ヒュージとの戦いにおいて、従来の軍事常識が通用しない事態は幾らでも見られることだった。ケイブというワームホールの存在が戦線を掻き乱し、大質量の大型種が物理法則を無視して飛び回る。マギが尽きたら動きを止めるので補給の概念はあるのだが、その兵站システムはやはり常識では測れない。
だからこそ、ヒュージに抗する側も従来の戦略から転換せねばならなかった。しかしそれを認めさせるのには少なくない労力を費やす必要があった。実際の戦場を知る者に対してなら、話は早い。だがそうでない人間に対して説得する場合、同様にはいかなかった。
その間に払われた犠牲の数々を、戦争の生き証人とも言える咬月が忘れることはないだろう。
コマーシャルと昨今の戦況を解説するVTRを流した後、スタジオにて討論が再開した。
議論の口火を切ったのは、先程皮肉げな物言いで女性議員を閉口させた男性議員である。
「高松さん。勝って兜の緒を締めるその姿勢、私は賛成だ。ただし現状の態勢は見直すべきだとも考えているのです」
テーブルの上で両手を組みながら、男性議員が冷静な調子で話を続ける。
「今現在、配備されているチャームの多くは射撃兵装に大火力を有している。あ、これは通常の小火器に比べてのことですが」
「ヒュージはタフですから。必然的にそうなりますな」
「ごもっとも。しかしですね、もう少し火力を抑えて取り回しの良い、使い勝手の良いチャームも開発・配備すべきではないでしょうか。併せて市街戦や不正規戦の訓練も、より濃密に取り入れたら申し分ない」
最初、咬月は男性議員の意図が読めなかった。だが程なくして一つの可能性に思い当たる。それは最悪の可能性であり、しかしごく一部では実現済みの可能性でもあった。
「……もしや、貴方はリリィを人間同士の戦争に駆り出せと仰るのか?」
咬月の問い掛けに、男性議員が言葉で直接返事をすることはなかった。だが無言で浮かべた
「議員、それはいけませんな。許されることではない。第一、国際条約違反でしょう」
「確かに。けれども他の国全てがそれを守るとは限らない」
リリィを国家間紛争に投入する行為は条約で禁止されている。無論、咬月が反対したのは条約だけが理由ではない。もっと根元的な、道義的な理由によるものである。
しかしながら、咬月がこの男性議員の提案に反対するのは筋の通らない話であった。と言うのも、百合ヶ丘を始めとした幾つかのガーデンは、秘密裏に対人戦を想定した特務レギオンを保有しているのだ。ゲヘナの違法な人体実験からリリィを救うために。確かにゲヘナの主流が穏健派となって以降、活動の機会は減った。それでも極少数ながら、隠れて実験に及ぶ者は存在する。その手の輩は実験体のヒュージを所有しているケースがあるので、リリィでないと対処が難しい。
そういうわけで、咬月の言行は矛盾している。明らかな矛盾である。
だがたとえ矛盾していても、咬月は男性議員の主張を認めるわけにはいかなかった。世界全体がそういう方向に向かう事態を否定しなければならなかった。必要悪は、どこまでいっても必要悪でしかないのだから。
「議員はリリィの戦力を見誤っておられるようだ。彼女らの真価が発揮されるのは対ヒュージ戦闘のみ。彼女らは機甲部隊や航空部隊を代替し得ない。通常の軍隊において彼女らが果たせる役割は、精鋭の軽歩兵が精々といったところでしょう」
「高松さん。これからの時代、国家間の全面戦争などそうそう起きませんよ。起きるとするなら、少数部隊での局地戦やゲリラ戦ぐらい。それこそリリィたちの得意とする分野なのでは?」
男性議員は自論を曲げない。その様は確信を持っているように見えた。
「我々が学生である彼女らを矢面に立たせているのはヒュージという存在があってのこと。その前提を忘れてはならない」
「切っ掛けは、確かにヒュージでしょう。だが今となってはヒュージのことを考えているだけでは済まなくなった。現に、リリィたちは強大な力を持つに至ってしまった。そうなった以上、力の扱いを見直さなければならない」
「見直した結果が、戦争への投入だと仰るのか」
