「お義父様、お義母様。ご息女を私にくださいませ」
じめっとした夏の日のこと。
身に纏うスーツと同じ色の黒髪を深々と下げ、白井夢結は家族を得る儀式のための言葉を紡ぐ。
かつての陥落指定地域、甲州市。鎌倉府の北西に位置し、周囲を山々に囲まれたこの地に、一柳梨璃の生家があった。人類の勢力圏に帰してからも、仕事や金銭の関係で避難地区に留まる市民は少なからず見られたが、幸い一柳家は元の土地に帰還できている。
6月の半ば。この年に成人したばかりの梨璃は、伴侶になる約束を交わした夢結と、娘あるいは妹同然に世話を焼いてきた結梨と共に、実家へと帰省した。
天然い草の匂いが香る畳の客間にて。縦長のローテーブルを囲って一堂に会していた。
夢結はテーブルから一旦距離を空けると、正座し、両手で形作った綺麗な三角形を畳の上に付けた。その両手のすぐ上では頭も一緒に下げている。お手本のような座礼であった。
「お義父様、お義母様。ご息女を私にくださいませ」
夢結から出てきたその台詞に、傍で聞いていた梨璃は気恥ずかしさと嬉しさで変な声が漏れそうだった。だらしなく崩れそうになる顔を引き締めるので一杯一杯だった。可能ならば、今すぐ自分の伴侶を自慢したい。
けれども梨璃は自重した。もう幼い子供ではないのだから、時と場合ぐらい弁えられる。自分の隣に座る結梨だって大人しくしているのだから。
一方、夢結が頭を下げる先、一柳家の面々は様々な反応を見せる。
梨璃は期待半分不安半分で、家族の顔を一人ずつ窺ってみた。
母は、「あらまあ」と呆気に取られた様子であった。
祖母は、何も語らず、ただ穏やかな面持ちで微笑むだけ。
地元の高校に通う弟は、「はぇ~」と大して驚いてなさそうだった。若いって、強い。
そして父は、ひっくり返っていた。
(いきなりだったし、皆びっくりしても仕方ないよね)
心の中で反省する。
梨璃も夢結とのことは、電話や手紙でそれとなく家族に示唆していたつもりであった。だがこの状況を見る限り、十分に伝わっていなかったのは明白。梨璃はもっと直截的に言うべきだったのだ。「女の人と結婚します」と。
「えーっとね……あっ! この子、この子は結梨ちゃん! 一柳結梨っていうんだけどね、ちょっと訳があってそういう名前なんだ」
空気を変えるべく、梨璃が話題転換を図る。
「結梨ちゃんのことなんだけど、私たちが結婚したら、養子縁組しようと思ってるんだ。おねえ……夢結様と相談したんだけど、成人したら養親になれるから。あと、一日でも誕生日が遅かったら同い年でも養子にできるんだって!」
しかしながら、梨璃の試みは悪手と言わざるを得ない。ただでさえ結婚の話に困惑しているのに、幾ら童顔で小柄とは言え、いきなり歳のそう変わらぬ子供ができたと報告されたら、余計に頭を抱えてしまう。
梨璃は口に出してから己のミスに気付いたが、覆水盆に返らず。更にフォローを考えるはめに陥った。
そんな育ての親の苦労を知ってか知らずか、当の結梨はいつの間にか席を離れて祖母の近くへ移動していた。
「おばあちゃん、これ何?」
「これはね、お手玉。お婆ちゃんの、そのまたお婆ちゃんから貰ったんだよ」
時代がかった巾着袋の中から布の玉が六個出てくる。梨璃もある程度大きくなると目にすることすらなくなったが、確かに見覚えがあった。
「最初は三個でやってみようか」
「うん」
祖母が両手を使って玉を宙に踊らせると、結梨も見様見真似で同数の玉を扱い出す。
元より、結梨は運動神経も学習能力も人一倍優れていた。現にお手玉も、二回ほど玉を落として以降、初心者とは思えないテンポで吸収・再現していった。
祖母はこんな所にどうしてお手玉を持ってきたのか。梨璃が連れてくる娘のことを、もっと幼いものと思っていたのかもしれない。何にせよ、助かった。お陰で場の空気が幾分か緩んだ。
「梨璃、久し振りの
「え? でも……」
「お互い考える時間が必要でしょう。特にこの人は」
そう提案する母の視線の先には、顎に手を当てて「う~ん」と唸っている父の姿。座り込んだまま背中を丸め、目を白黒させている。傍目には面白いが、本人は至って真剣であった。
結局、梨璃は母の気遣いに感謝しつつ、実家を一旦離れることにした。
夏。実際の緯度以上に暑い、甲府盆地の夏。
