起伏の少ない平地の中に黒色のアスファルトがどこまでも伸びている。片側二車線の道路上では車間を取って何台もの車が走り、人の営みが復活したことを証明してみせた。未だトラックなどの営業車が目立つものの、人の息吹が確かに感じられる光景だった。
鎌倉府と東京都を結ぶ一般国道。路面とその近傍こそ整備良好だが、本線から遠く離れた草地には倒木やコンクリートの塊が無造作に転がっている。そんなアンバランスさも、復興途上のこの地の現状を表していると言えた。
国道、東京行き上りの走行車線をグレーの大型乗用車が駆ける。その後部座席に座る老齢の男性がタブレット端末に視線を落としていた。
御年80歳に達しようかという御老体の名は、高松咬月。病床にあった姉が百合ヶ丘の理事長に復帰したので、代行職を降りて一理事に収まった人物だ。
――――南極戦没者遺族会活動表――――
咬月が目を通す端末の画面にはそのような文字が載っていた。
南極は、対ヒュージ戦争初期に決戦が惹起された地。若かりし日の高松姉弟も参加した戦場だ。
敵に関する情報も曖昧で、装備も戦術も確立とは程遠い有様で。そんな中、戦果も挙げたが被害もまた多く、肩を並べた仲間を大勢亡くしてしまう。極寒の海に呑まれて回収できなかった遺体も少なくない。
当時の戦没者遺族の相互扶助活動に、咬月も微力ながら力添えしていた。
(ふむ……。あの子は上手くやれているようじゃの)
咬月はとある遺族へ思いを馳せる。
亡くなった戦友の息子で、昔に勤め先を世話した者。その彼が今や自分の店を独立開業するほどに成長し、人を雇う立場へ。百合ヶ丘の卒業生を一人、従業員として面倒を見てもらっている。
それは咬月にとって感慨深いことだった。決して、年を取って情動の抑制が効かなくなったわけではない。
ふと、手元の端末へ通信が入っていることに気付く。
そのまま通信を繋ぐと、目の前の虚空にホログラフのディスプレイが投映される。映っていたのは、鎌倉の理事会事務所に勤める事務員の男性だった。
「失礼します、高松先生。先生の御令孫を名乗る少年が訪ねてきておりまして」
若干困惑した様子の事務員が状況を説明する。
百合ヶ丘女学院は世界的にも有名なガーデンだ。そこで理事長代行を務めていた咬月も名を知られている。取り分けガーデンの外、リリィ以外の人間からしたら、姉以上に有名かもしれない。
そんな咬月であるが故に、何かしらの意図を持って近付こうとする者が存在した。これが初めてのケースではなかったのだ。
「それで、幾ら要求しているのかね?」
「いえ、金銭は望んでおりません。直接は」
「ほう」
「ですが、百合ヶ丘への保護を求めているようで……」
珍しいパターンだった。しかし、これもまた初めてというわけではない。
古来より、やくざ者が身寄りのない子供を利用して悪だくみを企てるのはよくある話である。百合ヶ丘は多大な影響力を持つ一方、政敵も少なくないので、謀略を仕掛けられても不思議ではなかった。それが巧みか稚拙かは別として。
「鎌倉府警に連絡したまえ」
「はい、承知しました」
咬月は迷うことなく対応を指示した。
本当に保護が必要なただの子供なら、まず最初に対応すべきなのは警察だろう。裏に反社会的勢力の思惑があるなら、やはり警察の出番である。言うまでもないが、訴えている通り咬月の親族という線は無い。今の今まで孫の存在に気付かないほど、彼はまだ耄碌してはいなかった。
それにしても、どうして姉である理事長ではなく自分のところに話を持ってくるのか。もしや、同じ男である自分の方が理解してくれるとでも思っているのか。だとしたら、浅慮と言わざるを得ない。咬月は溜め息を吐いた。
そんなこんなで通信を終えようとする咬月だが、ホログラフに映っている先が騒がしいことに疑問を抱いた。
「何かトラブルかね?」
「それが、件の少年なのですが。『自分は異界の神の使いだ。この世界を救うために自分を百合ヶ丘の教導官にしろ』と騒ぎ出したのです」
「……バックにいるのは、宗教団体か」
これは府警どころか、公安の案件かもしれない。咬月は軽く目眩を覚えた。それはきっと、年のせいではないはずだ。
咬月を乗せた車は県境を越えて、東京都心にあるビル群に到着した。
訪れたのは、民放テレビ局のスタジオの一つである。高い天井に広々とした空間だが、テーブルも出演者の数も多くはない。どこか閑散とした雰囲気があった。
今、一介の理事となった咬月が精力的に取り組んでいることは二つある。
