ザザン、ザザンと押しては返す波の音を聞きながらアタシは砂浜に座っていた。特に目的もなく、気づいたらこんなところに来てしまっていた。
(そういや…最初はすんげー暇なヤツなんだなぁって思ったんだよなぁ…)
選抜レースに出て、いろんなヤツに声かけられて…誰もゴルシちゃんに着いてこれなくて…また1人になって…それを何度も繰り返した。
そんな時だった。ずーっとアタシのレースやトレーニングを見てくる1人の男が目に飛び込んできた。ビリになろうが、勝とうが、どんな時も。
なんかビビっとくるものがあって、捕まえて…今みたいに海を見に来て…契約結んで…レースに出まくった。
アイツは本当に変わってて。アタシの無茶振りにも全力でついてきてくれて…レースで勝てばアタシ以上に喜んでくれた。気乗りせず負けた時は「お前らしくていいんじゃない?」って笑ってくれた。そんなこと言うのトレーナーくらいだからな?
トレーニングも、合宿も文句言いながらも着いてきてくれたのはメチャクチャ嬉しかった。アタシの悪戯にも付き合ってくれたし、切ってもきれない仲ってこう言うのを言うんだろうなって思ってた。だけど…それはアタシだけだったみたいだ。
「トレーナー…アタシもう、疲れたよ…」
靴を脱ぎ、裸足で砂の上を歩く。トレードマークのヘッドギアも外し落とすと、軽い音を立てて転がった。足裏から伝わる少しひんやりとした感触が今は心地よい。
夜の海に誘われるように波打ち際に歩いていく。冷たい海水に足が浸かるが、何もかも冷え切ってしまったアタシにはちょうど良かった。
(あぁ…気持ちいいな…)
指先から、足首へ。そして膝下へと浸かっていく。溶けていく。もうこのまま溶けて、どこか遠くに行ってしまおうか?そんな時だ。
「何をしておりますの!?」
「ヘ?」
強引に腕を引かれ、アタシは現実に引き戻される。気づけばアタシは腰の辺りまで夜の海に飲み込まれていたのだった。そして、それを引き止めたのは…マックイーンと、フェスタの2人だった。
「バカヤロウ!何考えてんだ!」
「アタシ…何を…?」
ナカヤマの怒号を聞いてやっと気づく。アタシは今、取り返しのつかないことをしようとしたのだ。ブルリと体が震えるのは、体温が奪われただけではないだろう。無意識に取った行動への恐怖もありアタシの体はガタガタと震え始めた。
「寒い…」
「まずい!早く引き上げるぞ!」
「気をしっかりと持ちなさいゴールドシップ!気絶したら打ちますわよ!」
それはメジロ家のお嬢様にしちゃあ物騒過ぎないかマックちゃんよ…そう思いながらも言うことを聞かない体を2人は肩を貸し、なんとか砂浜まで引き上げてくれた。
「フッ…フッ…」
「おい!タオルかなんかねえのか!?死にそうだぞコイツ!」
「今持ってこさせていますわ!もうしばらくの辛抱です!」
肩を抱き震えるアタシの体をフェスタは必死に摩り、マックイーンは投げ捨てた学生鞄から取り出したスマホのライトを照らし、向かってきたメジロ家お抱えの執事達に合図を送る。
数分もしないうちに来た執事達から、タオルと、乾いたジャージを渡される。体温を奪われて体の自由の効かないアタシは2人に身包みを剥がされ、なんとか着替え終わり今は厚手の毛布にくるまっていた。両隣にはマックちゃんとフェスタも中に入って体温を分けてくれている。執事達はまた何かあればくると一言残し、今はどこかに行ってしまった。
「し…死ぬかと思ったぜ流石に…」
サンキューな、2人とも。そう言おうとしたらガシッと頬をナカヤマに掴まれた。
「次あんなことしたら見捨てるからな。2度とすんな。」
いつものおふざけではなく真剣に怒る彼女の言葉にアタシはコクコクと頷いた。
「…大人しくなったな。お前」
つまらなそうに彼女はそう言うと顎に手をつき、そっぽを向いた。確かに、ナカヤマと勝負する機会も前よりも減ってしまった。こうして話すのも随分久しぶりな気がする。
「なんであのクソ野郎を訴えねえんだよ。」
「…できるわけねえだろ。」
ナカヤマの質問にアタシはギュッと体を縮めながら、震える声でそう返す。
「…あの野郎は、トレセン学園の上層部にも顔が拡いし、かなりの額を投資しているデカい組織の一人息子だ。だから、上の連中だって下手に手を打てない。アタシが歯向かえば…皺寄せはトレーナーに向けられる…だったら、アタシが耐えされすれば…」
