ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>> STAGE-CLIMAX!?   作:添牙いろは

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14話 萩名里美

 色鮮やかに翻る青・赤・黄色のドレスたち。会場を内側から炸裂させんばかりの高らかな歌声。狭いながらも客席は埋め尽くされており、高々と掲げられたサイリウムは歌に合わせて右へ、左へ。もちろん曲に合わせたコールも欠かさない。聴く側も実に訓練されている。

 そんな音と光の海に立つ彼女たちではあるが――それはまだ、()()()姿()ではない。

 何故ならば。

 彼女たちが唄っている場所は、ホールの真ん中に備え付けられた円形のお立ち台――『盆』と呼ばれる特殊舞台とメインステージを真っ直ぐに結ぶ、いわゆる花道と呼ばれる細道。ここの構造は、一般的なライブハウスとは明らかに異なる。

 だからこそ、誰もが()()()姿()を待ち望んでいた。

 観客たちだけに留まらず、ステージに立つ彼女たち自身も。

 

       ***

 

 ビジネスから娯楽施設まで何でも揃う街・新宿。だが、その中に一際異色を放つ一角があった。新歌舞伎町――例外的に、風俗産業が最大限に認められた特区。治安は悪いが人は絶えない。そんな明暗入り交じる領域を取り囲む大通りの対岸に、ひとつのビルが建っていた。敷地面積としてはさほど広くもないが地上一〇階建て。隣接するビルと比較しても充分な存在感を誇っている。その一階エントランスには料金表と『カラオケ』の文字――そのカラオケボックスの一階事務室に彼女はいた。

 その面持ちは至って勤労的だが、彼女の着るTシャツの胸を横断する文字は『Workers are Losers』――あえて自分を皮肉っている――わけではなく、量販店で安売りしていたのをまとめて買ったうちの一枚だと本人は言う。ゆったりとしたキュロットを穿いているため油断しているのか、右ももはどっかりと左ひざの上に。さすがにここまで豪快に乗せてしまうと、裾から下着が見えてしまう。机の下ならば覗き込む者などありえないが。

 そんなラフな装いに対して、頭髪だけはしっかりと整えられている。背もたれにかかるロングヘアは元より、さらに目を引くのはバネのような両サイド。その縦巻きロールこそが、彼女の本質を示していた。 丘薙(おかなぎ) 糸織(しおり)――このカラオケボックスの『雇われ副店長』である。

 他業種での店長経験はあれども、当業種は初めてのこと。慣れないサービス業に頭を悩ませていると――コンコン、と扉が敲かれた。それで、彼女は画面隅に表示されている時刻に目を落とす。そろそろ出かける時間か。こちらの業務も大切だが――より大切な、彼女本来の仕事に向かわねばならない。

 この事務室は、従業員の休憩室の奥にある。ゆえに、休憩室の一部だと思っている者も少なくない。だからこそ、ノックがあった――ただそれだけのことで、来訪者の予測はつく。そしてそれは、案の定のメイド服――(ひのき)しとれであった。

 しとれが身に着けているのは、仮装でもカラオケボックスの制服でもない。趣味である。彼女はメイド喫茶で名を挙げた。ゆえに、メイドこそ自分の本懐であると信じている。現在着ている紺のメイド服はいわゆる普段着。他にも、ステージ用のきらびやかなものや、フォーマルに寄せた控えめなデザインまで一〇着近く保持しているらしい。先程までベストにブラウスのフォーマルな制服でカラオケのバイトに従事していたが、外出するためにあえてこのメイド服に着替えてきたようだ。

 頭頂近くから垂れるポニーテールを束ねている髪ゴムは飾り気がなく素っ気ない。だからこそ、カチューシャ状の真っ白なヘッドドレスが際立つ。これには、しとれのメイドとしての魂が宿っている、らしい。

 しとれも糸織もこのカラオケボックスに住み込みで働いている。なお、他にも多くの従業員たちが寝泊まりしており、地上九階フロアは実質居住区となっていた。なお、無許可であるため、名目上は休憩室となっている。

 そして、しとれにとってもカラオケボックス従業員は仮の姿。これから()()で本来の仕事に向かうこととなる。

「糸織さま、そろそろリハーサルのお時間ですよ」

 実際のところ、糸織は()()()()()の事情から、様付けされることはあまり好まない。だが、メイドキャラがキャラ付けのために万人に対して様付けしているだけだと理解して、あえて許容している。糸織の口調も、ある種のキャラ付なのだから。

「せやな、ウチもそろそろ出ようと思っとったとこやけど……」

 店長的な立場であっても、糸織の生活は他の住人たちと変わらない。

 ノートパソコンをログオフしてひょいと椅子から降り立つと、しとれと比べて副店長のちんまりとした幼児体型がより際立つ。だが、しとれを見上げることなく、視線は部屋の隅へ。そこには少々無骨な男性ものにも見えるボストンバッグがドスンと陣取っている。ファスナーは開いており、中からはみ出しているのは、まさにいま糸織が着ているのと同じものと思われるシャツの端のようだ。

「ランドリー寄ってってええか? そろそろ 洗濯物(せんたくもん)も溜まっとるさかい」

「構いませんが、でしたら、私もまとめてきます。少々お待ち下さい」

 メイド服を着ているしとれではあるが、本当にメイドとして勤務しているわけではない。なので、家事は各々自身で。しとれの退室を見届けると、糸織は自分の鞄を肩に掛けた。

 

 最近できたばかりの新設のスパ――そこから徒歩数分のところに行きつけのコインランドリーはある。新歌舞伎町たるもの、旧型の機材では防犯対策に不安が絶えない。結果として、綺麗な最新型が取り揃えられている。

 そこに衣服を放り込みながら、糸織は隣のしとれを少し見上げた。

「そーいや、今日のリハはウチら三人だけやっけ」

「はい、授業のある方々は直接本番になりそうです」

 しとれは機械にプリペイドカードをシュッと差し込みながらそう答えた。

 今日の舞台は彼女たちの他にも五名ほど上がる予定となっている。それも、比較的若年組が。客層や治安を考えての編成ではあるが、その結果として、リハーサルに参加できない者も多い。よって、今日も半数以上が欠席である。とはいえ、彼女たちは『めいんでぃっしゅ』としての三人組で上がる予定だ。前後のつなぎは難しいものの、演目自体の確認だけなら申し分ない。

「ほんじゃ、大して時間もかからんし――」

 糸織は持参してきた袋のすべてをランドリーに押し込んだところで――

「し、糸織さま……」

 ()()はいまに始まったことではないので、しとれが驚くことはない。ただ、呆れているだけ。他の利用客がいるにも関わらず、糸織はTシャツの裾に手をかけ、頭の先まで抜き通すと他の洗濯物と同じようにその場でほいっと放り込む。ゆったりとしたキュロットを下ろし――スポーツブラも平然と。寄せて上げるほどの脂肪もないため、ワイヤーは入っていない。とはいえ真っ平らということもなく、ほんのりとした厚みの上にはちょこんと桃色に染められた突起が乗っている。その場にいた男性客たちは、その思い切った脱ぎっぷりに目が離せない。

