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⑴
明らかに様子のおかしいナリス姫の動きに、エリスは飛び出した。
だが、ルーデウス自身が不意を突かれて反応しきれなかったように、エリスもまたわずかに出遅れていた。
若い女性とは思えぬほど力強い腕を無理やり解いて引き離すと、姫君はクタリと椅子に座り込む。
いっぽうでルーデウスは、焦点の定まらない視線を数瞬さまよわせ……糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ルーデウス!」
頭を床に打ち付ける寸前で、なんとか抱きとめることに成功したものの、その瞼は閉じられ身体に力はない。
「なによ! どうしたっていうの!」
それからは大混乱となった。
姫君に呼びかけながら駆け寄る侍女。
椅子を倒して立ちあがり、悲鳴をあげる神子。
その声に、控えの間から〝すわ一大事!〟とばかりに全員で飛び込んできた神殿騎士たち。
ナースも興奮して辺りをバサバサと飛び回る。
ほどなく、ナリス姫は侍女たちの手によりベッドへと移された。
眠っているわけではないようだが、目の焦点が合っていない。
「ルーデウス君! 目を覚ませ!」
動かないルーデウスを正気づかせようと、テレーズが頰を叩く。
が、その手首をエリスが掴んだ。
「やめて! 今は無理よ」
ギラリと強い目に射抜かれて、テレーズはたじろいだように引き下がった。
「だ、誰かふたりほど手を貸してくれ。回復棟に運ぶぞ」
「私が運ぶわ。彼にさわらないで!」
近づいてきた騎士を睨みつけると、エリスはルーデウスを抱えたまま立ちあがった。
「どこに行けばいいの? 早く案内なさい!」
「あ、ああ。分かりました。付いて来てください」
テレーズのあとに続いて、エリスが靴音を響かせながら部屋から出ていった。
自分よりひと回り大きな男性を抱きかかえて足ばやに歩き去る後ろ姿を、その場の皆が呆然と見送る。
あとには、狂剣王エリスの残した殺気をはらんだ怒気が立ちこめていた。
しばらくは誰も口をきけず、足を縫い止められたように動けなかった。
⑵
ミリス神聖国、中でも首都ミリシオンは治癒魔術の本場だ。
よそとは比べ物にならぬほど多くの治癒魔術師が集まり、特に優秀な者が教団本部に籍を置いていた。
門外不出、秘伝の魔術も多数ある。
ナリス姫の例を待つまでもなく、金や地位のある人間が、病気を治してもらうために世界中から集まって来ていた。
そんな者たちの滞在する施設が、教団本部の裏手から渡り廊下でつながっている回復棟だ。
夕暮れの廊下を、クリフが急いで歩き抜ける。
昼過ぎに伝言の騎士がやって来て、事態を知った。
あいにく外出まぎわ、とある貴族の葬儀に向かおうというタイミングだった。
自分の親友がミリシオンの教団本部を訪れた目的について、一応ながら聞いてはいた。
ただ、昨日話した時点では、ルーデウス本人も詳しいことはなにも知らなかったのである。
クリフが把握しているのは、神子からの依頼で、病気治療のために訪れている姫君に面会する予定だったということぐらいだ。
それが突然、意識不明で運び込まれたなどと聞かされても、なにがあったのかと驚くばかりである。
それでも司祭としての役割を完璧にこなしたクリフは、急いで教団本部に戻って来た。
先に教皇に会いに行くと、その件については調査を進めつつ対応を協議中ということであった。
「ナリス姫様は友好国からの大切なお預かりものですが、ルーデウス殿もまた背後に龍神が控える重要人物です。
教団として、このままにしておくわけにはいきません。
明日の朝まで待ってルーデウス殿が目覚めないようでしたら、ふたりに聖級から王級、帝級……と神撃魔術を施していくことになるはずですよ。
彼本人からは姫君への神撃魔術の使用を止められていましたが、このような事態となっては、いたしかたないでしょう」
ルーデウスはなぜ、神撃魔術をやめさせようとしたのだろうか?
ナリス姫の症状を聞く限りでは、それなりに妥当な判断に思えるが。
クリフは眉を寄せながら、足を早めた。
⑶
白を基調とした教団本部、この回復棟も真っ白だ。
居室は家具調度、寝具に至るまで白一色。中にいる人間だけが、色彩をもって浮かびあがる。
「クリフ神父」
すぐに立ちあがって会釈したのは、〝
クリフへ連絡をよこしたのも彼女だ。
本来テレーズは枢機卿派に属する身分で、クリフの祖父の教皇とは相対する立場だ。
この件に関しても、ふたつの派閥は意見が対立していたらしい。
今はとりあえず政治的なしがらみは脇に置き、クリフをルーデウスに近しい人間として扱うことにしたのだろう。
枕元の椅子に座っていたエリスは、クリフのほうをチラリと見て、またすぐに眠りつづける夫へと向きなおった。
その一瞥だけで、彼女の中に怒りが渦巻いているのが伝わってくる。
「……どうなんだ?」
ルーデウスの顔を覗き込むと、あまり安らかな眠りには見えなかった。
時折、苦しげに身じろぎしたり、かすかに眉根を寄せたり。しかし、呼びかけには応えない。
「神子様も心配なさって、こちらに来たがってらっしゃるのだが、どうにも許可がおりないんだ。
先ほど、容態を報告しに行った際、気になることをおっしゃっていた」
テレーズの言葉の続きを待たずに、クリフは右目の眼帯をはずした。
数秒ののち洪水のように情報が押し寄せ、やがて識別眼をとおして読み取れる文字が浮かびあがる。
——ひとつの肉体にふたり分の精神が混在しておる。少々厄介な憑依じゃな——
……憑依……? 厄介とはどういう意味だ?