一つはコネクションを活かした政界・官界との折衝。そしてもう一つが一般の市井に対する宣伝。
本日咬月がテレビ局にやって来たのは、安全保障政策に関する討論番組に出るため。この機に百合ヶ丘のガーデンとしての姿勢を示そうと考えたのだ。
咬月は番組開始前に改めて討論の場を確認する。そこは長テーブルが三つ、コの字型に配置されたコンパクトな討論場だった。司会進行役として局の人間が二人。肝心の論客は咬月を含めて三人だけである。
人数が少ないなら、少なくても良い。むしろ、そちらの方が深く突っ込んだ議論になるかもしれない。ただし人選については些か疑問であった。
論客の内、咬月を除いた二人の男女はいずれも50代の野党議員。それぞれ別の党に属しており、主義主張は正反対と言ってもいい。
奇妙なことに、政府与党関係者は出席していない。代わりに咬月が居るのだが、彼の主張も厳密には国とは異なっていた。この人選には咬月も邪推してしまう。
(極端な主張、センセーショナルな論戦で耳目を集めたいのか。与党の人間よりは、わしの方が話題にはなるな)
悪く言えば、視聴率稼ぎ。
しかし、多くの人に自分たちの考えを知ってもらうのは咬月も望むところである。だからこそ老骨に鞭打って東京までやって来たのだ。
「さて、お集りの皆様、本日はよろしくお願い致します」
番組が始まった。司会の男性が淡々と口上を述べる。人選の基準はともかくとして、番組自体は地に足の付いた性格のものらしい。
「今回皆様に論じて頂くのは今後の安全保障政策、その指針に関して。現在我が国における対ヒュージ戦争は好調に推移しており、新たな段階に入りつつあります。本土奪還後、どこへ、どのように向かうべきか? 例えば欧州連合におきましては、沿岸防衛に注力しながら大西洋上の島々を解放すべきという海洋派と、劣勢に立たされているアフリカ・中東を救援すべきという大陸派。これら二つが
司会がまず初めに意見を求めた相手は咬月だった。
椅子の上でも背を曲げることのない咬月。彼は他の出演者を見渡すようにしてからゆっくりと口を開く。
「議論の前に、一つ皆様方に申し上げたい。確かに我が国の状況が好転したのは事実。一時は虫に食われた葉物の如く蹂躙された国土も、その多くを取り返しております。しかしながら、敵はケイブを用いて戦況を一変させることが可能。エリアディフェンスもご承知の通り、万能ではありませぬ。依然として
咬月は抑揚を抑えた低い声で前置きをした。
幾分か大袈裟な言い方をしたのは、ブラフの意味も込められている。楽観的になられて万が一にも足元をすくわれるより、杞憂でも気を引き締めてもらう方がよっぽどいい。
「それを踏まえた上で、今後我々はどうすべきか。国内及び周辺部のヒュージネストを順番に潰していき、新たなネスト営巣を確実に防がなければなりません。この地球上にある全てのネストが消え去らない限り、敵が勢力を盛り返す可能性は常に存在し続けるのです」
ここで咬月はある種の積極論を展開した。しかし本来、彼は海外への外征については慎重派だった。若い頃の苦戦の記憶があるせいか、守備的な方針を支持しがちなのである。
とは言え、守るだけでは終わりが訪れないのは明らか。ならば優勢な内に少しでも敵を削り取るべきだと判断したのだ。
「そのご意見には賛成できません」
真っ先に異を唱えたのは女性議員の方だった。
「それでは戦線が際限なく広がるし、あちこちに派兵しなくてはなりません。ネスト討伐をお題目にして、歯止めが効かなくなるでしょう」
眼光鋭く切り込んでくる。その女性が所属している政党を、咬月はよく知っていた。
ヒュージ出現当初、国内に現れたばかりのスモール級を「ちょっと凶暴な猛獣」だの「自然の怒り」だのと表現したのがその党だった。治安出動した部隊の発砲を激しく咎め、自衛隊の防衛軍再編に最後まで反対したのもそうだ。ラージ級が日本に上陸し、県一つが丸々落ちる事態になると、流石に従来の主張は引っ込めた。最近では、台湾外征を強く糾弾していたのが記憶に新しい。
「無論、身の丈に合わぬ外征が自滅の呼び水となるのは承知しています。攻めに転じて守備範囲を侵されては本末転倒。その匙加減は地域に応じて、各々のガーデンや地方横断風紀委員会が見極めること」
「高松さん、それこそが問題なんです」
「……と仰ると?」
「ガーデンやリリィの判断が徒に戦線を広げていると、そう懸念しているのです」
次に女性議員が何を言い出すか予想がつきながらも、咬月は視線で相手に先を促す。