 それを意識しているのかいないのか――構うことなく、糸織は最後の一枚――パンツまでもするりと太ももに沿って下げていく。胸は控えめだがお尻はしっかりしており、腰のくびれとも相まってれっきとした大人の姿だ。丸めた下着を洗濯槽に放り込むと、くるりとふたりの方に向き直った。他の客たちの期待に応えて、という様子はないが、そのふたつの胸の先と、股の間の割れ目に一斉に視線が注がれる。上半身は発展途上といった様相だが、下腹部に生えている柔らかな毛々は紛れもなく成人女性のもの。その薄さは梳いているわけではなく、彼女生来のものらしい。

 胸部も、股間も隠すことなく、腰に手を当て糸織は堂々と言い放つ。

「せっかくやし、そこのスパでひとっ風呂浴びてこうや。この時間なら空いとるやろし」

 ニカっと笑う糸織にしとれの返事は軽いため息だった。

「……まあ、構いませんけれど」

 ちらりと店内を覗き見ると、男たちはさっと自分たちのすべきことに手を戻す。だが、その動作は極めて遅い。時間を稼ぎ、少しでも長く事の成り行きを見守りたいようだ。

 そんな男たちの執着心を承知した上で――しとれもまた、メイド服を脱いでいく。いま着ているものはステージ用と異なり脱着も難しくないし、このように一般的な洗濯機で洗うこともできる。エプロンを外し、上着を脱ぎ――カップの大きなブラジャーは白。シンプルで飾り気はないが、濃紺のスカートとよく似合っている。何だかんだで、脱いだ後のことも意識しているようだ。例えメイド服で喜んでもらえたとしても、やはり期待しているのはその中身なのだと、しとれは重々承知している。ゆえに、その期待に応えるように。ショーツもまた抜かりなく、上と合わせて質素なもの。露骨に生地が小さかったり、レースやフリルで彩られていたりすることはない。メイド服の内側として、ここでもキャラを貫き通している。何より、まだここはあくまで通過点に過ぎない。下着そのものはじっくり鑑賞するものではなく、先の展開を焦らすもの、ということだ。

 背中に両手を回すと、男たちの熱気はさらに強くなってくる。そして、ブラを緩め、カップをこぼすと――言葉はない。けれど、歓喜の想いだけは伝わってくる。やはり、これこそがメイドとしてのご奉仕――だから、最後の一枚も脱いであげたい――ロングブーツにパンツの輪を少し引っ掛けながらも、踵の先まで抜き通した。

 人前で裸になることはやはり恥ずかしい。けれども、それで元気づけられ人たちがいるのなら頑張れる。何より、しとれ自身も勇気づけられているのだから。『めいんでっしゅ』――そして、この『TRKプロジェクト』のセンターを務める()()によって。

「それじゃ、早くいこうよーっ!」

 ()()がいつの間に脱いだのか――少なくとも、ふたりと共に入店して、ふたりと共に服に手をかけていたはず。にも関わらず、男たちは彼女が突然現れたかのように感じられた。ゆえに、どんな下着を着けていたのかも思い出せない。だが、確かに彼女はすでに一糸まとわぬ姿となっている。

 その胸は大きい。だが、しとれと比べれば同じようなもの。胸の先の温かみは少し控えめで、色薄く、輪郭も小さい。だからこそ、その蕾がよりはっきりと意識されるのかもしれない。腰はすらりと細いがモデルほどではなく、下腹部の膨らみもあくまで一般的なもの。だからこそ、誰もの目を引くのかもしれない。どこにでもいるような女のコが、目の前で裸になっているのだから。

 髪の色は少し茶色がかっている。だが、それが自毛であることは足の付け根を見れば明白だ。眉の下あたりで真っ直ぐ切りそろえられた前髪は少し幼い印象を受けるが、その身体つきからもしっかりと大人であることは疑いようもない。

 だが、彼女を最も輝かせているのは、紛れもなくその笑顔だろう。それまでも、ニコニコと楽しそうではあったが、裸になった彼女は――恥ずかしそうに少し頬を染めながらも、どこまでも活き活きとしている。その内に秘める情熱を抑えきれないほどに。

 だから、糸織は平然と裸になることができる。何故なら、すべての視線はあのセンターが持っていってしまうのだから。

 そして、しとれにも後ろめたさはない。その堂々たる姿は尊敬に値し、彼女と並べるのであれば、むしろ誇りさえ感じられる。

 そんなふたりの想いはさておき――当の本人もまた、男たちの想いは感じていた。それは、店の中だけでなく、通りを歩いている者たちの足さえも止めてしまうほど。

 胸の中に熱いものがこみ上げてくる。だが、ここで見世物になっている場合ではない。

「はい、それでは行きましょうか」

 店舗の外はまだ夕方前であり、人々の往来は多い。それでもしとれは止めることなく、ふたりに出発を促す。

 その様子は、まるで静かな 水面(みなも)をボートで切り裂いていくかのように。賑やかながら平穏だった街並みが、彼女たちを中心にざわりと色めきだつ。三人の様子はあくまで日常的なもの。だが、何も着ていない。なのに、ハンドバッグだけは持っているあたりが異様であり、ある意味幻想的でもある。そんな彼女たちの姿に誰もが目を疑わずにはいられない。その行く手を遮る者はなく、誰もが自主的に道を開けていく。

「それにしても、あまりあのランドリーで裸になるのは……」

 しとれは、まだこのような行為に慣れていないらしい。つい、糸織の胸先を意識して、そこに向けて話しかけてしまう。その視線を糸織は堂々と受け止めながら悪びれることなく答えた。

「せやかて、スパに一番近いんがあの店やし、どーせ脱ぐならついでに最後の一枚まで洗っときたいやん」

 しとれの言い分は糸織にもわかる。あまりこのようなことをしていては、店側に迷惑がかかるかもしれない、ということだ。

 しかし、ふたりの間を歩いていた彼女は、そのあたりの事情も聞いている。

「大丈夫そうだよー。おかげで自販機の売上も倍増してるって」

 本来の利用客はもとより、彼女たちがやってこないかと飲み物で一服して時間を潰す者も多いらしい。それだけでなく――ふと通り沿いの喫茶店の方に振り向くと、窓際の席の男性客と目があった。彼らは彼女たちが通りがかることを期待してお茶していたファンたちである。このように、女のコたちが現れる場所は、何かと潤っているようだ。

 それでも、カメラを向ける者はない。その本業を知る者ならば当然の配慮として、知らない者たちにとっても――これが何かヤバイ事務所の企画撮影だとしたら――女のコが裸で出歩いていたとしても、ここは危険な街なのである。

 だからこそ、その目に焼き付けておきたいと願うのか――男たちの瞳にはより一層の力が篭もる。そんなみんなに――聴いてもらいたい――見てもらいたい――!

