陽が傾く前、定時より少し早めにお店を閉めて、天葉は鎌倉の街を車で走る。横の助手席には、店から連れたってきた樟美がちょこんと座っていた。これから向かう先で一仕事手伝ってもらうために。
車――――ミニバンの後部スペースには例の如くたくさんの花を積んである。ただし、今回の仕事というのは、ただのお花の配達というわけではなかった。
「オフィス街?」
車窓から外を見つめる樟美が不思議そうに声を上げた。
陽の光を遮るかのように立ち並ぶビルの列。その足元で、ちらほらと行き交うスーツ姿の人々。確かに、アマノが配達先としてあまり寄らない場所ではある。
「今日のお仕事はね、飾り付けなんだ」
「お花で、ですか」
「うん。今晩、団体さんがお店を貸し切ってパーティーするって言うんで。店内を飾り付けて欲しいってわけ」
「そんな依頼も、あるんですね」
「大抵は造花で済ませちゃうものだけどね。でもその団体さんが太っ腹みたいで。お店も『どうせなら本物にしよう』って、うちに声を掛けてくれたのよ」
天葉がハンドルを握りながら上機嫌で語って聞かせる。
件のお店とは前々から取引はあった。しかしそれは配達に限った話であって、今回のような依頼は初めてのこと。故に天葉の気分は浮き立っていた。
「フラワーアレンジメントみたい」
「そう、そうなんだよ! 店頭でもお客さんにアドバイスぐらいできるんだけど。やっぱり自分の手で飾り付けしたいからね」
ただ花を売るだけが花屋ではない。それを証明できる仕事である。
「それで、そのお店っていうのが……ここ」
天葉の足がブレーキペダルに力を加え、車を徐々に減速させていく。目的の場所に着いたのだ。
助手席の樟美は窓の外を見て首を傾げている。お店と聞いて、一戸建ての商店を想像したのだろう。しかし実際に天葉たちが訪れたのは、オフィス街にありがちな10階建てのテナントビルだった。
肌寒い時節。車外へ出る前にコートを羽織り、天葉と樟美はビルへと向かう。まず先方へ顔を出し、それから飾り付けに使う花を持ち込む算段である。
このビルは1階から3階までが商店・飲食店となっており、それより上階に企業のオフィスが入っていた。
目的地は3階。エレベーターで上がり、降りた先の扉を先頭を行く天葉が開ける。
そこはバーだった。準備中のため客の姿はないが。眩し過ぎない控えめな照明が程よく中を照らす。カウンターは年季の入った木製で、その奥のボトル棚と併せて店の雰囲気を出すのに一役買っていた。
そのカウンターで一人の男性がグラスを磨いている。ワイシャツに黒のベストという一般的なバーテンダーの装い。広い肩幅に厚い胸板と、服の上からでも鍛え上げられた体躯が分かる。30代半ばの容姿からは年齢以上に落ち着いた雰囲気が醸し出されていた。あえて俗っぽく表現するならば、ナイスミドルというのが相応しいか。
男性は天葉たちの存在に気が付くと、手を止めて顔を上げた。その所作もまた、一つ一つに渋味がある。
そして開口一番――――
「あら、いらっしゃい! ご無沙汰じゃないの天葉ちゃん!」
これでもかというほど愛想の良い笑み。
その光景を前に、樟美は天葉の傍で硬直して目を白黒させている。
「ね、姉様っ。こっ、ここここっ、この方――――」
「うん、
「~~~~~っ!?」
田舎生まれ、百合ヶ丘育ちの樟美には刺激が強過ぎたようだ。
「あら~? そちらの子が天葉ちゃんのお嫁さん?」
「そうそう。可愛いでしょう?」
「成る程、自慢したくなるわけねえ」
男性が天葉に続いて樟美へと目を向けた。
肩をピクリと震わせるものの、樟美はどうにか視線を合わせて口を開く。
「は、初めまして……。天野の妻の、樟美と申します……」
「こんにちは。私のことは『ママ』って呼んでね」
「はあ……」
「フフフ、そんなに怖がらなくても。取って食べたりしないわよ、女の子は」
そうは言っても、やはりぎこちない様子の樟美。無理もない。見た目は精悍で筋肉質な普通の男性なのだから。
「ママの所には何度か配達に来させてもらってるの。でも、こういう仕事は初めてだね」
「そうなのよ。今晩お友達のバースデーパーティー開きたいって。貸し切りで、出張料理人なんか呼んで、色々と注文付けられたわ。ま、その分お代は弾んでくれたんだけど」
