街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第8話 続・遠藤亜羅椰について

 芸術大学というものは、とかく個性的である。亜羅椰が通う東京の芸術大学も、例に漏れず。それは学ぶ対象が美術や音楽といった、創作色の強い分野であることに起因する。

 しかしながら、彼ら彼女らの個性は勉学の中だけに示されるわけではない。学生が学生生活を謳歌するツールの一つ、サークル活動にも如実に表れていた。

 校舎の前に広がる芝生の緑。その上を、黒装束の忍者が奇声を発しながら駆け抜けていく。

 そうかと思えば、サークル棟の出入り口付近からダンボールがゆっくりと歩いて来る。否、正確にはダンボールではない。胴体と頭部と右脚と左脚、それぞれにダンボールを装着した人間だ。サークル『ロボット愛好会』のパフォーマンスだった。……新手のコスプレ研究会と言われた方が、まだしっくりとくるが。

 

 大学のキャンパス内にあるカフェテラスの席で、亜羅椰が紅茶を片手に一息ついている。

 こんな風変わりな学校ゆえに、元リリィという肩書程度ではさして気にも留められない。良く言えば、好奇の目で見られない、ということだ。

 とは言え、亜羅椰は別の理由で有名人となっていた。言うまでもなく、人並外れた女性遍歴のせいである。入学から半年の時点で、既に彼女へ声を掛ける男子学生は、ほぼほぼいなくなっていた。

 

「ふぅ……」

 

 その亜羅椰が紅茶のカップをソーサーに戻して溜め息を吐く。

 頭に浮かんでいるのは、先週に連休を利用して鎌倉を訪れた際、かつての先輩である天葉からの質問。

 

「そっちで『この子だ』って子見つけて、真面目なお付き合いはしないの?」

 

 亜羅椰にも「この子だ」と言える娘は確かに居た。だが、それは過去の話。今となっては詮無きこと。故に天葉に対してあのような答えを返したのだ。もっとも、あの答えも全くの嘘ではないのだが。

 しかし、今更あの時のことが浮かんでくるとは思わなかった。これは一体どういうことなのか。

 

「あの二人が、羨ましい……? 私が?」

 

 ついつい言葉に出して自問自答する。

 だがすぐに口元を歪めて自嘲した。あれこれと後ろ向きに思い巡らすのは自分らしくない。自分ならば悩むよりも、まず行動に移すだろう。

 思い立った亜羅椰は紅茶の残りを胃の中へと片付けてから、テラスの席を立つ。ここで言う()()とは、無論ガールハントのことである。

 

 夕刻に近付いたキャンパスの中。遠くサークル棟の方では、ダンボールの人型がバランスを崩して倒れ込むところであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カフェテラスを離れた亜羅椰は中央棟にやって来た。文字通りキャンパスの中央にあるこの建物には講義室や事務室などが設けられており、学部や学科を問わず学校中の学生に利用される施設である。

 ちなみに、亜羅椰は美術学部絵画科にて油彩画を専攻している。これは母から影響を受けてのものだった。

 

 そんな中央棟の一室が、やけに騒がしい。そこは講義室の一つであったが、講義中というわけではなかった。講義中ならば、開け放たれた入り口の扉の周りに人だかりができるはずもない。

 亜羅椰はその人だかりの中に友人を見つけ、声を掛けるべく近寄っていく。

 

「これは一体、何のイベントなのかしら?」

「ああ、亜羅椰か。いや、ちょっと、揉め事みたいで……」

 

 振り返った女子学生と亜羅椰は、入学したばかりの頃、一時期交際していたことがある。見た目と性格が好みだという理由で。交際期間は短かったが、今では普通の友人関係に収まっていた。その辺り、あとに引き摺らないさっぱりとした気性も、亜羅椰からは好ましく見えたのだ。

 

「中に居るのは、女の子ね。でも見ない顔。美術学部(うち)の子ではないわ」

「あんたが言うなら、そうなんでしょうね」

 

 亜羅椰の元カノは呆れつつも話を続ける。

 

「問題はあの子じゃなくて、相手の方」

 

 講義室の真ん中。翠玉色の髪をアップスタイルで纏めた眼鏡の女子学生。彼女と相対しているのは五人ばかりの学生だった。先頭に立つ男子学生が代表として物言いを付けているらしい。

 

「あれ、どこぞの区議会議員のお坊っちゃんよ。おまけに学生自治会の会長で、何とかっていう政治サークルの代表もやってるって」

「へぇー、うちにも自治会とかあったのねえ」

「そりゃあ大学だからあるでしょ。本当、女の子以外興味ないのね」

「絵にも興味ありますわ」

 