 何気ない歩調はトントンとダンスのステップに変わっていく。

 両腕の動きもゆらりゆらりと大きくなり、その動きに合わせて揺れる胸に、揺れるお尻に、誰もがのめり込んでいく。

 しかし。

「ここで唄ったらあかんで。収拾つかなくなるわ」

 きっと、ミニライブの規模になってしまうことだろう。アカペラであっても、彼女の――正確には、()()()()()()()()()()()()()()()の歌声にはそれほどまでの力があった。なので、糸織は唄い出す前にやんわりと止めざるをえない。

「むぅ、残念」

 誰にも聴いてもらえなかった歌々がある。

 裸にならねばこの歌声は出せないが、裸になれる場所は多くない。

 ずっと、誰に聴いてもらうことなく、それらはひとりで消えていった。

 

 しかし――

 

       ***

 

『~~~~♪』

 このステージならば、唄いながら裸になっても良い――何故なら、ストリップ劇場だから。男性客に囲まれて胸を、お尻を、股の間まで開示する――いまでも、少しは躊躇する気持ちがないこともない。けれども、上着を脱ぎ、スカートを下ろしていくと、膨らんでくるのは高揚感。

 ここに辿り着くまで、自分の歌は誰にも聴いてもらえないと諦めていた。みんなが歌を聴いてくれる場所に、自分が立つことはできない、と。

 彼女は脱がなくては唄うことができない。踊ることもできない。手足は縛られ、喉は締め付けられる――下着一枚であっても、その感覚はその身を苦しめ続ける。

 だが、こうしてすべてを解き放った後ならば――

『~~~~♪』

 ストリップという性質上、流れとして少しずつ脱がねばならない。他のユニットは大サビに向けて一番・二番と少しずつ進めてゆくところ、この三人の振り付けは最初のサビで脱ぎ終える特急仕様だ。それでも、そこまでは完全にふたりに頼り切りになっている。

 だからこそ、そこからは――!

 糸織もしとれも美しい。それでも、中央に位置する彼女の存在感の前では霞んでしまう。

『全裸限定の天才アイドル』

 ――それが、 蒼泉(あおずみ)(あゆむ)の通り名であり『TRKプロジェクト』の発端でもあった。

 

 紆余曲折あって、彼女たちはメンバーを二十六人集めることを目標としている。現在はちょうど半分となる十三人。未だ道半ばであるだけでなく、この人数ではまだ外部の踊り子にも頼らなくてはならない。それでも、だいぶローテーションも安定してきた。若年層のファンも増え、劇場も賑わってきている。

 とはいえ。

 劇場の外でまでこのような行為に到れるようになったのは、本当に数日前のことである。『 萩名(はぎな)の乱』――界隈の者たちにそう呼ばれる事件により、彼女たちはこの街における極めて特殊な立場となったのだった。

 

       ***

 

 一度規制によって締め付けられた文化は、開放されてもそう簡単に戻るものではない。かつては都内にも何箇所か建っていたストリップ劇場だが、二十一世紀末となる現在はこの新歌舞伎町の一軒を残すのみである。

 その控室の一角をパーティションで区切った応接室は、異様な空気に満たされていた。それを発しているのはひとりの女性。ブラウスの上からグレーのジャケットを羽織り、それに合わせるのは膝上ながら品の感じられるスカート――あくまで標準的なビジネスシーンである。

 そのはずなのだが。

「この度は、()が無理を強いてしまい、申し訳ありませんでした」

 ソファに座ったままではあるが、彼女は深々と頭を下げる。その仕草、その物腰に一切の棘はない。それでも――その存在だけで、相対する者を萎縮させてしまう。

「い、いえっ、お気遣いなさりませんよう……っ。今回の応募は、正規の手続きを踏んだものですし……」

 彼はプロデューサーとして何とか平静を保とうとしているが、さすがに焦りの色は隠せない。正面に座っている彼女がその気になれば、この劇場を一瞬で吹き飛ばすことができる――そんな破壊力を有しているのだから。

 TRKのメンバーたちもさすがに入室することは憚られ、廊下で中の様子について議論している。しかし、想像の域を出ないため、実りのあるものにはなりそうもない。

「ふぅん、 赤落猫(あかおちのねこ)関ってエッチな動画に詳しいんだねぇ」

「これから、まこさまのことは『AVマイスター』とお呼びしましょう」

「てかアンタたち、なんで自分たちの業界のこと知らないの!?」

“赤落猫”とオリジナルの四股名で囃し立てるのは、同じくメンバーの 駒辺(こまべ)(けい)。その隣で、丁寧な口調ながらしっかりと話に乗っているのはしとれ。 萩名(はぎな)という苗字だけで、来訪者が大手AV会社の――実際はAVだけに留まらないのだが――その社長令嬢であることを看破したまこに対して、向けられたのは尊敬ではなくAVに詳しいというレッテルだった。

 赤落猫の本名は 天菊(あまぎく)まこ――彼女は直近に加入した最後輩にあたる。ゆえに、一日でも早くメンバーに追いつこうとアダルト動画から性的な魅せ方を学ぶだけでなく、どこかで会う可能性のある関係者についても熱心に予習していた。しかし、現場を越えて企業の上層部までいくと些かマニアックだったかもしれない。

「私も()()()()は日夜拝見させていただいておりますが……なるほど、なるほど。スタッフやスポンサーまで押さえているとは、まこさんの特訓は一味違いますね。勉強になります!」

 メンバーの中では比較的古参の 晴恵(はるえ)は、特訓熱心な新メンバーに感心している。だが、まこの方は褒められている気がしない。

「うぅ……AVマイスターとかゆーなら(もも)の方が観てるでしょーに……」

「そりゃー観てるけどねー、まこにゃんほどマニアックな観方してないもーん」

 ぐいっと胸を張って一歩寄れば、頭ほどありそうな巨大な丸みがもゆんとまこを後ろへ押し出す。そのサイズは一〇七のJ。異性はもとより、同性であっても意識せずにはいられない存在感だ。ゆえに、そのブラジャーはプロジェクトによる特注モノ。ただ、個人に合わせて作られただけにどんな服より着け心地は良いらしく、トップスを羽織ることなく下着丸出しで雑談に興じていた。それもまこの目のやり場を悩ませている。