「バカかよ!?それじゃあまるで…」
「じゃあどうすればいいんだよ!?」
アタシはナカヤマにそう叫ぶ。彼女はそれに驚き肩が跳ねるが構わず続けてやった。
「アタシが我慢すればいいんだ!トレーナーはこんなアタシに付き合ってくれた!他の連中なら投げ出すようなアタシに尽くしてくれた!だから、今度はアタシの番なんだ!今まで世話になった分、アタシが…」
「黙りなさい。」
ピシャリと。静かで、それでも怒りの色を潜ませた声がアタシを止める。その声の主の方向を見れば彼女は海に視線を向けたままだった。
「その男のことは知っておりますわ。
表向きは、すべての距離と芝、ダート問わず名のある選手が名を連ねる強豪チームを指揮するトレーナー。しかし、その裏では自分の意思に従わない選手には暴力、罵詈雑言を浴びせ、勝てなければその責任を擦りつける。その上実績のある選手がいれば財力の限りを尽くし、強引に自分のチームに加入させる…中にはありもしない理由で学園から追放されたトレーナーもおりますわ。」
ギシッ、と彼女が歯を噛み締める音が聞こえる。膝を抱える拳は血でも滲むのではないかと言うほど硬く握り締められていた。
「…貴女もそうなんでしょう?それでも貴女のトレーナーさんが学園から去っていないのは、理事長のせめてもの抵抗でしょうね。納得はできませんが。」
そう言うとマックイーンはその鋭い視線をアタシに向けた。その威圧感に思わず鳥肌が立つが、彼女はアタシのジャージの襟を掴むと力強く引っ張ってきた。
「グェッ…」
突然の息苦しさに顔を歪める。目の前にはジッとアタシの瞳を…その奥にあるアタシの心さえも見ているかのようなマックイーンの顔がある。ただ、普段からメジロ家として振る舞う彼女とはかけ離れた行動に驚かされた。たぶん、ナカヤマのやつもあっけに取られているはずだ。
「ゴールドシップ…貴女はいつからそんな腑抜けになりましたの?」
「ーッ!さっきも言っただろ!アタシが歯向かえば…」
「じゃあ質問を変えましょう。貴女は、トレーナーさんと、どうなりたいのですか?このまま惨めに這いつくばり、あの下衆の言いなりになるか。それとも、自由に、思うがままに…彼と人生を歩んでいくのか。選びなさい。ゴールドシップ。」
首を絞める手は緩められ、優しい声色で彼女は告げた。「素直になっていい」と言われているようでアタシは少し間を空けて、ボソリと答えた。
「生きたい…トレーナーと一緒に居たい…アイツの横で、バカなことして、うまいモン食べて、いろんな所行って、一生笑っていたい…トレーナーに会いたい…会いたいよ…!!!」
ボロボロと涙を零しながらアタシは本心を告げた。小っ恥ずかしくて、正面から言ったことはないけれど…今なら言える。離れて分かった。好きなんだ。トレーナーが、好きで好きで仕方ないんだ。だから、こんなにも辛いんだ。こんなにも、愛おしくて仕方ないんだ。
「トレーナー…トレーナーぁ…!」
同じ言葉を繰り返しアタシはワァワァと泣き出してしまった。もう無理だ。グチャグチャになった心の整理もつかずアタシは子供のように泣き叫んだ。ナカヤマも、マックイーンもそれを止めようとはせず、好きなだけ泣けばいいと背中と頭に手を添えてくれた。
「やっと本心言いやがったな。」
「えぇ…よかったですわね。トレーナーさん?」
「…へ?」
マックイーンの言葉にアタシの涙はピタリと止まった。横にいる彼女の顔を見たら微笑みながらアタシ達の背中の方に視線を向ける。それに従い顔を向けたら…顔を真っ赤にしたトレーナーが立っていた。
「…」
「…いつから?」
「お前が俺と生きたいと言ったところから「ゔわぁぁぁぁぁぁ!!!!」グハァッ!!?」
トレーナーが言うや否やアタシは全力のドロップキックをかましていた。見事に命中するとトレーナーの体は宙を舞い数メートルほど吹き飛んだ。
「忘れろ!忘れろバカぁぁぁあ!!!」
「いや無理だろ!?」
「じゃあアンタを殺してアタシも死んでやるゥ!!!」
「お前俺のこと大好きだな!?」
