鎌倉の街のお花屋さん、アマノは今日も開店営業中。いつものようにぽつぽつと来店があり、ぽつぽつと切り花や鉢物が売れていく。いつものアマノの光景だった。
ただ少しばかり普段とは異なる点がある。樟美や結梨の姿が見えない代わりに、本来店員ではないはずの人間たちが天葉と同様にお店の黒いエプロンを身に付けていた。
「何だかうちの店が溜まり場になってる気がする」
椅子に座りカウンターの上で頬杖を突く天葉が憮然とした顔で愚痴を零した。
「いいじゃないの。こうして仕事を手伝ってるんだから」
反論したのは依奈だ。彼女は手に軍手をはめ、陳列棚や鉢植えから落ちた花弁や葉を集めて処分している。
「ソラ、伝票纏めておいたわよ」
店の奥から茜が出てきた。アマノの業務用タブレット端末を抱えて。
如何に親友といえど、普通は店の帳簿を部外者に任せない。彼女らがただの親友以上の関係であることを表していた。
「それは、手伝ってくれるのは有り難いけどさ。でも、こんなこと言うのもアレだけど。大学生って暇なの?」
若干の妬みも込めて天葉が問う。平日の昼下がりに二十歳過ぎの女が集まっているのだから、疑問に思うのも当然だろう。
「今日は講義が昼までなのよね」
「私は、もう必要な単位は大方取ってるから」
依奈と茜がそれぞれ答えた。大学をさっさと早期卒業した百由ほどではないが、この二人も大概優秀である。
ヒュージと戦いながら学業もこなさなければならないガーデンにおいて、単位の取り方は柔軟に対応されていた。昨今、その傾向は一般の学校にも浸透しつつある。社会がより多くの人手を必要としていたからだ。「学生から学習する機会を取り上げることに繋がらないか」と危惧する声もあるのだが、そこは「生涯学習の機会充実」でバランスが取られることになったとか。
「それに、私たちのお陰で樟美がご飯の準備できてるでしょ?」
依奈の言う通り、本来ならカウンターに立っているはずの樟美は天野宅に居る。樟美だけでなく、依奈と茜のパートナーたちも樟美の手伝いに回っていた。この日、六人で夕食を共にしようと計画していたのだ。
元アールヴヘイムヘッドライナーのメンバーの内、彼女ら鎌倉残留組で予定を合わせるのはそこまで難しい話ではない。だが他の面々――東京に移った亜羅椰や風来人の付き添いをやってる弥宙と辰姫を含めるとなると、気軽にはいかなくなってしまう。
「うん、まあ、ご飯が更に豪華になるのは嬉しいよ。でもそのために樟美と離れ離れの時間が増えるっていうジレンマが」
「あのねえ、普段から家でも仕事でも一緒でしょうが」
依奈が溜め息を吐き、肩をすくめて突っ込みを入れた。
しかし天葉にとっては何もおかしいことではない。現に今も、溜め息を吐かれて心外だと顔で表している。
そんな二人の様子を見た茜がクスリと微笑む。
「樟美と相変わらずのようで、安心したわ。お店の中でも仲良しさんなのかしら?」
「あー、茜が心配してるようなことはないから、大丈夫。ちゃんと時と場合は弁えてるから」
天葉が質問の意図を察し、指で頬を掻きながら答えた。仲が良過ぎるあまり、羽目を外していないか釘を刺してきたのだろう。
「本当かしら。どうもソラの感覚はちょっとズレてるのよね」
「そう言う依奈のところはどうなの?」
「うちは節度を守ってるから、ご心配なく。相方が真面目っ娘なもので。でもまあ、あの子が外で見せつけたいのなら、私は別に付き合ってあげてもいいけれど」
「とか何とか言っちゃって。本当に壱の方から迫られたら焦りそう」
依奈に言い返した後、天葉は茜の方を向く。
「そっちは……聞くまでもないか」
「そうね。仲が良いのは素敵なことだけど、周りのことも考えるように」
「オーバーだなあ。変なことするわけじゃないのに」
苦笑する天葉。
一方で茜は少しだけ考え込んでから、改めて口を開く。
「ソラ、まさか仕事中に店先やカウンターで、キスとかしてないわよね?」
「私のこと何だと思ってるの。毎日するのは、おはようと行ってきますとお休みのキスぐらいだから」
当たり前のように言い切る天葉へ、すかさず依奈が割り込んでくる。
「ちょっとちょっと。同じ職場なのに、行ってきますのキスってどういうことよ?」
「ええ? どういうことって、どういうこと? 仕事場に行くんだから、行ってきますのキス、するでしょ」
「どうして私が『何言ってんだ』みたいな顔されなきゃならないの……」
親友以上の盟友にも、相容れない物の一つぐらいはあるものだ。
夕日が西の空に沈み出した頃、買い出しを終えた樟美たちは天野家に帰還した。それぞれのパートナーがアマノで働いている間、彼女ら三人は家で夕飯を支度しておくという寸法である。
