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⑴
暗闇から、いっきに光の中へ。
——眩しい。
網膜を焼くような光の洪水。
耐えきれず顔を背けようとしても、身体は泥のように重だるくて動かない。
それでも、呼吸はずいぶんと楽だ。
俺は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
ああ……空気がうまい。
「ルーデウス!」
押し殺した、それでいて興奮を隠せていない声。
エリスだな。
どうした?
なにかあったんだろうか。
押し寄せる光に少しずつ慣らしながら、ゆっくり瞼を持ちあげていく。
ぼんやり霞んだ視界いっぱいに、エリスの顔。
何度か瞬きを繰り返し、しだいに輪郭がはっきりしてきた彼女の表情に、醒めたばかりの目を奪われた。
どんな時にも光を失わない、いつも強気な瞳いっぱいに……涙をためて。
俺は同じ場面を見たことがある。
以前に一度、覚えがあった。
あれは、たしか……
そうだ、
「昔……オルステッドに殺されかけた時……」
「もうゴメンだわ! あんな思いをするのは。
このまま死んじゃったらどうしようって、心配したんだからね!!」
さっきとは違うキッパリしたエリスの声に、頭の中の霧がゆっくりと晴れていく。
半泣きで怒りながらも、嬉しそうに笑う……なんとも複雑な感情をぶつけてくるエリスに触れようとして、自分が小さな手を握っていることに気付いた。
視線を落とせば、エリスの声で目を覚ましたルーシーと目があった。
俺の隣にピッタリと身を寄せて寝ていたらしい。
「おはよう、ルーシー」
「……パパ……? ……………パパ!」
そうだ、この手に助けられたんだ。
あの時、小さな手を取らなければ、そのまま闇に飲み込まれていたんじゃないだろうか。
しがみ付いてくる愛娘を、そのままギュッと抱きしめた。
「ありがとう。ルーシーが手を伸ばしてくれたから、パパは戻ってこられたよ」
エリスも、俺たちをまとめて抱きかかえるように上から重なった。
もうだめだという絶望、後悔や未練……
事切れる瞬間の感覚はあまりに生々しい。
かつてトラックに潰されて死んだ時の、いっそせいせいしたような投げやりな気持ちじゃなくて。
あの時と違うのは、なによりも大切に思う、たくさんの者たちの存在だろうか。
泣きたくなるほど幸せで、同時に、以前の身軽さが恋しくなるほど重く恐ろしいことにも思えた。
親子3人でヒシと身を寄せ合って、温もりと確かな感触を噛みしめること数分。
……………ん?
死の淵からのサバイバー気分満載で、人生を哲学したのはいいけれど……
ここは、どこ?
しだいに頭が冷えるにつれ、今の状況への違和感が強くなる。
このフカフカ布団は、明らかに宿屋のベッドじゃない。
気のせいであってほしいが……ほかの人間の気配がするような?
てか、ものすごく視線を感じるし、なんなら今咳払いが聞こえたぞ。
俺は妻子に回していた腕をほどくと、ギシギシと頭を持ちあげて、エリスの肩越しに様子をうかがった。
……げ。
クリフ、エリナリーゼ、クライブ、テレーズ、神殿騎士がひとり、あとよく知らん教団職員っぽい人物も。
そう広くない室内に、人間がみっしり立っていた。
⑵
「どうも皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした」
頭を下げるも、みんなの視線が痛い。
「良かった。もう目を覚まさないかと思ったよ」とテレーズ。
「ちょっと寝すぎですわね、ルーデウス」と笑ったのはエリナリーゼ。
「危なかったぞ。もうしばらく寝たままだったら、問答無用で神撃魔術を掛けられてたところだ」
クリフは部屋にいる教団関係者を振り返り、続けて指示をした。
「すまないが、ルーデウスが目覚めたことを教皇に報告してもらえるか?
それから、ナリス姫への施術もいったんストップするよう伝えてくれ。
細かいことは、僕がこのあと話しに行くから」
「では、私は神子様にお伝えしてこよう」
テレーズとその部下もバタバタと出ていった。
部屋の空気がにわかに活気付いた。
集まっていた人数からすると、けっこうな騒ぎになっていたのだろう。
俺のミスか。
いや、あんなの予測できないって。反則でしょうが。
不可抗力だと思いたい。
とはいえ、迷惑かけて醜態をさらしたのも事実で。
ああ……借り物の服がシワだらけだよ。大使館の人に文句言われそうだな。
上着はどこだ?
