「ゴールドシップ!このレース、3度目の宝塚記念!見事ファンの期待に応えて見せました!前人未到の3連覇が、今彼女の手によって叶えられました!」
揺れるレース場。盛り上がるギャラリー。興奮冷めやらぬ熱気。だが、それと相反するように彼女の心は冷え切っていた。
「…つまんねえ」
誰の耳にも届かないその声は、観客たちの声に飲み込まれ、消えていった。
ーーーーーー
ゴールドシップ。黄金の不沈艦。
彼女を一言で表すなら「破天荒」という言葉以上にピッタリなものはないだろう。
普段の学園生活ではワサビやらカラシやら入った劇物焼きそばを売り捌いたり。故郷であるゴルゴル星からの通信をキャッチしたり。海の秘宝を求めて突然海岸線に向かったり…彼女の行動は予測なんて立てられたものではない。
だけど、そんな彼女もレースとなれば真剣そのものだ。時折やらかす時もあるが、頑丈すぎるその恵まれた体は怪我知らず。
追い込みと一口で言っても、中盤からジワジワとスパートを上げて、無尽蔵のパワーとスタミナ武器に周りを圧倒する。観ている人を皆を虜にするような走りは彼女にしかできないと俺は思う。
そんな彼女が先日、前人未到の宝塚記念3連覇を果たした。新聞、ラジオ、テレビ、雑誌と全てにおいて彼女の話題一色だ。SNSではトレンドも掻っ攫い、まさにゴールドシップ時代と言っても過言ではない。
現に今、トレセン学園内でも彼女の成した偉業で話題は持ちきりだ。普段がアレなせいで目の上のたんこぶのような扱いをされる時もあるが、同じ競走バとして実力のあるゴールドシップのことは沢山の学生たちも認めている。
(全く、本当に賑やかなやつだよお前は。)
ゴールドシップの取材記事を見ながら俺は笑いながらコーヒーを飲む。カフェテリアで食事も終えた後の一服は最近のルーティーンだ。周りの学生たちの話し声をラジオがわりにしながら、のんびりと午後の仕事までの時間を過ごす。
そんなときに、視線が気になりふと視線を上げる。ちょうど顔を上げるとパチン、と数人の学生たちと目が合った。
するとどうだ?その子達は互いに顔を見合わせると、何か決心したような表情で俺の元へ一直線に向かってくるではないか。
「あ、あの!」
「うん?どうしたの?」
(なんだろう?変なことしたかな?)
やけに緊張した顔で1人の子が俺に声を掛ける。他の子達も同じように緊張しているようだった。それが俺にも伝わり、何かやらかしたのではないかと不安になってしまう。
だが、次の彼女の言葉に俺はドキリと心臓が跳ねた。
「教官さんが元ゴールドシップさんのトレーナーって、本当なのですか!?」
その質問に周りの子たちのザワつきは消える。代わりに訪れたのは静寂と、此方に向けられる興味と関心の視線。
「あ、あれ?」
「ほら!だからやめとこうって言ったじゃん!」
「だ、だって!気になっちゃったんだもん!仕方ないじゃん!」
あぁ。なるほど。そういうことか。
どうやら彼女たちはまだデビュー前、本格化を迎える前の準備段階としてトレーニングに励んでいる新入生達なのだろう。そして年頃の女の子となれば噂話なんて大好物。それが話題性が高ければ高いほど格好の餌となる。全く、どこから漏れたのか。
周りの視線と、居た堪れない空気に目の前の子達は肩身が狭そうで互いに文句を言い合っている。こういうところは、人間もウマ娘も関係ないんだとつくつぐ感じてしまう。
(しょうがない。そろそろ解放してあげますか。)
「そうだよ。俺は去年までゴールドシップのトレーナーだった。ちょっと彼女と色々あってね、距離を置いたんだ。」
「そ、そうなんですか?」
「うん。それでこの話はおしまい!そろそろ授業も始まるんだから、遅れないようにね。」
俺はそう言ってコーヒーの入った紙コップを片手にその場から逃げるように去る。後ろからなんとも言えない視線を感じるが知ったことか。ずっとこんな場所にいるよりは遥かにマシだ。
「…ねえ。」
「ええ。いきましょうか。」
そんな彼らの一部始終を見ていた2人のウマ娘は、そんな彼の後をソッと追うのであった。
ーーーーーー
つまんねえ…つまんねえ。つまんねえ!