砂の上に倒れるトレーナーに飛び掛かると彼は悲鳴に近い叫びをあげるが、どこか嬉しそうだった。アタシも懐かしい彼とのじゃれあいに内心嬉しくて仕方なかった。尻尾も激しく揺れているが知らないフリをする。
「おーおーお熱いことで。」
「フフッ…本当ですわね。微笑ましいですわ。」
やれやれと呆れるナカヤマと、アタシらの行動を見てニッコリと笑うマックイーンをアタシは睨む。だが2人はなんともないように笑うだけだった。
「さて、トレーナーさん。」
「ん?」
マックイーンの声掛けにトレーナーは反応する。アタシも同じように彼女を見ると真剣な眼差しで告げた。
「逃げなさい。お2人で…今回のほとぼりが冷めるまで。」
「「え?」」
驚くアタシらに対してマックイーンはいつもと変わらない口振りで話を続ける。
「勿論、お二人の道中やその後はメジロ家が責任を持ってサポートさせていただきます。報道陣や一部のファンがその気になれば厄介この上ありませんから。ゴールドシップさん、貴女はは大学に進むつもりなのでしょう?ドリームトロフィーリーグに挑むかどうかは存じ上げませんが、まだ学園に籍はおくべきでしょうから、休校扱いにしておきますわ。トレーナーさんは…ゴールドシップさんのメンタルケアに伴う長期休職というのが妥当ですわね。」
淡々と話すマックイーンにアタシらはついていけなかった。隣に立つナカヤマが何も反応しない辺り彼女も既に知っているのだろう。
「…でも」
「じゃあ戻るか?あのクズ野郎に言われるがまま。されるがままで、ボロ雑巾にされるのを待つのか?」
ギロリと睨むナカヤマにアタシは目を逸らした。だが、トレーナーは彼女の言葉を聞いて顔色を変えた。
「フェスタ。どう言うことだ?」
「言葉通りだ。ソイツはアンタを人質に好き勝手されていたのさ。逆らえばアンタに酷い仕打ちをするって脅されてな。知らなかったは無理ねえわな。それさえも口止めされてたんだからよ。」
ナカヤマの言葉を聞いてトレーナーは体を震わせた。相手に対する怒りと、自分に向ける罪悪感でいっぱいいっぱいになっているんだろう。
「トレーナー…」
「…すまない。ゴルシ。君がそんなに追い詰められているのに、俺は何もできなかった。」
「いいぜ、別に。こうして来てくれたんだから…それでいい。許す。」
顔を手で覆い、謝るトレーナーをアタシは抱きしめながらそう言った。久々に感じるトレーナーの匂いに頬が緩む。ギュッと優しく抱きしめ返してくれた彼の腕に収まるのはなんとも落ち着く空間だ。
「…ところで、なんでメジロ家がここまでフォローしてくれるんだ?それに、ジョーダンや、フラッシュ。フェスタも」
そう尋ねるトレーナーにアタシも確かに、と2人の方を見る。アタシも一応…メジロ家の遠い遠い血族ではあるけどほぼほぼ赤の他人だ。彼女達と一緒につるむ時間は多いけど、ここまで手厚いフォローをしてくれるようなことをされることをしたつもりはない。
トレーナーの質問に対してマックイーンとフェスタはキョトンとした顔をした後に「ハァー…」と大きなため息をついた。
「オマエな…そんなのに理由見つけようとするんじゃねえよ。カッコつかねえだろう…」
頭を掻きながら目を逸らすナカヤマ。それを見てマックイーンも「全くですわ。」と困ったように笑うのだった。
「共に走り、競い合うライバルを…友人を。その友人の想い人を助けたいと思うことに理由などありませんわ。」
そう話す2人と、ジョーダンとフラッシュの2人の顔も脳裏に浮かんでアタシはまた泣きそうになる。ゴルシちゃんの涙は安くねぇんだぞ…全くよぉ。
「さて、話はここまでですわ。車も別に用意しております。2人は早くそちらに向かってくださいまし。大丈夫…この件が収まり次第すぐ学園に戻って来られるよう生徒会の方々にも話は通しておきますので。」
そしてマックちゃん…お前有能すぎるだろ。多分、ナカヤマやフラッシュ、ジョーダンも絡んでいるだろうけど。アイツらの交友関係も考えたら敵に回ったらと考えるだけで背筋が凍るってもんだ。
だけど、今はその言葉に甘えるとしよう。
アタシはトレーナーの顔を見る。彼も、何を言われるのか分かりきった顔をしていた。
「トレーナー…逃げようぜ。アタシと。」
「あぁ。一緒に行こう。」
アタシの願いを、彼は肯定してくれた。優しく笑うトレーナーにアタシも笑った。
