誰だって自分の故郷は大切なもの。その利害が相容れないのなら、分かり合うのは難しいと言わざるを得ません」

 

 いかにも正論ぶった物言いで諭す神琳だが、これには自分自身に向けた戒めが含まれていた。

 現状、極東と欧州という遠距離に隔てられた状態でそれぞれ暮らしている二人。百合ヶ丘に居た頃から恋人関係が続いている。

 だが神琳は晴れて教導官になった暁には、一緒になるよう雨嘉へ告白するつもりであった。今の曖昧だが心地好い関係から、世間に認められる正式な関係へとステップアップするのだ。

 ここで一つ、重要な問題が発生する。神琳は台湾で教導官として戦うのが目標。言うまでもなく、台湾から大きく離れる気はない。それでも雨嘉と一緒になるということは、彼女の方に「故郷から離れろ」と要求するようなものである。

 

『私も、本当は故郷を守りたい。役に立ちたい。百合ヶ丘(ここ)で強くなって、いつかきっと』

 

 かつての一柳隊のメンバーなら誰もが知っている雨嘉の想い。リリィとしてはともかく、他の形で叶えられそうな願い。それを捨て去ることになるかもしれない。神琳が自らの想いを通そうというのなら。

 そして神琳は本質的には、一柳隊リーダーと似て欲張りな女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が深まった頃、灯りを落としたホテルの部屋。神琳は一人デスクの前に座り、タブレット端末の上で指を走らせている。

 ベッドでは、雨嘉が背中を丸めて寝入っていた。起こさないよう気を遣う神琳の配慮が無意味だと言わんばかりに、まどろみの中へ深く深く落ち込んだみたいに。よっぽど疲れたのだろう。その寝顔を目にできるのは、神琳を除くと、部屋の隅で花瓶から顔を出している百合の花だけだった。

 一方で雨嘉を熟睡するまで疲れさせた張本人はと言うと、タブレットを操作して極東をはじめ世界各地のニュースに目を通している。教導官候補としても、台湾をアピールする()()としても、国際情勢のチェックは欠かせない。

 

 そんな中、ふと神琳の手が止まる。

 頭の中に浮かぶのは、涙ぐむ雨嘉の顔と彼女の口から絞り出された悲痛な言葉。

 

「雨嘉さんには、ああ言ったけど。やっぱり収まらないわね」

 

 小さく呟きながら、ベッドの雨嘉へ視線を向ける。

 つい小一時間ほど前まで、声が掠れんばかりに神琳の名を叫んでいたその口も、今では穏やかな寝息を立てるだけ。

 

「わたくしのことはともかく、雨嘉さんを悲しませるなんて」

 

 その代償を支払わせないと――――

 

 真顔で剣呑な思考を始める。

 だが実際に実行しようと思ったら、不可能に近いことも分かっている。

 何せ相手はインターネット上の匿名掲示板に残された書き込みなのだ。これをどうこうするのは中々難しい。幾つかの条件を満たした事例を除けば。

 神琳は改めて例のスレッドを開いてみる。

 


 

906:新常態の名無しさん

 僕も百合ヶ丘に交ざりたいお!

 

907:新常態の名無しさん

 ミキサー車持ってきたから

 >>906は生コンとまぜまぜしましょうね~

 

908:新常態の名無しさん

 明治初期まで混浴は珍しくなかったんだ

 混ざったり挟まったりしても何も問題無いな

 

909:新常態の名無しさん

 百合に挟まろうと百合ヶ丘目指したら

 鎌倉駅でガタイのいい兵隊の兄ちゃんに挟まれたんだが

 

910:新常態の名無しさん

 >>909

 wwwwwwww

 

911:新常態の名無しさん

 >>909

 それ連行されてるんじゃね?

 

912:新常態の名無しさん

 新たなシュッツエンゲルの誕生である

 

913:新常態の名無しさん

 >>912

 嫌だよガチムチのお兄様なんて!

 


 

 何度か新しいスレッドに移り変わりながら、相変わらず目を覆いたくなるような文が並ぶ。

 いや、「相変わらず」というのは語弊があった。当初は腐っても政治談議だったものが、今では明後日の方向へと変質していたのだから。

 

「……あら?」

 

 神琳の目が、とある書き込みを見て止まった。

 それは正に『幾つかの条件を満たした事例』に合致するものだった。本当にそんな書き込みが都合良く出てくるとは、神琳も流石に予想できない。

 あくまでネタ。愛のある弄り。書いた本人は深刻に考えてはいないのだろう。しかしながら、それと社会がどう受け取るかは別の問題なのである。

 


 

973:新常態の名無しさん

 明日の朝8時に百合ヶ丘女学院初等部で百合の花を摘み取ります

 摘み取って圧し折ります

 圧し折って頂いちゃいます

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「インターネット掲示板の書き込みによって鎌倉府のガーデンの活動を妨げたとして、東京都在住自称フリーターの男が威力業務妨害の容疑で逮捕されました。男は取り調べに対し『職場で叱られてムシャクシャしてやった。本気じゃなかった。こんなネタにマジになってどーすんの』などと供述しています。捜査関係者によると、押収したパソコンからは他にも警察や社会を挑発するような書き込みが確認されており――――」

 

 ラジオ代わりのタブレットから流れてくる本日のニュース。

 店のカウンターに立つ樟美が、陳列棚の花瓶を整理する天葉に向けて不安そうな声を上げる。

 

「天葉姉様、犯行予告だって……」

「うーん、怖いなー。有名過ぎるっていうのも考えものね」

「ですね」

 

 

 

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