 まことて背の高い方ではないが、桃の背丈は糸織と並んでメンバー最小クラスだ。ふにふにと揺れるツインテールに垂れ目気味のぼんやりとした瞳。そんな幼気な顔つきの女のコがとてつもないボリュームを胸にぶら下げて迫ってきては、まこも思わず後退ってしまう。

「マ、マニアックゆーな!」

 実際、桃の方が鑑賞本数は多い。それどころか、すでに何本ものアダルト動画を配信している。かつて、悪い男とつき合っていた頃、本人に無断で販売されたものだが。それほどまでのアドバンテージを有しながら、何故かまこの方がマイスター扱いされてしまう――そこが彼女の要領の悪さであり、また、ファンやメンバーから愛されている所以でもあった。

 さて。

 劇場の控室はいわゆるたまり場として機能しているところがあり、自然と人が集まってくる。そして時間が来れば、そのままステージのための準備が始まるはずだ。しかし、定刻にはまだ早い。早いはずなのではあるが――彼女たちの色とりどりなコスチュームはまるでステージ衣装――というより仮装。一般的なファッションとは程遠い。

 しとれはいつものメイド服――テカテカと明るく照り返す緑の生地は、メイド喫茶の従業員のようだ。

 一方、慧は――メンバー全員を四股名で呼ぶだけのことはあり、その襟首で束ねた後ろ髪を持ち上げて少し高めに束ねた髪型は力士の()()を意識しているのかもしれない。だが、その姿はそれ以上に力士そのもの。ただし、それは女子相撲のものではない。女子の相撲は水着の上から廻しを着けるが、彼女は男子のように素肌の上から――ゆえに、力士のように豊満な胸――だが、その乳頭は男子よりも明らかに色鮮やかであり、ぷくりとした乳首も大きく人の目を引く。両腕両足、腰回りはむしろ一般的な同年代の女子よりほっそりしているがゆえに、逆に際立っているといわざるを得ない。だが、これが慧のこだわりであり、ゆえに女子相撲と相成れない理由でもあった。とはいえ、本人も自分の方が邪道であると認めており、相撲とは別物である『おすもうプレイ』と切り分けているとのことではあるが。

 さらに、晴恵に至ってはその廻しすら着けていない。劇場の廊下で全裸である。いや、正確には全裸ではない。柴犬の着ぐるみの頭だけはかぶっている。

 元来、晴恵は水着どころか一般的な洋服すら『身体の線が見える』と恥じらっていた。しかし、プロデューサーとの出会いをキッカケに、()()()()()()()()()だと気づいたのである。もしかすると、それまでの異常なほどの服に対する抵抗感は、異常なまでの裸身に対する関心の裏返しだったのかもしれない。無自覚ながら、裸になることで高揚するらしく、『特訓』と称して何かと脱ぎたがる。いまもこのような全裸マスクで――着ぐるみの頭をマスクと呼べるかはさておき――館内を出歩いているようだ。とはいえ、まだ外は()()()()も多く往来している時間帯である。よって、住居から劇場までの五分ほどの道のりは身体の線が出ない大柄な柴犬の着ぐるみで来た。しかし、劇場に着くと頭だけ残して胴体を脱いでしまうのである。その中には何も着ていない。胸も薄めで、日々筋トレを欠かさないため引き締まった――本人は全然筋肉が足りない、と気にしているようだが――それでも、顔さえ隠していれば胸の先から股の割れ目まで晒しても恥ずかしくないどころか清々しい気分になれる。それが 園内(そのうち) 晴恵(はるえ)の性癖であった。

 メイド服に廻し一丁にブラ丸出し、挙げ句には全裸柴犬頭――それと比べれば、まこの装いは極めて一般的――と呼ぶにはあざといフリルやレースがややガーリーといえるが、この中で比べれば一般的である。にも関わらず、特異でマニアックな格好の女子たちにAVの達人かのように扱われることに、まこは得心がいっていない。

 とはいえ、彼女たちはストリッパーであってAV女優ではないのもまた事実。

「自分たちの業界ゆわれても、ウチらAVは 出演()とらんで」

「えっ、そうなの?」

 メンバーの出演作はすべて目を通しておくべきだろう、と視聴しておいたのだが、糸織から一蹴されてしまった。

 糸織は、スパへ寄る際に全裸で出歩くこともあるが、いまは普通に英字プリントのTシャツとハーフパンツである。このメンバーの中では最も一般的といえるかもしれない。ただし、キャラクターのシルエットという形で記号化はされているが、実のところアニメTシャツであり、印字されたアルファベットも作品タイトルの洋題である。これもまた、安売りで買ったものらしい。

 そこに続いて話に加わろうとしているのは、大きなシニヨンを結った落ち着いた雰囲気の 崎乃平(さきのひら) 花子(はなこ)

「あー…もしかして、あたすのビデオ観たん? アレは、ここに入る前に悪い事務所に騙されて撮ったもんだべ」

 地方から出てきたばかりのため、まだ故郷の訛りが抜けていない。それでも、その佇まいからはメンバー最年長としての貫禄を感じさせる。だが、カラオケボックスのアルバイトから直接来たらしく、制服のレディスーツの上から割烹着という着こなしであり、これではどうにもキマらない。それに、メガネのフレームも厚ぼったく、きちんとオシャレなデザインのものにすれば可愛くなるのに、と周囲からは思われている。

 だが、花子はその眼鏡でビデオにも出ていた。何故なら、田舎娘がアイドルを目指す、という内容だったからである。騙した事務所についてはすでに取り潰されており、当然配信・販売も停止済み。ただ、本人が記念にとディスクのひとつを事務所で保管しており、それをまこが借りて拝見したようだ。

 動画のことを思い出して、まこはわかりやすく赤くなる。

「うー……あのくらいならあたしにもできると思ったんだけど……」

 水着とはいいながらも、その布面積は胸の赤みが隠れるか否かというほど。股間の方も割れ目に食い込んでいた。それでも、一度人前で水着から全裸に剥がされた事故に遭っているためか――隠すべきところは隠しているし、今度はちゃんと毛も梳いてるし、とややズレた安心感から、自分でも似たような水着を用意してみたらしい。室内での着用には成功したので、今度は動画のようにそのまま散歩にも挑戦してみよう、と密かに意気込んでいたようだ。が、やらなくて良かった、とまこは内心ホッとする。

 と、いうことは――と、桃は楽しげな推測を見出した。

「相手はエッチビデオのお偉いさんでしょ? もしかしたら、そっち系のお仕事の話とか!_?」

 それはとんでもないこと――という拒絶の色はなく、桃はむしろワクワクしている。かつて、元彼によって無断で売られたことはあったが、撮影自体はむしろ好きだったらしい。

「それも、ネタ色のライブネットやさかいなぁ。せやったらウチも同席させてほしかったわ」

 糸織は元々ネタ系のアダルト動画を自己配信していた経歴がある。ライブネットによる撮影であれば、むしろ歓迎できる可能性が高い。

 にも関わらず――肝心のプロデューサーは、この手のことに及び腰だ。メンバーたちに無理はさせられない、と無難なヌードでお茶を濁したりしないだろうか、と気を揉んでいる。