あぁ、どうしようもないほどにつまらない。
いつもなら蹴り飛ばしたくなるジョーダンを見ても。事あるごとに賭け勝負をするフェスタの奴と話しても。真面目ちゃんなフラッシュやマックイーンに悪戯しても…全部つまらない。
世界は白黒に塗りつぶされて。どいつもこいつも同じ仮面を引っ提げて。聞こえてくる声は、ノイズ混じり。海の中にドブンと沈められたときみたいに身も心も冷え切っちまっている。
「…さん。ゴールドシップさん!」
「あ?」
なんだよ。ヒトが考え事してるときに話しかけるなってことを親から教わらなかったのかお前は?今ゴルシちゃんは不機嫌モード真っ盛りだゾ?
「ゴールドシップ。」
「…分かったよ。」
だが、隣に座る男…今のトレーナーの低い声にアタシは睨んだ相手に頭を下げた。そういえば今はなんかの雑誌の取材を受けている最中だった。
(どうせいつもと同じことを言えばいいだけだろ…こんなの。)
決められた質問。決められた答え。美味しいと思ってもらえる表情と声色で…アタシは機械のように取材をこなしていく。ミスもなく、大きな問題もなく事務的にそれは終えられた。
「おい…」
もう取材陣もいなくなり、2人きりになった部屋から立ち去りたくて帰りの準備をしているとトレーナーに呼び出される。全く、なんだってんだよ。
「あんだよ…決められた通りキッチリー」
パァン!
「は…?」
音と衝撃。少し遅れて頬に走る痛みと熱。叩かれたと理解するのにさして時間はかからなかった。
「取材を受けている最中だというのに何を呆けていたんだ!?あぁ!?」
「別に…何も。」
そう答えると男は苛立ったように顔を歪ませ、もう一度アタシの頬を叩いてくる。クソ、コッチが手出さないからって好き勝手しやがって。
「お前はオレの言う通りにすればいいんだ!そうすれば金も名誉も実績も確実に手に入る!それとも…アイツがどうなっても良いのであれば構わないが…?」
アタシはそれを聞いて目を見開き相手を睨む。憎たらしくニヤニヤと笑う男を見て拳を握る。
「お?なんだその目は?文句でもあるのか?じゃあお前のトレーナーがどうなっても…」
「ヤメロォ!」
アタシは叫んだ。悔しくて、苦しくて、今にもこのクソ野郎を殴り飛ばしたいのに…!今は、コイツの言うことを聞くしかないなんて…!
「分かった…から。お前の言うこと…」
「〝お前〟?」
「ッ…〝トレーナー〟の指示に従います…だから、アイツには何もしないでくれ…頼む…」
俯き、拳を握り絞り出すようにそう告げる。男は「ハァ」と大袈裟にため息を吐くだけだった。
「まぁ及第点にしといてやる。今後の身の振り方を覚えておけよ〝ゴルシ〟ちゃん?」
「…ッ!」
男の言葉に睨みつけるも、相手はアタシの肩に手を置いたにニヤニヤとした醜い笑みを浮かべながら部屋を去っていった。
「ウッ…ウゥ…チクショウ…チクショウ…!」
誰もいない部屋でポタポタと涙がこぼれる。ジンジンと痛む頬よりも、胸の奥の方が痛くて痛くて仕方なかった。
「トレーナー…助けて…アタシを、見つけてよぉ…」
力なく膝をつき、誰かに泣き縋るその姿は天に頭を傾げ、冷たい暗闇へと沈み行く一隻の艦を見ているようだった。
ーーーーーー
「命令!本日を持って君をゴールドシップの担当から解雇処分とする!」
「は…?」
突然のことに思考が停止する。そりゃあそうだろう。急に理事長室に呼び出されて、秋川理事長やたづなさん。それに明らかにお偉いさんという顔ぶれが部屋に揃っているのだから。緊張するなと言う方がおかしい。頭が真っ白になる。なのに、解雇処分という言葉だけは耳に残った。
解雇?担当から外される?俺が?
「何故ですか!?」
「上層部からの指示だ!それに、君は彼女と交際しているという噂も立っている!」
「!?」
理事長の言葉に俺は息を呑む。何故、それを彼女が知っている?