そのあとはメジロ家が用意したと言う車に2人で乗り込む。トレーナーとアタシの貴重品は回収されていたし、変装するための服も数日分用意されていた。…流石に問題があるとは思うが現状が現状だから深く突っ込まないことにする。
車のドアを閉められ、アタシらはひとまず府中から離れた駅まで向かうことにした。そこからは適当な場所に向かうことにする。まぁ、格安アパートの一部屋に2人で住む鉄板コースを楽しむのが第一だな。
「トレーナー」
「うん?」
アタシの呼びかけにトレーナーは顔を向けた。彼の肩に頭を預けて、ペシペシと耳でその顔を叩く。彼はそれを笑って受け止めてくれた。
「…もう、アタシの側から居なくならないでくれよ。」
アタシはゴールドシップ…黄金の不沈艦。だが、場所を示す羅針盤もなく、迎え入れてくれる灯台もない暗い海原に放り出されれば暗い海原を迷い続け…沈んでしまう。アタシにとっては、トレーナーがそうなんだ。アンタが居ないと…アタシは沈む。沈んでしまう。
そんなことを言わなくても、トレーナーは察してくれたのだろう。ポンポンと反対の手でアタシの頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ。ゴルシほど一緒にいて楽しい人は居ないからね。君と出会えて、俺の人生は退屈じゃなくなった。それは、これからも変わらないだろう?」
「プロポーズに早すぎるんじゃねえの?」
「いつかはするつもりだったからいーの。」
うわぁ…美少女ゴルシちゃんにゾッコンだこの変態トレーナー…まぁ、アタシもなんだけど。
そのあとは2人は黙ったままだった。駅に着くまでの間、疲労の溜まっていたアタシ達は互いの熱と匂いを感じながら、気付けば意識を手放していた。
ーーーーーー
カツ、カツ、カツ
規則正しい靴音が、無機質なコンクリートの通路に響き渡る。照明はなく、埃臭い道を彼女達は歩いていた。そしてある扉の前に行き着くと、先着が待っていた。
「あ、ヤッホー。」
「遅刻ですよ。お二人とも。」
「申し訳ありませんわ。」
「ワリイ。」
気軽に挨拶を返すトーセンジョーダン。腕時計を確認して遅刻を指摘するエイシンフラッシュに到着した2名は謝罪する。
「で?ゴルシとトレーナーはどうなったし?」
「ええ。もう大丈夫でしょう。2人とも今は府中市の外に向かっている道中です。」
マックイーンの言葉を聞いてジョーダンとフラッシュはホッと肩を下ろす。それを見てナカヤマはニヤニヤと笑った。
「なんだかんだ言いつつ、アイツのこと好きだよなお前も。」
「そんなんじゃねーし!いつものアイツに戻ってくんないと調子狂うだけだけだし!」
照れ隠しに叫ぶジョーダンに3人は笑った。そして一頻り笑い合えると4人は扉を…正確には、扉の奥にいるであろう人物に視線を向けた。
「さて…それでは〝お仕置き〟と参りましょう。」
冷ややかなマックイーンの声に、3人もそれぞれ頷いた。
友を。ライバルを。好き勝手にされてボロボロにした輩を野放しにするほど、彼女達は甘くはない。扉を開けた先、部屋の真ん中には一つの椅子が。そしてその椅子には縄で縛り付けられ、口を塞がれ喚く例のトレーナーがそこにいた。
「しかし、本当に良いのですか?」
「ええ。あの男程度の財力、権力などメジロ家に比べれば些細なものです。すべて手中に収めましたのでご心配なく。それに、ルドルフ会長含めた生徒会。フェスタさん、ジョーダンさんのご友人方の情報もあるので被害者の方々の証拠もございます。私のトレーナーにも伝えておりますので、あのクソ野郎…いえ、外道の居場所などもうすでにありませんわ。」
そう聞くとフラッシュは「そうですか」と呟き、黒い手袋をはめてゴキン、と骨を鳴らす。その目は養豚場の豚を見るかのように冷ややかで、男は冷や汗を浮かべ震え上がった。
「ならば、手加減は無用ですね。えぇ、えぇ。そんなに不安そうな目をしないでください。〝ちゃんと計算通り〟に躾直してあげますので。あぁ、でももしかしたら。つい、うっかりと。手元が狂うかもしれませんが…その時は、ごめんなさいね?」
「フフフ」と怪しく笑う彼女の後に、男の断末魔が部屋の中に響き渡った。