樟美に壱に月詩。同じレギオンメンバーというだけでなく、幼稚舎からの幼馴染でもあった。
三人は買い出しの成果をキッチンに置くと、リビングに集まった。夕食を作るにはまだ早い。時間まで、樟美の淹れた紅茶で一息つくことにした。
女三人集まれば、話す話題には事欠かない。服飾がどうの、テレビの番組がどうの、スイーツのお店がどうの。中でも一番盛り上がるのは、それぞれのパートナーに関する話であった。
「うちは大体依奈様が料理担当だけど、私も時々作るわよ。食の好みも少し違うし」
「うちも、私が米派で天葉姉様はパン派だよ」
「樟美ほどの腕になると、好みとかあまり関係なくなる気がするのよねえ」
各々の家庭における炊事事情について。料理は外食や出前を利用しない限りは毎日こなさなければならないので、重要度は大きい。食の好みの違いが破局に繋がるというケースも往々にしてあるものだ。
「私もあかねえの手伝いをよくしてるよ! ……手伝いだけ」
「うん、それが無難ね」
「その方がいいよ」
「二人とも酷いよぉ」
壱と樟美が深く頷いた。
人は誰しも得手不得手を持っている。月詩にとって炊事は不得手な方になるが、そんな彼女も菓子類は得意だったりするので、世の中分からないものである。
「ところで、さ」
話題を転換したいのか、壱が間を置いて口を開いた。
樟美はお茶請けのクッキーをポリポリと食べながら、視線だけ壱の方へと動かした。
「天葉様、積極的よね。百合ヶ丘時代以上じゃない?」
随分と今更な話である。
だが樟美はすぐに、壱が何について言っているのか気が付いた。今日、三人で買い出しに出発する直前、店を発つ樟美が店に残る天葉に店先で抱擁されたことを指しているのだろう。
「うん。人前は、ちょっと恥ずかしいかな。嫌じゃないけど」
樟美は思うところを、偽りなく答えた。特段隠すようなことでもない。幼馴染の壱や月詩だけしかいないので尚更だ。
「壱っちゃん、羨ましいんだ」
「いや、別に羨ましくはないわ。月詩こそどうなのよ?」
「私は羨ましいなあ。あかねえは、ああいうの厳しい時があるから」
「それは厳しいんじゃなくて、しっかりしてるって言うの」
二人のやり取りを、樟美は相槌を打ちながら聞いていた。皆それぞれパートナーとの接し方はどこかしら違う。当たり前だ。幾ら同年代の幼馴染といえど、十人十色である。
「人前じゃなかったら、いいんだけど。お風呂とか」
「わかる~。私もお風呂であかねえによく髪のお手入れしてもらうし。……壱っちゃんの所はそういうの無いか」
「それはまあ、うちだってたまには一緒に入るわよ」
「ほほーう……」
「ふーん……」
「何よ? 二人して」
月詩が感心したような顔で、感心したような声を上げた。純粋に、壱の答えが意外だったのだろう。
一方、樟美は更に裏を読もうとする。壱と依奈、どちらがどういった経緯で提案したのか、と。
「依奈様の方が誘って、壱っちゃんも満更じゃないってところかな」
「そうとは限らないでしょう」
「違うの?」
「違わないけど……」
ばつが悪そうに言葉を濁す壱。結婚して既に一年以上経っているにもかかわらず、彼女のこういうところは変わっていない。あるいは、変わっていないからこそ、未だに百合ヶ丘時代のような初々しい付き合い方ができるのだろうか。
樟美は若干自身のことを棚に上げつつ、そんなことを考えていた。
やがて三人の話題は更に深く、突っ込んだものへとなっていった。具体的には、パートナーとの夜の営みについて。
「私は、いつも天葉姉様にリードしてもらってるよ。朝起きるのも、大体姉様の方が先。隣で優しく起こしてくれる」
「流石、天葉様」
「ありありと想像できるわね」
樟美の言葉に、月詩と壱が相次いで感嘆の溜め息を漏らす。百合ヶ丘でもトップクラスの実力者かつ、アイドル的な人気を誇った天野天葉。その彼女の
「うちはね、誘うのは私とあかねえ半々ぐらいなんだけどね。でも外ではともかく、夜二人きりだと、あかねえってすっごく情熱的なんだよ。……ふへっ、ふへへへへっ」
「月詩ちゃん、不気味」
顔をへにゃりと歪ませて思い出し笑いを始める。
そんな月詩に樟美が直球をぶつけるが、全く効いてないようだ。
「壱っちゃんと依奈様は、どっち?」
「どっちって?」
「とぼけちゃって。どっちが先に手を出すの?」
樟美に意地悪くそう問われると、壱は口をへの字に曲げて沈黙する。
だがそれも束の間。このような場で、こんな面子なので、普段は腹の中に収めてる物を、壱もさらけ出す気になるのだろう。
「私からが、多いかも」
「ふーん……」
「ほほーう……」
樟美と月詩が意味深に唸ると、壱は慌てて言葉を続けようとする。
