ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>> STAGE-CLIMAX!?   作:添牙いろは

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18話 古竹未兎

 突然のめいんでぃっしゅ解散宣言――ただしそれは、劇場公認というわけではない。だが、出演してもらえない以上、プログラムを組み替える必要はある。とはいえ、あの三人はこの劇場でも最大の人気を誇るユニットであるため、彼女たちが目当ての観客も少なくない。ゆえに、出演保証がないのでは、返金にも応じなくてはならないだろう。

 だから、というわけでもないのだが。

 非公式な解散から一週間後の公演――ホームページにはとある告知が追記されている。『驚天動地のスペシャルゲストがまさかの乱入!?』――ただ、その()()()()とは観客だけに留まるものではない。この劇場が、新歌舞伎町が、それどころか、日本全土を巻き込む騒動となるだろう。

 その中心人物をひと目見ようと、当日の劇場控室には十七人のメンバーが勢揃いしていた。不測の事態を考慮して、カラオケボックスは臨時休業――現場への入場も、動きを悟られないよう開幕一時間前に――今日のスペシャルゲストは、それほどまで厳重に扱わなくてはならない大物なのだ。

「ありがとうございます。アタシに、チャンスを与えてくれて」

 大物は、関係者に向けて丁寧に頭を下げる。テレビではハキハキサバサバとして、先輩たちにもタメ口で突っ込んでいたが、それはあくまでメディア用に作られたキャラクターだったらしい。

 太い縁に縞模様の入った大きなサングラスを掛けており、顔の半分くらいは覆い隠されている。ブラックジーンズのパンツを穿き、ダークブルーのTシャツは『IMPOSIBLE』の白地ロゴのみが入った地味なもの。それでも――芸能人の特性ともいうべきか、只者ではない雰囲気は確かに漂わせていた。

 ここまで来れば、もう変装は必要ない。眼鏡を取り、深くかぶっていたハンチング帽も脱ぐ。ステージではトレードマークとしていつもポニーテールにしていたので、髪が下ろされているというだけでも珍しい。それでも、誰もが知っている――一部、テレビを観ない(らん)などはよくわかっていないようだが――ほんの半年ほど前まで、数万人規模の会場さえ満席にする人気を誇っていたトップアイドル―― 古竹(ふるたけ) 未兎(みと)が、TRKの前に立っている。

  花子(はなこ)は、本物に会えて感激し、

 まこは、腰が抜けそうなほど恐縮し、

  紫希(しき)は、よく知らないけれどヤバイ相手だと直感した。

 お家柄から、そのような相手は初めてでない 糸織(しおり) 里美(さとみ)でさえ、無意識に姿勢を正している。

 一応、未兎は『ミトックス』のメンバーとしてやって来ていた。しかし、同メンバーであるはずのミカ、ミクさえもまるでアシスタントのように緊張している。

 このプレッシャーは、里美の来訪に匹敵するだろう、とプロデューサーは引き締まるものを感じていた。そのような人物の招致を実現させたのは、彼の隣で屹立するスーツ姿の眼鏡の女性――これまで、彼の付き添いは手の空いたメンバーが適宜行っていた。しかし、彼女が来て以来一任してもらっている――一任せざるを得ない圧倒的な事務能力――そして、補佐能力――彼女だからこそ、実現できたのだろう。 高林(たかばやし)(かすみ)――()()()()を起こした後、正式に前職を辞し、TRKプロジェクトにて彼の秘書を務めることとなった。

 しかし、プロデューサーとしては彼女を秘書だけに留めておきたくはない。何故なら、見出してしまったから。()()()()の最中に、<スポットライト>を。『自らステージに上がる気はないか』という問いに対しては、『その時が来ましたら』と答えるのみ。現状、スケジュール調整は彼女に任せているため、本人が納得してくれるまで待つしかないようだ。

「こちらこそ、ご足労ありがとうございます」

 霞もまた、ビジネスマナーに則って頭を下げるが、未兎の望んでいる関係はこのような他人行儀なものではない。ゆえに、顔を上げた未兎はニッと笑った。芸能人としてではなく、普通の女のコとして。

「……もう、こういうのはいいわよね。アタシたちこれから……()()()()()()になるんだし」

「「「!?」」」

 未兎は、これまで置かれてきた自分の境遇の特異さを理解している。普通の人たち――()()()()()()()()で生きてきた人たちにとって、自分はまさに別世界の人間だ。ゆえに、一度失敗している。その場のひとりとして馴染むことに。

 藁をも掴む低頭平身で加入を打診したミトックス――しかし、そもそも彼女たちは未兎のコピーバンドであり、本人の降臨は神にも等しい。最後輩のつもりで加入したつもりが、出会った瞬間に立場は逆転――この疎外感は尋常ではない。

 自分はもう、テレビ関係者ではなく、モニタのこちら側の人間――だから、新たに世話になるこの劇場ではせめて等しく――そう願っていたにも関わらず――見たところ、何人かは普通に接してくれそうだが、半数以上からはすでに距離を置かれている。肝心のプロデューサーさえ、動揺を隠しきれていない。これでは未兎も不安になってくる。今回限りではなく、TRKというアイドルプロジェクトに加えてくれるという話は、自分の勘違いだったのかと。

 ゆえに、霞はこの場で強引に話を進める。プロデューサーには通さないままで。

「問題ありません。不定期にはなりますが、古竹さんにはTRKのひとりとして、今後も引き続きこの劇場にて出演していただきます」

「しかし――」

 と口を挟もうとしたプロデューサーだったが、霞からのひと睨みで思わず言葉を止めてしまった。そして――これは、彼女の前職の上長・山田氏も手を焼いただろうな、と管理職として深く同情する。

 霞がここへ来てからまだ一週間に満たないが、彼女はメンバーだけでなくプロデューサーの気質をも適切に把握していた。女性を統べる代表者として、彼は女性に対して遠慮し過ぎる――それが、霞の出した結論である。だからこそ、今回の件は独断で進めてきた。許可を取ったのは、芸能界の禁忌とされている古竹未兎を出演させること――この劇場では撮影が禁止されているため、証拠を掴まれることはない。いまも未兎に圧力をかけ続けている 松塚(まつづか) 芸能(げいのう)がこの件を噂話として受け取り、どう動くか――その反応を見ることで打開策を探ってみる、という案だ。これは、TRKを表舞台に引っ張り出そうとしている PAST(パスト)プロデューサー 憐夜(れんや)(のぞみ)に対する牽制にもなる。松塚芸能との間でいざこざがあっては、テレビ業界へ進出などできようもないのだから。

 それはさておき――引退したとはいえ、古竹未兎はトップアーティストである。あえて脱ぐ必要もない。ただ唄うだけで<スポットライト>を放つことができるのはプロデューサーも感じていた。だからこそ、彼は彼女をこの劇場に上げる判断を下したのである。誰よりも唄いたがっているのに、唄うための舞台に立てない――そんな女のコを、彼が放っておけるはずもなかった。

 とはいえ。

 この劇場で唄うということは、裸にならねばならないことを意味する。女のコには敷居が高い。ゆえに彼も彼で、独自に代替案も検討していた。どうにか、カラオケボックスのミニライブ会場に上げられないかと。しかし、そこは間近とはいえ特区の外側。何かあれば松塚の手が直接下されかねない。だからこそ慎重に、何か抜け穴はないものかと模索していたが――第一案にてあっさりと承諾を得られてしまったのである。

 しかし、それはあくまで一回限りだから――彼はそう捉えていた。しかし、メンバーになるということは、今後も裸であり続けるということである。あの、古竹未兎が――?

 彼の脳裏には、いまも様々な心配事が駆け巡っている。だからこそ、未兎は感じた。 秘書(マネージャー)が橋渡しをしてくれたものの、自分はまだ、プロデューサーの信頼は得られていないと。歌ならば自信はある。ゆえに、危惧されているのは服の方か。

 ならば、それを証明するまで。

「それじゃ、早速だけど衣装を見せてくれる?」

「はい、こちらに」

 未兎からの問いかけに、霞は速やかに衣装掛けの方へとつま先を向ける。すると、その前にいた 朱美(あけみ) 春奈(はるな)は慌てて後ずさり道を開けた。霞は霞で、未兎とは別の意味で恐れられているらしい。そして、霞は指定の一着を取り、当人へと渡す。それをひと目見て、未兎はその滑稽さに思わず吹き出してしまった。

「チョーカーに腕袋にブーツだけって」

 他の出演者たちは――糸織とまこはフリルの強い揃いのガーリー、しとれと(もも)はメイド服、(ゆう)と里美はガールズロック――各々可愛らしい衣装を纏っている。だが未兎に渡されたものには決定的に足りないものがあった。装飾品は揃っているのに、トップスやスカートが掛かっていない。

「本来は曲の合間に一枚ずつ脱いでいくのがこのユニットの方針なのですが……」

 なお、外来のストリッパーたちは従来の流れに則り、ダンスショーと脱衣が切り分けられている。しかし、未兎はこれでもTRKのメンバーだ。

「悪いわね。すぐに新しい振り付けは用意しとくから」

 彼女のダンスはストリップを考慮されいない。ゆえに妥協案として――落ち着いたイントロではマントを羽織って静かに唄い、テンポの上がるAメロが始まると同時にそれを脱ぐ――わずか二段階のストリップ――霞からそのような要望を受け、未兎は受諾した。

 とはいえ。

 この姿で舞台に上がる――みんなの前で唄うためとはいえ――ちゃんと歌を聴いてもらえるのだろうか――いや、むしろ、ちゃんと唄うことができるのだろうか――結局、 吉坂稔(元カレ)とさえまだだったのに――お互い人気アイドルであり多忙を極めていたため、真っ当に一夜を過ごすことなく事務所に押さえられてしまったのだから。けれど、それで良かったと未兎は思う。第三者の言いなりになって別れ話を切り出してくるような根性なしが初めての相手だなんてあまりにダサい。