うん、向こうに掛けてある。上から羽織れば隠せるかな。
……気まずさのあまり、どうでもいい考えに現実逃避してしまう。
俺は頭をひと振りして、ベッドからモソモソと足を下ろした。
首や肩を回したら、コキコキ音がする。身体が凝り固まっているようだ。
「どれくらい寝てましたかね」
眠っている間に、誰かの半生を追体験してしまった。
不運な神殿騎士と俺自身が渾然一体に溶け合った、不思議な感覚。
あのままだったら、たぶん彼と一緒に俺の心臓も止まっていた。そう確信するくらい繋がっていた。
「倒れたのが昨日の昼前、今はひと晩たって翌日の午前中だ」
「そういえば、わたくしたちが聖ミリス公園で、ルーシーのペンダントを釣りあげていた頃ですわね」
ほぼ丸一日経っているとのクリフの言葉に驚きつつも、それ以上にエリナリーゼのおかしな言い回しが引っかかった。
「釣りあげる? ペンダントを? 魚釣りじゃなくて?」
エリナリーゼの視線をたどって振りかえると、モジモジと下を向いたルーシーがいた。
「パパ、ごめんなさい……
わたし、こうえんのアナボコにペンダントをおとしちゃったんだ。
そしたら、ひいおばあちゃんが、ゆびわといっしょに いとでつりあげてくれたの」
「ええと……指輪って?」
胸元の鎖には、どこかで見たような銀の指輪がぶら下がっている。
「そうか。ペンダント、取り戻せて良かったな」
ルーシーの頭を柔らかな髪の流れに沿って撫でながら、指輪をつまんでじっくり観察した。
……似てる気がする。
タイミング良すぎとは思うけど、いや、良すぎるがゆえに余計そう思う。
これってやっぱり、夢に出てきたアレじゃないのか?
「エリナリーゼさん、この指輪は聖ミリス公園で見つけたんですね?」
「そうですわ。展示されていた遺跡ですわね。奥の床石の隙間から」
「遺跡の奥……床石の下……地下……」
頭の中で、いろいろと繋がりそうな気がした。
「ルーシー、指輪をパパに預けてくれないか? 持ち主に返せるかもしれない」
⑶
あまりにリアルな夢だった。
緑の髪は、シルフィと同様に偶然ラプラス因子を持って生まれたのだろうか。
どれくらい昔の話かはわからないが、少なくとも現代よりずっと魔族への風当たりが強かったのは間違いない。
しかもここはミリス神聖国だ、その苦悩と苦労は想像を絶するものだったろう。
ただし。
彼が実在する人物だったならば、だ。
いくつか事実を確認する必要がある。
嗅ぎまわると、教団からは嫌がられるかもしれないが仕方がない。
このままでは俺も寝覚めが悪いってもんだ。
「昨夜からいろいろ心配かけて、どうもすみませんでした。
俺はこれからやることがあるんで、みんなは先に宿に戻って休んでいてください」
「わかりましたわ。ルーデウスも無理しちゃいけませんわよ」
エリナリーゼは子どもたちの手を取って部屋を出たものの、エリスは動こうとしなかった。
「ルーデウスを守るのが私の役目よ。ついて行くわ」
「ただの調べものだよ。資料室を使わせてもらうだけだから、危険はないって」
「い・や・よ!」
いつもは元気いっぱいのエリスの顔色が、今朝は少しだけ血の気が薄い。
単純に睡眠不足というのもあると思うが、それくらいで参るヤワなエリスではない。多分それ以上に心労をかけたのだろう。
逆の立場だったら、俺は精神的に削られて、見る影もなく萎れてたに違いなかったから。
今回の件に多少なりとも不穏な気配が漂ってきた今、休める時に休んでおいてほしいんだが……
本人には疲れている自覚がないのかもしれないと思いながら、俺はエリスへと手を伸ばす。
「ほら、目の下がクマになってる」
まなじりのキュッと上がった大きな瞳、頰に手を添えて下まぶたに親指を這わせると、エリスがボンッと赤面した。
……お?
エリスは自分からはグイグイくるくせに、受け身になるとめっぽう弱い。
照れるエリスが可愛くて、いつもはつい不謹慎なところを触ったりもするが、加減を間違えると、再び人事不省に陥る危険もはらむ行為だ。
ここはひとつ、じっくり行かねば!と慎重に言葉を紡いだ。
「昨夜は、寝ないで付き添ってくれたんだよな? ありがとう。
エリスがいてくれると俺もすごく心強いし、頼りにしてるんだ。
でも今はいったん身体を休めて、早くいつもの元気な顔を見せてほしい」
お前はルークか!という脳内のセルフツッコミをどうにかやり過ごし、彼女の頰からするりと指を滑らせる。
目ヂカラ込めて見つめる俺と、視線をそらすエリス。数秒の攻防。
やがて赤い顔のままチラリと俺を見上げたエリスは、恥じらうように俯いた。
……か、勝ったどー!
「わ、わかりましたワ。今日は先に戻っていますワ」
ギクシャクと退場する背中を脱力しながら見送ると、エリナリーゼがわざわざ部屋を覗きこんでニヤリと笑った。
慣れないことをするもんじゃない。汗が滲んできたよ。
俺としては、オッパイを触るより、頰を撫でるほうが断然恥ずかしい。
……殴られないで良かった。
エリスも、寝不足でいつもより頭が回らなかったのだろう。
部屋を片付け、身なりを簡単に整えてから廊下に出る。
窓から見る限り、ここはどうやら教団本部施設の裏手らしかった。
本部の裏って、夢の中では例の礼拝堂じゃなかったのか?