「それで、飾り付けのご要望は?」
「そうね……。お店全体を使って、カウンター席は控え目で、テーブル席を華やかに。あとは天葉ちゃんにお任せするわ」
挨拶もそこそこに、天葉は打ち合わせに入る。無論、詳細は契約前に詰めているので、念のための確認になるのだが。
装飾作業において初めに把握すべきなのは、その部屋の間取りについて。
お店の敷地は15坪。この手のテナントバーは10坪前後の極小物件が多いので、比較的広い方だと言える。
詳細を見ると、カウンター席が八つに、四人掛けのテーブル席が四つ。カウンター席の奥にある調理スペースと、細い通路の先のお手洗い。小ぢんまりとしているが、貸し切りだとするならちょっとしたパーティーぐらいは十分可能だろう。
「じゃあ、肝心のお花を運び込もうか。このビル、エレベーターが広いから助かるよ」
仕事に取り掛かるべく、天葉は樟美を連れて一旦バーを離れる。最悪の場合、階段を使って商品を持ってくる事態もあり得たが、ここではその心配は要らなかった。
鉢植えに花輪に切り花に。飾りとして用いる花は多岐に渡った。
それら全てを何回かに分けて店内に持ち込んだところで、天葉たちはとある人物とばったり出会う。
「……
調理場に繋がる扉からひょっこり出てきた金髪の女性に、樟美が意外そうな声を上げた。私服だが、調理場から出てきたということは、店の関係者なのだ。
「ごきげんよう、鶴紗さん。樟美にはまだ言ってなかったね。彼女、ここで働いているんだ」
「どうも。まあ、昼だけのバイトですけど」
店の主とは正反対に、愛想の乏しい人物。
安藤鶴紗はかつて、一柳隊の一員としてアールヴヘイムと交流があった。と言っても、天葉には鶴紗個人と交流と呼べるほどの付き合いがあったわけではない。鶴紗は元々大勢の人間とつるむようなタイプではなかったのだ。ただ、壱や樟美は同じ動物好きとして、彼女とそこそこ仲が良かった。
「うちは、昼間は軽食を出してるの。鶴紗ちゃんにはコーヒー淹れてもらってるのよ」
ボトル棚を整理していたママが振り返って口を挟んだ。
「鶴紗ちゃんのバーテン姿、女性のお客さんに好評で。正直助かってるわ~」
「過大評価ですよ」
「でも前はここ、女性に避けられてた気がするのよねえ。どうしてかしら?」
「店長のせいでしょ」
好対照な二人のやり取りを目の当たりにし、天葉たちは沈黙した。
昔は樟美より少し背が高い程度だった。それが今では天葉と同じかそれ以上に伸びていた。長い金髪もストレートに下ろしており、大人びた印象をより強く抱かせる。そんな鶴紗がワイシャツと黒ベストをきっちり纏おうものなら、人気が出るのも納得だ。
ややあって、驚きから立ち直ったのか、樟美がおもむろに会話へ交ざる。
「バリスタだね。素敵」
「そんな大層なものじゃないから。料理の方はあんまりだけど、コーヒーなら多少は自信があるってだけ」
鶴紗の口振りからして、謙遜でなく本当にそう思ってるらしい。
もっとも、専門店ではなくとも他人に出せる腕前なのだから、実際大したものではある。
「それより店長。パーティーに使う食材、準備だけはしておいたから」
「ああ、ありがとねえ。もう上がっちゃっていいわよ」
先程、鶴紗は「昼だけ」と言っていた。つまりバー本来の時間である夜間には勤務しないということだ。
その点について天葉たちが疑問を抱いたと思ったのか、鶴紗が付け足すように言葉を続ける。
「別に、私は夜も出られるんだけど」
「ダメよ~ダメダメっ。こういう所で女の子が遅くまで働いてたら」
「いつの時代の人ですか」
本人としては本気で鶴紗のことを心配しているのだろう。口調のせいで、そうは見えないのが玉に瑕である。
「鶴紗ちゃんったら、お金持ちなハーフのお嬢様と同棲してるっていうのに。お仕事頑張っちゃうんだから」
「それとこれとは関係ないです」
「ま、頼り切りになりたくない気持ちは分かるけどね。ウフフ」
癖の強い、強過ぎる職場だが、信頼関係はあるらしい。
しかし初めて訪れた樟美にとっては、まだ解せない部分もあるようだ。
「あの……鶴紗さんはどういうご縁で、こちらのお店に?」
