「全く……。貴方には危機感というものがありませんの?」
シラクサの街外れ、港に程近く人通りの少ない道で、楓が呆れたような声を上げる。
楓・
「流石に私だって初めての国に来たら気を付けますよ。夜は出歩かないとか、怪しい場所には近付かないとか」
「その割に先程は随分と無防備でしたけど?」
「いやだなあ、楓さん。ただの挨拶ですよ、きっと。欧州ではよくあることでしょう」
「……わたくしも欧州人ですが」
「へっ? 知ってますよ? 当たり前じゃないですか」
ポカンとした二水を前に、腕組みした楓は眉と頬を微妙に引き攣らせる。
「老婆心ながら申し上げますが。二水さん、貴方取材を終わらせる前にどこぞで手籠めにされますわよ」
「あはは、何言ってるんですかぁ。私みたいな
「世の中には、そっちの方が良いという者も存在するのです」
「えぇっ。楓さん、お巡りさんのお世話になるような真似は止めてくださいね」
「わたくしではありませんわ!」
何やら懐かしくなるやり取りに、二水の顔は自然と緩む。
卒業後も一柳隊の面々は連絡を取り合っていた。だが頻繁に会うというわけには中々いかない。遠く海によって隔てられた楓は尚更だ。
「はぁ……。それで、次の取材先はどちらですの?」
「今回の作戦を主導したというドイツに向かうつもりですが」
「分かりました。では参りましょうか」
背を向けて歩き出す楓。まるで先導するかのような彼女へ、二水が慌てて声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください。参るって、一体どこに?」
「ついさっき二水さん自身が仰ったでしょう。ドイツに、と」
「一緒に来てくれるんですか!?」
「このままでは、寝覚めの悪い事態に発展しかねませんから」
前を進む楓が背を向けた状態で言ってきた。
一見すると素っ気ない態度。しかし、素っ気ないのは本当に外形だけのこと。
それを誰よりもよく知っているが故に、二水の顔は緩みっぱなしだった。楓に見られていたら、小言の一つも貰いそうな程に。
純白の大型客船が一隻、マリンブルーの海原を行く。船首に掻き分けられ水飛沫を上げる波濤の勢いは、船足の早さを物語っている。
イタリア本土とシチリア島とサルディーニャ島に囲まれたティレニア海。この地に多数存在する風光明媚な観光地も、ヒュージの跋扈により一時は大打撃を受けた。
しかし苦心の末に全てのヒュージネストを破壊して以降、商業と観光の要地としての姿を徐々に取り戻しつつある。
客船の上階、広く開放的なバルコニーを備えたスイートルームから、二水が手に構えたカメラのシャッターを切った。写すのは水平線。時折、遠方に船のシルエットや海鳥の群れが見えるが、大方は変わり映えの無い景色である。
「ところで、楓さんはどうしてシラクサに? 会社のご用事ですか?」
ふと思い出したように室内へ振り向いた二水が問い掛けた。
楓はパリの大学に通う傍ら、父親が総帥を務めるチャームメイカー『グランギニョル社』の仕事を手伝っていたのだ。
「違いますわ」
ソファに身を預けた楓が事も無げに答える。
「以前から懇意にしている日本人記者の方から、『本社の人間が欧州にやって来る』と聞きましたので」
「それって、うちのパリ支局の特派員のことですよね。それで、わざわざ……。忙しいのに……」
二水は楓に対して申し訳なく思うと同時に、顔を熱くなるのを自覚した。
そんな二水の心境をどこまで察しているのか、楓がソファに腰掛けたまま脚を組み直して言葉を続ける。
「まあ観光のついで、ですわ。特に目新しい物は無かったので、こうして二水さんに付き合っているわけです」
最初にシラクサで出会った時には聞いていない情報が加わっていた。しかしだからと言って、それを指摘するような野暮はしない。今の二水は感慨で胸が一杯だったから。「楓さんは相変わらず楓さんのままだ」と。
「時に二水さん。貴方、避難民輸送作戦の背景についてはどこまで把握してますの?」
楓によって、話が取材の内容へと移り変わる。
二水もまた、舞い上がっていた己を自制し頭を切り替えていく。
「あの作戦、軍事的には非常に疑問の残るものでした。護衛が不十分なままで、輸送に用いる貨客船も鈍足で。時間を掛ければ、そのどちらの問題もクリアできたと思うんです」
「軍事的観点からは、理解に苦しむと。ならば、他の観点からは?」
「それは――――」
口を開いたところで一度立ち止まり、二水は頭の中で言葉を吟味する。真っすぐに視線を送ってくる楓に対し、下手な発言はできないと思ったからだ。
「作戦が実行されたのは提案者のドイツが強く主張したためです。そのドイツは欧州内でも『大陸派』の最右翼。アフリカ大陸からの避難民を受け入れられたら、彼ら大陸派の正当性を高めることに繋がります。つまり、あれは政治的観点から強行された作戦でした」