 むしろ、芸能界を敵に回しても自分を受け入れてくれた、この男にこそ――

 女性が着替え始めようとしている雰囲気を感じ、プロデューサーは席を外そうとする。しかし。

「待って」

 それを止めたのは、他でもない女性本人だった。

「ちゃんとそこで見ててくれる? 着こなし間違ってないか気になるし」

 しっかり見ていなさいよ。これが正真正銘、()()()()()()()()()なのだから――

 これに、まこが怖気づく。あの、天下の古竹未兎が自らシャツの裾に手をかけて――これ以上は見てはならない、とアイドルオタクは思わず腰が引けていた。

「そっ、そうだ糸織っ、そろそろ袖に行っとかないっ!?」

 しかし、そんな弱気な相方を糸織は一蹴する。

AB-solute(アブソリュート)は二番手やろ」

 このとき糸織は、未兎の空気に不穏なものを感じていた。それは、友に対して宣戦布告したことで鋭くなっていたからかもしれない。この女、どっかしらで()のことを――

 結論からいえば、それは糸織の考えすぎだった。少なくとも、この時点では。とはいえ、未兎の言葉にそれ以上の想いが込められていたことには違いない。それが何かのキッカケで彼の方に転べば、いつか――

 未兎が恥部をこのような形で晒すことに抵抗があるのは明らかである。もし、この場で着替えることができなければ、それを理由に力不足として叩き出してやる――ゆえに、あえてプレッシャーまでかけて。糸織は、徐々に顕になっていく胸元を凝視する。

 だが、未兎にそんな挑発を受ける余裕はない。初めて、男の前で――男に、自分の身体を見せるのである。同性の視線など気にしていられない。彼も彼で、目を逸らせない気迫を感じている。もし、無為に遠慮するようなことがあれば、未兎から叱咤を受けてしまいそうだ。ならば、それに応えた上で――誰と組んでもらうのが映えるか――それを検討するため、彼女の想いを受け止める。

 肩まで伸びる後ろ髪を襟口に通し、脱いだシャツは打ち合わせ用の机に軽く放った。もちろん()()()()()できたので、ブラは新品な上、汚れの目立たない黒。レースは自分のキャラに合わないと思い、控えめな白いリボンによって縁取られている。そして、上とお揃いのショーツも。とはいえ、このまますんなりパンツを下ろしていくのはまるでトイレのようで格好がつかない。これは、あくまでストリップなのだ。あくまで自己流、あくまで初心者。けれども、自分なりに。ジーンズのホックを外し、抱え込むように膝まで下ろしたところで、あえて上半身をもたげた。つま先の方には充分余裕もある。なので、ここからは手を使わずに――

 このようなパフォーマンスは、短くもない芸能活動でもやったことがなかった。けれども、うまくいった。そして、膝を高々と掲げたとき――()()()()()()()()()と確信する。いまはまだ落ち着かないけれど、本番になれば、きっと。

 右足が抜かれれば、左足一本はそう難しくない。思えば、水着はともかく下着を披露したことはなかったな、と未兎は思い返す。衣装もパンツルックが多かった。自覚はなかったが、スカートの翻りが危ういから、と言われて。別段そこに拘りはなかったので気にしていなかったが、いまでは当時のマネージャーに感謝しつつ――もう、パンチラどころではないな、と自嘲する。

 残るは二枚。未兎は背中に手を回すと、男の視線の先を確認する。ちゃんと胸に焦点は当てられているようだ。しかし、意外でもある。その眼差しは真剣そのものであり――初めてがこの男で良かった、と思う反面、もう少し嬉しそうにしてくれても、と物足りなさも感じる。けれど、それはきっと変わらない。こうして、カップを外したとしても。

 そして――未兎の予想通り、やはり変わらなかった。彼は純粋に、造形美として吟味している。未兎は肌の露出で売ってきたわけではないが、それでもステージに上がる者として日々スタイルには気を配ってきた。形を整える支えを失っても、その丸みは張りがあって美しい。頬の紅潮のように温かく染まる先はほんのりと優しい。ぷくりと突き出した小さな蕾もツンと彼の方を見据えている。

 初めて自らの胸を披露した未兎の鼓動は未だ収まりそうもない。男が冷静な分、自分だけが恥ずかしいことをしている、という意識に押し潰されてしまいそうだ。いますぐ両腕で隠したい。が、肩に力を込めて何とか耐える。

 未兎は、初めて舞台に立った六年前といまを重ねていた。それで、表情がぎこちなくなっていたことを自覚する。これは、新たな自分の初舞台なのだ。ならば、笑顔は絶やさずに。口元は上向きにできたが、見開かれた瞳は泳いでいる。

 このままでは耐えられない。早く次に進めてしまうため、残された下着に掴みかかろうとする。だが、その次に訪れるのはさらなる羞恥。何しろ、両サイドのリボンを解けば、簡単に崩れてしまうのだから。

 最初からそのつもりで、これを穿いてきている。自室でも練習してきた。足を閉じていてはうまくいかない。なのに、無意識に足を閉じ気味に構えていた。立ち位置を直すのってかっこ悪いな、と未兎はそちらを恥じる。本番では――音響とライトの中ではそうならないよう深く心に刻みつつ――足の開きを保ったまま、未兎は二本のリボンを高々と引き抜き――摘んだ両指をぱっと放す。

 ふわりと落ちた黒地の下着。その腰回りに残されているものはない。ならば、下は綺麗に剃っておいた方が可愛いのではないか、とも未兎は考えた。しかし、ステージの方針もあるし――何より、一度剃ってしまっては改めて生えてくるまで期間もかかる。なので、バランスが悪いところを整えただけ。これでいいのかはわからない。男も、何も言ってくれない。ただ、太腿の隙間をじっと見据えている。厭らしい雰囲気はないので、これから行おうとしていることが期待に応えることになるかはわからないが――未兎も一応ストリップについて勉強してきた。本来見えない股の間まで見せなくてはならないのだろう。どのようなシチュエーションになるかわからなかったので、何パターンか用意していたが、立ったままというのはその中で最も難しい。だからこそ、少し()()()()。自分ならできる、と信じて。

 それは、Y字開脚というほど華麗なものではない。腿は高々と持ち上げながらも、ふくらはぎは垂れたうさぎの耳のように。それでも、高度なバランス感覚と関節の柔らかさを要するため、メンバー内でもこなせる者は限られる。それを数日のうちに習得できたのは彼女が持つポテンシャルによるものだった。

 両足の付け根のその内側、ふわっと膨らんだ可愛らしい唇にひげは残っていない。だからこそ、彼女も堂々とこのポーズを取ることができる。ふぅ、と一息ついたところで我に返り、ついドスンと足を落としてしまった。詰めが甘いな、と未兎は反省する。そのすべてはもっと大勢の前に立ったとき――()()()()ステージで活かせばいい。

 もう脱ぐものはなく、あとは衣装を着るだけ。もっとも、両腕両足と襟元のみだが。それでも、この先躓くことはないだろう。ゆえに糸織も、一先ず未兎を認めることにした。

「……フン、まこはんイクで」

「う、うん……」

 めいんでぃっしゅの間に何があったのか、まこは知らない。しかしその日を境に、糸織の笑顔が()()()()なっている、と感じていた。早く本調子に戻ってくれないと、自分もやりづらい――糸織の底抜けな明るさがあるからこそ、まこも安心して頼れるのだから。

 未兎の初舞台は、一先ず終幕している。もし、ここで拍手でもされようものなら当人としても堪らなかっただろう。しかし、糸織が率先して場を離れたこと、そして、霞が柏手を打ったことで、新メンバーのお披露目はお開きとなった。

「はい、本番はもうすぐよ。みんな、準備して」

 AB-soluteに続いて出演者たちは本番へと向かってゆき、出演予定のない者たちは会議用のパイプ椅子に腰を下ろして歓談を始める。ようやく時が動き出したように未兎にも感じられた。これまで、自分のことで精一杯になっていたことを心のうちで詑びつつ、ずっと自分の後ろで直立していたふたりに声をかける。

「アタシはこれでイクけど……」

 TRKに加入するのは未兎だけだ。ゆえに、同伴したミトックスのふたりが脱ぐ必要はない。だが。

「もっ、もちろん我々もっ!」

()()さんと共にっ!」

 一応、ミトックスには『ミケ』という芸名で加入している。そう呼んでほしいと最初に頼んだから、ということもあるが――これは、彼女たちの決意に他ならない。

「だってこれが……ミケさんと一緒に演奏する、最初で最後のミトックスなんですからっ!」

 未兎が、自分のコピーバンドがあると知り、そこなら自分の正体を隠して唄えるのでは、と密かに混ざってみたものの――どこから情報が漏れたのか、ミケを加えた第二次ミトックスは、あらゆるライブハウスに出演を断られてしまった。なので、こうして一緒にステージに上がるのは初めてのこととなる。

 三人はミトックスとして活動を続けていくことも考えた。しかし、ここはストリップ劇場のステージである。ミカはともかく、ミクには脱ぎ続けていくだけの胆力はない。

 だから、これが最初で最後。

 ミカが果敢に脱ぎ始めている隣でミクは、ここは女子更衣室のようなもの、と思い込もうとするも――室内には堂々と男の人が混じっている。そんな、女のコたちの中からひとつの不安を、プロデューサーは汲み取った。

