街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第17話 暮らし街並み

 その日、開店準備のため店先に出てきた天葉は異変に気が付いた。店の前に走る道路、縁石によって車道と歩道に隔てられた内、歩道の方に問題が発生していたのだ。

 嫌な予感を覚えつつ、天葉は詳しく確認しようと近付いていく。自分たちのお店から見て、斜め前。縁石に程近い場所だった。

 

「……あっ。あちゃー」

 

 アスファルト舗装の下から水が漏れ出ている。注意して見なければ分からない程度の勢いだが、時間を経たせいか、ちょっとした水溜まりになっていた。

 

「雨も降ってないのに、おかしいと思ったよ」

 

 天葉は溜め息を一つ吐くと、お店の準備を一旦中断して店内の樟美へ呼び掛ける。

 

「樟美ー、ちょっとー!」

「はーい」

「漏水してるー。電話してー」

「ええっと……市役所で良かったですか?」

「府の水道局だよー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスファルトを小刻みに激しく叩く音がする。音を発しているのは、電気の力で上下運動を繰り返して地面を転圧する大型工具。いわゆるランマーである。

 ランマーはある一定の範囲を転圧すると、電源を切られて沈黙した。そこには周囲のアスファルトよりも明らかに色の濃い舗装が出来上がっていた。

 土で汚れた周りの歩道がホースの水で洗い流され、そこでようやく作業完了となる。

 既に昼前。早朝から始まったことを考えると、予想以上に大掛かりな工事であった。

 

「取りあえずレミで固めておいた。今週中には舗装屋が本舗装に来ると思う」

「はい、お疲れ様でした~」

 

 中肉中背、丸顔に黒眼鏡を掛けた50代ぐらいの男性作業員に、天葉が労いの言葉を掛けた。彼らは水道局の要請を受けて出動した水道配管工である。

 ちなみにレミ――――レミファルトとは常温でも保管可能なインスタント・アスファルトとも言うべき舗装材。主に小規模・緊急の舗装に用いられる。

 

「この辺りは市街の再開発地区に比べると、インフラの更新が遅れてるからなあ。漏水が起きても不思議じゃあないぜ」

「でもそのお陰で、安い値段で店を持てたんですけどね」

 

 部下に仕事道具を片付けさせている間、男性は天葉と世間話染みた会話を始めた。

 商売をやっている者にとって、他業種の人間から話を仕入れて損することはない。自分の知らない街の姿が見えてくるからだ。

 もっとも、天葉の場合は単純に人とのコミュニケーションが好きなのだが。

 

「うちの三馬鹿がよく行く花屋ってのは、ここだったのか。確か、昔はケーキ屋か何かあった気がしたが」

「あのケーキ屋さんなら中央区の方に引っ越しましたよ」

「そうか。よっぽど繁盛してるんだな」

「まあ、雑誌に取り上げられるほどの人気店だし」

「けど、繁盛するのも良いことばかりじゃあない。わしも元はただの土工だったが、まさか人手が足りないからって配管工やらされるとは思わなんだ」

「どこも大変なんですねえ」

 

 アマノが店を構えるこの地区とて、決して寂れているわけではない。人通りも多いし、周りには多数の商店が軒を連ねている。ただ、やはり住宅区としての面が強く、ショッピングモールなどの大規模商業施設や遊興施設のある市街中心部に比較すると、活況さでは勝てない。

 その市街だが、未だに拡張工事が続けられていた。かつてヒュージとの戦いの中で、住み処を追われたり自主的に避難してきた人々によって街の住民が増大したからだ。平和になっても、すぐのすぐ今の住み処と暮らしを手放すのは難しい。

 話を聞く限り、この配管工のおじ様もそんな避難民の一人なのだとか。

 

「わしの故郷もヒュージどもから奪還されとる。本当ならすぐにでも帰るべきなんだろう。しかし鎌倉(こっち)の社長には世話になったし、あの三馬鹿たちもまだまだ半人前だから、しごいてやらにゃあならん」

 

 黒眼鏡で目元が隠れたおじ様の表情は読み取り難い。だが声を聞けば、複雑な心中は窺える。寂しさと困惑と充実感が混ざり合ったような、葛藤(ジレンマ)。彼みたいな天葉の倍以上生きた人間でも、迷う時は迷うのだ。

 

「でもそれって、故郷が二つあるようでお得じゃないですか」

「お得ぅ? わははっ、嬢ちゃん底抜けにポジティブだなあ」

 

 天葉の言葉に、機嫌を良くしたらしい。

 彼の中の葛藤がほんの少しでも緩んだのなら幸いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後からの天葉は比較的忙しかった。車で花の配達に何件か回り、お店に帰ってきてからは納品の受け取りとその確認。

 幸いなことに――商売的にはむしろ不幸だが――店頭の方は暇だったので、樟美にも確認作業を手伝って貰っている。

 

「ええっと、ビニールポット3パック300個に、無機肥料10kgが5袋。あとは、消毒液のボトルが1ダース……」

 