「そうですわね。アフリカと中東方面の解放を主張する大陸派にとって、人道目的の本作戦は是が非でも実行したかったことでしょう。故に焦り、強行させ、完全に裏目に出てしまった。シルテ沖での敗北が、どちらかと言えば大陸派よりだったイタリア・スペイン両国を心変わりさせたのです」
「その結果、欧州では沿岸防衛と大西洋奪還を重視する『海洋派』が優勢になったんですよね。海洋派の中心は北欧諸国。フランスも、そちら側でしょうか」
「ええ。当たり前ですが、欧州連合も一枚岩ではありません。今後は旗色も大きく変わっていくでしょう」
すらすらと論じる二水ではあるが、全てを理解しているわけではない。むしろ分からない部分の方が多いだろう。まさに欧州情勢複雑怪奇。
しかしながら、分からないまま、怪奇なままにしておくことはできない。二水は新聞記者で、記事を書くためにこの欧州までやって来たのだから。
「それで、次の取材先はドイツでしたわね?」
「はい」
「二水さんはそこで、どのような記事を書きたいんですの?」
「私は…………このままだと通り一遍の記事になっちゃいます。だけど、部長は私に元リリィとしての取材を期待してました。だから私は私ならではの記事を書きたいです。具体的な内容までは、まだ思い付かないんですけど」
二水は今思っていることを一息に吐き出した。段々と、捲し立てるかのように早口になってしまった。二水の悪い癖だ。
「ならば、まず初めに足を運ぶべき場所がありますわ」
「――――で、――――というわけで。引き続きドイツで取材に当たります」
「そうかそうか! 中々順調のようだな、二川君! 以後も体に気を付けて励んでくれたまえ!」
「ところで部長」
「何だい? 二川君」
「かえ……グランギニョル社の件は、やっぱり部長のお陰なんでしょうか?」
「いや、ね。幾らヒュージ討伐が好調で比較的治安の良い欧州といえど、海外に一人送り出すのはどうかと思ったんだ。だけど下手な人間を付けても意味が無いし、現地の
「ピッ、PMC!? そんな大袈裟なっ!」
「二川君はグランギニョルの御令嬢と同期だったらしいから。あわよくば、と考えて君の出張について話してみたんだ。パリ支局を通してね」
「はあ……」
「でもまあ、流石に御令嬢本人がエスコートしてくれるとは想定外だったよ。ワハハ!」
「それは私も同感です」
「では欧州を満喫しながらも取材に勤しんでくれ!」
東京本社との国際通話を終えて、二水は携帯を鞄の中に収める。
途中経過を報告したは良いものの、上司から具体的な指示は何も無かった。二水本人の裁量に任せるということだろう。欧州内の、支局の活動範囲内で、という制約については改めて念を押されたが。
「作戦失敗後、ドイツの現状についてご存知かしら」
すぐ隣の座席から、楓が確認するように問い掛けてくる。
二人はイタリアからドイツへ空路で渡った後、楓が呼びつけた乗用車で移動していた。ヌーベル家お抱えの、黒塗りの高級車だ。いつの間に手配していたのか。用意のいいことである。
「作戦を強行した現政府は国内外から激しく非難され、レームダックと化してます。次回選挙では海洋派の野党が勝利するのは間違いないとか」
日本を発つまでの間、二水もその辺りに関して調べていた。無論、十分な調査ができたとは思っていない。やはり最後には自らの足を動かすべきである。
「二水さんの仰る通り。その流れはもはや変えられないでしょう。では何故ドイツ政府は、大陸派は、そこまでして作戦を推し進めたのか」
「その答えが、ここにあるんでしょうか?」
二水は車が徐々に速度を落としたことに気付いた。
やがて完全に停車。楓にやや遅れて、二水も後部座席のドアを開けて車外に出る。
ドイツ西部、フランス国境に近いとある街。二人が降り立ったのは、ホテル正面に設けられた車寄せであった。
街の中心部にあるホテルだ。観察する意義は大いにある。
ところが楓はチェックインだけすると、早々にホテルを出てしまう。二水は異を唱えず後に続いた。街を直接見た方が早いということだろう。長い付き合いなのだから、それぐらい察するのは容易かった。
ドイツの冬は厳しい。シラクサとは大違いだ。二水は一度は仕舞ったセーターを着込み、上にはコートを羽織っている。楓も似たような格好だった。
ただし、似ているのはあくまで格好だけ。纏う人間の姿は正反対。片やファッションモデルにも劣らぬメリハリのついたスタイルに、東洋人・西洋人の良いとこ取りをしたような美貌。片や日本基準でも中高生に間違われかねない幼い見た目。
(楓さん、会う度に綺麗になってる。私と並んでいると、お姫様と侍女みたいだぁ……)
二水は決して自身を卑下しているわけではない。そういうことは百合ヶ丘時代に止めていた。ただ、客観的な評価を素直に下しただけ。少なくとも二水本人はそのつもりである。