「高林さん、打ち合わせは外で」

 ここの女子たちは、男に裸を見せることを生業としている。プロデューサーが出ていこうとしても、むしろ引き止めるほどだ。にも関わらず、たったひとりのゲストのために――非常に甘い、と霞は思う。だが、相手は部外者だから、ということで納得し、彼女は彼に続いて外に出た。

 

 支配人室でも使えれば良さそうなものだが、そこでは()()()()が生活している。それに、本番が始まれば劇場の様子を見に行かなくてはならない――とプロデューサーは考えているが、それは秘書たる自分の努めだと霞も考えている。いずれにせよ、あまり長い時間は取れないため、立ち話で充分とした。

「松塚さんの方に動きは?」

 と、彼は尋ねる。松塚芸能――自社の()()に手を出した未兎を目の敵にしており、彼女と関わる者には秘密裏の制裁も辞さない――それを恐れ、関係者たちは完全に忖度している。だからこそ、霞は来た。いずれにせよ、ファミレスで乱痴気騒ぎを起こした彼女の懲戒免職は避けられなかったが、そこはそれ。古竹未兎の案件をまとめるのであれば、社に迷惑は掛けられない、として自ら辞表を提出してきた。

 ここは、松塚芸能の手すら届かない裏舞台である。とはいえ、指を咥えて見ているだけとは思えない。

丘薙(おかなぎ)さんを通して報告を受けておりますが――」

 霞は秘書として、メンバーたちを苗字で呼ぶ。その一線の引き方から見ても、舞台に出演してもらうには先が長そうだ、とプロデューサーは感じていた。

 それでも、いまは秘書としての手腕に期待している。

「――古竹さんには、二十四時間監視がついているようです。デモ音源を収録したスタジオは、()()()()として三ヶ月の()()()()に追い込まれました」

 そのスタジオを利用した者、その者を採用した関係者とは、今後一切取引しない――という松塚芸能による()()()の通達。だがそのスタジオは、コピーバンドに本物の古竹未兎が混ざっていたとは知らなかったので、()()()()()()によって恩赦を得た形だ。それもこれも、人気男子アイドルの九割を松塚芸能が牛耳っているからこその暴挙だろう。

 だから――

「だからヤなんだよねぇ。一社が突出するってのはよぅ」

 ここは関係者以外立入禁止である。そこに堂々と、のんびりした口調でその男は話に割って入ってきた。無精髭を生やし、短い髪をバリバリと掻きながら、のらりくらりと。薄汚れたブルゾンにヨレヨレのチノパン。見ようによっては、ガード下の浮浪者の風貌である。だが、霞は――前職の『天堂コンテンツ』は中小規模のイベントを扱っていたが、それまでは――それこそ、古竹未兎のような大物を相手にしていた。その経験により、相手の装いで見誤ることはない。

「…… 萩名(はぎな)様、本日はどのようなご用件で」

 とはいえ、萩名氏側は間違われることを密かな喜びにしているフシがある。顔馴染みならともかく、初見の相手に看破されたことは少し残念に感じていた。

「……ま、いいや。さっきまでホールの方にいたんだけどよ。……『めいん』ちゃん解散、って噂は本当だったみてぇだな」

 先週までのスケジュールでは、今日の一番は『めいんでぃっしゅ』として三人が登場予定だった。しかし、一番手でステージに上がっているのは歩と――メンバーの中では比較的歌の上手い(けい) 春奈(はるな)ではあるものの、やはり糸織たちと比べると聴き劣りは否めない。ゆえに、少なからず歪である。あの三人が揃えば、完璧な舞台となるというのに。

『めいんでぃっしゅ』としては出演できない――だが、メンバーに不調があるわけでは決してない――それをアピールするため、あえて三人はバラバラに上がっていた。しかしだからこそ、体調以外の理由で組もうとしない――そこに釈明がなければ、不調ではなく不和――たった数日で、ファンの間ではめいんでぃっしゅ解散疑惑が持ち上がっていた。

 しかも、歩の次に控えているのは糸織とまこによるAB-solute――さらにその次は『 糸織(まいど)』を欠いた『(めいど)(わいど)』――これでは、むしろ疑惑がより濃いものとなってしまう。

 三人の個別出演は観客の永続的な離脱を防ぐための措置だったが、想定より反応の進行が早い――霞は事前情報の把握の甘さを軌道修正することにした。

「丘薙さん、(ひのき)には、今日のステージは下りていただきます」

 おそらく舞台袖で待機しているだろうが、ここには萩名氏も来ている。直接は向かわず、すぐさま電話で指示を出すことにした。しかし、この演目変更にはプロデューサーとして承服できない。

「彼女たちのファンは多く、リハーサルもこの段取りで確認しております。何より、あと数分で一体誰を――」

 突然出番を奪ってしまったふたりについては後日フォローするとして――そもそも、彼女たちが勝手に解散宣言などしたのだから、そのツケであると霞は断ずる。そして、この急変はすべて自分の判断――ならば――

「……私が出ます」

「!?」

 プロデューサーは、霞をアイドルとして説得するためにはかなりの時間がかかると考えていた。なのに、こんなあっさりと――? 彼は彼自身、自分の審美眼を()()()()()。彼が<スポットライト>を感じた以上――高林霞に秘められた()()()()()()()()()()には一点の曇りもない。

 とはいえ霞自身も、こんなに早く機会が訪れるとは思っていなかった。少なくとも、表層上の意識では。しかし、心の奥底ではそれを望んでいたのかもしれない。今日は事前告知どおりの『スペシャルゲスト』が控えている。ゆえに、あくまで穴埋め。ここで未熟な自分が醜態を晒しても、未兎が続けば場の空気は盛り返せる。

「私が時間を稼ぎますので、その間にミトックスには出演の準備を依頼します」

 未兎乱入タイミングは告知していない。本来であれば大トリであるべきだが、フレキシブルに調整できるようにはしている。ゆえに、それは可能だ。

 有無を言わせない沈黙を責任者からの合意と受け取り、霞は自身のスマホを舞台裏につなぐ。

「……もしもし、丘薙さんを呼んでくれる? 段取りの変更よ。時間がないから急いで」

 霞の覚悟はすでに決まっている。『貴女には秘書ではなく、アイドルとしてステージに上がってほしい』――その言葉を彼からもらったその日から。自分には歌も踊りも何もない。年齢を考えれば、伸び代があるとも思えない。だが、それでも上がれと言ってくれたのだ。男のその言葉を信じているわけではない。だが、信じたかった。

 そして、ここがストリップ劇場であるという事実と――無意識下にある本能が結びつく。いま、必要なのは()()に違いない。もちろん、プロデューサーが持ち合わせていることなどありえないが――萩名社長が持参していたことは偶然である。昼行灯を装うための小道具として。ゆえに、それを差し出したことに深い意味はない。だが、それは霞にとって願ってもないことだった。

「そんじゃ、景気づけに一杯、どーだい?」

 糸織に指示を出し終わって一息ついた霞に差し出されたのは、三五〇のビール缶。その爽やかさを思い出し、思わず霞の喉が鳴る。しかし、それは彼女にとって許されないものだとメンバーたちには知らされていた。

「ちょーっとちょっとちょっと、そこのオッチャン!」

 ズカズカと割り込んできたのは――

「そこの秘書さんはね、お酒ダメなの!」

 まこはフリル満載の可愛らしいワンピースに身を包みながらも大股で、ブンブン腕を振り回しながら歩み寄ってくる。そして、まったく相手の正体にも気づかずに、こともあろうか社長相手に説教を始めてしまった。あまりの勢いに、プロデューサーが止めるのも間に合わない。

「てか、昼間っからお酒って……それよりここ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど!?」

 いまさらながら、プロデューサーが止めに入る。

「あ、 天菊(あまぎく)さん! この方は萩名嬢の御父上で……」

 それを聞いて、まこは少し首を傾げた。里美さんのお父さんってヤバイくらいエライ人じゃなかったっけ……?

「……ウッソ、何でこんなとこいんの!?」

 慌てふためく小娘と若造――これこそ、萩名社長の見たかったものだ。

「カカカッ、いいねいいねぇ、嬢ちゃんは……まこちゃん、だったか」

「お、覚えていただいて……そのー……恐縮です……てか、ホントに本物?」

 別記事で確認した際にはちゃんとスーツを着ていたので、そちらの印象を拭いきれていない。だが、この期に及んで疑っているところも、萩名氏の期待するリアクションである。彼は、今後まこのことを一目置くことにした。萩名氏率いるライブネットは、企画モノを得意としている。もし、彼女が自社作品に出演したら――それを期待せずにはいられない。

「なぁ、プロデューサーさんよ、ここのメンバー、掛け持ち可だろ?」

「い、いまは本番中ですので、そのようなご相談はまた後ほど……」

 さらにややこしい話になりそうなので一先ず保留とさせてもらった。

「それより天菊さん、何故ここへ?」

 いまさらながらプロデューサーはまこに問う。霞が連絡したのは糸織だったはずだ。

「えーとね、糸織が霞さんを迎えに行ってやれって」

 それをまこは、まだここに来てから日の浅い霞が順路を間違えるのでは、と懸念している――と誤解していた。霞はまこが思うほど間が抜けているわけではない。ただし、それはいつもの霞であれば――

「あっ! 霞さん!」

 まこは慌てて止めようとするも、プロデューサーから肩を叩かれてドキリと身を竦める。皆に見守られる中、霞はビールの缶を傾けてゆき――

 霞はこれまで、何度も止めようと思ってきた。それでも止められなかったのは、アルコール依存症というわけではない。何故なら、霞は覚えている。酔った末の、自身の痴行を。それが、社会的に認められないことだとはわかっている。それでも――

 霞が求めていたのはアルコール自体ではない。アルコールをキッカケとする、その先のこと――!