クリフの識別眼でわかることは、魔界大帝キシリカ・キシリスが知っている範囲の内容である。
長く生きているぶん知識経験は豊富な一方、知力の面で少々残念な彼女から授かった識別眼。
助けられた場面は多々あるものの、肝心なところで役に立たなかったりもする。
「神子様が言われるには、ナリス姫様の心の中の深い部分に、もうひとりの人物の記憶がしっかりと絡み付いているらしい。
強力な神撃魔術で無理に消滅させようとすると、姫君自身の心も消えるか、お命に関わる恐れがある、と。
そして先ほど姫君がルーデウス君に、その……口づけする直前、さらに別の者が現れるのを感じたそうだ」
姫君の中にもうひとり? さら別の誰かがルーデウスの中に入り込んだ?
そんなことがありうるのだろうか。
「……なんなのよ! あの女!」
神子のことか、姫のことか。
エリスの怒りは、自分自身にも向けられているようだった。
⑶
鎖はわずかに短くなったものの、ルーシーのペンダントはほぼ元どおりに修理できた。
「……そういうことでしたのね」
細かいパーツを器用につなげながら、エリナリーゼはひとり納得して頷いた。
この緑の宝石は、ルーデウスの瞳の色だ。
幼い少女が選ぶにしては地味な色合いだと不思議に思っていたが、光に透かすと、綺麗な若草色に輝いた。
「さ、なおりましたわ。
補強もしておきましたから、そうそう切れることはないはずですのよ」
「ありがとう、ひいおばあちゃん」
ルーシーはペンダントを受け取ると、留め金を外して銀の指輪をとおした。
「あら、それも一緒ですの?」
ペンダントを釣りあげる時、遺跡から拾った指輪。
この指輪はおかしい。エリナリーゼはひと目でそう思った。
銀製品は、放っておくとすぐに酸化して黒ずんでくるもの。
いつからあそこに落ちていたのかわからないが、普通だったらピカピカな状態で出てくるはずはない。
ごく最近、指輪を同じように落とした人物がいたというのは考えにくいだろう。
触ってもイヤな感じはしないのでルーシーの望むままに持たせているが、マジック・アイテムだったりするのかもしれない。
「ペンダントをおとしちゃった時、わたし とってもかなしかったの。
これをなくした人も、きっと かなしいとおもうんだ。
見えるところに出してたら、その人が じぶんのゆびわだって きづくかもしれないでしょ」
「な……なんて優しい子。きっと、わたくしに似たのですわね!」
愛おしさにギュッと抱きしめていたら、隣でクライブのお腹がグゥと鳴った。
最愛の息子クライブと過ごすのは至福の時間だが、女の子の相手というのも新鮮で楽しいものだ。
乙女趣味全開のルーシーの面倒をみることは、エリナリーゼにとって微笑ましくて嬉しい仕事だった。
その煽りでつい後回しになっていたクライブが、ちょっとかわいそうだったかもしれない。
「ごめんなさいね、お腹空きましたわよね。夕方には戻るって言っていましたのに」
「お父さんたち、おそいね。いそがしいのかな」
夕方どころか、窓の外はもう暗い。
これ以上待たずに、自分たちだけで食事に出ようか……そう考えていると、クリフが現れた。
「このあと、みんなで出かける用事ができたから、とりあえずこれを食べてくれないか」
テイクアウトの料理を広げると、食欲を刺激する匂いにつられて子どもたちが寄ってきた。
「まあ、美味しそうですわね。じゃあ、良い子たちはまず手を洗っておいでなさいな」
「はーい」と元気な返事を残して、ふたりは共同水場へと駆けていく。
それを笑顔で見送ると、エリナリーゼは笑みを消してクリフに向き直った。
「それで、なにがあったんですの?」
部屋に入ってきた時の表情で、なにかトラブルが起こったことはわかっていた。
「ルーデウスが倒れて……目を覚まさない」
「え? どういうことですの?」
「例の姫君との面会中に……いや、話せば長くなるな……」
そこへ子どもたちが仲良く戻ってきたため、話は中断となった。