狼狽える俺に対して、近くの男は証拠だとでもいいだけに目の前に俺とゴルシのプライベートで腕を組みながら歩く後ろ姿の写真を見せつけてきた。
「いくら君たちが輝かしい戦績を残そうとも、指導者である君と、競技者であるゴールドシップ君が付き合うのは言語道断!ここは神聖な学舎であり、日本…世界にも誇る中央トレーニングセンターだ!世間からの目もあるというのに、何を考えているのだ!」
「し、しかし!」
「言い訳無用!」
バン!と勢いよく開かれた扇子の文字を見て俺は押し黙る。彼女はそれをすぐ閉じると一つ息を入れてから落ち着いて話し続ける。
「…君とゴールドシップ君の活躍を考慮し、学生たちの全体トレーニングにおける教官役を命じる。今度こそ、その手腕が正しく振るわれることを願っている。」
「分かり…ました…」
この状況で何も言い返せるはずもなく、俺は背を向けて部屋を後にした。向かった先はゴルシの待つミーティングルームだった。
「トレーナー!」
「ゴルシ…ごめん…何も言えなかった。」
もうすでに彼女へも話が入っていたのか、ゴルシは珍しく不安な顔で俺に飛びついてきた。そしてことの顛末を話すと彼女はゆっくりと離れて、決心したように俺の目を見て提案をする。
「トレーナー…逃げよう。」
「お前…!自分が何言ってるのか分かってるのか!?」
「うるせぇ!アタシとの約束はどうすんだよ!?エデンは!?海の秘宝は!?アタシと行くって!満足するまで付き合うって言ったのはトレーナーだろ!?トレーナーが嫌でもアタシは力づくでー」
「いい加減にしろ!!!」
興奮する彼女の肩を掴み、一喝する。ゴールドシップはそれを聞いて押し黙った。今思えば、彼女にこんな大声を出したのは初めてかもしれない。
「なんで…?」
「…理事長の言う通りだ。俺は君との距離感を見誤った。俺も、君も有名になった。なりすぎてしまった。」
俺の言葉にゴルシは「嫌だ」と首を振った。俺も同じ気持ちだ。でも…彼女には未来がある。競走バとして輝かしい未来がある。それを、俺みたいな人間一人で台無しにしていいはずがない。
「ゴルシ…今までありがとう。次のトレーナーのところではあまり手を焼かせるなよ?それと、君の活躍を心から願っている。」
「嫌だ…嫌だ、いやだ、イヤ!行かないで!トレーナー!トレーナー!!!」
まるで断末魔のような彼女の叫びを受けながら、俺は部屋を後にした。ドア越しに彼女の泣き声が聞こえてくる。俺だって泣きたくて仕方なかった。でも、今の俺にできるのはこれしかなかった。
そのあと、契約解除の書類に名前を記し俺は彼女のトレーナーではなくなった。彼女には、学園でも有名なチームトレーナーが就くことになった。元はと言えば俺みたいな新人と3年以上付き合ってくれていたのが奇跡みたいなもんだったんだ。こうなるのが普通なんだ。当たり前なんだ。
そう言って自分に何度も言い聞かせて、トレセン学園の教官という立場に就いた俺は未デビューの子や本格化を迎える前の学生たちに向けて基礎体力トレーニングの指導を行いつつ業務に追われていた。一度に沢山の子たちを指導すると言うのは最初は慣れはしなかったが、今となれば問題はない。ただ…彼女と共に過ごした日々と比べればなんとも平和で、退屈な生活だった。
(ゴルシは…あの子は…大丈夫だろうか。)
結局ゴルシとはあれ以来一度も会っていない。元々気分屋ではあるが頭の良いあの子のことだ。3年の付き合いもありこちらのタイムスケジュールや行動パターンを予測して合わないように動いているのだろう。あんな別れ方になってしまったが、彼女の性格を考えるとああするしかなかった。
それでも…彼女を泣かせてしまったのだけは俺の中にも深い傷を残した。今でも夢の中で彼女の絶望に打ちひしがれた顔が浮かんでくる。お陰で連日寝不足だ。
「教官さん?少しお時間よろしいでしょうか?」
眠い瞼を擦るとコンコンとドアをノックする音が聞こえてくる。
「はい、どうぞ〜。」
「失礼します」「…チッス。」
そう言って入室してくるよう促す。すると2人のウマ娘が部屋の中に入ってきた。
「君たちは…!?」
そこに立っていたのは、エイシンフラッシュ。そしてトーセンジョーダン。2人ともかつてゴールドシップと鎬を削りあったライバルにして、友人だ。
ーーーーーー
「なんで…君たちが?」
エイシンフラッシュ、トーセンジョーダンの突然の登場に俺は驚かされる。一体何のようなのだろうか?