 プロデューサーにとっても、これは賭けだ。ファミレスで見せてくれた<スポットライト>を、霞が再び放つことができるのか――もしできれば、きっと――

 ふわり、とした感覚に、霞は思わず飲みかけを滑り落としてしまった。しかし、込み上げてくる思いでそれどころではない。

 完全に、()()()()()()()()

 この場にいる者たちは裸の女に対して理解がある。それだけでもう――闊歩したくて仕方がない。いま纏っているものを全部脱ぎ捨てて。胸の先から股間まですべてを晒して。

 だが、この先はさらに()()()。きらびやかな舞台であり、ぎっしり詰め込まれた男たちが自分を下から見上げている。そんなところへ出ても良い、と他でもない責任者から許可をもらっているのだ。そんなのもう――止められるわけがない!

 だが、止められた。

「ちょっ、ちょっ……脱ぐのはステージの上だって……っ!」

 この場でブラウスのボタンに指をかけ始めた彼女をまこは何とか制する。ステージ上で脱衣を披露してくれれば、少なくともストリップとしては成立するのだから。

「よっしゃ、だったらとっととステージ行くべあーっ!」

 霞はすぐにでも脱ぎたくて仕方がない。その様子を見ていた萩名社長は堪えきれずに吹き出す。

「カ……ッ、カカカ……ッ、おめぇってヤツは、ホントおもしれぇ女ばっか見つけてくんなぁ!」

 それは、霞やまこだけでなく、自分の娘も含む。AV撮影の監督という立場にありながら、映される側を熱望して飛び出していくほどなのだから。

 少しでも目を離せば何かやらかしそうな霞を見守りながら、プロデューサーは時計を気にする。そろそろ歩たちが引き上げ、その次の次のミトックスたちも糸織からの連絡を受けて準備を始めているはずだ。そして、その間を取り持つのが、このふたりによる急造ユニット――『泥酔ワークス(仮称)』となる。

「天菊さん、 高林(たかばやし)さんをよろしくお願いいたします」

「ウッソ!? この霞さんをステージに上げる気!? バカじゃないの!?」

 とひとしきり罵倒しても、まこは決して無理だとは言わない。

「おーぅふ、任しときーってぇー!」

「任せられてんのはこっちだってば!」

 普段の霞――いや、数分前の彼女からは想像もできない姿である。それでも、プロデューサーに迷いはない。彼女は今日も、眩いばかりの<スポットライト>に輝いているのだから。――ただし、ステージとして成立するかはわからない。そこは、()()()()()()()()まこにすべてを託すことにした。

 

 とはいえ、霞にステージで主役となった経験はない。ゆえに、MCとしてひと枠使い、そこで全裸ショーを披露している。

「ちょ……きゃーっ、霞さん落ちちゃう落ちちゃう!」

「うっせーわー! 万のチンポがアタイを待っとるっちゅーねん!」

「待ってないから! そこの人っ、おいでおいでしないのーっ」

 ここで爆笑。

「ぐにゅにゅ~……アタイの行く手を邪魔するヤツは……くらえいっ!」

「ぎゃーーー!? そんな乱暴にしたら――あふぁん❤」

 ホールで一体何が起きているのか――廊下から送り出したプロデューサーたちにはわからない。だが、ここまで届くのは悦びの声と笑い声、そして、感嘆。ただの酔っ払いの痴態に留まらない何かが、そこにはあるのだろう。

「……ステージの方はいいのかい?」

 本当は、新たな光を見守りたい。

「ええ、ここから先は、私の手に余ります」

 完全にアドリブであるため、見守ることだけしかできないのが実情だ。

 そして、そのあとは本当に何が起こるかわからないミトックスの出番――それまでに、()()()()()()は解消しておきたい。萩名社長の突然の来訪――決して、ビールの差し入れのためにきたわけではないはずだ。そんな若者の意向を汲み取り――萩名社長としても、公演中のステージからプロデューサーを長々と離しておくわけにもいかないだろう。ゆえに、手短に。

「『めいん』ちゃんたちも、オメェの手には余るのかい?」

 先程、霞に対してもそのようなことを言っていた。解散の噂を聞いて客として潜り込み、『めいんでぃっしゅ』の代わりに歩が独自に出ていたことで確信したのだろう。

 これは、自身の手腕を疑われている、とプロデューサーは覚悟した。しかし、怯むことはない。

「……必ず、彼女たちは復活させます」

 それは、根拠のない確信をもって。

「……そーいうことなら、まーいーぜ」

 若者からの熱意を受けて、もう少しだけ猶予を設けてやることにした。

「けどよ、もしあのコたちがこのまま――」

「そのようなことはありません。決して」

「あーそーかい」

 強く遮るプロデューサーに、萩名社長もそれ以上言及することはやめた。が、現実だけは伝えておく。

「あんまグズグズしてるよーなら……ま、その先は言うめぇ」

 よったよったと、一般フロアの方へと去っていく。その背中は頼りなさげにふらついているのに――まるで、死刑を宣告しに来た死神のようでもあった。娘に免じていまは見逃してやっている。何かあれば、簡単に潰すことなどできるのだ――と。

 

 そして、まこたちもようやく出番を終える。

「ということで……新メンバーの霞さんでしたー……」

 ここからは本当に油断できない。プロデューサーは次の枠に備えて客席の方で待機している。立ち見席――一三〇席余りのフロア全体を見通せる奥の隅に。

 まこは本当に頑張ってくれた。隙あらば客席に飛び込もうとする霞を幾度となく引き止め、引き止めれば霞から逆襲を受け――その内容は、ストリップの域を逸脱していたが――彼はまこの()()()()()()()()()()()()()を見れた気がする。今後は、そのような方向性も検討した方が良いのかもしれない。本人さえ許諾してくれれば。

 花道には円形のリフトが備え付けられている。これは、女のコを乗せたままメインステージと盆を往復するためのものであり――決して荷運びのためではない。だが、この移動式の小舞台に脱ぎ散らかした服と霞本人を乗せると、まこ自身もそこにぐったりとへたりこむ。膝を突いて、頭からリフト面に突っ伏すように。高々と持ち上げられたお尻は丸裸であり、そこから女のコの割れ目が覗いている。それを覗こうと、男の視線が集中していることに本人は気づいていない。このような無防備さも、まこの魅力のひとつといえる。

 そしてそのまま、すーっと盆から花道を通り、左右から閉ざされたメインステージの幕の隙間へと吸い込まれていった。マイクが未だゼーハーというまこの呼吸音を拾っているので、よほど疲れたのだろう。

 これまでになかったタイプのステージは、確かに盛り上がった。しかし、それがひと段落ついたところで――それは残念な失笑に変わる。確かに、ある意味『驚天動地』な新メンバーではあった。しかし、観客たちが本当に望んでいるのはドツキ漫才のようなコントではない。先日から急に『めいんでぃっしゅ』が登場しなくなり、ついには代わりに楽曲さえないMCまで挟まれた。客たちの中には、惰性で来ている者も多い。目当ての『めいんでぃっしゅ』が登場しないとしても、せっかくチケットを取ったのだからと。

 それに、興味深い告知も打たれていた。『驚天動地のスペシャルゲストの乱入』 しかし――それが先程の舞台だとしたら、あまりにも()()すぎる。この劇場はお笑いに舵を切るつもりなのだろうか。

 誰もがそう考えていたからこそ――いまのが『乱入』だと考えていたからこそ――その第一声に、観客たちは意表を突かれた。

『皆さん、()()()()でーすーっ』

 ()()がこの劇場に出たことはない。

 ()()が出ていた場所はもっと広く、もっと身近に。

 ここ数年、CMまで含めれば、()()が地上波に乗らなかった日はなかっただろう。

 その、半年前までは。

 閉ざされた幕の隙間をくぐって現れたのは――その人物はまるで修道女のように、肩から足元まで垂れるマントに全身を包んでいる。顔だけでは、()()が本人であるとは断定できない。そのポニーテールも――わざわざ、髪型まで合わせて――あまりに酷似しているからこそ、むしろ無意識のうちに胸中で否定してしまう。()()は本来、このような場所にいる人物ではないのだから。先程の件もあり――そういえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()。スペシャルゲスト第二弾――“そっくりさん”のストリップであれば、ある意味『驚天動地』――観客たちは、そう()()()()()()()()

 ホールに流れるのはしっとりした前奏。ここにその楽曲を知らぬ者はいない。それは六年前――衰退の一途を辿る邦楽業界にて十数年ぶりのミリオンヒット――当時は救世主だとか持て囃されていたことを、()()は思い出していた。

 決して増長していたわけではない。

 だが、もう少し意識していれば、このようなことにはならなかっただろう。

 ()()はただ、歌が好きだっただけ。

 たくさんの人に歌を聴いてもらえる場所がある、と誘われただけ。

 しかし、そこに一度踏み込んでしまったばかりに――今度は逆に、歌を聴いてもらえる場所を奪われた。

 そして、気づく。アタシは、本当にそこが好きだったのだ――と。

 だからこそ、感謝する。ありがとう――アタシを再び、歌の舞台に立たせてくれて。

 けれど。

 やっぱりまだ、マントの中で足は震えている。

 この内側の自分の姿を思って。

 ただ。

 緊張はあるが、不安はない。

 自分の()()()は、もう済ませている。

 これは、二度目――だから、心配ない。

 胸に向けて、意識を集中させれば――

『~~~~♪』

 最初のひとフレーズで、すべてが変わる。

 会場内のすべてが、()()に注目する。

 これが、()()の力なのか――暗闇の中でひっそりと照らされていた花道が、まるで、真夏の野外フェスのように炸裂した。

 圧倒的な光と熱――ここまでの<スポットライト>はなかなかお目にかかれるものではない。

 そして、()()の足の震えも止まった。

 これから唄える――その喜びによって!