「高松さん、貴方が何を危惧されているかは察しがつきます。くだらない利権や見栄のためにリリィが利用されるのではないか、そう危ぶんでおられる」
「然り」
「私としては、直接国の下につけず、今まで通りガーデンやガーデン間の連合組織に任せて良いと考えています。むしろ、彼女たちの権限を今よりも強くすべきだ」
迷わず言い切る男性議員に対し、咬月は一瞬だけ言葉が詰まった。
咬月は改めて彼の来歴を思い出す。かつては安保政策に明るい防衛族として与党に属し、そこから一転、小数野党に加わって国を批判する立場へ。批判の内容は大抵の場合、防衛省の重い腰や四角四面な対応を糾弾するものだった。
咬月は彼が転向した理由を知っている。そしてその理由こそが、彼を真の意味での力の信奉者へと変えたのだろう。
「随分と国に、いや、軍や防衛省に不信を抱いておられるようだ」
「当然です。高松さんだって同じはずだ。50年前から戦ってきた貴方なら」
それまで平静に見えた男性議員の顔に、感情という火がチラつき始める。
「未知の敵を前に手をこまねくのは分かる。手探りで進まざるを得ないのも分かる。仕方ないことだと、他人事のように考えていた。昔は」
それは怒りか悲哀か懺悔か、どれが根本にあるのか他人である咬月には判断できない。しかしその重さを察することはできた。
「だが、やり様はあった。ガーデンやリリィの運用を間違えなければ。口先だけは達者な大人の『ガキの会議で決まるのが気に入らない』などという、尻を拭く紙よりも薄っぺらいプライドのせいで、出さなくてもいい被害がどれだけ出たことか……っ!」
今でこそ臨機応変な対応が認められているリリィだが、昔からそうだったわけではない。昔は国定守備範囲から出るだけでも一苦労だった。リリィに対して疑心暗鬼が残っていた時代のことだ。そのために咬月たちは苦しめられてきた。
しかしその上で、咬月は口を挟む。
「議員は、戦禍の中でご家族を亡くされたそうですな。以降、与党から野に下って現在に至る」
「……今、私自身の話は関係ないでしょう」
「失礼。ですが一つ言わせて頂きたい。リリィもリリィの力も、意趣返しのための道具ではないのです。無論、国防とは相手のあるもの。あらゆる事態を想定して議論すべきでしょう。しかしそれを差し引いても、貴方は少々性急過ぎる」
リリィを戦地に送る側である自分を棚に上げて、よくも殊勝なことが言えたものだ。そんな内心での自嘲をおくびにも出さず、咬月は年のせいでしゃがれた声を上げる。
「高松さん、貴方はリリィ第一世代として黎明期を戦い抜いて、晩年は後進の育成のため身を粉にしている。称賛されるべきことだ」
「…………」
「一人の人間として、貴方を尊敬します」
それは、恐らくは本心なのだろう。年の功がある咬月でも、政治家という生き物を完全に推し量るのは難しい。しかし部分的になら、理解することは不可能な話ではなかった。
「だが納得できん! 今貴方が仰っているのは理想論の綺麗事に過ぎない! 幾ら取り繕おうとも、力は力だ!」
悲鳴にも似た訴えに対し、咬月がすかさず反論する。
「たとえ理想論でも、たとえ綺麗事でも。我々大人が範とならねば、子供たちは一体何を見て歩んでいけば良いのか。後の世代に示せるビジョンが鉄と血の世界だけというのは、あまりに無情ではありませぬか」
それは自戒の言葉であった。
自戒の念がなくなれば、理想論は理想にすらならないだろう。
番組が終わり、カメラはその機能を止めていた。
スタジオの出演者たちはそれぞれ席から立ち上がる。
「高松さん、本日はありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
「また機会がありましたら、よろしくお願いします」
「その時はお手柔らかに頼みますぞ」
女性議員が礼儀正しく挨拶してくる。
番組が終わればこんなものだ。政治の世界もテレビの世界も。それ以前に、そもそも討論とは論破合戦でも口喧嘩でもないのだが。
「私もこれで失礼します、高松さん。ご一緒できて良かった」