斜め前を行く楓にチラチラと視線を向けていたが、暫くすると思い直して頭を切り替えた。せっかく親身になって協力してもらっているのに、自分が雑念を抱いてどうするのか。
「……何だか街中なのに活気が無いような」
二水が道すがら覚えた違和感を口に出す。
最初のホテル周辺はまだいい。けれども中心部を遠ざかると、空気が変わっていくのを実感する。人通りが減り、その減った人々もどこか暗くて無機質な印象だ。言葉は悪いが、死に体という表現がよく似合う。
更に進んだ所で、二水は自分の感想が正しかったことを思い知る。
周囲を囲む高いフェンスと立派なゲートを備えた広い土地。そこに巨大な箱型建築物がそびえていた。
「これは、工場でしょうか。閉鎖されてますが」
「ええ。人の姿が消え役目を失ったこの工場が、街の実態を象徴しているのですわ」
「欧州全体で労働力が不足しているとは知ってました。ドイツは特に深刻なんですね。他にも似たような街が少なくないんでしょう」
「それを乗り越えるための欧州連合。賃金を上げれば域内から人を呼び込めるかもしれません。ですが安価な労働力となれば、欧州内で供給するのは難しい」
「だから避難民の受け入れを焦っていた、と」
二水はこれまでの事前調査や取材で得た情報を整理する。
ドイツにおける大陸派の議員のバックには、鉄鋼業や化学工業など重厚長大産業の影があった。一方で、海洋派の議員は電子産業やチャーム関連産業への転換を主張している。
「海洋派の主だったスポンサーはゲルトナーにシンケル、そしてグロピウスといったドイツ貴族。彼らはガーデンやチャームメイカーなどに出資していますわ」
「つまり、少なくともドイツ国内では、産業抗争が両派の対立の根本にあるんですね」
楓の言わんとするところを二水は理解した。単なる噂レベルの話ではなく、楓からの情報なので確度は高いと言える。個人的なコネクションも記者の武器。故に二水は遠慮なく活用していた。
大筋の方向性が定まってくる。あとは、そこに住む人々から実際に見聞きすることで、記事は肉付けされていくだろう。
そういうわけで、二水は取材を開始する。
この街の市井は大陸派と海洋派で半々といったところ。それもはっきりと色分けできるような状態ではない。
従来の産業や思想に固執する者、固執せざるを得ない者。新たな産業構造に機を見い出す者、見い出さざるを得ない者。当たり前だが、人の数だけ事情というものがある。
その最中、二水はふと駅構内の売店に目が止まった。新聞コーナーの一角で、地元紙に紛れて隣国フランスの新聞が平積みされていたのだ。
「そっか。国境が近いから、フランスの物も珍しくないんでしょうね」
二水は飲み物――ドイツ発祥のフルーツ炭酸飲料――と一緒にフランス紙を一部買って読んでみる。いの一番に目を引いたのは、現ドイツ政府と大陸派を激しく非難する記事だった。「人道問題を口実に体のいい奴隷を得ようとした」などと書かれている。
耳の痛い話だった。日本にも似たようなケースがあったから。
「フランスメディアはどこも主張がストレートですねえ」
そんなことを呟きながら、二水は駅のロビーまで歩いていく。そこでは壁際の椅子に座った楓が紅茶を楽しんでいた。
「こんな寒い日に冷たいジュースですの?」
「暖房の効いた屋内で、あえて冷たいのを飲むのが良いんですよ!」
二水が食い気味に答えると、楓は肩を軽くすくめてからティーカップに口を付ける。カップの中からは薄っすらと湯気が立ち昇っていた。
その後、二水も楓の対面の椅子に腰を落とす。新聞紙をローテーブルの上に広げ、小気味良い音を鳴らして炭酸飲料の栓を開ける。目は紙面の文字を忙しなく追っていた。二水は外国語を話すよりは、外国の文字を読む方が得意だった。
「二水さん、お次は?」
「えっと……うちのパリ支局に行って記事を纏めようかと」
「あら、次でお終いですのね。残念ですわ」
楓が物足りなさそうにそんなことを言うものだから、一度は忘れた振りをしていた疑問が二水の中で再び大きくなってきた。
「あの、楓さん。大学の方はいいんですか?」
「心配ご無用。取るべき単位はちゃんと取っています」
「おうちの方が心配するんじゃ……」
「ちょうど良い機会だからヨーロッパ旅行にでも行ってきなさい、ですって。お父様もお母様も、旅行などと、失礼ですわ」
その答えに、二水は次に何と言おうか、何と言うべきか逡巡する。
すると二水の考えを察したのか、楓がフッと口元を緩めた。
「まあ、お邪魔なようならわたくしはこれでお暇しますが」
「それはないです!」
「でしたら、何も問題ありませんわね」
「ない、です」
本当にない。あり得ない。
だって、名前を呼ばれれば心が満たされるし、ふとした瞬間に体が触れたら暖かくなる。
(だけど、私は楓さんに何も返せない。私じゃあ何も返せない)
それだけが二水にとって、小さくも消えることのない