 そういう意味もあり、しとれは様々な意味で心配になってきた。

「相手は女性ということもありますし……店長ひとりで対応するのは荷が重かったかもしれません」

 プロデューサーが女性に対して強く出られないのは、彼を知る者なら誰もが察している。いま頃、おかしな方向で話がまとまりかけているかもしれない。

「んっふふー、だったら、次からはあたしが秘書役としてPクンの営業に同行してあげよっかな!」

 と大きすぎる胸を張る。自分がついていれば、押すべきところと引くべきところの助言ができるし、何よりエッチで楽しい話がたくさん聞けそうだ。

「次もそういう相手だといいね」

 と他人行儀に慧は水を差す。ただ、秘書役自体は必要ではないか――誰もがそう考えざるを得ないほど、プロデューサーの女性との接し方に致命的な弱点があることは否めない。

 そんな井戸端会議は、当事者の登場により終わりを告げた。ガチャリとドアが開かれて、メンバーたちは一斉にそちらへ振り向く。

「皆さん、ここで一体何を……?」

 廊下に出てきたプロデューサーは、集合には早すぎる面々に淡々と問いかけた。そして、彼に続いて退室してきた令嬢もまた同じく。婦人の裸であれば自社パッケージで見慣れていた。しかし、メイドや下着はともかく廻しに犬頭――これは、初めて見る()()()()だ。制作側としての興味は尽きないが、今日はそのために来たのではない。

「この中に、ユニットのセンターを務めていらっしゃるかたはおられますか?」

 その一言に、一堂はビクリと身を竦ませる。それは、彼女がこの界隈を牛耳る力を持っているからではない。その育ちがそうさせるのか、一挙一動に周囲を平伏せさせる圧を孕んでいる。ゆえに、メンバーたちは皆そろって何も言えない。

 ()()()()であった糸織を除いて。

「ウチがセンター……と言いたいところやけど……呼ばれとるで、歩はん」

「え? え?」

 正直、()()の歩を令嬢の前に出すのは気が引ける。ここへもみんなと一緒にくっついて来たが、結局賑やかな様子を輪の外から静かに眺めていただけだった。そしていまも、完全に浮足立っている。これがリーダーか、と安く見られるかもしれない。本人がいなければ糸織自身がセンター代理として交渉に出ても良かったが、残念ながら本人在席である。とりあえず、前へと引っ張り出してみたが、オロオロした様子には不安しかない。

 そんな小さな女のコに向けて、来訪者は丁寧に頭を下げる。

「この度、TRKプロジェクトに参加させていただくことになりました、 萩名(はぎな) 里美(さとみ)と申します」

 里美の一言一言が周囲に対して激震を与える。TRKに参加――? まさか、令嬢本人がステージに立つはずもないので、スポンサーとして後ろ盾になってくれるということ――? 歓迎の言葉を返そうにも、その真意がわからない。ただ、プロデューサーの顔つきはみんなで仲良くしてほしい、という表情ではなさそうだ。むしろ、全力で警戒しており、何か問題のある言動があれば、すぐさま止めに入りそうな構えである。

 里美もそれを感じ取っているからこそ、この場で話を進めようとはしない。とはいえ――自分の前にセンターとして押し出されたのは白いシャツに淡桃色のカーディガン、薄橙のミニスカート――服の色合いからしても消え入りそうな希薄感だ。噂話には得てして尾びれや背びれが付く。全裸で街中を疾走した上に、ビルの屋上から飛び降りても傷ひとつなく、さらにはそのまま路上ライブまでやってのけるほどの胆力――その片鱗などはまったく感じられない。だが、新歌舞伎町の三大勢力・ファンムードの一角である金山プロデューサーを摘発したのはこのグループのセンターを務める女性だと聞いており、それは根も葉もない噂話などではなく、それなりに裏を取った調査報告である。何か事情があるのかもしれないが、本人の口から聞いた方が手っ取り早い。

「せっかくお近づきになったのですから、貴女とふたりでお話したいことがあるのですけれど」

「え? わた、私と……ふた……っ?」

 このままでは呑まれる――だからこそ、糸織はひとつの賭けに出た。

「里美はん、せっかくやし……裸の付き合いでもしよーや」

「と、申しますと?」

 糸織の素っ頓狂な申し出に対しても、里美は動じることなく応じる。

「近所にスパがあってな。そこで話そうっちゅーことや」

「なっ……!?」

 真っ先に驚愕したのは、彼女たちの責任者であるプロデューサーだった。萩名令嬢に対して何と失礼なことを……っ!

 だが、糸織は何も言わずに、さっと腕を伸ばして彼を制す。面接と称して応接室で何を要求されたのかは知らない。だが、その直後にメンバーのリーダーとふたりになりたい、ということは、プロデューサーとは合意に至らなかったということを意味する。ライブネットとの敵対は絶対に避けなくてはならない。ゆえに、これが唯一の突破口になるはずだと糸織は信じていた。

 

 さて、スパといえば公衆浴場である。だが、萩名の力をもってすれば、一時間ほど貸し切ることなど造作もない。

「あ、あれぇ……? 誰もいない……?」

 静まり返っている脱衣所に、歩はポカンと口を開けている。

「はい、ふたりだけでお話したかったので」

 彼女たちが入室したところで、表には『清掃中』という看板が立てられているはずだ。

 公の場に引きずり出せば、第三者も立ち会うことができるかもしれない――それも糸織の狙いだったが、想像を上回る萩名の権力によって阻まれた。プロデューサーもそれなりの育ちであるはずなのだが、そもそも彼は女性に弱腰なところがある。糸織はかつて彼に男らしく助けてもらったこともあるが、今回ばかりは頼りない。いや、相手が女だからこそ、女の手で解決しなくてはならないのだろう。

 そして、糸織が見たところ、あの場で里美と対等にやりあえるのは自分だけだった。しかし、里美はその思惑を察した上で 隔離(パージ)する。これは、糸織を警戒したからではない。ただ純粋に、見定めたかったのだ。自分が与するユニットのリーダーの器を。

 しかし、歩にはそのあたりの事情がまったくわかっていない。ただ、糸織がスパへ行けと言い出した理由は何となくわかる。少なくとも、あのままでは何も言えなかったに違いない。

