12月末日。暦の区切り、一年の終わりを告げる日である。
世の多くの人々は、特別な日の特別な瞬間を祝うべく何かしら行動していることだろう。
しかし天葉と樟美に関して言えば、そんな世間の風潮はさて置いて、自宅のリビングに置かれた炬燵から動く気配が少しも無かった。
「今日は疲れました……」
「そうだねえ。年末だけあって、注文が立て込んだからね」
二人は炬燵の一辺に身を寄せ合うように入っている。少々手狭だが、より暖かくなるのでプラスマイナス差し引きはむしろプラスだった。
「まあ、その代わり正月はゆっくりできるから。お疲れ様、樟美」
「はい。お疲れ様、です」
大晦日は、続く新年に備えて正月飾りの花が求められる日。天葉たちも店頭販売に配達に、フル稼働で働いていた。
無論、正月は正月で花の需要は続くのだが、アマノの場合は休業することにしていたのだ。
そんなわけで、夜も深まったこの時分に、二人して背中を丸めて炬燵に籠っている。目の前の机上にはミカンの皮が数枚重ねられており、部屋のテレビからは取り留めの無いニュースが音量を控え目にして流れていた。
「樟美、ミカン要る?」
「もういいです」
天葉の手の平に載せられた鮮やかな橙色に対し、樟美は首を左右に振る。
大晦日の定番、年越し蕎麦は既に食べた。差し当たってやるべきことは思いつかない。
天葉も今はほとんど惰性で起きているに過ぎなかった。年の変わり目に寝てしまうのが、何となく勿体ないと思ったから。
微睡に負けない程度にテレビを見たり、樟美の頬を撫でてみたり。
そうしていると、ふと玄関のチャイムが天葉の耳へ飛び込んできた。
「こんな時間に……」
「大体誰か、予想はつくよね。樟美はここで待ってて」
天葉はモゾモゾと体を動かして立ち上がる。
炬燵と樟美の温もりが名残惜しくなるものの、それをどうにかこうにか押し止め、玄関へと歩いていった。
「ソラ、樟美。お参りせずに家でゴロゴロしてるって、本当だったのね」
天野家のリビングにて、両手を腰に当てながら呆れたようにそう言ったのは依奈である。
依奈が見下ろす先では、天葉がそそくさと炬燵の中へ下半身を潜り込ませていた。
「だって今日はもう仕事で疲れたし」
「初詣はいいの?」
「三が日の間に行けばいいかなって」
「
依奈の言うことも分かる。折角の大晦日なのだから、家の中で過ごすのは確かに勿体ないかもしれない。
だがそれはお互い様である。
「依奈と壱こそ、ここに居ていいの?」
「最初はお参りに行くつもりだったんだけどね」
「でもやっぱり、ごろごろしたくなったんでしょ」
「ごろごろするとは言ってないわ」
「似たようなものでしょー」
天葉と依奈とで不毛な問答が繰り広げられる。
直前になって「やっぱりやめた」となっても無理もない話である。何しろ一番近場の神社でさえ、そこそこの距離があるのだから。
大学生とはいえ普段から教導官資格取得のために励んでいる壱を気遣って、依奈が休息を優先したとしてもおかしくはないだろう。
「まあ理由はともかく、二人とも早く炬燵に入りなよ」
樟美と肩を寄せ合い引っ付いたまま、天葉は二人の客人に促した。
「お邪魔します」
「仕方ないから、付き合ってあげましょうか」
壱は素直に、依奈は不承不承といったポーズを取りつつ、天葉たちの陣取る位置から見て左方と右方にそれぞれ腰を下ろす。ちょうど依奈と壱が向かい合って座る形となった。
天葉と樟美みたいに、くっついて座ったりは流石にしない。あれは樟美ぐらい小柄だからできることであって、依奈と壱ではギュウギュウ詰めになり休むどころではなくなるだろう。
「ミカン、食べますか?」
「頂こうかしら」
「ええ。ありがとう、樟美」
机の上で半ばオブジェと化していたミカンが客人たちに手渡された。
依奈はゆっくりと丁寧に皮を剥く。壱はテキパキと、それでいて几帳面に剝く。
誰も一言も言葉を発さず、黙々とミカンの実を露わにしていく光景は、奇妙だが不思議と落ち着くものだった。