「でもっ! それは、そうなるように依奈様が仕向けてるのよ。別に私が特別、がっついてるわけじゃないから」
「つまり、依奈様は誘い受けってことだね!」
「月詩ちゃん、ストレート」
「何だよぅ、くすみんが言い出しっぺじゃないか」
二人の物言いに壱の口元が引き攣った。
「あれ? でも確か、依奈様の方がリードしてるんじゃなかった?」
「分かってないなあ、くすみんは。
「むっ。月詩ちゃんにそんなこと、言われるなんて……」
やいのやいのと言い合っている内に、壱のこめかみまで引き攣ってくる。「あんた達ねえ……」と静かな怒りの声が聞こえてきたことで、樟美は引き際だと悟った。
そうして次に話の種となったのは、今ここには居ないもう一人の幼馴染。本来なら、一番この手の話を想像し難い人物だ。
「前に、弥宙ちゃんから聞いたんだけど。弥宙ちゃんのところは、ほとんど毎回、辰姫ちゃんが攻めなんだって」
「へぇ、意外。辰姫ってそういうの、淡白なイメージがあったわ」
「うん。でも、本当に淡白だったら、そもそも付き合ったりしないと思う」
「それもそうね」
壱も乗り気になってきた。これまで弥宙から夜の事情について聞くようなことがなかったので、興味が湧いたのだろう。
壱だけではない。樟美もまた、弥宙本人から話された時は興味津々で聞いていた。その際、壱や月詩に同じ話をしても良いか、ちゃんと確認済みである。「あの二人ならば」ということで、弥宙の承諾は得られていた。渋々といった様子ではあるが。
「それとね、辰姫ちゃんって結構、かなり、ぐいぐい来るらしいよ。弥宙ちゃん、反撃したくても全然できないって言ってた」
体格でも腕力でも体力でも、弥宙は辰姫に及ばない。ハード面にそれだけ差があれば、技術面で多少勝っていたとしても、形勢逆転は困難だろう。
他の二人に聞いたままを語りつつ、樟美は頭の中でその場面を
ベッドの上、白いシーツへ仰向けに放り出される小さな体。
そこへ二回りほど大きな辰姫の体が覆いかぶさってくる。
「ちょっと! 今日はもう疲れてるんだってば!」
釣り目を更に釣り上げて、弥宙が拒絶の言葉を吐き出した。しかし、それ以上は続かない。
弥宙の薄く可愛らしい胸元に、辰姫の重量感ある胸が振ってきた。真上から押し付けられ、圧迫され。それだけで身動きできなくなってしまう。どうにか胸を押しのけて抜け出そうと藻掻く弥宙だが、両手を呆気なく辰姫に掴まれた。
眼前に、辰姫の赤い瞳。興奮で血走って赤くなった瞳が、吐息の掛かる至近距離から弥宙を見下ろしてくる。直視してると興奮がうつってしまいそうで、弥宙は思わず目を逸らした。
「何よ、そんな顔したって……んむっ!?」
虚勢を張った口が、辰姫の口に覆いかぶされた。
それはキスと呼ぶにはあまりに粗放で。まるで雛鳥が親鳥の口から餌を強請るかのよう。もっとも、雛の方が親よりもずっと大柄なのだが。
唇を、歯茎を、そして口内を辰姫の舌に撫で回された後、弥宙の口は解放される。
再び釣り目で睨みつける弥宙。しかしその瞳はすっかり潤んでいた。二人分の唾液が混ざり合った雫によって、口の端から細い筋が伸びていた。
ここでようやく弥宙は観念する。
「……見えるとこに、痕つけないでよね」
弥宙が消え入りそうな声でそう言った途端、シャツのボタンに辰姫の両手が伸びてくる。あっという間に白い素肌を晒されると、胸元に辰姫の口が吸いついてきた。
弥宙の言い付け通り、普段は服の下に隠れて見えない部分を狙い、辰姫の舌と唇がチュッチュと水音を鳴らす。
「都合のいいとこだけ、話、聞いてるんだからっ」
悪態を吐く。
だがその悪態も、辰姫の八重歯に甘噛みされることで、悶えるような悦楽の響きに変わるのだった。
「…………」
リビングの椅子に腰掛けたまま、樟美は
隣の壱も、似たようなものなのだろう。神妙な顔をして押し黙っていた。
対面に座る月詩もまた、目を爛々に光らせてゴクリと息を飲み込んだ。頭の上ではハートを模ったアホ毛が振り子の如く揺れている。
「辰姫ちゃんって指が長いし、アーセナルだから絶対器用だよね」
月詩の生々しい発言。
それを受け、樟美は自分と天葉に当てはめて更なる妄想を展開し始める。
彼女らを現実に引き戻したのは、目の前のテーブルが勢いよく叩かれる音だった。
「はい、やめやめ! 終了ー! よその家のを想像するのはおしまいっ!」
漂う微妙な空気を掻き消すように、壱が声を大にして主張した。
これに月詩も樟美も揃って口を尖らせ、冗談めかして不満を訴える。
「壱っちゃん、お利口ぶりっこ~」
「壱っちゃん、ムッツリ」
「うるさいわよ!」
そんなやり取りを続けていたものだから、うっかり夕餉の支度を忘れかける三人であった。