 亜羅椰が元カノ相手に軽口を叩く間にも、室内では議論の応酬が繰り広げられていた。議論と呼ぶには些か一方的な様相ではあるが。

 

「さっきも言った通りねえ、君が文芸サークルとして大学内で公表している部誌に対して、いかがなものかという意見が学生自治会の中で出ているんだ」

「で、ですが……大学側からちゃんと認可は頂いてますっ」

「大学側ねえ。事なかれ主義で、正しい判断を下せているとは思えないけどねえ。それに僕たちは規則の次元ではなく、良識や倫理の次元で物を話している。分からないかなぁ」

 

 話を聞く限り、女子学生がサークル活動で発行した部誌が抗議を受けているらしい。

 だがおかしな話である。学生自治会にそのような権限などあるはずがない。

 そもそも高校までの生徒会とは違い、大学の学生自治会には全学生が加入するものと、関心のある学生のみが参画するものとに分けられる。亜羅椰がその存在を認識していなかった事実から分かる通り、この大学の自治会は後者である。なので尚の事、活動内容や範囲が限られてくるはずだった。

 ところが自治会の会長は権限による命令ではなく、本人の自粛という形で要求を呑ませようとしているようだ。

 

「私の部誌の、どこが問題なんでしょうか?」

「内容がねえ。公序良俗を乱しているんじゃなかろうかと」

「そんな……。確かに性的な要素を匂わせるような描写はありますが……。でも、そこまで言われるほど過激なものではありません」

「過激か、過激でないか。如何せん女性の物差しは当てにならないからねえ。いや、これは馬鹿にしてるんじゃないよ? ただ一般論として、そうだと言っているだけで」

 

 本来ならば、こんなクレームは無視するか、すぐにでも大学側に仲裁を訴えるべきだ。

 しかし人柄が誠実なせいなのか、この文芸女子は真っ向から非難を受け止めている。誰がどう見ても、自己主張に乏しく大人しいタイプであろう彼女が。

 亜羅椰は大層興味を抱いた。

 

「この際だから、本来なら言い難いことをはっきりと言わせてもらうが、我々はその部誌を有害図書に当たると疑っている」

「なっ! 有害って……」

「学外からも人は来るんだから、部誌とは言え公表する以上は人目に付く。リリィ同士の恋愛小説? そんなものを良識ある人が見たら、どう思うか。この大学をどんな目で見るか。考えたことがあるのか、君ぃ」

「どうして、どうしてそんなこと言うんですかっ」

 

 両腕で抱えた部誌を胸の前で抱き締めながら、文芸女子が小さな声を震わせる。

 その光景に、講義室の外で様子を窺っていたギャラリーからざわめきが起きた。

 

「相手が大人しい子だからって! あったまきた! ちょっと行って――――」

 

 いきり立って室内に突入しようとする元カノの肩を、亜羅椰の右手が掴んだ。

 

「私が行くわ」

「えっ?」

「ちょっとここで見ていてちょうだい」

「いや、でも、亜羅椰が乱入したら余計に拗れるんじゃあ……」

 

 後ろの方から聞こえてくる憂慮の声をよそに、亜羅椰は講義室の中を真っ直ぐに進む。

 双方の間に割って入るのではない。文芸女子のもとへ一直線に歩いていき、彼女の抱えている部誌の表題を横から覗き見た。

 

「これ、読んだわよ。主役の二人の、表向きの態度と内心の葛藤とのギャップ。描写が丁寧で惹き込まれてしまったわ」

 

 亜羅椰は自分よりも低い位置にある両肩に、左右の手をそれぞれ乗せる。

 不意に優しげな声を掛けられた方はというと、ビクッと体を揺らした。

 背はそこそこあるが、しっかりと食べているのか不安になるぐらい華奢な体つき。牛乳ビンの底みたいな分厚い黒縁眼鏡。しかしそんな野暮ったい眼鏡の裏側には、清流の如く澄んだ瞳がパチパチと目蓋を瞬かせている。

 亜羅椰は早くも、自らの勘が正しかったことを確信した。

 

「ふぅむ? 誰かと思えば、我が校の抱える問題児のお出ましだ」

 