すぐ横に並び立つ林のお陰で日影が差した小道を、梨璃たち三人がゆっくりと進んでいた。
観光なら市街が最適だが、そちらは鎌倉へ帰る前に、お土産を買うついでに向かう予定。そうなると、あと見るべきものは野山に田畑に川といったところか。少なくとも梨璃が思い付く範囲では。伊達に「田舎者」と自虐しているわけではないのである。
「無理もないわ。法制度が変わっても、人の心まではすぐには変わらない」
梨璃の隣に並んで歩く夢結が、前を向いたままそう言った。非難するでもなく、失望するでもなく、ただ淡々と事実を言葉にしたかのように。
大好きなお姉様と
鎌倉や横浜や横須賀などの都市圏かつガーデンの影響力が強い地域では、同性結婚に対する理解はそこそこあった。そのため首都東京も概ね寛容だったが、地区によっては反対派が熾烈な抗議行動を行なって世論が真っ二つに割れているとか。
しかし肝心なのは、ここ甲州。この地はお世辞にも都会とは言い難い。
「本当に、皆びっくりしてるだけなんです。私がちゃんと言ってなかったせいで。お母さんもお父さんも、きっと分かってくれるはずですから」
梨璃は先程の一件について弁解した。どこか言い訳みたいになってしまったのは、梨璃自身がここに来るまで楽観的に構えていたことへの反動である。
実際、梨璃の家族が特別保守的というわけではない。ただ、長閑で人の流入が少ない土地柄ゆえに、こういった劇的な変化に当惑してしまうのだ。
「勿論、責めているのではないわ。むしろ当然の対応よ。大事な娘の将来が左右されるのだから。親として慎重になるでしょう」
「はい……」
「その上で、ご家族に認めて頂くためにここまで来たのよ。絶対に梨璃を貰って鎌倉に帰るわ」
「は、はい! えへへっ。お姉様、私を貰ってくださいね」
梨璃がフニャっと破顔し、少女のような笑みを浮かべる。夢結にそこまで言われたら、懸念することは何も無い。
「でも、お姉様のご家族の時はあっさり認めてもらえましたよね。いえ、勿論その方が良いんですけど」
「うちは、何人もリリィを輩出してきた家だから。リリィとなるのは名誉なこと。そしてリリィになった娘は、ガーデンの娘になったも同然。そういう考えだから、リリィだった梨璃と結ばれることに反対しなかったのでしょうね」
「それは、喜んでいい……ですよね?」
「そうね。祝福されないよりは、ずっと良いことだわ」
二人して話し込んでいる内に、自然と歩みが遅くなっていく。
すると前の方を先行して歩いていた結梨が、二人の方へくるりと振り向いた。さっきまで遠くの丘陵地にある棚田を眺めていたのだが、興味の対象が移ったらしい。
「梨璃も夢結も、もう大人だから。自由に結婚できるんじゃないの?」
「ええ、できるわよ。だけど元々の家族との繋がりだって蔑ろにできないわ。どうせなら、憂いなく新しい家庭を築きたいじゃない」
「ふーん、そういうものかぁ」
そんな夢結の答えに続き、梨璃が分かりやすく説明しようと口を開く。
「結梨ちゃん、お婆ちゃんと遊んで楽しかったよね」
「うん、楽しかったよ」
「これからもまた、ここに来て遊んだりお話ししたい?」
「したい」
「だったら、ちゃんとご挨拶して、何か大切なことがある時は話し合わないと」
「そっか。そうだよね」
結梨は納得したのか、軽く頷くと前に向き直った。
結梨の、三人の行く先にはまだまだ道が続いている。ここより先に広がっているのはブドウ畑。その香りは梨璃にとっても夢結にとっても、懐かしさを覚える香りであった。
夕刻を過ぎて梨璃たちが一柳家に帰ってきた時、父は依然として頭を悩ませているようだった。
「うーん……」
「あなた、そんなに難しく考えなくても。娘が二人増えると思えばいいじゃない」
「えぇ……」
良く言えば懐が深い、悪く言えば大雑把な気質の母が、父を取り成そうとする。
だがそうそう上手くはいかない。父は良くも悪くも思慮深い方だ。
十人居たら十人に言い当てられるのだが、娘の梨璃は母親似であった。
「やり方を、間違えちゃったのかなあ」
しかし、お気楽な梨璃でも流石に不安になってくる。夢結と結梨を自分たちに宛がわれた部屋へ残し、一人になった梨璃は居間での両親のやり取りを盗み聞きしていた。
仕方ないことだが、結梨のことを全て話せないのはきつい。家族の信頼を得る上では大きなハンデと言えた。
