街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第28話 思い出の花

 アマノ店内の一角にて、天葉は店に訪れた一人の女性と対面していた。

 現在、平日のお昼前で客足は少ないが、歴とした営業時間である。

 ところが、その女性に花を購入しようという素振りは見られない。代わりに手帳とペンを握り締め、天葉の言葉を一言一句も聞き逃すまいと真剣な面持ちで耳を傾けている。

 

「――――ていうわけで、それが初めて樟美にプレゼントした花なんだよ」

「成る程、成る程。カキツバタ。花言葉は『幸せの到来』ですか。当時の樟美さんを励ます意味が込められていたんですね」

「私としては、励ますと言うよりも、癒したいと思ってたかな。どっちも似たようなことかもしれないけど」

「あっ、いえいえ! そこの違いは重要です! 訂正しないと……」

 

 些かオーバー気味なリアクション。明るい茶髪を後ろで三つ編みに纏めた、幼さの残る小柄な女性。彼女はアマノとその店主の天葉に取材を申し込んだ新聞記者だった。

 手元で一生懸命ペンを走らせる小さな記者に、天葉は温かい視線を送る。

 カウンターでは樟美が店番をしているが、今のところ暇なので取材のやり取りを眺めていた。時折、無言のまま頬を赤らめていたのは、気恥ずかしい昔話を耳にしたせいだろう。

 天葉は記者へ受け答えしながらも、横目で樟美の様子をチラチラと窺っていた。趣味が悪いと言われるかもしれない。だが樟美の可愛らしさの前では、体裁も勝てないというものだ。

 

「ふう……。ありがとうございました、天葉様。質問は以上です」

「どういたしまして。素敵な記事を期待してるよ」

 

 メモを取り終えた女性記者――――二川二水(ふたがわふみ)が大きく一礼した。そんな彼女に、百合ヶ丘のOBとして先輩に当たる天葉は朗らかに笑い掛ける。

 雑誌に出演経験のある天葉からすると、取材はこれが初めてではない。また二水にしても、学生時代から新聞を発行してきたこともあり、リリィへの取材は慣れたものである。そういうわけで、花屋でのインタビューは滞りなく終了した。

 

「流石に一面とはいきませんし、スペースも小さいですけど。でも、見る人に興味を持って頂ける記事にします!」

 

 取材の最中にも感じたが、二水は新聞というものに並々ならぬ拘りがあるようだ。学生時代はともかく、大人になってもそれを持続できるのは尊敬に値するだろう。

 しかしそのような場面の中、天葉は二水の異変を察知する。

 

「本当、お疲れ様。無理はしないでね。何だか疲れてるように見えるから」

「あはは、お恥ずかしい。実は来週から海外出張で、その準備もあるんですよね」

「それは、まだ新人なのに凄いじゃない!」

 

 二水は照れ臭そうな、それでいて若干困惑したような笑みを浮かべる。

 実際、短大を出て入社したばかりだというのに、大抜擢だ。本人でさえ戸惑う程に。

 その海外行の直前に別の取材に取り組んでいるのだから、彼女のバイタリティも大したのものである。だからこその抜擢なのかもしれない。

 

「ちなみに、これがさっき言ったカキツバタの花ね。春から夏にかけてが旬だから、写真しかないけど」

「へぇ、こうして見ると、やっぱり派手な花ではないですね。逆にそこが良いのでしょうか」

 

 天葉は携帯の画面に映る紫の花を見せる。花弁はそこまで大きくはなく、色合いもどちらかと言うと地味な方だろう。二水の言った通り、派手さや華やかさは無い。

 同じカキツバタでも園芸用に品種改良を重ねたものには、もう少し鮮やかな種もある。だが天葉は敢えて、こちらの地味なものを当時の落ち込んでいた樟美に贈ったのだ。

 

「そうそう、それからこの話の続き。カキツバタを贈ったその日、特別寮の部屋で――――」

「ねっ、姉様!」

「ウソウソ、冗談だよ」

 

 慌てる樟美の咎める声が飛んできた。

 