 話せる時間は限られている。ふたりは何となく、それぞれ左右対面のロッカーへ。しかし、そこからの歩の脱ぎっぷりは極めて迅速に。カーディガン、シャツ、そして、スカートと中のパンツは合わせて。靴下もついでに指で引っ掛けながら。そしてブラも取り、丸めてロッカーに押し込み戸を閉めた。貸し切りなのに鍵をかけるのは令嬢を疑うようで失礼かとも思ったが、あえていつもどおりに。

 振り向くと、里美はまだ上を脱いだだけで、スカートに手をかけているところだった。その脱ぎゆきが遅いわけではない。歩が急いていただけだ。もしダメそうなら、早めに援護を呼ぶために。

 里美は背後からの視線には気づきつつ、そのままスカートを下ろし、下着姿になったところでふわりと振り向く。ブラジャーの形状は決して扇情的ではなく機能重視。それでも、最低限のデザインは配慮されており、縁にはレースが施されている。服の上からはそれほど目立たなかったが、胸の肉厚はカップから溢れ出しそうだ。そして里美は、それを惜しげもなく開示する。背中のホックを外すと、たぷんとその中身が顕になった。

 その表情を観て、歩は断ずる。

「里美さん、()()()()()()()は?」

 たったその一言で――里美の瞳は輝きを増した。しかし、そこは令嬢である。目に見える形で浮かれることはなく、くすりと笑うように口の端を上げて。

「嗜み程度に」

 しかし、それは令嬢としての嗜みである。準備はできていると考えて良さそうだ。つまり、彼女は最初からそのつもりで来たのである。決してマネージャーとして新興ユニットを牽制するためではなく――自ら、舞台に上がるために。

 

       ***

 

 ファンの間で『お風呂会談』と呼ばれるこの話し合いは予定の一時間できっちり収められた。里美はまだ語り足りないようだったが、定刻に合わせて闖入者が現れたのだから仕方がない。だが、入浴前から里美の方向性は決まっていたのだろう。だからこそ、その()()は滞りなく実行された。

 このときのことを里美は『初めて話の通じる相手と出会えた』と表している。だが、決してプロデューサーとて話のわからぬ堅物ではない。そんな彼をもってしても、里美の提案を受け入れることはできなかった、ということだ。それほどまでに壮大で、かつ無謀ともとれる方向性――ゆえに、ファンたちだけでなく、新歌舞伎町の関係者たちからも『萩名の変』と呼ばれるこの事件が起こされたのだろう。それはまさに、プロデューサーに対する直訴そのもの。これが、メンバーの総意であるとして。

 だが、後に里美はステージで語る。本当は、父の意向を逆手に取った――ただの自己実現であったと。

 

       ***

 

 どうやら最初から、糸織は時が来次第浴場に飛び込むつもりだったらしい。圧力という名の約束であった一時間が経過したところで、スパの管理人は女湯の前に立てていた『清掃中』の札をすぐさま撤去した。それと同時に糸織は脱衣所に滑り込む。聞こえてくるのは和やかな声色であるため、一先ず揉めてはいないらしい。けれど、戦力はひとりでも多い方が良いだろう。

 そのまま服を脱ぐことなく、ガラリと浴室の扉を開いた。それまで楽しげに話していたふたりは、ハッと言葉を止めて着衣の小さな入湯者に注目する。

 どうやら、それが里美にとってのトリガーとなったらしい。

「歩さま、先程お話しました件ですけれど」

 堂々と入室してきた糸織の姿を見て、里美は歩に進展を促す。

「何やオモロイ話しとったみたいやけど、ウチも一枚噛ませてもらってええかいな」

 てっきり歩が何らかの圧力をかけられているのかと思ったが。

 実際、ある種の圧力ではあったのだが。

「構いませんわ。ただ、そのまえにひとつ確認したいのですけれど――」

 令嬢の表情は、むしろ糸織のように。

「撮影のご準備はよろしくて?」

 あっさり第三者に情報提供するとした上、突如現れた自分に協力を仰ぐとは――それにより糸織もまた、里美のことを『話のわかる相手』として認識した。そして、撮影の準備、ということであれば――むしろ、なくてもすぐさま準備したことだろう。何やら、面白いことを始めようとしているのであれば、この波に乗らない手などない。

 

 その日はプロデューサーにとって試練の連続だった。

 彼がプロデュースしているのは、アイドルはアイドルでもストリップアイドルである。門戸を開いたところで、自らくぐろうとする女性はそう多くない。その数の少なさゆえすぐに気がついた。萩名の姓を持つ里美という名の女性の応募――住所もご丁寧に本社ビルのある中央区――これは、メンバー加入を装った事業干渉である。いつかは向き合わねばならないと思っていた。しかし、まだ早すぎる。対等な関係など結べようもない。

 プロデューサーは自分たちを過小評価していた。まだ、大手の目に留まるほどではないだろう、と。実際、事業規模としてはまだまだ小さい。だが逆に、そんな小さな劇場が新歌舞伎町の勢力図に影響を与える大きな一手を打ったのだ。たとえ、無自覚であったとしても。

 ゆえに、プロデューサーと里美の面談は終始噛み合わなかった。

 サンプルとして自撮りしたストリップ動画を見せようとする里美。

 何よりも、父親である萩名社長の意向を確認したいプロデューサー。

 ならば、とその場で脱ぎ始めようとする里美。

 それは勘弁してほしいと必死に頭を下げるプロデューサー――

 彼からすれば、里美は萩名社長からのメッセンジャーに過ぎない。実際、彼女は父からいくつかの伝令を承っていた。しかし、改めてそれを伝える必要はない。新歌舞伎町にまつわる情勢は予想の範疇を出ないものであり、社長からの要望も――アイドル活動は結構だが、己がストリップ劇場であることを忘れることなかれ――むやみに街の外まで活動を広げて、再び規制の手が伸びることを警戒していた。

 しかし。

 そんな父のやり方を、逆に娘は警戒する。秩序から生まれた人工的な見せかけだけの無秩序――それはこの街を停滞させ、緩やかな死へ向かわせるものではなかろうかと。

 それを阻止するため、我が身を犠牲にして――もし、目の前で脱ごうとしていた里美を止めなければ、()()()()()によってそこに本質はないと彼自身も気づいたはずだ。脱衣所で共にした歩のように。しかし、社長の娘を辱めたと知られれば、この劇場の存続自体が危うくなる。

 ゆえに、彼らは終始噛み合わなかった。

 とはいえそれが、彼がメンバーたちから慕われる所以である紳士性であり、また、限界だったともいえる。

 だからこそ、彼の目の届くところでは事態は進展しない――ゆえに、糸織は提案した。指名を受けた歩が最大限のポテンシャルを発揮できる会議の場を。だが、そこはどうしても男子禁制となる。彼とて、メンバーを信用していないわけではない。が、心配は尽きない。