『~~~~っ♪』

 マントを外す手つきに迷いはない。そしてそのまま、歩いてきた花道へと放った。曲調が変わり、メインステージの幕が開いていく。だが、それに気づいている観客は誰もいない。

 半年前まで、あらゆる音楽番組に出演し、

 様々な衣装を身に包んできた()()だったが――

 このような姿は誰も見たことがない。

 膝下まである真っ黒なブーツ。

 肘まである腕袋は靴と同じく革製のもの。

 黒い襟のチョーカーから垂れ下がるのは白いスカーフ。

 それらは、()()のデビュー曲のMVにて着ていたもの。

 だが、その他は――

 胸元を覆っていた革のトップスのカップは浅かったが、それでも湛えられた柔らかさをしっかりと受け止めていた。

 黒光りするスカートは腰から裾まで一直線に切れ目が入っており、中に穿いているのか、いないのか――そのスリットから肌しか見えなかったことで、年頃の男子たちの間では論争になっていたらしい。

 だが、いまは断言できる。穿いていない、と。何故ならば、疑惑の原因となるスカート自体が穿かれていないのだから。一枚脱げば、そこには割れ目を覆うように控えめな毛がふわりと生え揃っていたのだろう。ただ、いまはそれを想像したり、覗き込んだりする必要はない。それを遮るものは何もなく、男たちの目に飛び込んでくる。

 下と同様に、上にも論争はあった。その胸は寄せて上げているだけではないか、パットで厚みを出しているのではないか――その疑惑にも終止符を打つ。ゆったりと肋骨の上で膨らんでいる二房は誰もが認める立派なもの。そのふたつの頂きに至るまで、何ひとつ偽る余地はない。さらにいえば、ぷくりと中身の詰まった丘を彩る花園も華やかに咲き誇っている。

 会場中の視線の集まる中心――盆の上で()()は名乗りを上げた。

『TRK、本日ふたり目の新メンバー……古竹未兎っ!』

 もしこれが偽物ならば、確実に訴えられる案件ではないか――未だ誰もが信じられない。それでも、信じたい思いもある。あの古竹未兎が、自分たちの前で胸を、お尻を――覗き込めば、その割れ目さえ拝めてしまうかもしれない。そんな姿で――舞台に立っているのだと――!

 未兎はAメロを唄いながらメインステージへと戻っていく。会場に背中を――束ねた後ろ髪を――そして、丸いお尻を振りながら。彼女の衣装にはパンツルックが多い。ぴっちりした線はダンスの際に揺れ動いていた。そして、いまも。包み込むものがなくなったことで、より激しく。軽いステップで跳ねるように――誰もがそこから目を離せない。

 そんな彼女を迎え入れるのは、お揃いの衣装の――裸の胸の間にギターのストラップを通したミカと、キーボードの鍵盤の下から大人の毛を覗かせるミク。

 ミカは、何だか楽しくなっていた。慣れ親しんだ相棒の硬く冷たい感触を素肌に感じ、股の間にも風がそよぐ。胸は熱いはずなのに、何故か涼しい。そして、目の前には、憧れのアイドルの生尻が。一周回って笑ってしまう。

 そして、ミクは――今日の姿だからこそ、これで良かった、と思った。すべての男たちの視線はボーカルに集まっており――きっと、自分の裸を覚えている者など――それこそ、自分が舞台に立っていたことを覚えている者さえいないだろう。

 最初から、分不相応だった――いずれにせよ、第二次ミトックスは解散する運命にあったようだ。けれど、これは最高の思い出になる――だから、全力で 演奏(かな)でよう――!

 そんな中でも、彼だけは――やはり、背後のふたりからは<スポットライト>は感じられないことを寂しく思う。プロデューサーとして、未兎と共に輝きを見出したかったが、それは結局叶わなかった。だとしても、このステージだけはやりきってほしい。

 会場は誰が盛り上げる必要もなく、これまでにない最高潮を迎えようとしている。だが、そんな中で――

 チラリ。

 客席の中でただひとり、後ろを向いている者がいる。必然的に、ホール内を見回しているプロデューサーと目が合った。むしろ、その客が彼と目を合わせたのかもしれない。そして、視線の意味を理解して――己の監視が不完全だったことを自覚させられる。誰もが光に夢中になっている中で一際暗く落とされた影――静かに、さり気なく、壁の縁に沿って忍び寄ったその先で――

「……ッ!?」

 花道と向き合う最後列に座っていた女は、膝に鞄を乗せていた。それに男から手をかけられたことで、大切な秘密を守るようお腹を抱く。それで、確信した。

「ご同行いただきます」

 会場内は撮影厳禁であり、スマートフォンを取り出すことさえ許されない。とはいえ、何とかして映像に収めようとする者は後を絶たず――プロデューサーは、そのような違反者からメンバーを守るためここにいる。絶対に逃さないという強い意志を、手首を掴む男から感じて女は観念した。彼は言葉に出すことなく、隣の席の女性客に感謝する。この熱気のおかげか、このやり取りに気づいた者はほとんどいない。壇上で奏でるメンバーふたりさえも。ゆえに、辛うじて救われた。古竹未兎の、TRKデビューライブは。

 

       ***

 

 本番前、控室に集まっていた女のコたちも一通り解散している。ふたりきりの会議机で、プロデューサーは盗撮者に対してカメラの提出を求めていた。

 しかし、盗っ人はいつでも猛々しい。ふっくら豊かな彼女の胸に、鞄はしっかりと抱きかかえられている。

「はぁ? 何の権限があってンなことゆってんの?」

 ただでさえこの会場で女性客は珍しい。だからこそ、近隣の男性客は異性に対して気を使ってしまい、あえて意識しないように――それを計算に入れての狼藉だったのだろう。実際、同性によるアイコンタクトがなければ、プロデューサーも見落としていたかもしれない。

 現場を押さえられたとはいえ、盗撮自体を否認しては虚偽の罪状が加わってしまう。ゆえに、そこは肯定しなければ否定もしない。だが、たかだか劇場のルールによって私物を押収することなどできないはずだ、と女盗撮犯は開き直っている。

 確かに、彼らにそのような権限はない。入場前に手荷物検査を行い、従わない者には入場自体をお断りする――その案もあったが、街の性質上、私事に踏み込みすぎるのも危険なので断念された。実際、そこまでしなくとも――このような事態は初めてではない。ただ、警察に通報するようなことはなく、出禁とするだけに留めている。しかし、今回のようにカメラの提出を頑なに拒む者は初めてだ。これまでの相手は素直に従い、データの消去までは合意してもらっている。仮にここで持ち帰ったデータをネット上に流せば、そのときは改めて肖像権と――営業妨害の罪で多額の損賠賠償を請求せざるを得ない。

 今回、このような者が現れることは事務所としても事前に予想していた。未兎に監視はついていたが、表社会のエージェントは新歌舞伎町に近づくことを忌避している。ゆえに、そこから先は別の者に頼むはずだ、と。

 つまり、今回の違反は下心や拡散目的ではない。松塚芸能による監視の一環である。

 今回のシークレットライブは、ストリップ劇場が撮影禁止であるゆえに相手の出方を見る威力偵察として成立し得た。ここで証拠を持ち帰られては、松塚側から徹底的な攻撃を受けるかもしれない。TRKは、表の芸能界と直接的な関係はないとはいえ、昨今営業活動が盛んになってきている。プロジェクトとして表舞台に立つことはないが、メンバーの一部がそのような仕事を請けることも検討してきた。そのとき、様々な悪影響が出てくることだろう。

 ただ、そのような事情はさておいて。

 彼は生粋のプロデューサーだ。ゆえに、このような形で出会ってしまったことを、とても残念に思う。

「私はずっと、貴女を探しておりました」

 しかし、犯人側にその認識はない。

「はぁ? 何でよ」

 彼の想いを――()()も知っていた。部屋の外で盗み聞きしている者がいるのはいつものこと。なので、突然の入室者にプロデューサーが驚くことはない。そして、()()が入ってきた理由も承知している。

「……チッ、諦めの悪い男やな。それが、その(アマ)の本性やで」

 AB-soluteの出番はなかったが、糸織はその衣装のままだった。妖精のような可愛らしい姿で、彼女はプロデューサーの甘さを咎める。

「本当に、残念です――」

 その歌唱力は申し分なかった。カメラの前での脱ぎっぷりも。しかし、決定打がなかった。しかし、それが見つかることなく、彼はスカウトを断念する。

「――()()()()()さん」

()()()()よ!!」

 特徴的なミディアムソバージュは、当時と変わることはない。服の上からでも肉付きの良いプロポーションは視認できる。ただ、彼が知っていたのは『あんにゃ』が脱いだ後の『にゃむにゃ』名義のものだけ。しかし、その名を嫌う、ということは――PAST――裸の女性の卒業式―― 橋ノ瀬(はしのせ)(みなと)と組み、 憐夜(れんや)(のぞみ)によってプロデュースされたふたりの片割れ――その時点で、裸で活躍してもらうことについては諦めるべきだったのだろう。

 誰もが承知の通り、彼は女性に対して非常に甘い。ゆえに、霞さえ健在ならば任せても良かったが――いや、それでも糸織は出てきたことだろう。この女とは、自分が話をつけなくてはならない、と。

「キサマが出てきたっちゅーことは……」

 あんにゃを睨みながら、糸織はプロデューサーの隣の席に座る。かつてのライバルと対面したことで、あんにゃも遠慮なく本性を――いや、()()()()()()へと振る舞いを変えた。ここにいるのは、歌い手としての自分であるとして。