 お店のバックヤードにて。

 天葉が伝票の内容を読み上げて、樟美がダンボールから取り出した品物をチェックしていく。

 ビニールポットは苗を植えて販売する入れ物であり、花屋には必要不可欠。プラスチックの鉢などに入れて売っていたら、コストが馬鹿にならないからだ。

 肥料は言うまでもない。

 そして消毒液だが、これは主に剪定バサミを消毒するためのもの。花の茎は清潔なハサミで裁ち切らないと、雑菌にやられて駄目になってしまう。生花店には衛生管理も求められるのだ。

 

「……全部あります、天葉姉様」

「そっか、ありがとー。肥料とビニールポットは私が仕舞っておくから、消毒液だけ片しておいて」

「分かりました」

 

 チェックは済んだ。あとはタブレット端末を開き、在庫管理の表に補充分を付け足しておく必要がある。

 しかし今は広げた備品の収納が優先だ。

 

「そう言えばさ」

「はい」

「あのケーキ屋さん、最近行ってないよね」

 

 バックヤードの収納スペースに仕舞い込みながら、天葉は朝の話題を思い出していた。

 

「お店を開く前は、時々買いに行ってました」

「今は本当、寄らなくなったよねえ」

「よく行列ができるし、人気のケーキはすぐに売り切れちゃうみたいです」

「それは大変。でもうちは樟美の手作りお菓子があるからなあ」

 

 樟美の得意分野は和食だが、別に洋食や中華も不得手ではない。菓子に関しても和洋問わず作れる。流石に本職のお店には敵わないものの、少なくとも天葉の舌にとっては不足はなかった。

 とは言え、樟美がお菓子を自作できることと、お店で買うかどうかということは別の話である。

 

「久しぶりに、食べたくなってきた」

「え?」

「うん、食べよう。買いに行こう」

 

 あの店のケーキを食べようと決めた。今、決めた。そして食に関して一度決めたことは中々譲らないのが、天野天葉という女であった。

 

「中央区まで行くんですか?」

「そう。今日、店を閉めてからね」

「えーっ? 今日行くんですか?」

「思い立ったが吉日ってこと。て言うか、思い出してたら待ち切れなくなっちゃった」

 

 天葉は想像力豊かな女でもあった。既に彼女のお腹はケーキを受け入れる態勢へと移行済み。

 真っ赤なイチゴが乗った王道のショートケーキ。舌触りはふんわりと、しかし甘さはずっしりと重厚なモンブラン。あるいは控えめな大人の味、チーズケーキ。

 今にも鼻歌を歌い出しそうな心持ち。

 そんな天葉の心境を見透かしたのか、樟美が目を細めてジトッとした視線を向けてくる。

 

「姉様のお夕飯、ケーキでいいですね」

「えっ、ご飯とケーキは別腹なんだけど……」

「お夕飯、ケーキでいいですね」

「ごめんごめん! 樟美のお菓子が一番美味しいから!」

 

 樟美が声のトーンを下げ、そっぽを向いた。天葉は後ろから樟美をギュっとして、どうにか機嫌を取ろうとする。

 好き嫌いの無い大食家なのも考えものだ。

 それはそれとして、結局ケーキ屋には出向くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎌倉という街は少々紛らわしい街である。

 本来の鎌倉市街と呼ぶべき鎌倉駅周辺では、ヒュージとの戦闘を考慮して住民を避難させていた。ネストが撃破された今でも状況は変わらない。

 その避難民を受け入れたのは北鎌倉駅の近辺。人が増え、家が新築され、物品の需要が増す。鎌倉新市街と言うべき街の誕生である。

 そういうわけで現在、鎌倉の街といったら一般的に北鎌倉の地を指す。天葉たちの世代からしたら当たり前の話だが、年配の人々にとっては未だ違和感のある呼称らしい。

 

 夕方、閉店後。天葉と樟美は街の中央区へと足を運んでいた。

 交通手段は業務用のミニバン……ではなく路線バス。戦災で都市間の道路網は打撃を食らったが、代わりに都市内での交通網は充実することとなった。実際、遅い時間でもバスの本数は少なくない。避難民を加えて街が膨張していくのは、鎌倉のみならず全国あちこちで見られる光景だった。

 

「あの、先にデパートに寄りませんか?」

「近くだからいいけど。何か買い物?」

「包丁、新しいものが欲しくて……」

 

 バスから降り立った二人は行き先について話し合う。

 天葉の言う通り、目的のお店から程近い所にデパートがある。デパート以外にも、飲食店や銀行など様々な施設が集まっていた。

 そんな都会の真っ只中に店を移せたのだから、件のケーキ屋が如何に人気店であるかが分かるだろう。

 

 背の高いコンクリート建築群に沿って伸びる幅広の歩道。その上を多数の人が行き交う。

 仕事帰りの大人。学校帰りの学生。入り用な物の調達か、遊びに来たのか、はたまた通り掛かっただけか、何にせよ鈴生りの人間たちによって街角にちょっとした雑踏が生み出されていた。