渡り廊下から位置関係を確認しても、やはりこのあたりだったはず。
俺の勘違いか? それか、このごろ建て替えられたとか?。
そもそも、ほんとうにこの下に地下空間が広がってたりするのだろうか?
それなら教団側が知らないはずはないし、本部の地下に
うーむ……
わからん。
とりあえず、ミコさんたちのところだ。
⑷
「ルーデウス様! もう大丈夫なんですね! 良かったぁ」
ミコさんは変わらず、明るく元気だった。
「心配したんですからねっ!」と、上目づかいでプンスカ。今日も絶好調だ。
この人いくつだっけ? 20歳過ぎだっけか。
ついでに、ミコさんにくっ付いてトコトコ歩いてきたナースからも上目で睨まれた。
「ナリス姫様、おはようございます。ご気分はいかがですか?」
いっぽうで、昨日と同じように腰掛けている姫君はドンヨリと元気がない。
「ルーデウス様……昨日はわたくし、大変なことをしてしまったようで……。
あまり憶えていないのですが、ほんとうに申しわけございませんでした」
いやいや、と手のひらを振って笑って見せる。
「謝らないでください。あなたのせいではないし、油断していた俺も悪いんです。
それと、お陰でわかったこともあるんですよ」
幾分かホッとした表情になった姫君に許しをもらって、彼女たちと並んで席に着いた。
昨日と同じシチュエーションだな。
100パーセント信用していると言ったら嘘になるけど、まあ、もう大丈夫だろう。
「今日は、エリス様はいらっしゃらないのですか?」とミコさん。
「ああ……夕べ寝てないようなので、宿に帰しました」
彼女は俺の目を覗きこんで、にっこり微笑んだ。
そういえば、目を合わせたら全部筒抜けだったな。べつに隠すつもりもないからいいが。
と、思いつつも、さりげなく目線を外しておく。
ミコさんはホーッと悩ましげに息をつく。こんな姿を護衛の騎士たちが見たら、身悶えするに違いない。
「私、きっと生涯忘れませんわ……」
ひと呼吸ぶん間を置いて、彼女は言葉を続けた。
「ルーデウス様が倒れられた時に、エリス様の瞳の奥に見たものを」
……ん?
ミコさんは、エリスの記憶に一体なにを見たのだろう。とっても気になる。
気になるけれど、頰を染める彼女の様子からすると、たぶんツッコまないほうが身のためだとも感じる。
下手にツッコめば、それこそ俺がエリスに突っこんでいる場面が……エヘン、オホン。
良い子のみんな、今の、ナシな!
言葉を返せない俺をよそに、ミコさんのターンは続く。
「なにより、倒れた夫を軽々と抱きあげて、颯爽と歩き去るお姿のカッコ良かったこと!
私も、エリス様みたいなステキな方からお姫様だっこされてみたいですわ!」
「お? お、ひめさま、だっこ……?」
(おひめさまだっこ〜だっこ〜だっこ〜だっこ〜……)
衝撃的な言葉が、脳内でリフレインした。
「そう! 女の子の憧れ、お姫様だっこです!
もう、ルーデウス様ったら! ほんっとに幸せ者!」
ミコさんは、ボレアス・パンチ並みの破壊力で、俺を打ちのめす。
「あ……あの時、控えの間に屈強な騎士さんたちがゾロゾロいましたよね……?
なんでわざわざエリスが……」
俺は本気で頭を抱えた。
知らないうちに、そんなところでも恥ずかしい姿を晒してしまっていたのか。
「あら、愛する人の身体には、誰の手も触れさせたくないじゃありませんか。
私に恋人はおりませんけれど、わかります。
ひとりの相手を、こんなにも強く一途に想うことができるなんて……あぁっ、なんてステキなのかしら!」
想われるのは非常に光栄なことだけれど、対する俺には妻が3人だ。
とてもじゃないが、俺自身は〝一途〟とは言えまい。
なんだか後ろ暗い気分になったのを、ミコさんは訳知り顔にウフッと笑った。
しまった! 目線外すの忘れてたよ。
「大丈夫ですよぅ! ルーデウス様の愛情はこーんなに大きいのです。
奥様3人とも、それぞれたっぷり愛されて、幸せに思っておられますよ!」
〝こーんなに〟のところのジェスチャーのキレがやけに良い。ババッと風切り音がしそうだ。
鍛錬の賜物で、腕に筋力がついた証拠だろう。
エリスの功績だな。
俺たちのやり取りをあっけにとられて聞いていた姫君が、ハッキリとドン引きした。
「えっ! 奥様が、さ、さんにん……?」
くわばら、くわばら。
ここはミリス教の総本山だった。