街のお花屋さん   作:坂ノ下

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第9話 続々・遠藤亜羅椰について

 文芸サークル誌差し止め未遂事件はうやむやの内に収束していった。被害者である部誌の作者の方が穏便な解決を望んでいたからだ。

 亜羅椰も多少は思う所があったものの、本人の意思を尊重する。それよりも、彼女の関心はすっかりその娘自身へと注がれていた。

 

 後日、亜羅椰は改めて文芸サークル員の土岐紅巴をお茶に誘った。

 

「音楽学部の声楽科だったのね。道理で見かけないわけだわ」

 

 場所は大学キャンパスの、いつも利用するカフェテラス。亜羅椰自身は講義をサボって会いに行っても良かったのだが、紅巴が放課後を希望したのでその通りにした。

 

「でも確かに、美しく澄んだ声。ずっと耳に入れておきたいぐらい」

「いえ、そんな大それたものじゃありませんから」

 

 謙虚。と言うよりも、自己評価が低い。それはそれで美徳ではあるが、しかしかえって変な存在に絡まれる要因にもなっているのではないか。

 亜羅椰は紅巴という人物について更に知るべく、話の先を促した。

 

「確かに歌は好きですけど、仕事にするほどではとても……。それなのに奨学金まで貰って芸術大学に入って、何となく時を過ごして」

「明確な目標を持てず、後ろめたく感じているのね?」

「はい。ガーデンに居た頃の、レギオンの先輩方やお友達は夢に向かって頑張ってるというのに。私はこんな有様で。恥かしい限りです」

 

 話している内に、ラウンドテーブルを挟んだ対面に座る紅巴は俯きがちになる。

 真面目で、思い詰めるタイプ。土岐紅巴の姿が更に明らかになっていく。

 女の子を攻略する上で初めに為すべきなのは、その女の子の実像に近付くこと。亜羅椰の持論である。

 

「じゃあ、その小説はどうなのかしら。趣味って言ってたけど、並大抵の熱意でそれは書けない気がするわ」

「私は、昔からリリィ同士、女の子同士の関係性を見ているのが好きで。それが高じて自分でもお話を書くようになったんです」

 

 小説の話になると、紅巴は自信を取り戻したかのように明るい表情を見せる。好きこそ物の何とやら、というわけだ。

 

「貴方、この前の啖呵から察するに、さぞ経験豊富なんでしょうね」

「えっ? えっと、何のお話でしょう?」

「フフッ、とぼけちゃって。そのお話の中でしているような経験よ」

「んなっ! そそそっ、そんなことはっ!」

「だって『自分で実際に経験しないと説得力が無い』のでしょう?」

「いえ、それは勢いと言いますか、何と言いますか……。あ、でもっ、私の場合は幸いなことに、レギオン内で尊い関係を拝見できたので。それを少しばかり参考に」

「あら、貴方自身がその尊い関係を持ったりはしないの?」

「私は見守っているだけで十分ですから。私のような女は、苔むして巌となるのみ、です」

「国歌か何か?」

 

 その後も暫くの間、二人は会話を弾ませた。

 土岐紅巴という人物は、元々あまり会話が得意ではなかったのだろう。出会ったばかりの相手なら尚更に。

 しかし、そこをどうにかするのが亜羅椰の腕の見せ所。下心云々を抜きにしても、女の子とお喋りするのは楽しい。

 

 やがて二杯目の紅茶を飲み干し、お茶菓子の皿を空にしたところで、歓談はお開きとなった。

 時間で言えば、夕刻を過ぎて夜と呼んでも差し支えない。夏なので未だ空は明るいが。

 

「あの、本当に先日はありがとうございました」

「どういたしまして。こちらこそ、今日は楽しい時間が過ごせたわ」

 

 紅巴が席から立ち上がってペコリと頭を下げ、翠玉色の髪に囲まれたつむじを見せてくる。

 無論、ここで黙っている亜羅椰ではない。

 

「もし都合が良ければ、今度の日曜、お昼をご一緒してくださらない? 話を聞かせてくれたお礼にご馳走したいの」

「え? 助けて頂いた私がご馳走されるのは、違うのではないかと」

「まだ話し足りないのよ。貴方の小説のことも語り合いたいから。学校の外でゆっくりとね」

 