「うーーーっ……非常に非常に興味深いお話ですが、もう時間が無いので、お暇します。残念です……」

 

 後ろ髪を引かれるような顔をして、小さな新聞記者は去っていく。

 某全国紙に『リリィのその後』というテーマの記事が掲載されるのは、それから少し経ってのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日のアマノ。

 

「あらまあ! 鎌倉の街にこんな素敵な場所があったのねえ」

「街の郊外だから、中々見かける機会が無いんですけどね」

 

 店内で、天葉のタブレット端末の光景を見たお客が目を見張る。そこには開けた草原と向日葵畑が映し出されていた。

 

「そうなの。私の体だとそこまで行くのは難しいから、残念ねえ」

「お婆ちゃん……。ごめんなさい、写真しかなくて」

「いいえ。こうして眺めているだけで、とっても楽しいわ」

 

 お客は、杖をついた高齢の女性だ。元々小柄な上に、背を丸めているので尚更小さく見える。樟美と同じぐらいの背丈だろうか。(げん)(どう)も穏やかで品の良い老婦人である。

 店の中で和やかに話していることから分かるように、彼女は常連のお客であった。比較的近くに住んでおり、時々来店しては何かしらの花を買ってくれる。

 

「冬は確かに他の季節より寂しいけど。でも、ハウス栽培に頼らなくても結構な花が見られるでしょう?」

「本当ねえ。家に籠っているだけだと気付けないわ。ありがとう、店員さん」

 

 そう笑い掛けると、老婦人はタブレットから目を離して店内の陳列棚を鑑賞し始めた。

 この馴染みのお客に対し、天葉は懸念を抱いていた。体調についても心配なのだが、それだけでなく、彼女が足繁く花屋に通っている理由が気掛かりなのだ。

 

(何かの花を探しているのは間違いない。前に聞いた時は笑顔で誤魔化されたけど。一体、何の花なんだろう?)

 

 天葉は首を傾げる。アマノは決して大きな店ではない。全ての花が手に入るわけでもない。しかし、どんな花なのか分かれば取り寄せることが可能ではなかろうか?

 そんな風に考え事をしていたところ、天葉はもう一人の客の存在を思い出す。目の前で声を掛けられては、嫌でも思い出すというものだ。

 

「店員さん。店員さぁん?」

「ああ、亜羅椰。ごめんごめん」

「さっきから話し掛けてるのに。客を放置なんて酷いですわ」

「客っていうなら何か買ってよね。あ、樟美は売ってないから」

 

 カウンター越しに湿った視線を送ってくる桃色髪を、軽くあしらう天葉。

 その視線というのも、本人からしたら他意は無いのだろう。それでも湿度たっぷりに感じられてしまうのは、どうにも避け難い事象と言える。

 

「お悩み事ですか?」

「うーん、私じゃないんだけど……いや、私になるのかな?」

「はっきりしませんわねえ」

「花屋として()()()()だなって思ったんだよ」

 

 亜羅椰に対してとぼけても、あまり意味が無いのは天葉もよく知っている。この後輩、一見奔放なようでいて、他人のことをよく見ているのだ。それは色恋沙汰に限った話ではない。

 

「私も花については素人ですが。そこまで手に入れ難い花というものが存在するのですか?」

「それは、そうだよ。昔より物流が良くなったのは事実だけど。それでも日本だと珍しい種もあるし。ヒュージに占領されて生態系が変わった地域もあるだろうからね」

「でしたら、おいおい見つかるでしょう。その種自体が消え去っていない限りは」

 

 亜羅椰の言葉に、天葉は「まさか」と危惧を抱く。常連の老婦人が幾ら探しても見つけられない理由。その可能性の一つを恐れる。

 

 またもや考え事をしている天葉の耳に、樟美の声が飛び込んできた。

 

「あの、お婆ちゃん。お婆ちゃん?」

 

 不安げな声。それは天葉を呼ぶものではなく、件の人物を指すものだった。

 

「お婆ちゃん!」

 