 そんな雑踏の中を縫って、天葉たちは地上10階建ての高層建築の前にやって来る。天葉はともかく、樟美は食料品にしろ雑貨にしろ専門店を好むのだが、利便性からデパートの方にも時折足を運んでいた。

 

「キッチン用品は2階だったよね。だったらまず1階に行こう」

「お肉売り場には寄りません」

「まだ何も言ってないのに~」

「姉様、ケーキ買うんですよね?」

「ケーキとご飯とお肉は別腹だよ!」

 

 入り口の前で軽くお喋りしつつ、天葉は前に歩き出して自動ドアをスライドさせた。

 ところが、中に踏み入らずその場に立ち止まる。隣に並ぶはずの樟美が付いて来ていなかったからだ。

 入り口の外、歩道に樟美が留まっている理由はすぐに判明した。いつの間にか彼女の目の前に、まだ小学校にも上がっていないであろう小さな女の子の姿があった。

 

「貴方、どこから来たの?」

「…………」

「お母さんは、デパートの中?」

「んーん……」

 

 自分の胸元よりも背の低い女の子へ、腰を屈めて尋ねる樟美。

 しかし、女の子は俯き立ち尽くしたまま。二つ目の質問も、黒髪のお下げを左右に振って否定される。そのためデパート内の迷子センターに預けることも躊躇われた。

 

「……姉様、どうしましょう」

「これは、お巡りさんに任せるしかなさそうだね」

 

 すぐさま保護者を探し出せるのなら、それに越したことはない。だが保護者が出入りした店舗すらも分からないし、そもそも本当の保護者かどうかを確かめるのも難しいだろう。やはり本職に託すのが正解だ。子供自身にとっても、天葉たちにとっても。

 

「幸い警察署はここから近いし。電話してから連れてってあげようか」

「そうですね」

 

 二人で話し合って対応を決める。

 それから樟美は再び女の子に向き直り、努めて平静を装って目を合わせた。

 本当は樟美自身も不安に違いない。それでも、女の子が最初に樟美の元へやって来た以上、天葉は直接の対応を取りあえず彼女に任せることにした。

 

「今から、お巡りさんの所に行って、お母さん呼んでもらおうね」

「んーっ」

「すぐ、そこだから」

 

 怖がらせないようゆっくり話しかけても、女の子は俯いたまま。首を縦に振る気配は見られない。これは思った以上に手強そうだ。

 その間、苦戦する樟美を横目に天葉は携帯で警察へと一報を入れる。当たり前だが相手は手慣れたもので、状況を聞き取った上で迷子への対応の()()()をしてくる。

 

「すぐに現地に向かいますので、子供が車道に近付かないよう見ていてください。それでも危ないようなら付近の建物の中へ入るように」

 

 落ち着いた声で出された女性警察官の指示は妥当なものなのだろう。

 しかし妥当ではあるが、誰にでもできることではない。天葉たちは女二人だからこうして見ず知らずの子供に対応できているが、そうでなければ中々ハードルが高い行為であった。

 とは言え、やはり天葉たちにも限度はある。この場で女の子に泣かれでもしたらお手上げだ。

 

「んんっ、ひっぐ、ぐすっ……」

 

 思った矢先に、女の子が鼻を啜り始めてしまう。涙が落ちるのはこらえているようだが、決壊は時間の問題だろう。

 

「えっと、んっと……飴でも持ってくるんだった」

 

 樟美が小さく唸って困惑を露わにする。彼女もお店の接客で子供の扱いにはある程度慣れているはず。だがこの子は流石に小さ過ぎた。

 そろそろ樟美とバトンタッチしようかと考え始める天葉。もっとも、天葉とて確実に子供を宥められる自信は無い。

 取りあえず、女児向けアニメ『変身魔法少女チャーミーリリィ』の話題でも振ってみようか。

 天葉がそんなことを検討していると、視界の端に待望の人物が写った。歩道の外側の自転車通行帯を駆ける銀色の自転車。その自転車に跨っている警察官。

 

「こっちですよー」

 

 天葉は片手を高く上げて呼び掛けた。すると自転車は速度を増し、怒涛の勢いでこちらとの距離を詰めてくる。

 近付くにつれて自転車の乗り手が見る見るうちに大きくなっていく。ブレーキ音を響かせ、飛び下りるように地面へ着地し、天葉たち三人のもとに駆け寄って来る。

 実を言うと、天葉は途中でその警察官がよく知った顔であることに気付いていた。

 明るい空色の夏用制服と濃紺のスラックスを身に纏い、後ろで一本結びに纏めた茶髪に略帽を被っている。

 その警察官は女性警察官だった。そして天葉の後輩であり、樟美の幼馴染でもある。

 

「うおおおおおおおっ! 現着ーー-っ! 迷子はこっちですか!?」

 

 やかましい程に明るい声が、夕暮れの市街地に轟いた。

 

 

 

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