 予想通りだが、紅巴は逡巡しているようだった。

 

「ええと、亜羅、遠藤さんは――――」

「言い直さなくて結構よ。私も紅巴と呼んでよろしい?」

「は、はい。大丈夫です、亜羅椰さん」

 

 亜羅椰はテーブルの上で幾分か身を乗り出し、切れ長の瞳で真っ直ぐと相手を見つめる。

 見つめられた方は思わず視線を伏せ、しかしすぐ元に戻し、それから僅かに横へと逸らす。

 

「学部が違うとはいえ、これまで紅巴のような子を知らなかったなんて。ちょっと自分自身に腹を立ててたところなの」

「私なんて知らなくても……」

「だからこれは、その埋め合わせでもあるってこと」

 

 亜羅椰は早口にならないよう、なるべく紅巴のペースに合わせるよう努める。一気呵成に畳み掛けて、追い詰め過ぎるのは駄目だ。

 

「まあ色々と理由をつけたけど。貴方とお近付きになりたいのよ、紅巴」

 

 そこで、今まで考えあぐねていた紅巴が首を小さく縦に振った。

 

「お昼ぐらいなら、構いません。私でよろしければ、是非ご一緒させてください」

「フフフ、ありがとう。楽しみにしているわ」

 

 猫みたいな亜羅椰の瞳が、豹のように細められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ? お夕飯ですか?」

「そう。この前いい店を見つけたのよ。と言っても、そんな肩肘張るような所じゃないわ。バス通りから外れた定食屋よ」

「定食屋……。亜羅椰さんでもそういうお店、行くんですね。あっ、別に、変な意味じゃありませんから!」

「そうねえ、フフッ。たまには良いと思ってね。で、どうかしら? 私としては紅巴に一緒に来て欲しいんだけど」

「お夕飯ぐらいなら、はい、構いません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紅巴ってお酒は飲めるの?」

「お酒は、嗜む程度には。全然強くはありませんが」

「そう。なら今度、うちに来て宅飲みしない? 外で飲むのもいいけど、そっちの方が気を遣わなくて済むでしょう」

「宅飲み、ですか」

「私も人に胸を張れるほど飲めるわけではないわ。ま、アルコールは話の肴みたいなもの。いつもみたいにお食事してお話ししましょうってところ」

「ふふっ、お酒が肴なんですか? 分かりました。お邪魔させてもらいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜羅椰の住居は、大学からやや距離があるマンションの最上階だった。間取りは1LDKと決して広くはない。俗に言うコンパクトマンションだ。ただ、防犯と防音に関してはしっかりとしていた。亜羅椰にとって、特に後者は欠かせない条件である。

 

 夜、宴もたけなわといった頃。二人の姿はリビングではなく、奥の寝室にあった。

 冷え性ゆえに夏でもカーディガンが手放せないという紅巴。そのカーディガンも、今は部屋の隅に立つポールハンガーに掛かっている。なので彼女が纏うトップスは、白と薄緑のチェック柄をしたブラウスのみ。

 

「あのっ……亜羅椰、さん?」

 

 酒が入りほんのり赤に色付いた顔で、当惑した様子の紅巴が名前を呼ぶ。それもそのはず。現在の彼女はダブルサイズのベッドの上で仰向けに倒されているからだ。

 紅巴がそうなったのは、勿論部屋の主のせい。彼女は紅巴の顔を挟み込むようベッドの上に両手をついて、覆いかぶさるように上から見下ろす。亜羅椰の白い肌と、身に纏っている黒のキャミソールが、妖艶なコントラストを成していた。

 

「えっと、お酒飲んで、お話しするだけって……」

「あらあら。家までついて来ちゃって、本当にそれだけってことはないでしょう」

「で、ですが」

「顔には出さなくとも、心のどこかでちょっぴり期待していた。違う?」

「それは、そのっ」

 

 紅巴は目をぐるぐると動かし、ごにょごにょと口ごもる。度の入ってない伊達眼鏡は既に外されていた。大学では短く結っている髪も亜羅椰によって解かれて、白いシーツの上に翠玉色の花弁の如く広がっている。

 少しの間その姿を黙って見ていた亜羅椰が動いた。ゆっくりと、紅巴を驚かせないよう、顔を下に下ろしていく。紅巴の顔に垂れそうになる長い赤毛を指先でかき上げて、触れ合う寸前まで顔と顔を近付けた。