「ま、隠すこともない()()。リーダーの差し金()()

「うわ、まだそのキャラで通すつもりかい」

 プロデューサーとふたりきりで対面していた間は、まだ自分の正体が割れていない可能性にも期待していた。しかし、バレてしまったからには仕方がない。これは()()()()として――糸織に向けた完全復活の意思表示である。

 糸織とあんにゃの間の因縁は深い。当時を彷彿とさせる火花を散らせる傍らで、プロデューサーはあんにゃがリーダーと呼ぶ人物のことを考えていた。希がこのTRKプロジェクトを潰しにかかっていることは承知している。彼女は、どうやら本気で手段を選ぶつもりはないらしい。こちら側へ来い、と手を差し伸べていたあの希が――

 しかも、そのために自分がプロデュースしているアイドルさえも、このような危険に晒している。

「この街でこのようなことをしては……ただでは済みませんよ」

「他の店だったらにゃ」

 どうやら、希からプロデューサーの性格を聞いているらしい。女のコにはどこまでも甘いことを。

 ただし。

「ま、他の店でもやったけどにゃ。リーダーのためにゃら」

 何やら狂信的な雰囲気を感じ取り、糸織は水を差しておく。

「さっきからリーダーリーダーと。希はんは唄わんやんけ」

 そもそも、PASTはふたりユニットである。ゆえに、三人目がリーダーを務めるというのも筋が合わない。

 が、糸織からの指摘に、あんにゃは逆にほくそ笑む。

「あー、そーかそーか。アンタらは知らにゃかったんよにゃー、リーダーの本職」

 糸織を通じてエージェントに頼めば、すぐに判明することだろう。だが、勝手に探れば、信頼関係は二度と修復できようもない。

「リーダーはにゃ、()()()のチームのリーダーだったのにゃ」

 しかし、それは良くない思い出だったらしい。話しながら、あんにゃの瞳から光が消えていく。

「初めて入った会社……固まることなく肥大し続ける仕様……月三〇〇時間を超える残業……休出……時間外は無給……なのに、不具合はすべて現場の責任だと上層部から詰られる毎日……相次ぐ発狂……過労死……そんな地獄から救ってくれたのが……リーダーだったのにゃ」

 そのような労働環境はいまどき限られている。糸織もプロデューサーも、希の業種が何なのか察しがついた。

「リーダーからの命令は、古竹未兎出演の証拠を掴むこと。その後のことなんて、あんにゃ知らにゃーい♪」

 プイと横を向くが、チラチラと横目で糸織を窺う。

「そこの女狐が路頭に迷ってくれたら、それはそれで滑稽だけどにゃー」

 女狐――アダルト動画時代の『こんきつね』というハンドルネームのことを言っているのだろう。だが、糸織にとってその名は屈辱ではない。むしろ、勝利の証でもある。

「ま、ウチはどんなになっても唄い続けるけどな。本職がどーのと()()()して歌を辞めたもんと(ちご)て」

「にゃ……ッ!?」

 だが、あんにゃにも言い分はある。

「話聞いてにゃかったにゃ!? 唄うどころか、死にゃにゃいだけで精一杯――」

「せやったら、そんな仕事に就いた時点でウチらの勝負は済んだんや」

 糸織は令嬢の娘として、名家の栄枯盛衰の数々を少なからず見せつけられている。ゆえに、理解していた。継続することの難しさ、そして、大切さを。

「で……でも……()()()にだって生活があるにゃ! 唄いたいの唄えにゃい日々……その気持ちはアンタにゃんかにゃわかんにゃいにゃ! この…… 成金女(にゃりきんおんにゃ)!」

 金の力でコスプレ衣装を取り揃え、ネタだけで上位に食い込んできた――あんにゃは、糸織をそのように疎み、嫌ってきた。ゆえに、決して歌の実力を認めるわけにはいかない。だが、糸織は僻まれることに慣れている。

「ウチがカネモ知っとったなら、金でもなんでもせびりに来れば良かったやろが、貧乏人」

 自分はお嬢様であり、資産運用で生活できる身分である。糸織はそれを必要以上に隠さない。嘘をついて(のち)にバレるくらいなら、むしろネタにしてやろうと決めたのである。尾びれ背びれをつけてホラ半分に吹聴するため、大抵の人たちはそれが真実だとは思っていない。それが真実だと知っているのは、あんにゃと糸織の関係だからでもある。

「んにゃことできるわけにゃいでしょ!? アンタ、逆の立場だったらそれができたにゃ!?」

「ああ、できたで」

「!?」

 あまりにすんなりと返されて、あんにゃは思わず呆気にとられた。しかし――これはズルかったな、と糸織は自分の発言を振り返る。

「……スマン、嘘や。できひんかったろーな、当時やったら」

 突然しおらしく訂正する糸織に、あんにゃは逆に戸惑っている。

「てか、ぶっちゃけ、あんさんのこと敵視しとったの、歌やのぅて、乳のデカさでウチの上に立っとると思っとったからや」

「にゃ、にゃんにゃのにゃ、さっきから……」

 この雰囲気は、歌い手として争っていた頃のものではない。つっかかりづらい糸織に、あんにゃは言葉を迷っている。

「あんさんがどこまで調べとるか知らんけど……ここのおにゃのこ見てみぃ、DやらEやら当たり前、桃はんに至っては驚異のJカップやで」

「にゃぁ……」

 Hカップであるあんにゃにとってみれば、DだのEだのは馴染みの域だ。Jはスゴイと思うが、それについて興味もない。

「んなとこにおったら、巨乳はむしろ没個性。逆に、Bのまこはんと組んだら大盛況や」

 それが、AB-soluteである。

「何で、それに気づかんかったんやろなぁ。 関東(コッチ)来て、関西人である自分を活かせるよーになってたっちゅーに」

 捨てようとした自分も大切な自分の一部――それを大切な人が教えてくれたから。

「せやからな、あんさんが活動しとったとき……なして回転数で勝てんかったか、ここに来てようわかったわ」

 最初は特に。周囲は全員ライバルだとして。だが、短い間ではあったが――彼女も少しずつ変わってきている。そして理解した。あんにゃに数値で勝てなかった理由――それは、自分を活かしきれていなかったからだと。

「ウチに孤高は似合わん。みんながおるから、ウチがおるんや」

 プロジェクトの一員としての自覚を持ち、他の巨乳や微乳と組むことで、会場全体が盛り上がっていった。そして、幼児体型な自分自身も。

「せやから、ウチはみんなでトップを目指す。ウチが関わったモンは、みんな一緒にトップに立たせたるわ」

 あんにゃ――にゃむにゃと撮ったコラボ動画――それを、にゃむにゃが引退してなお消さなかったのは――敗北の傷跡をいつまでも残してやる()()()()のつもりだった。しかし、内心――それなりに気に入っていたのかもしれない。

「せやから……まー……あんさんやPAST組も、仲良うやるゆーんなら――」

「……ハンッ、アンタらしくにゃい手口で少し驚いたけど……そんにゃ話にゃ乗らにゃいにゃ」

 糸織は、純粋に戦いたかった。歌でも、身体を張った別の何かでも。それが、自分も相手も盛り上げることだと信じて。しかしあんにゃは、結局ただの懐柔だったと断ずる。

「アンタがここで(にゃに)があったか知らにゃいけど……()()()はアンタが悶え苦しむ顔が見たいのにゃ!」

 あんにゃには、同業者に引き上げてもらうつもりはない。だからこそ――プロデューサーという立場で接してくれたからこそ、希の手を取ったのである。

「これまで()()()に楯突いてきた連中……アンタも、元カレも、言いたい放題言ってくれた客先も全部……全員つま先からジワジワとロードローラーに轢き殺されてしまえばいいにゃッ!!」

 おそらく、就職先でよほど辛い目に遭ってきたのだろう、とプロデューサーは察する。それが簡単に拭えるものではないことも。

「そったら、もしリーダーがあんさん裏切ったらどーすんねん」

「恨むにゃ。地獄の果てにゃでも」

「そーか」

 あんにゃは誰も信じない。親しき仲でさえ、裏切られる瞬間を狙い研ぎ澄ましているとさえ感じる。これはまるで、野生の猫の警戒心。

「……ほんじゃPはん、一先ず今日は、ここまでやな」

 撮影データについては気になるが、ここで奪い取ることは難しい。

「ええ……わかりました」

 ここからは、松塚芸能と敵対してしまった前提で動く必要はあるだろう。

「お客様のおかえりやでー!」

 糸織が扉の方に向かって叫ぶも、返答はない。

「……誰にゆってるにゃ」

「さーな」

 それは、自分と同じように聞き耳を立てていたであろう連中に向けて。

 ゆえに、開放されたあんにゃが退室したところで、廊下は無人だった。何も気づくことなく、彼女は去っていく。盗撮データについては触れさせないまま。

 そして。

 このままできる範囲であんにゃへの対策を立て始めてもいい。だが――カーテンコールまではまだ時間があるだろう。先程の、あんにゃに対する訴えというか、独白というか――それをそのまま持っていかれるのは恥ずかしい。

「……入りや。話があるんやろ」

 そう呼ばれて扉を開いたのは――しとれと、そして、歩。出番を失ったしとれは崩す前のメイド服だったが、歩は出番を終えた後の裸のままで。けれども、自身を過信しない。この姿であってもできないことはある――それを思い知らされているから。