 打ち合わせが終われば歩から連絡があるはずだ。そろそろステージも始まる頃合いであり、彼はいつものように舞台袖から会場を見守るつもりでいる。だが、今日ばかりは気が気ではない。何かあれば、すぐさま対応できる心づもりではいた。

 しかし――

「……ッ!?」

 スマホの着信を見て、彼はすぐさま凍りつく。発信者は予想外の相手。その内容も予想外のもの。まさに、あらゆる意味で。プロデューサーは驚愕をもって、己の認識の誤りを悔やむ。

 彼の動揺は傍から見ても明らかだった。それは当然、出番を待っていたまこの目にも。

「糸織から何かあった?」

「知っていたのですか!?」

「ううん、全然」

 今日の糸織は歩・しとれとの『めいんでぃっしゅ』ではなく、まことのふたりユニット『 AB-solute(アブソリュート)』として出演する予定だった。その相方が不在なのだから心配にもなる。もっとも、ひとりでもステージをやりきる自信はあった。根拠のない自信だとしても。

「知らないけど……きっと、何かやらかしたんじゃない? 行ってきていいよ。ここにいたって、プロデューサーがステージに出るわけじゃないんだし」

 口では頼もしいことを言いながらも、内心が顔に出やすいところはまこの欠点でもあり、美点でもある。

「いまから出れば……うん、あたしの出番、最後の方だし……」

 そんな不安そうな呟きのおかげで、プロデューサーは冷静さを取り戻す。まこは舞台で裸になることにまだまだ慣れていない。信頼のおける責任者には近くにいてほしいのが本音だ。それでも、あえて背を押している。それはただの強がりかもしれない。だからこそ、彼は期待に応えたいと思う。歩や糸織、そしてまこ――メンバーすべてに対するプロデューサーとして。

 

 糸織からの着信メッセージには、ライブ動画のURLと、これから向かおうとしている喫茶店の場所が記されていた。動画の方は招待制で、一般非公開であるため大事には至らない。だが、喫茶店は――それ以前に、そこへと至る道中は――!

 街の気配はざわついておらず、まだ事件にはなっていない。だが、時間の問題だろう。これから夕方にかけて賑わってくる直前の大通りを、彼は真っ直ぐに駆け抜けた。

 しかし、時すでに遅く――

「ちょっとちょっと、コレ、お金もらってるの?」

「いえいえ、ただの趣味ですから」

「あ……あははー……」

 まだ陽も暮れていない頃合いだけに、人通りは極めて多い。そのような時間帯に女のコがふたりで全裸行脚――さすがに通報は免れなかった。プロデューサーに動画を送っていたのは糸織だったが、その姿はすでにない。歩が警官の接近を察知して、事前にカメラマンの離脱を促していたおかげである。ゆえに、かろうじてただのストリーキングとなっていた。だからこそ、里美は堂々と趣味だと言い張っており、組織的な犯罪臭はない。もっとも、公然猥褻にはあたるが。

「ともかく、ほら……これ羽織って」

 警官は、持ってきていた毛布を里美の肩に掛けようとする。

 だが――すでにプロデューサーは()()()()()()()()()になっていた。

「そんなものを羽織らせるなんてとんでもない!」

 大胆にも、制服の公務員の肩を後ろからグイと掴む。何事かと振り返るも、そこにはスーツ姿の若者が爛々と瞳を輝かせていた。

「あなたたちは感じないのですか!? この……彼女たちの輝きを!」

 プロデューサーは里美をメッセンジャーとしか見ていなかったことを恥じる。父のために、無理をしているだけなのだろう、と。しかし、公衆の前で裸になり、押し付けられた毛布を背中に回してパっと広げる里美の姿は――腰の線から足の流れに至るまで意識された()()()()()()()()()

 プロデューサーがファンたちの前に出てくることはあまりない。だが、メンバーたちの言の葉の節々に現れる単語がある。<スポットライト>――それは、女のコが特定のシチュエーション――大抵は裸になったときに感じられるという光とのこと。プロデューサーはそれを察知すると、スカウトせずにはいられなくなるらしい。その光を人々に届けることが自分の責務である、という使命感をもって。それを、初めて里美の裸身を観たときに受け取ったのだろう。彼女のスタイルは申し分ない。ただ脱いだだけでも、その美しさに魅了される者は後を絶たないだろう。

 だが――このような表現は失礼にあたるが、プロポーションに優れた()()の女性なら、そう珍しい存在でもない。逆に、TRKのメンバーの容姿はまさに千差万別だ。しかし、それでもただひとつ共通するところがある。それは、誰もが裸になることで輝くということ。恥じらい知らずのオープンな女のコから、恥ずかしがりならも頑張っているコもいる。だが、そこに後ろ向きな気持ちは一切ない。

 だからこそ、輝くのだ。そして、その輝きを、里美もまた放っていたのである。それに歩も感化されたからこそ――くるりと身を翻す里美と背中を合わせると、その一枚の毛布を広げたまま受け取る。そして、さらに――ひらり、くるりと舞いを魅せた。即興であるにも関わらずそれは天女のように美しく――これが、ストリップアイドルのセンターを務める者の実力か、と里美は敬意を新たにする。同性からさえ憧憬の念を抱かれるのだ。それが異性であれば――道行く人々やプロデューサーだけでなく、咎めに来た警官さえをも魅了する。

 だが、逆に、だからこそ。

「おたく、どこかの事務所? 許可してるって話は聞いてないよ?」

 その動きは素人ではない。しかし、俗っぽい卑猥さはなく、ただのAV撮影ではなさそうだ。

 だからこそ、新たな輝きを前にしたプロデューサーの弁にも熱が入る。

「私は……彼女たちの輝きを送り届ける者です!」

 彼は彼なりに真剣だった。しかし、この状況でこれは良くない。それでは、自分たちが組織的にやっていると暗に認めるようなものだ。とはいえ、かろうじてその表現はぼやけている。だからこそ、まだ取り繕う余地もあった。

 少し離れたところから事を見守っていた()()()は、そろそろ頃合いか、と自ら取り調べの輪に加わる。一応の及第点は認めた上で。

「まぁまぁマッポさんよ、そんくらいにしといてもらえませんかね」

 スーツ姿だがノーネクタイで、口調は軽いが眼光は冷たい。その上、纏う空気には周囲を否応なく刺し貫くような鋭ささえ感じられる。プロデューサーにも、突如現れたその男と直接の面識はなかった。だが、その雰囲気だけで、一度資料で確認したプロフィールと記憶が結びつく。これが大物の貫禄か、闇の街の一角を牛耳る存在感か――ライブネットの代表取締役・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)、その人だった。