 

「私は期待してたわよ。紅巴を私のものにできるって」

 

 そう言って口元にキスを落とす。目と一緒にキュッと閉じられた紅巴の口元へ。

 口の先端同士が触れるだけの浅いキス。そこから、亜羅椰の舌が紅巴の唇を左右に撫でた。すると、おっかなびっくりといった調子で、閉じていた唇が少しだけ上下に開かれた。

 水音が鳴り、互いの唾液が僅かに混ざる。

 続いて亜羅椰は紅巴の上唇を舐め取るように口に含み、それが終わると同様に下唇の感触も堪能した。

 本来ならば、更に深く苛烈に攻めるところ。だが今回はそうしない。そうせずとも、紅巴の瞳は朝露を湛えたように潤み、慎ましやかな胸を上下させ呼吸が荒くなっている。

 

「ぷはっ。はぁ、はぁ……」

「メイクは控えめだけど、リップの手入れはきちんとしてるのね。美味しかったわ、紅巴」

「あううっ」

 

 元から赤くなっていた紅巴の顔が、恥じらいで真っ赤な柘榴と化した。柘榴は亜羅椰の大好物である。

 亜羅椰は一旦上体を起こしてから、紅巴のブラウスに両手を伸ばす。ボタンを上から順に外していく。

 一つ、二つ、三つ――――

 やがて、きめ細やかな柔肌が眼下に広がった時、ブラウスの合わせ目を掴んでいた亜羅椰の両手が軽く弾かれた。

 

「ややややっ、やっぱり駄目ですぅ!」

 

 自身の体を両腕で庇うように抱き締める紅巴。

 亜羅椰は驚くことなく微笑を浮かべたまま問い掛ける。

 

「私では、貴方のお眼鏡に適わなかったのかしら」

「ちが、違います! そんなのでは全然ないです! ……あの時大学で、私の小説を褒めてくれて、凄く嬉しかったですし」

 

 噛みそうになりながらも、否定の言葉が返ってきた。

 

「ただ、こういうのは、もっと関係性を大事にするべきだと思うんです」

「関係性?」

「もっと時間を掛けて、一緒に過ごして。そうして関係性を深めて。それから、さっきみたいになるべきだと……」

 

 たどたどしい説明だが、亜羅椰は十分に理解した。

 いつもは電撃戦を仕掛ける亜羅椰が今回選択したのは――彼女の基準では――持久戦である。しかし紅巴にとってはそれでも性急過ぎたらしい。

 ここにきて、亜羅椰は更なる長期持久戦への移行を決定した。この判断の早さは彼女の強みであろう。今、目の前で体を震わせているターゲットには、そうするだけの魅力を感じられたのだ。

 

(ここまで純情な子がいるなんて。レギオンのお仲間によほど大切にされてきたのね)

 

 一度拒絶されてなお、亜羅椰の心は沸々と燃え上がる。この娘を絶対に手に入れてみせると。

 

「それじゃあ、これからもっとお付き合いして、本質的な意味で寄り添えられたら、私の想いを受け入れてくれるのね?」

「お約束は、できませんが。善処しますっ」

 

 通常、善処というのは遠回しの否定の言葉。しかしこの時ばかりは、少しも期待が陰らない亜羅椰であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、紅巴との時間のために、今日明日と予定を空けていたのよねえ。代わりに何か面白いこと探さないと」

 

 ベッドに腰掛ける亜羅椰が思い出したように呟いた。

 隣には、はだけたブラウスを元通りにした紅巴が同じく腰を下ろしている。

 

「でしたら、亜羅椰さんに少しお願いがあるのですが」

「なーに?」

「亜羅椰さんの、今までお付き合いされた経験談を、聞かせて頂きたいと」

 

 遠慮がちに紅巴が頼んできた。

 

「ふーん、小説の題材にでもするってわけね」

「はい。実はこちらにお邪魔する前から、いつ切り出そうか悩んでいまして」

 

 紅巴の抱いていた期待とは、小説のネタに対する期待だったというわけだ。

 若干肩透かしを食う亜羅椰だが、このお願いを聞いてあげることにした。お喋りは嫌いではないし、面白い趣向を思い付いたから。

 