 それでも、友の手を取りたい。

「糸織ちゃん、やっぱり私たち……」

 あんにゃに諭したことが恥ずかしくなって、糸織はプイと横を向く。そんな糸織に対して、しとれもまた何も言えない。先週、ここで宣言したままライバルとして向き合ってくれるのなら、しとれにも戦う心構えはあった。しかし、いまの糸織を前にしては――意地を張り続けることは難しい。それは何より、思いを口にしていた糸織本人こそ。

「ウチかて、あんさんらの歌を疑っとるわけやない。せやけど――」

 恋愛に関しては常に受け身で――歌い手という立場上、受け身であっても男たちは寄ってきた。それ以前は、令嬢として自由恋愛の外側で。ゆえに糸織にとって、これは初めての挑戦である。ひとりの男を、他の女と奪い合うことなど。

 勝負の中には、負けても取り戻せるものもある。だが、これは違うと糸織は感じていた。他の女に取られた瞬間、すべてが終わる。このプロジェクトも、自分の未来も。

 この感覚は、しとれも同調していた。しかし、歩だけが信じられなかったのである。()()()()()()()を見ていたからこそ。

 だが。

 それをこの場で、自分の口から話すべきではない。

 劇場でセンターを張るようになってから、ちょっと裸の開放感に酔っていたけれど――

 自分ひとりで何でも解決できるわけではない。

 けれど、背負い込む必要もない。

 糸織だけでなく、自分だって、しとれだって、ひとりでここまで来たのではないのだから。

 入り口付近に立っていた歩はさり気なく扉を引き開く。突然のことで、もたれかかっていた桃は逃げられようもなく部屋の方へと倒れ込んできた。その後ろには春奈や優たちも――後ろにはまだまだ人の気配がある。

 ここまでプロデューサーは、何を言うべきか――男として、自分から言えることはあるのか――三人の女子に気圧され、黙ることしかできなかった。しかし、集まってくれたメンバーたちを見て思う。めいんでぃっしゅの問題はTRK全体の問題――だからこそ、彼は皆に託すことにした。彼女たちの間でどんな結論が出たとしても、自分は、自分が最良だと信じてプロデュースするだけとして。

 彼が部屋を出ていくと、メンバーたちは続々と入ってくる。今日出演があった裸の者から、非番なので服を着ている者まで。糸織が最初に張り付いていたときには桃と優だけのはずだったのだが。

「……てか、舞台大丈夫なんかい。今日は外部の助っ人もおらんかったやろ」

 それは、未兎を中心としたトラブルに巻き込まれないように。

「最後のひとコマは、未兎ちゃんに譲ってあげたべ。あたす、元々朱美ちゃんの後やったし……な?」

「うんっ、思い出はいっぱい作っといた方がいいし」

 本来出演予定だったしとれの枠も欠けており、一先ずそこは花子に桃と組んでもらうよう打診していた。が、未兎がもう一度出演し、ラストを締めるということで決着したらしい。ゆえにここには――歩を始めとして――泥酔して袖で爆睡している霞を除く十五人のメンバーが集まっている。

 その中で、たまたま前の方にいた慧が、ふいに糸織と目が合った。

織姫浜(おりひめのはま)関たちが土俵際だった理由は、ウン、まあ、知ってるけど」

 これに、だったらあたしにも教えてよー! ――とまこは驚愕の眼差しを向ける。他にも、何人かは知らないようだが――そろそろ潮時か、と糸織は腹を括る。これ以上、チームに迷惑はかけられない。

「せやったら、これ以上黙っとくわけにもいかんやろな。ウチは――」

 ここで宣言する用意はできている。今後も、めいんでぃっしゅとしてふたりとステージに上がるつもりはない。再び仲良くするのは――Pはんとウチら三人の間で決着がついてからや――と。

 ただ、明言し損ねた歩はともかく、しとれは気持ちを打ち明けてくれた。その上で抜け駆けするのは仁義に反する。ゆえに、然るべき時は公平に定めなくてはなるまい。

 そして、その方法とは――

「はー、よっこらしょー、と」

 突然前に出てきた 夜白(やしろ)は糸織の隣の椅子を引き、そこに座ると背もたれにぐでーっと脱力した。今日の出番はなかったらしく服は着ているが、のけぞった胸の上ではTシャツにちょんちょんと突起が浮いている。ダブダブゆえにワンピースのようだが、実際はLLサイズなだけ。中にショーツを穿いているかもわからない。部屋着同然ではあるものの、全裸で出歩く者が多い中、これでも比較的常識的な部類に含まれる。

 戦いの火蓋を切って落とそうという瞬間に、嫌な感じで水を差されてしまった。これには糸織も鼻白む。

「何しに来たねん。そもそも夜白はん、Pはんに興味ないやろ」

「んー……ま、ね」

 夜白はあっさりそれを認めた。ただし部分的に。

「けど、それには理由があるんだよ」

「なんや、ここで話したそうやな」

「察しが良くて助かるね」

 糸織とて、ただ足が疲れたから座りたかっただけ、と受け取るほど残念ではない。夜白はぐんにゃりと、今度は机に向かって突っ伏す。そこから、糸織を見上げるように。

「あたしがプロデューサーを()()()()のは面倒くさいからだよ」

「なんやそれ」

 神経が逆立っているからこそ、糸織はそれを聞き逃さなかった。()()()()()――つまり、心のどこかであの男のことを――その告白は、火に油でも注ぐようなもの。

 その上であえて脱落を宣言する。

「だってさ、競争率高すぎるもん」

「はぁ?」

 三人の異性から想われている男――それを射止めるには一筋縄ではいかないだろう。だが、諦める理由にしてはやや弱い。その疑問に対して、夜白はのんびりと説明していく。

「そりゃ、いい男だと思うよ。惰性でソープやってたあたしに、こんな楽しい場所を用意してくれたんだから」

 夜白にとって、基本的にすべてのことが面倒くさい。だが、頭を空っぽにして脱いでいく――誰かの真似であれば、裸になっても恥ずかしくない。むしろ、楽しくなってくる。それは、個室で男の相手をしていた頃には味わえなかったことだ。

「けどさー、それって、あたし()()?」

「!?」

 糸織がプロデューサーへの感情を自覚したのは最近のことだった。ゆえに、それまで意識してはいなかったけれど――

 嫌な予感に、糸織はまこを睨みつける。釣られるように他のメンツの視線を集めてしまい、まこは真っ赤になって慌て始めた。

「あっ、あたしは……アイドルだし……特定の相手とは……その……」

 これ以上言葉を続ける必要はないほど、まこの表情はわかりやすい。

「けど……これまでどこも受け入れてくれなかったあたしにとって、初めての事務所だし……こうして舞台でアイドルできるのは、プロデューサーのおかげ、というか……」

「あんさんもかいッ!?」

 目立つ間柄だけに気を取られて、獅子身中の虫に気づかなかった。ガタリと思わず立ち上がってしまった糸織を、夜白は下から笑いかける。

「で、どーすんの? 新たなライバルの登場だけど……AB-soluteも解散しちゃう?」

 糸織は他のメンバーを次々と睥睨していく。だが、誰もが頬を赤らめ、その視線を直視することができない。堂々と受け止められたのは、今日の出番はないのに何故か全裸の 紫希(しき)(らん)だけだが――彼女らの場合、無自覚なだけという可能性も疑いきれない。というか、自分を除いた十七人中十三人が――いや、未兎からも何か怪しい気配を感じたし、霞が舞台に上がったのも、もしかしたら――

「……もうええ。無駄な抵抗やったわ」

 夜白が割り込んできてくれたタイミングに、糸織は密かに感謝する。もう少しで、めいんでぃっしゅのふたりどころか、メンバー全員を敵に回すところだった。

 戦い続ける限り負けではない――ゆえにガックリとパイプ椅子に腰を下ろす糸織は、一先ず負けを認めた、ということなのかもしれない。少なくとも、これ以上めいんでぃっしゅのふたりを目の敵にすることはないだろう。

「それでは、皆さまご主人さまのことをお慕いしているということですので……ルールを決めた方がよろしいかと」

 糸織が何らかの形で勝負を挑んでくることは、しとれも察していた。このような状況が長く続けば、TRKとしての舞台にも支障を来す。ただ、まさかメンバー全員を巻き込むことになるとは思っていなかっただろう。なので、一から考え直しが必要だ。

 そこで、歩は手っ取り早くことを収めようとする。

「んーとね、それじゃー、オーナーとのえっち禁止ー!」

「「「えーーーッ!?」」」

 桃や紫希だけでなく、花子や朱美まで難色を示している。声には出していないが、春奈や里美も。

「紫希、Pちんとセックスしたいっ!」

 臆することなく堂々と言い切った。

「それに、Pクン童貞なんでしょ。いつまでも使わずにしまっといたらチンチン腐っちゃうよ?」

「腐りは……しないと思うけど……」

 そう言いながら、歩も少し心配になってきた。

「ほんじゃ、こーしよか」

 桃や朱美たちさえマジだとなると下手に遊ばせるのも心配だし、締め付けては変なところで暴発する。

 だからこそ――結局のところ、これが自分の役割なのかもしれないな、と糸織は感じていた。やりすぎたら、きっと仲間たちが支えてくれる。ゆえに、自分は自分の思ったとおりに先陣を切ればいい。

「あんさんら、ここの支配人との約束は覚えとるな……って、最近のモンは知らんか」

「てかこのユニット、今年の春にできたばっかじゃなかったのかよ」

 ここにいない未兎、霞を除けば最新参の(みさお)が毒づく。今日の彼女はパンツルックであり、眼鏡もウィッグもないオフの装いだ。彼女が脱ぐのは男からチヤホヤされたいがため。ゆえに、舞台がなければ無駄に脱ぐことはない。