結梨はその特殊な生まれから実験対象として捕獲されかけたり、戦闘で命を落としかけたりしている。実際、梨璃たちも一時は彼女の死を認めざるを得なかった。
今はこうして大手を振って暮らしているものの、やはり結梨が特別な存在であることを否定はできない。彼女を白井の実家の養子ではなく、梨璃と夢結が直接養子縁組しようと考えているのも、実はその辺りに事情があった。
ガーデン職員同士の子供にしておいた方が、万が一の際に守り易い。ガーデン側からそう忠告されたのだ。特に拒否する理由も無いので、梨璃たちは忠告通りに家族計画を進めてきた。
「じゃあ、こう考えましょう」
唐突に、母が大きめの声を上げた。
「あの子、夢結さんはあの百合ヶ丘女学院の職員で、おまけにご実家は裕福な家。そう考えたら、梨璃が苦労しそうにないし、いいんじゃないかしら」
「……いや、それはその通りなんだが。お金とか生活の安定とか、身も蓋もないんじゃないか?」
「だって、どうせ難しく考えても答えは出ないんでしょう。二人の気持ちの問題って言うなら、あの子たちにしか分からないし。もしかして世間体がどうとか言う気? それなら相手はお嬢様だし、社会的に何も問題ないわね」
煮え切らない父の態度にだんだんと面倒臭くなってきたのだろう。母の物言いが乱暴になるのが梨璃にも分かった。
「それなら、あの結梨って子のことは……」
「こんな時代だもの。事情のある子なんて珍しくないでしょう。百合ヶ丘が保護してる子なら大丈夫よ」
それっきり、父は深く詮索しようとはしなかった。代わりにまた、うんうんと唸っているようだった。
やがて居間から父が去った後、梨璃はそっと障子を開けて中へ入る。
娘の姿を見ても、母は驚いたりしなかった。盗み聞きもお見通しといったところか。
「お母さん」
「大丈夫よ、梨璃。ああは言ってたけど、父さんもその内分かってくれる。少なくとも、反対はしないはず」
「分かるの?」
「ま、夫婦だからねえ」
結局、母の予測は的中することになる。
この後、夕食後、父と母と夢結の三人で何やら話をしたらしい。梨璃にはその内容までは分からなかったが、戻ってきた夢結が穏やかな笑みを湛えていた事実が、母の正しさを物語っていた。
そして、甲州の夜が明ける。
翌日、梨璃たち一行は甲州市街での買い物を終えて帰路に就こうとしていた。
そんな中、鎌倉行きの電車に足を運ぶ三人のもとへ梨璃の母がやって来る。わざわざ駅まで見送りに来てくれたのだ。
「この度は、大変お世話になりました」
既に一柳家を発つ前に述べていた挨拶を、夢結は改めて口にした。
「いえいえ。こんな田舎でよろしければ、いつでも来てくださいね」
母は余裕ある笑みでそう答えた。貫禄と言うべきか。流石は20年も母親をやっているだけのことはある。
その母が今度は結梨の方を向き、結梨の手を取って自身の右手を重ねた。そこにはある物が握られている。梨璃もよく知る、と言うよりも、ほぼ毎日の如く目にしている緑の髪飾りである。
「それ、私のと一緒だ」
「父さんからよ。結梨ちゃんにあげるって」
「ええ? 自分で渡せばいいのに」
「あんな態度取ってしまったせいで、気まずいんでしょう。それに思ったよりも大きい子だったから、躊躇したのかもね」
母が意地悪っぽく父の気持ちを代弁する。
確かに、大人になった今、梨璃もあの髪飾りは外して部屋の中に大切にしまっていた。サイドテールだった髪は下ろしている。多少は大人っぽく見えることだろう。
けれども、あの四つ葉のクローバーを模った髪飾りには単なる飾り以上の意味があった。それはかつて、梨璃が結梨と結んだ
「梨璃と探し回っても見つからなかったのに」
結梨は受け取った髪飾りをじっと見つめて呟いた。5年越しに、ようやく約束が果たされたのだ。
「ふふっ、本当いつの間に用意してたんでしょうね。あの人、こういうところは抜け目ないから」
やがて生まれてくるであろう娘の子供へ、孫へ渡すつもりのものだったのか。それを結梨に贈ったということは、つまりそういうことなのだろう。
結梨は大きくお辞儀をする。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
こうして、甲州帰省は無事に目的を達成して終わりを迎えることができた。
最後の最後で、予期せぬ幸運に見舞われて。