「長くなりそうだから、ちょっと休憩してからね。飲み物用意してくるから、貴方はメモの準備でもしてるといいわ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「フフッ、気分は千一夜物語ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、あの! 亜羅椰さん?」

「何かしら」

「お話ししてくださるのは良いのですけど。さっきから、当たっているんですが」

「何が、どこに当たっているの?」

「それは……ですから……」

「ちゃんと言ってくれないと、説明してくれないと分からないわ」

「うううっ、ですから! 亜羅椰さんの、大きなお胸が! 土岐の、鶏がらみたいに貧相な体に、当たってます!」

「私、鶏がらって好きよ。むしゃぶりつきたいぐらいにね」

「ひいぃっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜羅椰が紅巴に寝物語を聞かせるようになってすぐの頃。大学の講義の合間の講義室で、亜羅椰は予想外の人物と再会した。

 最初、それが誰なのか分からなかった。モヤシみたいに生白かった面影はなく、褐色に日焼けした姿はいかにも健康的。気のせいか、体格までワンランク上がったように見える。

 

「で、今更会長さんが何の用かしら?」

 

 講義室内の席についたまま、亜羅椰が億劫な表情を微塵も隠さず問う。

 一方、机を挟んで亜羅椰の前に立つ青年は気にした素振りも無し。手に持っていたスマートフォンを机上に置いて見せてきた。

 

「実はあの後、土岐氏の話ももっともだと思い、横須賀まで足を運んでね」

「横須賀って、あの横須賀?」

「関東地方、鎌倉府横須賀市の横須賀だね」

 

 会長は平然として言う。

 この東京から距離的にそこまで遠くなく、インフラの復興も比較的進んでいる。学生でも気軽に行き来できる場所ではあった。問題は、足を運ぶに至った経緯と動機である。

 また、それに輪を掛けて問題なのが、スマホの画面に映る写真。どこかのハンバーガーショップだろうか。画面中央、店内の席に座る会長。そして彼を囲むように集まっているは、白人に黒人にアジア系のムキムキマッチョなおじ様お兄様方。笑みを浮かべてピースサインを作っている点が、皆に共通していた。

 

「えっ、何、それは……」

「在日米軍横須賀基地、海軍兵士(セーラー)の皆さんだ。共に酒を飲んで横須賀バーガーを食べて、お国の話で盛り上がってきた」

「それだけのために、横須賀まで?」

「ついでに異文化交流も兼ねようと思って」

「いや、交流し過ぎでしょ。と言うか、よく交ぜてもらえたわね」

「人徳ぅ、かな」

「やかましいわ」

 

 更に話を聞くと、横須賀から帰京した後、会長は紅巴に対して部誌の差し止め要求の件を謝罪したらしい。遅きに失した感はあるが、しないよりマシだと亜羅椰は溜め息を吐く。

 

「それなら、紅巴の作品のことも認めたわけね」

「いや、全然」

「はぁ?」

「それとこれとは話が違うんだよなあ。内容が不適切なものは、不適切。ただ、差し止めはやり過ぎたし、君らにこれ以上何を言っても無意味だと悟っただけで」

 

 さっきまでの話の流れは何だったのか。亜羅椰はこめかみに青筋を浮き立てそうになる。

 しかしながら、これ以上紅巴に絡んでこないならそれで良い。そう思い直して矛を収めた。

 

「そうそうそれから、学生自治会の会長職は辞しておいた。僕としたことが、まだまだ知らないことが山ほどあったから。土岐氏の言った通り、何事も経験してみないと。そのためには時間が幾らあっても足りないのでね」

 

 去り際、会長改め元会長は最後にそんなことを言っていた。

 亜羅椰は遠ざかる背中を見送りつつ、彼の心中を見透かす。

 

(殊勝なこと言ってたけど。さては、パリピの楽しみに目覚めたわね)

 

 見ず知らずの外国人の輪に飛び込んでいく方もブッ飛んでいる。だがそれを受け入れ、政治活動の闘士を等身大のただの学生へ変えた彼らも大概だ。

 何という懐の広さ。米海軍のおじ様方と、ついでにハンバーガーの力には脱帽するばかり。

 自由の国って、凄い。つくづく思う亜羅椰だった。

 

 

 


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