「あっ! 見て見て、人が一杯。今行かなくて正解だったよ」
テレビに目をやった天葉が唐突に声を上げた。
画面には鎌倉府内のとある神社が映っており、そこにひしめく人々の波が夜闇を物ともしない盛況ぶりを物語っていた。
「これを見てると、確かに足が億劫になるわねえ」
「そうですね」
依奈と壱のやり取りを聞いていて、天葉は一つ疑問を抱いた。
「壱はこういう行事、きっちりやる方じゃなかった?」
「無理に今日行かなくても、明日お参りすれば十分です」
「ふ~ん、そういうものか」
あっさりと後輩がそう答えると、天葉は少々意外に思う。
大人になったことでの余裕の表れだろうか。良い傾向だ。
「ほら、壱もこう言ってるし。ゆっくりしようよ、依奈」
「はいはい、だからこうしてミカンを食べてるじゃないの。……甘い」
一切れのミカンを咀嚼しながら、依奈は口元に手を当てる。
取り立てて高級な代物ではない。極々普通の一般的なミカンである。
寒い冬、炬燵に入りながら、静謐な夜更けに。そのように積み重なったシチュエーションが本来の味を引き立てているのだろう。多分、恐らく。
「そうだ。まだ今日の新聞、読んでなかったんだ。見せてもらってもいいですか?」
「ちょっと待ってね、壱っちゃん」
天葉が頷いたのを見て、部屋の隅にある本棚から樟美が新聞を取ってくる。
朝の内に一通り目を通した天葉から見て、特に大事は載っていなかった。
印象に残った記事と言えば、一つは東北地方の要衝である津軽要塞が解体されて、その資材が民生利用される件。解体に当たるのは、建設を請け負ったのと同じ業者――今やスーパーゼネコンの一角を占めている白井建設であった。
そしてもう一つは、少し前まで陥落指定地域だった台北の復興事業に日米の資本が投下され始めた件。「自国の復興も途上なのに」という意見もあるが、日本も欧米からの資本投下を受けているので、何事も
印象に残ったニュースがどちらも良いニュースだったということは、即ち本日は良い日なのである。
平和だった。少なくとも天葉たちを取り巻く周りは。
故に気が付けば依奈も、すぐ傍の樟美も、うとうとと船を漕いでいた。
天葉が意識を手放すのは、それから間もなくのことである。
次に目を覚ました時、日付はとうに変わった後だった。
灯っていたはずの部屋の灯りは消えており、辺りは薄暗いものの、今が深夜ではなく明け方なのは何となくわかる。
年越しの瞬間を寝過ごしたのだ。
勿体ないと思う気持ちも無いでは無いが、過ぎてしまったことは仕方がないと、天葉は気分を新たにして仰向けになった体を起こそうとする。
ところが、起き上がれなかった。物理的に不可能なわけではない。自身の左肩に、樟美が顔を埋めて眠っている状態に気付いたからである。
「あっ、天葉様、ごきげんよう。客間のお布団、勝手に使わせて頂きました」
壱がドアを開けてリビングに入ってくる。そう言えば、彼女も依奈も先程から姿が見えなかった。
壱の顔はいつも通りキリッと引き締まっており、声も抑えているが口調はしっかりしている。寝起きとは思えない。
「ごきげんよう。壱は早起きだね」
「はい。依奈様は昨夜運んでおきました。天葉様と樟美は、その、くっついていたので……。炬燵のままで、すみません」
「いいよいいよ。ありがとね」
壱はばつが悪そうに眉尻を下げている。
天葉もいつまでもこのままでは格好がつかないので、樟美を起こすことを覚悟して炬燵から抜け出ようと決心した。
天葉の肩が揺れたがために、くっついていた樟美も体を軽く震わせる。何度目にしても飽きることのない寝顔が、天葉の見つめている前で、瞳と口をゆっくりと開ける。
「ふぁ……あ、朝?」
「おはよう、樟美」
「ごっ、ご飯、作りますね」
「ご飯もいいけど。その前に、ちょっと外に出てみない?」
寝起きで頭が回らないのか、慌てる樟美。
そんな樟美と壱に対し、天葉はカーテンに覆われた窓を指差した。
「ほら、依奈も呼んで。ね?」