「あー…それよりもさ、トレーナー?」
状況の飲み込めない俺に対してジョーダンはツカツカと近づいてくると、座っている俺の胸ぐらを笑顔で掴んだ。
「いっぺん歯ぁ食いしばれや。」
笑顔から一変。低い声が聞こえた次の瞬間、バチィン!という音と共に世界が回り、壁側にある本棚に突っ込んだ。
「〜〜ッ!!!」
「ジョーダンさん!」
「止めるなし!こんなもんじゃ気が済まないし!」
「ウ…グァ…ッ!」
暴れるジョーダンをフラッシュがなんとか止めているようだが、ウマ娘の力でぶん殴られた俺はグワングワンと頭も視界も揺れてしまって立ち上がることもできない。とりあえずぶん殴られたであろう右頬が特に痛い。あと全身。
「落ち着いてください!それ以上手を出してしまったらトレーナーさんが死んでしまいますよ!」
「止めるなぁァァァ!!!!」
「ゴールドシップさんがどうなってもいいのですか!?」
「ッ!」
暴れウマと化したジョーダンにフラッシュも決死に叫ぶ。その言葉を聞いて彼女もハッとしてようやく落ち着きを取り戻した。
「…ゴメン、フラッシュ。トレーナーも。」
「構いませんよ。貴女の気持ちも分かりますから。」
「俺も…思い当たる節ばかりだから…」
落ちてきた本を適当にどかしつつなんとか立ち上がる。口の中には血の味が広がるが幸い歯も骨も折れてはいないようだ。最低限鍛えていたのが役に立った。
「トレーナーさん。手当を。」
「いや、大丈夫。それよりも、ゴールドシップに何かあったの?」
先程のフラッシュの言葉。ゴールドシップがどうなっても良いという台詞に俺も内心穏やかでは居られるはずもない。フラッシュは一度唇を結ぶと口を開いた。
「単刀直入に言います。ゴールドシップさんは、現在のトレーナーの下で、貴方を人質に脅されております。」
「は?」
脅されている?人質?その意味が分からないままでいるもフラッシュは話を続ける。
「トレーニング、レース、取材、SNS…全て彼が思うままに行い、少しでも身勝手な行動をすれば貴方に嫌がらせをし、最悪はトレーナー資格剥奪…中央からも追放すると言われているそうです。以前のようなゴールドシップさんらしい快活さ、豪快さは見る影もありません。まるで操り人形のようで…正直、見ていられません。」
「待ってくれ!アイツはそんなこと一言も…」
「言えるわけないじゃん!」
俺の言葉にジョーダンはそう叫んだ。顔には俺に向けての怒りの色が浮かび上がっている。彼女は俺に詰め寄ると拳で俺の胸を何度も、何度も殴ってきた。
「そんなこと言えるわけないじゃん!3年間ずっと一緒にいて!トレーニングも!レースも!しょうもないことにも付き合ってくれたトレーナーに!大好きな人に!言えるわけないじゃん!好きだから!不安にさせたくないから!悲しませたくないから!傷だらけになって!ボロボロになって泣きながら!歯を食いしばって!アンタのために戦ってんじゃんか!」
俺のことを殴りながら、ジョーダンはボロボロと泣きながら叫ぶ。会えば口喧嘩ばかりな彼女だが、あの子のためにここまで本気で泣いて、怒ってくれている。多分、フラッシュも同じ気持ちなのだろう。
「なんで!?なんでアンタがアイツのそばにいないんだよ!?今、アイツのそばにいなきゃいけないのは!ゴールドシップの隣に居なきゃいけないのは!トレーナーじゃんかよ!逃げるな!向き合え!それができなきゃ、トレーナーなんて辞めちまえ!」
「うわぁああ!!!」と大声で泣くジョーダンを見て、俺は今更ながら激しく後悔をしている。
なぜ、あの時彼女の手を取らなかったのだろうかと。移籍したあと、彼女と連絡も取り合わなかったのかと。もうすでに過ぎてしまった取り戻せない時間を選択した自分自信を激しく憎んだ。
「トレーナーさん。過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。大事なのは、これからではないのですか?」
「フラッシュ…」
「正直なところ…私だって貴方に言いたいことは山のようにあります。ですが、時間は有限。貴方には、真っ先にするべきことがあるのではないですか?」
優しい声色で、慈しむように彼女はそう告げる。俺はそれを聞くや否やドアの外へと駆け出していた。
「2人とも…ありがとう!」
「お礼は結構。場所は分かりますか?」
ジョーダンを宥めながら問うフラッシュに俺は無言で頷いた。彼女もそれを見てニコリと笑い見送ってくれた。
(ゴルシ!待っていてくれ!)
彼女が今、居そうな場所。行くであろう場所はきっと一つだ。そう望みながら俺は前へと駆け出した。