「先日の台湾派兵が最たるものでしょう。十分な議論が尽くされない内に強行されてしまいました。派兵を決めたリリィたちも、それに煽られた国も、誤った前例を作ったんですよ」
「議論は十分に為されたと認識しておりますが……」
「かねてより、ガーデンの専横には目に余るものがありました。武力を背景にチャームメーカーや地方政府と結託する姿は、まるで軍閥。卒業したリリィをそれらの関係組織に採用させているのは縁故主義に他なりません」
「彼女ら自身の能力によって引き上げられたとは考えられないのですか」
安全保障にまつわる議論のはずが、少々おかしな方向に傾き出した。と言っても、ここまではまだ想定の範囲内ではあるが。
「この問題で最も危険なのは、リリィが極めて悪質な手法で世論を扇動した点です。リリィがその容姿で、
この発言には、咬月も目を細める。
「我が校のOBに対する誹謗中傷は看過できませぬな。一体どのような根拠に基づき仰っているのか」
「多くの大衆は欺けても、一部の冷静な市民たちの目を欺くことはできません。こちらの週刊誌に詳細な分析が示されています」
「は? 週刊誌の記事で糾弾していると?」
「そもそも、疑惑を持たれる振る舞いに問題があるのでは? 否定されるのなら、疑惑を払拭する根拠を提示してください」
咬月は眉間に皺寄せ首を左右に振りたくなるのをどうにか押し止めた。
この手の番組は大まかな議論の道筋が決まっているものだが、個々の細かな発言は打ち合わせにはない。
「これはまた、とんでもない事実誤認がありますな」
その時だ。今の今まで「我関せず」と涼しい顔で沈黙していた男性議員が口を開いた。
咬月は彼のことを知っている。以前は与党におり、防衛族議員として親軍的な主張を掲げていたはず。それがある時を境に少数野党へ転向し、一転して政府や軍を批判し始めた。変心の切っ掛けとなったであろう出来事も、咬月は把握している。
「……何が事実誤認なのですか?」
「前提からですよ」
ギロリと刺すような視線を向けられるものの、男性議員は飄々とした様子で答える。
「そもそも貴方、ちゃんと調べてないでしょう? 件のリリィが出てるとかいう雑誌、あれは女性誌なんですよ。そりゃあ、男が女性誌を買っちゃあいかんという法律は無いですがねえ。それにしたって、わざわざ女性誌だけを選んで出てるのに『男に媚びてる』なんて言われたら、堪ったもんじゃないでしょ」
人を小馬鹿にしたように、皮肉げに口元を曲げて男性議員が続ける。
「その手の言い掛かりを考慮して、日本の政府も外務省も相手方を日本に呼びつけて実務協議を続けていた。実際に現地に足を運んで台湾リリィの接待を受けたのは、教導官やリリィといったガーデン関係者。つまり彼女らが媚びてたとするならば、男ではなく女に媚びてたというわけですな。はっはっはっ」
全くもって、身も蓋もない言い方。
援護射撃されているはずだが、咬月は複雑な心境で聞いていた。
「そうそう、確かおたくの党は、過去にも『制服のスカートの丈が短い。男へのアピールか』と色んなガーデンに抗議してましたな」
「実際、おかしな制服のガーデンが多いでしょう」
「女子校なんだから、女へのアピールに決まってるじゃないか。それを、男がどうこうなんて思う男が居るとするなら、まるでデパートのアパレル店員に『この女、俺に気があるな』と妄想する自意識過剰おじさんだ」
ピリピリと焦げ付くような空気の中で、咬月は改めて
「しかし、ガーデンが危険なことには変わりありません。武力機関たる彼女らの強い独立心は、戦禍を拡大しかねない」
「そのことについても、杞憂と申し上げましょう」
咬月がようやく議論に復帰する。
「あなた方はガーデンの独り歩きを危ぶんでおられるようですが。しかし、如何に有力ガーデンが工廠を備えていると言っても、チャームを作る原材料は降って湧いたりしません。アーセナルは錬金術師などではないのですから。土塊からレアメタルを生み出せはしないのです」
チャームという分かりやすい例を挙げたが、その他の物資に関しても事情は同じ。どんな強豪ガーデンだろうが大企業だろうが、自分たちだけで全てを賄うなど土台不可能である。地方政府と組んだところで、それは変わらない。
補給の担保が無い状態で、一体どうやって独立するというのか。
「ガーデンの自主性については、対ヒュージ戦における柔軟な対応と、リリィ個々人の尊重のためのものだとご理解頂きたい」
そう締め括ったところで、議論は一旦休憩を挟むことになった。