「依奈様も、もうじき起きてくると思いますけど……そうですね、心配なんで起こしてきます」
天葉の目配せに気付いた壱がそそくさとリビングを出ていく。
少し申し訳ない気もしたが、それはそれとして、天葉は再び樟美へ向き直る。
無言でじっと樟美を見つめる。
樟美も最初は見つめ返してきたが、やがて壱の出ていったドアへ視線を送り、また天葉の顔を見て、またドアを見て、また天葉を見て。
数回そんなことを繰り返した後、樟美は意を決して天葉の唇へ口づけした。
「ご、ごきげんよう、天葉姉様」
「ふふ、ごきげんよう。壱の前だと恥ずかしいのかな」
「ううっ……」
「じゃあさ、依奈と壱にも横で同じことしてもらって、それなら恥ずかしくないでしょ?」
「知りませんっ!」
炬燵から出て床にぺたりと脚を崩して座り込んだまま、樟美は膨れてそっぽを向いた。
「揶揄い過ぎちゃった、ごめんね」
そっぽを向かれたその頬に、天葉は謝りながらキスをする。
たとえ喧嘩――言うほど喧嘩ではない――をしても、すぐに素直に謝るのが
「ごめん……チュッ……ねぇ」
「んっ」
キスをしたり、頬ずりしたり、キスをしたり。5セットしたところでやっと樟美からお許しが出るのであった。
「結局、何もしなかった……」
四人で玄関をくぐり抜けて、家の外の小さな庭までやって来た。
四人とも部屋着の上から何かしら外套を羽織っている。それでもまだ寒いぐらいだが、今はその寒さすら清々しさに変換される……ような気がした。
ところがそんな中でも、依奈には不満があるようで。
「大晦日の夜にしたことが、せいぜい炬燵に入ってミカンを食べて、ちょっとお喋りしただけってどうなのかしら」
どうやらあのまま寝落ちしてしまったのを悔やんでいるらしい。
起きていたからといって、家の中で何か大層なことができたとも思えないが、こういうのは気分の問題なのである。
「まあまあ、たまにはこんな年越しも悪くないんじゃない?」
「そんなこと言ってると、来年も再来年も似たような年越しになるわよ」
「来年の事を言えば依奈が笑う」
「誰が鬼か」
冗談めかして言う天葉だが、実際、次の大晦日や次の次の大晦日がそうなったとしても構わないと思っていた。
何か特別な年越しにしたいなら、したくなった時に実行すれば良いのだから。
それこそ、次の次のそのまた次の大晦日あたりにでも考えれば事足りる。
「焦らなくたって、正月は何度でも来るんだから」
一昔前ならば無責任と咎められかねない天葉の言葉。次の年を、明日を無事に迎えられるとは限らないからだ。
だが今は違う。
「そうね。一寸先が闇になるような、そんな後輩たちには育ててない」
依奈もそれには同意した。
現役時代、数多くのリリィを導いてきた彼女が言うと説得力がある。
「それに、これからは壱が育ててくれるしね。ね、未来の教導官殿?」
「ハードルを上げないでください」
依奈が壱の左腕に抱き付いて寄り掛かる。
台詞に反し、壱も満更でもなさそうだ。
ちなみに天葉と樟美は外に出てきた時から既に腕を絡ませ合っていた。
上に羽織っても寒いものは寒い。もっとも、寒くなくても引っ付くのが彼女たちなのだが。
チ、チ、チ、チ ――――――
薄明かりの中、遠くで小鳥の囀りが響く。それは朝の到来を告げる
「天葉姉様、初日の出、です」
樟美に釣られて天葉は東の方角を見やる。
住宅街の一角なので絶景とは言い難かったが、白んだ空は太陽の存在を確かに伝えていた。
今日も明日も来年も、日はまた昇る。
突然ですが、本作はこれにて完結です。
日常系なのでネタが思い浮かべばまだ続けられそうなものですが、一応の区切りとさせて頂きました。
早速ですが、次回作としてヘルヴォル主役の長編を連載予定です。
ヘルヴォルはメインストーリーで大きな動きがありそうですが、「それはそれ、これはこれ」の精神で執筆しようかと。
待ち切れないし…
ちょうど復刻でかずれんイベントが始まったし…
あ、ちなみに次回作は百合ものです。