 操に言われて、糸織はつい感慨深い心境になっていたことに気がついた。このユニット名に一文字を預け、初舞台から立ち続ける者として。

「ま、細かいことは気にしなさんな」

 ゆえに、あっさりいなして照れを誤魔化す。

「……ともかく、Pはんは()()()()()()と約束しとるんや。メンバー二十六人集めたら、この劇場をもらう、ってな」

「はい、噂では聞いております」

 と里美が応じる。彼女は優と共にステージに上がったので脱衣パーツは外されているものの、上着だけは羽織っていた。優も同様に。

 里美も、プロデューサーと支配人の()()の後にやってきたひとりである。ゆえに、経緯を直接見たわけではない。だからこそ、逆に不思議に感じていた。支配人室で寝泊まりし、舞台が始まるまでは立呑みのバーでカクテルシェイカーを振っているあの老人は何者なのかと。しかし、隠しているわけではないので、知る人ならば教えてくれる。彼こそが本来の劇場の持ち主であり、いつかは譲り受ける約束を取り付けているのだと。正確には、カラオケボックスと交換なのだが、そこにあまり違いはない。

「せやから、ここがTRK劇場となった暁には――」

 糸織は再び席を立ち、皆に向かって右拳を高々と突き上げる。

「みんなでPはん()()()でッ!」

「「「いえーーーい!!」」」

「ちょ、ちょ、ちょっと、皆さま――」

 このまま全員に禁欲を課しては堰き止められず、誰かが抜け駆けするのは目に見えている。だが、しとれはすぐさまメンバーたちの暴挙を止めに入った。さすがに、本人の意思を尊重せず勝手に決めるわけにはいかない。

 そこで皆、我に返ったのか、扉の方をじっと見る。きっと、プロデューサーも聞き耳を立てているはずだ。しかし、外から返事はない。ゆえに、それを合意として受け止めた。

「「「いえーーーい!」」」

 再び盛り上がる女のコたち。今度はしとれも――彼との一夜を思い描いてしまい、止めることができなくなってしまった。

「で、Pちんは一本しかないけど……」

 紫希の呼ぶ『Pちん』は『プロデューサーちんぽ』の略である。

「そこは……こっから競争したらまた揉めるやろからな」

 糸織は歩の方をじっと見る。不本意ではあるが――最も納得できる妥協点として。

「……一番は譲ったる。TRKへの加入順や」

 ふたりきりのとき、その気になれば彼を夜這うこともできたはず。けれど、それをしなかった。だからこそ、いまのTRKがある。ある種の年功序列であり、今後覆ることはない。だから、これで 手打ち(しまい)にしようや――これが、糸織が初期メンバーであることの誇りと他のメンバーたちへの自尊心でもあった。

 そして、結果的にセンターが一番手――無難な順序ともいえる。だがこの不意打ちに、歩の気持ちは追いつかない。

「え、それじゃ、私が……」

 それは、自分がオーナーの初めての相手となること――しかも、事もあろうに、それを他の人たちから促されている。これには耐えきれず、歩はフラフラと赤くなる。

「ま、辞退してくれても構わんけどな」

 隣から意地悪く肘で突く糸織。そして、それで奮起するのは続く二番手の 晴恵(はるえ)

「そうすれば、トレーナーとのファーストプライベートレッスンは……ッ!」

 標準装備のウサギマスクの耳がピョンと跳ねる。控えめな胸も、いつもより期待で膨らんでいるようだ。とはいえ。

「だめーーーーーッ!!」

 と歩に止めることはできても、一番は自分だ、などと口にできない。

 だから。

「あっ、そろそろカーテンコールじゃない!?」

 舞台のことを引っ張り出して、歩はこの場を収めようとする。実際、戻っておかなければならない時間だ。舞台に向けて歩や優、まこや朱美が続くが、何故かそこに紫希までも。

「ちょい待ち、あんさん今日は舞台 出演()とらんやろが」

 シレっと加わりそうな勢いだったので、糸織は即座にツッコミを入れる。

「だってホラ、せっかく来たし」

「せっかくって……カーテンコールはそーいうもんやないで」

 しかし、みんなを見ていた歩の胸の中に、熱いものが込み上げてくる。もう、誰と誰がいがみ合うこともない。そして、共に進んでゆくその先には――

「それじゃ……行こうよ、みんなで!」

 この一声で、控室はわーっと歓声に包まれる。それはもはや、カーテンコールとは別物かもしれない。

 けれど、それでいいと糸織は思った。みんながいるからこそ、自分がいるのだから。

 傍らでしとれも思う。このメンバーとなら劇場を守り、支えていくことができるだろう、と。

 そして歩は――

 

       ***

 

 ちょうどその頃――彼は廊下にいなかった。再び客席の方に立ち、先程と同じように監視を継続している。だが、あんにゃのような違反者は現れなかった。未兎はステージの上から、チラチラと彼の瞳を見つめる。

 もう、恥ずかしくない。おっぱいもお尻も、前から後ろから見られているというのに。歌を聴いてもらえることと比べれば、他のすべては瑣末事――集中力が極限まで高まったとき、それ以外のことがすべて気にならなくなるようだ。それは、()()()()()()()()()のときにも実感している。手を使わずパンツを脱いだとき、それに、右足を大きく上げたときにも。とはいえ――そのような()()()()をこのステージでも画策はしていた。が、夢中になってすっかり忘れてしまっている。まるで、いつもの衣装のように――視線が胸や毛に集まっていても、そんなことは気にならない。

 最後まで楽曲を唄い終わり、集中力が途切れたことで未兎の中で羞恥心がぶり返してくる。しかし、少し後ろをチラリと見て――ミカも、ミクも、自分と同じ姿だ。そうあってくれたことに、未兎は少なからず心強く思う。そして、感謝した。

 なので、何をいまさら――恥ずかしさは掻き捨て、両手を振る未兎を収めるために両側から幕が閉じていく。これを超えるステージはもう二度と見られないだろう――そんな思いで、観客たちは声援を送っていた。

 しかし。

 少しして、再びカーテンが上がったその向こう側には――

 おお……ッ、と誰もが声を上げる。カーテンコール自体はいつもの段取りだ。しかし、その中央に立つのは、TRKセンター――蒼泉歩――その左手を握るのは本日欠席していた檜しとれ――逆の手には同じく欠席していた丘薙糸織――その小さな手を、裸のままの未兎がつなぐ。

 その後列にはその他全員――蘭に担がれてぐったりしている霞までが強引に連れ込まれていた。

『めいんでぃっしゅ』の復活――そして、未兎の正式加入――ここに、TRK十八人が勢揃いしている。

 彼女たちは様々なテーマで壇上に上がっていた。原点回帰の未兎を始め、正統派を唄う歩、ふわふわとした神秘的なローブを脱ぎ捨てていく朱美、エトセトラエトセトラ――しかし、ここでは誰もが同じ。裸足で立ち、ネックレスや腕輪も脱ぎ捨てて――生まれたままの姿――優や花子の眼鏡、晴恵のマスク、操のウィッグ等はある種の個性として――それはまさに、誰もがこのときをもって一斉に生まれ変わったかのようだ。

 未兎も、歩も、違いはない。他の誰もが、まったく同じ――誰もが等しくTRKとして――

 それを見て、ファンたちは自分の考えを正す。今日のステージは、確かに『驚天動地』と呼べるものだった。しかし、ここが終着点ではない。何故ならば――

 

「「「目標まで、あと八人ーっ!!」」」

 

 ファンの間でも囁かれていた密かな噂――この劇場は未だメンバー以外の助っ人も要しており、けれど、あと八人――二十六人集まることで、TRK劇場として完成する――それを、彼女たちはステージ上で宣言したのだ。

 その動機は、先程控室で交わされた女同士の“約束”が大きいかもしれない。しかし、こうして公言されたことにより――ファンたちはここがまだ通過点であると確信する。きっとこれからも、今日のステージを超えていくことだろう。彼女たちが――歩が――糸織が――しとれが――こうして、裸のまま手をつなぎ続ける限り――

 

 自分が控室を外している間に、どうやらうまくいってくれたようだ――客に混じって、プロデューサーは優しい拍手を送る。

 鳴り止まない歓声の中、彼の隣にその男は近づいてきた。

「……この数日の噂は、今日に向けての()()だったのかい?」

 どうやら、萩名社長はまだ帰っていなかったようだ。

「そう捉えていただければ幸いです」

 古竹未兎の参入を最大限に盛り上げるために――実際のところは異なるが、おかげですべての疑念は払拭できたといっていい。

「安心したぜ。なら……ついてきな」

 踵を返す萩名氏に、プロデューサーは黙って続く。未だ冷めやらぬホールの外へ。

 

 会場が盛り上がっているいま、ロビーにいる者はチケット売り場の老人だけだった。それでも小声で、ただし、扉でも押さえきれない熱気に押し潰されることはなく。

「別に、俺だってわざわざ脅しに来たんじゃあねぇんだぜ?」

「は、はぁ……」

 それは失礼なことを、とプロデューサーは反省する。実のところ、警告のために顔を出したのでは、と本気で考えていた。

「こっちで面白ェ情報を掴んだんでな、オメェんとこに持ってきてやったんだよ」

 だが、萩名社長の言う()()()()()である。プロデューサーには悪い予感しかしかしない。

「カカカッ、今宵はまさに決戦前夜ってヤツだぜェ。往けよ、この俺とやり合う気概があるんならな」

「それは一体、どういう……?」

 いつか戦う覚悟はできている。しかし、いまは松塚芸能やPASTの問題を抱えておりそれどころではない。

 だが、社長・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)は、相手の状況になど構うことなくその名を告げる。

 

 出てくんだよ、ファンムードの 首領(ドン)―― 周防原(すおうばら) 明夫(あきお)が――な。

 


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