ありがとう
足元を打つ滴が雨なのか、それとも涙なのか。
それすらわからないほど、私の心の中はごちゃまぜでぐちゃくちゃだ。目元を手で拭えば濡れていた。
悲しい。そう、悲しいのだ。当たり前と言えば当たり前で、しかし悲しいの一言は適当でない気もする。
「エーフィ……」
あの子が、いつもみたいにしょうがないなぁと言わんばかりに寄ってきてくれることは、もうない。
エーフィというポケモンがそうなのか、エスパータイプがそうなのか、ポケモンに詳しくない私はよくわからないけれど、あの子はいつも私の心を見抜いて寄り添ってくれた。悲しいときは黙って傍に座り、嬉しいときは一緒に跳ね回り、朝も夜も春も秋も一緒だった。
「なんか、変な気分」
在るべきものがなくて、そしてそれはもう永遠に戻りはしない。ゴーストタイプのポケモンは死んだ人やポケモンの霊だなんて言うけれど、きっとそれはまた別の存在なんだと思う。だから、私の知っているエーフィはもういない。
死なんて、身近に感じたことはなかった。祖父母は物心つく前になくなっていたし、うちの家族は元気で病気もしない。エーフィなんてイーブイの頃から健康そのものだった。もしかしたら"みらいよち"なんかで怪我を避けたりしていたのかもしれない。
ポケモンがバトルで傷つくのはよくある話で、せんとうふのうになって体が縮み始めるまで戦ってもすぐに回復する。それにポケモンは長生きな子も多い。
いつか死ぬと言っても、そのいつかはきっと遠い未来なのだと、そう漠然と思っていた。
「あなたには見えてたのかな」
この頃、エーフィは何かと甘えてきていた。きっと、自分の終わりを悟っていたんだと思う。それが"みらいよち"なのかどうかはわからないけれど。
「また来るね」
静かに墓石に背を向け、歩き出す。もうじき夜になる。夜になるとゴーストポケモンが増えて危険だ。今の私を守ってくれるポケモンはいないのだから。
ぐっと零れそうになる涙をこらえ、歩を進める。
ごうごうと草を揺らす風に恐怖を感じる。
今、私は一人なんだ。この薄暗い世界に、たった一人で立っている。
雰囲気に心が飲まれてしまいそうだ。墓地になんて馴染みはなかったけれど、これからは何度も来ることになるのだから、慣れなければ。
ぐるぐると渦巻く心に割かれた意識は、本来向けるべき意識を疎かにしていたと気づいたのは、最早手遅れになってからだった。
「ゴォォォォ!」
「ゴース!?」
背後からフワフワと近寄ってきた三体のゴースは 、"あやしいひかり"を浮かべながら大きな舌を出して迫ってくる。
「に、逃げなきゃ!」
「ゴォォォス!」
縺れる足は上手く前に進まず、あっという間に追い付かれた私の背を悪寒が撫でた。
ゴーストタイプの舌は私を傷つけはせず、しかし確かに何かを削っていった。
「う、ぁ」
気力の磨り減っていた私の体は動くことを拒否し、草むらに倒れ伏した。
「ゴスゴォス」
「ゴォス」
私も、死ぬのだろうか。空っぽのボールを握る。
エーフィの死を受け止めきれないまま、ここで────
「ゴォッ!?」
一体のゴースが弾かれた。続いて二体三体と何かに殴られたかのようによろめいている。
そして、私の体に光る星が降り注いだ。温かく、懐かしい感覚。
「"ねがいごと"……」
祈りによって自分や他の誰かを回復する技。そして、ゴースたちがよろめいたのはきっと、"みらいよち"。時間差で敵を攻撃する技。
「エーフィ……!」
これは、きっとあの子が遺してくれたもの。私を助けるために。
走った。ゴースたちに背を向けて、家へ向かって、必死に。エーフィに助けられた命を、万が一にも失わないように。
墓地を出て、街に入ってからも走り続けて、すれ違う人は驚いたような顔をしていたけれど、そんなことは気にならなかった。
家に戻り、腰に下げていたボールを置いた。
「ありがとう」
心の中は、すっきりとしていた。