 人の神経を逆撫でする物言い。

 亜羅椰は眼鏡の娘と見つめ合っていた視線を前方に向け直し、彼女を庇うように前へ進み出た。

 桃色みたいに薄い赤毛をかき上げる、モデル顔負けの端麗な容姿。そんな女性が近付いてくれば、誰しも目を奪われることだろう。

 ところが、取り巻きの男子学生は皆、露骨ではないにしろ渋面を浮かべて目を逸らした。学内に広まっている亜羅椰の噂が、女好きの女だという噂が原因だろう。

 しかしただ一人、彼らの長である自治会長だけは何食わぬ顔で亜羅椰と対峙する。黒髪で色白の肌の、一見地味だがよく見ると整った顔立ちをした線の細い青年だった。

 

「遠藤氏。本件は君に関係があるようで、実際はあまり関係がない。口出し無用に願いたいねえ」

「そうかしら? 健気な女の子の、個性に溢れた創作が潰されようとしている。それだけで関係大ありですわ」

「君は単に、自分と同じ波長の者の肩を持っているだけだろう。普段の素行からして、そんな殊勝な考えを抱いているとは思えない。そうだろう? 遠藤氏」

「確かに彼女の作品、私の好みに合うけれど。それよりも、癪に障るんでその馬鹿みたいな喋り方をやめてくださらない?」

 

 相対する会長を挑発しつつ、亜羅椰は横目で女の子の様子を窺う。

 外見に違わず争い事が苦手なのだろう。口を結び、伏し目がち。だが時折、亜羅椰の方へ心配そうに視線を送ってくる。

 彼女と目が合った瞬間、亜羅椰は軽くウインクする。すると相手は慌てて目線を真下に落とした。

 大学生とは思えぬほどの純情さに、亜羅椰の胸は激しく高鳴る。もっとも、亜羅椰もそんな内心を態度には表さない。今は目の前の問題に対処しなければ。

 

「大体、公序良俗だの有害図書だの……。リリィ同士の恋愛の何がそんなに気に食わないのやら。法改正をご存じない? 山にでも籠ってらした?」

「笑止。お(かみ)から与えられた物をただ無批判に享受するなど、衆愚のやる事。悪法を糺すべく声を上げるのは、良心的市民の権利であり義務である」

 

 旧世紀において、大学の学生自治会が政治活動に傾倒するのはよくある話だったらしい。だが現代において、それも自分たちの大学で遭遇するとは思ってもみなかった。

 亜羅椰が頭を抱えていると、会長はその視線を再び眼鏡の女の子へと戻す。

 

「公序良俗の話を抜きにしても。この作品、果たしてどれほどの需要が見込めるのだろうか。とても労力に見合った報酬を得られるとは思えないが」

「べっ、別にお金目当てじゃありません。好きで書いてる部誌ですから」

「例えば……こういうストーリーはどうだろう? 異世界からの来訪者である主人公がその能力と人柄を見込まれ、世界で唯一の男性教導官として名門ガーデンに赴任。リリィたちに戦いへの覚悟と命の重さを説きつつ絆を深めていく青春ラブコメディ。これなら中高生に受けること間違いなし」

「えっ、嫌です……」

「何で?」

「嫌です……」

 

 女の子がより一層困惑を深めたので、亜羅椰は再び会話へ割って入る。

 

「本人が嫌がっているのだから。理想の妄想作品はご自分で執筆されたらいかがかしら」

「遠藤氏もしつこいな……。そこまで言うなら、僕が君たちの思い違いを順序立てて説明してあげよう」

「はい?」

 

 自信満々の申し出に、亜羅椰は眉を顰めて怪訝な顔になる。

 そして実際に話を聞くと、ますます混迷の度合いが増していく。

 

「君たちリリィ、元リリィは青春の重要な時期を戦いに費やしてきた。気の毒なことだと思う。そのせいで普通の女の子みたいな交際ができず、同性を恋愛対象として錯覚してしまった。そう、リリィ同士の恋愛というのは錯覚であり、代償行為である」

「はぁ……」

「つまり遠藤氏、君の目はいつも女性を見ているようで、実は見ていない。錯覚による幻想を見ようとするのは、何も見ていないのと同義と言える。君には目の前の現実が見えていないんだ」

「その根拠は?」

「それが人間としても生物としても、正常な在り方でないから。事情が事情なので、本当に不幸な話であるが。だがしかし、自分たちの不幸に他人を巻き込んで良い道理など、ありはしない」

「要は根拠のない妄想というわけね」

 