 不安が、焦燥と悲痛な叫びに変わる。

 天葉は一も二もなく駆けつける。

 その場で蹲って目を閉じた老婦人の背を、樟美がゆっくりとさすっている。

 

「どうしましょう、天葉姉様……」

「救急車を呼ばないと。でもその前に、奥に運んだ方がいいね」

 

 売り場である店頭から、事務室かバックヤードへと移すべきだろう。そう判断した天葉だが、実行するのを躊躇ってしまう。背負って運ぶにしても、この状態で背中に掴まってもらうのは酷かもしれない。

 天葉が立ち止まって考え込んだのは、実際にはごく短時間のことだった。しかしその僅かな時間の内に、後からやって来た亜羅椰が天葉より前に出てくる。

 

「天葉様はお店があるのでしょう? 私にお任せください」

 

 そう言うと亜羅椰は涼しい顔して老婦人を抱き抱えた。背中と両膝の裏を支える形で。そのまま店の奥に向かって歩き出すので、樟美も後ろからついて行く。

 

「ごめんなさいねぇ、お嬢さん。お手数お掛けします」

「フフフ、お気になさらず。羽よりも軽いですわ、お婆様。お食事はしっかりと取ってくださいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、老婦人に大事(だいじ)はなく、病院から自宅に移って静養することになった。

 後日、店の定休日に天葉と樟美はお見舞いしようと家を出る。

 常連さんは、割とご近所さんでもあった。徒歩で10分も歩かぬ内に、目的の日本家屋が見えてくる。

 門塀に掲げられた木の表札には、行書体で書かれた『間宮』という文字。それが老婦人の姓であった。

 

「この度は、家内が大変ご迷惑をお掛けしました」

 

 天葉たちを出迎えたのは老婦人のご主人だ。奥さんとは対照的に背が高い。更に高齢にもかかわらずピンと伸びた背筋のため、余計に大きく見える。物にたとえるのは失礼だが、柱時計を思わせる人物だった。

 畳の客間。目の前の机の上には日本茶。

 若輩にも礼儀を欠かさない品のある老紳士に対し、天葉は踏み込んだ質問を決意する。

 

「お加減は如何ですか?」

「何か大病を患っているというわけではないのです。ただ、如何せん歳が歳ですので……」

「そうですか……。奥様には、ご贔屓にして貰っています。有り難いことに。ですが、体の不調を押してまでうちに通われているのは、何か事情があるのですか?」

 

 問われた相手は少しの間だけ目を閉じた後、ぽつぽつと語り出す。

 

「家内が探しているのは恐らく、かつて私が彼女に贈った花でしょう。私たちがまだ子供だった頃、初めて贈った花です」

「その花というのは?」

「捨小蒜です」

 

 花の名を聞いた瞬間、天葉は「見つからないわけだ」と得心がいった。

 

 捨小蒜(ステゴビル)――――ヒガンバナ科のネギ亜科。

 

 かつては関東地方の河川沿いに群生していた野花だが、土地開発の影響によって絶滅危惧種に指定されて久しい。対ヒュージ戦争による戦禍も相まって、今ではすっかり見かけなくなった希少植物だ。

 

「姉様、ステゴビルって……」

「私も実物を見たことはないね。昔の東京や鎌倉には保護区が設定されてたらしいけど」

「どんなお花なんですか?」

「細い茎から、小さい、本当に小さくて白い花を咲かせるんだ。注意して見ないと気付かないぐらいに」

 

 天葉は以前、写真で目にしたステゴビルの姿を思い浮かべた。

 

「仰る通りです。見た目はただの小さな野花。本当なら贈り物にするような花ではありません。しかし幼かった私たちの目には、それは大層美しい花に映ったのです」

「奥様がどうして私たちに黙っていたのか、分かりました。希少種だから、こちらに負担を掛けまいと気を遣われていたんですね」

 