 警官たちも、この街の治安を守る者としてその顔は知っている。他の市民に対しては高圧的でも、絶大なる権力者に対して同じようには当たれない。

「しかしですね、町中でこのようなことをされては……」

「所業自体は褒められたもんじゃあねぇけどよ、さほど迷惑をかけてるわけでもねぇだろう。ほれ、店のオーナーもふたりの尻に釘付けじゃねぇか」

 親指でクイと背後のガラス戸を差すと、そこには店のロゴ入りエプロンを掛けた男がデレデレと嬉しそうに全裸の女のコたちを眺めている。何しろ、元々このような街だ。若い女性による露出行為程度では営業妨害になどなり得ない。

 むしろ、警察には別に対応してもらいたい事案がある。

「それより……三丁目のマンションの件、知らんのかい?」

「いえ、それは……」

「昨日も苦情があったそうだぜ。上の階から日暮れになると外国語の討論会が開かれてるってよ。こんな小娘ふたりより、そっちのがよっぽど治安に悪そうだぜ?」

 討論会、とは称したが、実際のところは多数集まっているというところに本質がある。新歌舞伎町のマンションの一室ともなれば――当然、警察もその情報は掴んでいる。ただ、日暮れ頃というのは初耳だ。その言が本当なら、そろそろ動き出す頃である。

「は、はぁ……」

 店のオーナーも大喜び、通行人も驚きつつふたりの女子に振り返る。そして、女子たちもそんな人々に笑顔で手を振り返し――この行為によって不利益をこうむっている者が誰もいない。

 そして、警官たちも暇ではない。むしろ、暇ではなくなるよう誘導されたのだが。

「我々はもう行くけど……キミたちはすぐに服を着てね!」

 里美たちに向けてそう言い残すと、警官たちは足早に去っていった。これで、少しは空気も和らいだかもしれない。肝心の大御所がいる限り、気が休まることはないのだが。

 兵哉はポケットに両手を入れたまま、少し顎を上げてプロデューサーと向き合う。

「さて、うちの娘をべた褒めしてくれたこたぁ嬉しく思うがよ、ちょいと真っ直ぐすぎんな。そんなこっちゃあ、この街ではやってけねぇぜ?」

 萩名里美の父であること――自らがライブネットの元締めであることを隠すつもりはないらしい。そして、娘を送り込んだくらいなのだから、相手の――プロデューサーの顔も知っている。

 お互いの立場を表明した上で、里美はあえてプロデューサーの隣に立った。

「ふふふ、その真っ直ぐさが、この街には必要ではなくて? お父様」

 アダルト関連事業のトップとその娘である。全裸で相対していてもまったく動じることはない。

「ふん、言ってくれる。それにしても……()()()()の輝きを届ける者……ねぇ」

 そこには萩名取締役の娘も含まれている。

「オメェにそんなことしろと言った覚えはねぇんだがな」

 当然、父の意向は外部顧問としてTRKというグループが新歌舞伎町のバランスを崩さないよう監視すること。だがしかし。

「わたくしには、わたくしの思惑がありますので」

 露骨に背いた娘に対して、咎めるような素振りはない。彼とて、娘が作品に自ら出演したがっていたのは知っていた。作品の主役は作品の中にいる。自分は外の脇役ではなく、主役になりたい――と。だが、本気にしていなかった。しかし、こうして本気を見せつけられたのである。

 そもそも、何故こんな街中に大企業のトップと偶然出会したのか――もちろん、偶然なはずがない。娘として、父のスケジュールにアクセスすることなど造作もない。この行為は、里美の中で予め計画にあった。ただ、いつ実行するか――歩と風呂場で思いの外意気投合したこと、そこに、悪ノリの代名詞ともいえる糸織が合流したこと、そして父が新歌舞伎町で商談を行っていたこと――それらが噛み合ったことによる突発的な強行であった。

 取締役の娘によるアダルト作品――組織内であれば恐れ多くて撮影など叶わない。また、他社であっても父の影響は免れないだろう。

 だが。

 兵哉は思う。自分の娘であると知りながら、このような違法行為を伴った撮影を敢行するほどの度量――娘本人が強引に押し切ったのかもしれないが――実際のところは、押し切るどころかプロデューサーには無断でやらかしていたのだが――ともかく、この新造グループであれば、自分の娘だからと萎縮せず、特別扱いもせず、里美の望みを叶えてくれるかもしれない。何より、本人が選んだ道である。

「……ふっ、娘のことは頼んだぜ」

 少なくとも、直ちに驚異になりえる勢力ではないだろう。ならば、我が子の好きにさせるのもまた一興か。

「ふふふ、娘を嫁に出す心持ちでございましょうか?」

 そっとプロデューサーの腕に自分の腕を絡める里美。あからさまに驚きを見せているのは照れや恥じらいではなく、里美による父に対する露骨な挑発行為に対して。だが、そこは親子である。

「バカ言うな。敵国に人質を取られたような気分だぜ」

 クヒヒと笑う兵哉だったが、プロデューサーは真っ青になって震えるしかなかった。

 

       ***

 

 里美からプロデューサーへの訴え――それは、低迷中の天然カラーズを吸収し、TRKプロジェクトが新たな第三勢力として決起すること。そのために、自分をストリップのステージに上げてもらうこと。父の傘下にない事務所への所属と出演――後戻りできない決別表明である。

 ただ、このような重い頼み方も良くなかったのかもしれない。無下に断ることも、承諾することもできずに、持ち帰って検討させて欲しい、という時間稼ぎ一辺倒の返事しかプロデューサーにはできなかった。それで、里美は第二次プランに移すしかなかったのである。

 ゲリラ露出に全裸ライブ――それを父と衆目の前に見せつければ、自分の意志が公のものとなる――それが、TRKリーダーと共にあればできると信じていた。歩にそこまで重い決意があったわけではない。ただ、脱衣所で里美の脱ぎっぷりを見たとき――この人も、ステージに上がりたがっている――そう感じただけだった。自分が自分の舞台を見つけたように、里美にも同じ景色を見せてあげたい――ただ、それだけのことだった。なお、糸織の動機は本当にただの悪ノリである。

 さて。

 こうして、TRKのメンバーはライブネット・萩名取締役の後ろ盾を得て、白昼堂々と全新歌舞伎町内を裸で往来することが認められた――わけではなく、黙認されるようになった。もちろん、何らかの営業活動を行えば、直ちに警察も牙を剥くだろう。しかし、彼女たちは金のために脱いでいるのではない。そのような見返りを求めて肌を晒す女性が光り輝くことは決してないのである。

 とはいえ。

 萩名グループの社長令嬢がストリッパーデビュー――人々の認識は、まだその程度だった。自分の関係会社では自由に動けなかった小娘ひとりの暴走にすぎない、と。

 しかし、彼らが街の一翼を本気で担うつもりであると表面化したのは、その直後に発生した『メスブタ・ハンター・ハンター事件』がキッカケだった。

 


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