 先程、亜羅椰が会長のご高説を妄想呼ばわりしたのは当てこすりのつもりであった。ところが現実は彼女の認識を上回っていたようだ。

 そもそも、確かに亜羅椰は学内で有名人ではあるが、会長とは今日まで面識がなかった。初対面の相手のことをここまで訳知り顔で語るなど、簡単にできるものではない。一組織のトップだけあって、中々の傑物と見える。

 

「そこで提案だが、遠藤氏も幻想を追い掛けるのは止めるべきなのでは。君ほどの器量の持ち主であれば、素敵な男性と巡り合えるはず。代償行為などに溺れなくとも、きっと人並みの幸福を知ることができるだろう。異性への無理解と嫌悪感からも解放されるに違いない」

「私が言うのも何だけど、よくもまあそこまで他人の人格を無視した講釈ができるわねえ」

「間違いを間違いだと指摘できない社会なんて、健全じゃあない。正論を吐いているのだから、誰に憚る必要があるだろうか? いや、ない」

 

 遠まわしのナンパではないかと最初は疑った亜羅椰。しかし恐らくはこの青年、ナンパという行為を侮蔑するタイプの男だろう。いわゆる陽キャやパリピとは正反対の人種に見える。

 

「あ、あのっ」

 

 突然のことだ。亜羅椰の後ろで、眼鏡の女の子が声を上げたのは。

 

「そう言う会長さんは、ご存じなのでしょうか?」

「何を?」

「男の人との幸福を、体験された上で勧めているのでしょうか?」

「……君は、何を言っているんだ」

 

 意味を理解したのか、会長が唖然とする。

 驚いたのは亜羅椰も同じ。本当に何を言い出すのか、と。

 

「君は僕に、自ら公序良俗を乱せと言いたいのか?」

「だって、おかしいじゃないですか。自分でも分からないことを他人に勧めるなんて。それじゃあ説得力も無いし、他人の心を動かせません。せめてすぐ傍で見届けた経験でも無いと」

 

 大人しい娘だと思ったら、全くとんでもない。

 これは流石に、すかした調子の会長も怒り出すだろう。そう予想した亜羅椰だが、意外にも彼はじっと考え込んでいた。

 

「ふぅむ……。言われてみれば、そうである」

「は?」

 

 今度は亜羅椰が素っ頓狂な声を出す番だった。

 

「失礼」

 

 そう一言だけ断って、会長はその場を足早にあとにした。

 

「か、会長ーっ!」

 

 取り巻きの男子学生たちも慌てて講義室を出ていく。

 残ったのは出入り口で騒めくギャラリーと、憮然として立ち尽くす亜羅椰と、ホッと胸を撫で下ろす女の子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けて頂いてありがとうございました」

「貴方自身で切り抜けたような気もするけど」

「あれは、つい咄嗟に、あんなことを言ってしまって……」

 

 講義室から場所を移動して、人目の少ない校舎裏で改めて礼を受け取る。

 亜羅椰の言も半分ほどは謙遜ではなく、本当にそう思っていた。目の前の華奢な文芸女子は、やはり見かけ通りの人物ではなかった。

 

「ええと、遠藤亜羅椰さん……でよろしかったでしょうか?」

「よろしいわよ。名を知って頂けて光栄だわ。貴方がこの小説を書いた『(とおとみ) (まもり)』先生なのね」

「は、はい。私の方こそ、趣味で書いた拙作を読んで頂いて光栄です」

 

 先程の講義室内で部誌の小説を読んだと言ったのは、話に割り込むための方便などではない。好みの内容だったので、本当に記憶していたのだ。

 自身の作品について触れられたため、女の子は心なしか嬉しそう。

 

「筆を執った本人も、お話しに負けず劣らず素敵な子で嬉しいわ」

「そんな、とんでもないですっ」

「ところで貴方の眼鏡、伊達よね?」

「えっ、はい。そうです」

「それからその髪、アップスタイルはうなじが見えて魅力的ではあるけど。でも貴方の場合、下ろしても似合うと思うわよ」

「えーっと、それはその、あのっ、目立ちたくないと言いますか目立ってはいけないと言いますか」

 

 もごもごと、しどろもどろになる。ついさっき見せてくれた大胆さが噓みたいに。どうやらこちらが平常モードのようだ。

 興味深く女の子を見つめていた亜羅椰は、ふと今更なことに気付く。彼女の、ペンネームでない本名をまだ聞いていなかった。

 そうこうしていると、相手も自己紹介してないことに思い至ったらしい。

 

「あ、すみません。名乗り遅れました。私、土岐紅巴(ときくれは)と申します」

 

 

 

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