 事情を知れて、天葉は胸の()()()が一つ取れたような気がした。

 だが、あくまで一つだけ。この問題をどう解決しようかという、一番重要な課題が残っている。

 もっとも、今この場で天葉がジタバタしても、好転するものは何もない。取りあえず今日のところは、寝室で休んでいる老婦人をお見舞いして帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間宮のお婆ちゃんの具合、思ったよりも悪くなさそうで良かったよ」

 

 帰り道。民家の立ち並ぶ住宅街を二人が歩いている。

 天葉と、天葉の斜め後ろに付く樟美。樟美の方は手に持った携帯の画面を見つめながらの帰路である。

 

「それにしても、子供の頃の思い出を、何十年も過ぎた今になっても探しているなんて」

 

 言われた直後は天葉もいまいちピンとこなかった。遠大な話であり、想像がつかなかったのだ。

 けれども、己のこととして考えたらどうだろうか。

 

「例えば、毎年決まった日に一輪ずつカキツバタを贈るっていうのはどうかな? それなら何十年経っても忘れないし、希少種になりそうだったら自分で育てればいいし」

 

 何の気なしに提案する。天葉にとって、何十年先でも隣に樟美がいることは、全く疑いようのない確定事項も同然だった。

 ところが、先程から当人の反応が鈍い。

 

「……樟美?」

「うーん……」

「樟美ぃ」

「んー……」

「チュッ」

「ひゃあ!?」

「歩きながら携帯見ちゃ駄目じゃない」

 

 横から頬に口づけされて、樟美は飛び上がらんばかりに体を震わせる。

 その後、頬を膨らませて抗議してくるかと思いきや、樟美は携帯の画面を天葉に見せてきた。そこには白い花弁の小さな花が咲いている。

 

「あの、私これ、見たことある気がします」

「えっ、ステゴビルを? どこで?」

「えっと、前に姉様と一緒に登った丘の麓で。小さな池の近くだったと、思います」

 

 天葉は記憶の糸を手繰り寄せる。

 鎌倉市街より南。以前に樟美と共にハイキングへ赴いた小高い丘陵地帯。住民が退去し半ば打ち捨てられたその場所は、草木が思い思いに繁茂する地となっていた。

 

「樟美、その池の大体の場所は分かる?」

「多分、分かります」

 

 樟美が頷いたのを見て、天葉は次の休日の予定を決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再度訪れた間宮邸の客間で、天葉はタブレット端末を開いていた。テーブルの前に正座する老婦人と傍らに寄り添う老紳士が、タブレットの画面を静かに見つめている。

 タブレットが流す動画は時間にして1分ほど。その間、老夫婦の様子は本当に穏やかなものだった。逆に天葉と樟美の方が何か喋りかけるところであった。

 

「確かに、確かにこの花よ。間違いないわ」

 

 やがて、老婦人がおもむろに口を開いた。その口振りは感極まってという感じではなく、やはり穏やかな印象を受ける。彼女のご主人も黙って頷いた。

 

「取り引きが制限されている希少植物なので、実物は取ってこれませんでした。だけど環境省の地方事務局に連絡を入れたので、保護されて数を増やして、その内――――」

「いいのよ」

 

 天葉の言葉を、老婦人は優しく遮る。

 

「私が貴方のお花屋さんにお邪魔してたのは、未練を誤魔化すためなの。もう一度目にできるなんて思ってなかったわ。だから、まだどこかであの花が咲いていると知れただけで、十分なのよ」

「お婆ちゃん……」

「それだけで、私たちの思い出は色づくから。だから、本当にありがとう」

 

 元々丸まり気味だった背を更に丸め、老婦人は頭を下げる。

 

「わざわざ野山を探して下さったのでしょう。たとえ見つからなかったとしても、そのご厚意自体があの日の思い出を明瞭にしてくれるというものです」

 

 続いてご主人にも感謝されると、流石の天葉も照れ臭くなってきた。結局実物は得られなかったので、力になれた気があまりしなかったのだ。

 

 では、自分たちに当てはめてみたらどうか?

 この老夫婦のように、いつまでも色褪せない思い出にできるだろうか?

 その点に関して、天葉は全く躊躇うことなく首を縦に振ることができた。

 

 

 

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