「紹介だよ。代行の」
樟美のからの問いに、鶴紗が短く答えた。
百合ヶ丘女学院の元理事長代行。理事長の復帰により代行職を辞し、一理事として活動している今でも、当時の生徒たちは敬意を表して
「昔ね、
「恩……」
「実際はこちらも助かってるから、『恩返し』なんて胸を張って言えないのよねえ」
そう言って笑うママの顔には、台詞とは裏腹に、自虐的で後ろ向きな色は見られなかった。
「店長はこう言ってるけど、私は恩に着てるつもり」
「あら、そ~う。だったらその恩は、いつかどこかで、他の誰かに渡してあげて」
「代行が店長にしたように?」
「そういうこと。その上で私に感謝してくれるのなら、今度からママって呼んでね」
「分かりました、
「鶴紗ちゃんのいけずぅ~」
そんなこんなで、天葉たちはお店の飾り付けに移るのだった。
祝い事で花と言ったら、花輪や
しかしバーを飾り付けるとなると、最初は樟美も緊張した。そのような場所とあまり縁がなかったのが一因である。
それでも、天葉の指示の下で時間内に仕上げることができた。店内で落ち着ける余裕すらあった。伊達にフラワーアレンジメント教室の開講を夢見ているわけではないのだ。
「ふう……」
仕事を終えた樟美は店内のお手洗いを借りていた。
奥まった箇所の、狭い通路の先。お花を摘んで再び廊下に出てくると、ちょうど隣の扉も開くところであった。
隣の扉、即ち男子用WCから現れたのは店の主だった。
身の丈185㎝に、丸太の如き二の腕と鋼の如き胸板。改めて見ても大迫力だ。不意に遭遇したら、樟美でなくとも身構えてしまうだろう。
ところがこの時、樟美は威圧感以上に気になることがあった。
「ママさん、男性用を使われるんですか?」
言うまでもなく、お手洗いのことである。
「そりゃあそうよー。確かに私はハートは乙女だけど、それは私自身の問題であって、他の子たちには何の関係もないことだからねえ」
意外そうに見つめる樟美に対し、店長は薄っすら微笑んで答える。
「例えば樟美ちゃんだって、天葉ちゃんと一緒に銭湯で楽しんでる時。殿方のおじさんお兄さんが乱入してきたら、どう思う?」
「嫌、です」
「でしょう?」
「普通に犯罪ですよね」
「そうね。でも世の中には、口実さえあれば何をやっても許されると考えてる人たちが居る」
店長は樟美から視線を外し、心なしか遠い目になる。まるで直接その目で見てきたかのような口振り。いや、恐らくは、実際に見てきたのだろう。
「男であれ女であれ、最低限のラインは守らなきゃ。性別がどうこう以前に、私たちは社会の一員なんだから」
そんな会話を交わしつつ、二人はお手洗いからホールへと移動する。狭い廊下を逆戻りしていく間に、元の気さくな雰囲気の店長へと変わっていた。
そうしてカウンターの内側に立つなり、店長は天葉と取り留めの無い話を始める。
「ところでさあ、天葉ちゃんの所も客商売でしょう? 顔が広いでしょう? ジャニ系のイケメン君知ってたら紹介してよ~」
「えぇ? うーん、うちは花屋だから、男のお客さんはあまり……。ガテン系のコワモテ君なら三人知ってるけど。……と言うか、ママって見た目に反してミーハーだよね」
「んまぁー! あんなお人形さんみたいなお嫁さん貰った天葉ちゃんには言われたくないわ!」
否、当人にとっては取り留めのある話かもしれない。
ともあれ、樟美はそのやり取りを意識から遠ざけ、自分たちで飾った店内を改めて見渡した。
陶器のケースに活けられた花がカウンターを彩っている。こちらは注文通り、控え目に。一方でホールには大きな花輪が設置され、テーブル席に置かれた花瓶と共にパーティー会場を華やかに演出する。壁に張られた紐からは幾つもの花飾りが吊るされ、見る者を祝福してくれることだろう。
「ふふっ」
樟美は一人、静かに笑みを零した。自分と天葉で作り上げたこの空間を誇らしく思っていたのだ。ささやかな自画自賛である。
百合ヶ丘の卒業生である彼女らが、代行に救われたという人物から仕事を受ける。蝶の羽ばたきが巡り巡って、遠いどこかで突風を生み出すかのような不思議な感覚。しかし、人の縁とはこうして受け継がれていくものなのかもしれない。