「このような老体でよろしければ、また付き合いましょう」
男性議員とも別れの言葉を交わし、咬月はスタジオのだだっ広い空間をあとにする。
これから幾つか東京各所で所用を済ませ、翌日の朝に鎌倉へ帰ることになっていた。
メディアや市井への宣伝は重要ではあるが、本来は理事の仕事ではない。理事としての仕事は鎌倉で待っている。
(新講義の開設と新教員の招聘についての承認会議か……。あ奴め、またどこぞで口説き落としてきたな)
咬月は理事長である姉の所業を思い、一人苦々しく眉を顰める。
軍事分野以外に関する講義の強化。それは良い。リリィたちの将来を考えれば、教育機関として正しい姿勢だ。
ガーデンを卒業した元リリィの教員を採用する。それも良い。生徒にとっても教師にとっても、互いのためになるだろう。
問題は、理事長自らスカウトしてきた点である。
(年寄りは年寄らしく、必要が無い限りは裏方に徹するべきじゃろう。何が『若い娘に囲まれていると若返った気分』じゃ。年を考えてくれ、恥ずかしい。
理事長は強化リリィだ。80歳手前の咬月の姉だが、訳あって若い頃の容姿を保ち続けている。
理事長を慕い、あるいは崇拝するリリィや教職員は少なくない。何かあれば諫めるのは自分の役目だと咬月は思っていた。
(あ奴が、せめて引退するまでは、わしも死んでも死に切れぬ。全く困ったものじゃ)
手に持った杖でコツコツと床を叩きながら、局内の廊下を歩き去っていく。
翌朝、往路と同じ国道をグレーの乗用車が走る。
窓から見えるのは、遠方の草地に集積された倒木やコンクリート片。来た時と変わらない景色が広がっていた。相違点を挙げるとするなら、昨日よりも道路の交通量が多いことぐらいだろう。
咬月は後部座席のシートに深く腰を沈め、目蓋を落としている。一晩寝た程度では疲れが落ちないのは仕方のないことだった。
「先生、この先の故障車両で渋滞しているようなので、経路を変更します」
運転席からそんな言葉が聞こえてきた。咬月が短く「うむ」とだけ了承を返す。
自分より20ほど年下のこの運転手とも長い付き合いになる。時間的にはまだ余裕があるので急ぐ必要はないのだが、咬月は彼に任せることにした。
メインの国道を外れて支路へと移る。道幅が細く、少しばかり路面が荒れているが、通行に大した支障はなかった。
帰るべき鎌倉の街まであと少し。遠目に人家がぽつぽつと見えてくる。
「左手をご覧ください」
ふと、運転手からそんなことを言われ、咬月はゆっくりと首を曲げた。
背の低い草原が広がる開けた土地。そこに鮮やかな黄色い花弁が列を成している。それは花畑と呼ぶには些かコンパクトだが、走行中の車内からでも目を引かれるのに十分だった。
「ほう、珍しい。冬向日葵か」
咬月は感嘆の声を上げた。
ビニールハウスでもない限り、向日葵は夏に咲くものである。寒さに弱く、日照量を必要とするためだ。
ただし品種改良された冬咲きの向日葵も存在する。今、目の前に見えている物が、そうなのだろう。
真夏に咲く向日葵と比べたら、流石に花は小さく背も低い。それでも頭上の太陽に向かって真っすぐ茎を伸ばしている。
「
「そうか」
卒業生で、花と聞いて、思い当たる節はある。雑誌に載ったほどの有名人なのだから、ガーデンを出た後も覚えられていて当然だ。
「花か」
車窓から風に揺れる黄色を見つめながら、反芻するように言葉を漏らす。
鉄と血以外の世界を少しは見せられただろうか――――
そんな希望を一時は抱くものの、咬月はすぐに思い直す。
見せられた、とするのは傲慢だろう。彼女らは自分の意志で未来を見据え、実現させたのだ。多少はガーデンの力があったとはいえ、本人の意志が無ければまず間違いなく成し得なかった。意志無き力に意味は無い。
ガーデンが、咬月たちがしてきたことは幾ばくかの後押しと言ったところか。それでも無意味だとは思わないし、今後も止めるつもり毛頭無い。
「やはり、まだ死ねぬなあ。死ぬまでは死ねぬ」
閉め切られた車内で発されたその台詞には、希望の音色が含まれていた。