明けて月曜日、十分に解消しきれなっかった寝不足と幸福感とで少々ぼーっとした朝を迎えた彼は、その状態のまま結局一日を過ごしてしまい、夕方には穂波といつものように帰り道を辿る。
いつもよりもいくらか口数の少なくなった二人だが、それでも互いの距離感は先週までよりもずっと近づいたようで、自転車を押していなければ手をつないで歩いていたかもしれない。
いつもの分かれ道でそっと手と手を触れあわせて別れた二人は、何の根拠もなくこの幸せがいつまでも続くような錯覚に陥っていた。
しかし、その幸せはたった2、3日しか続かなかった。
木曜日の朝、再び彼らの学校に紺色の大型車が訪れ、彼らに非情な現実を突きつける。
またしても男子生徒達は教室で自習させられ女子生徒だけが体育館に呼び出されるが、今度はひたすら待ちぼうけにはならず、せいぜい30分ほどで彼女達は席に戻ってきた。
だが、そこには吹輪いぶき、村越美空望、白石雪乃、そして――穂波の姿はなかった。
(穂波ちゃん――まさか、まさか、本当に――)
居ても立っても居られない隼太は、今すぐ席を立って体育館に駆けつけたい気分だったが、それでも必死に自分を押さえつけてひたすら時間が経つのを待ち続ける。
間もなく休憩時間になり、チャイムが鳴るのと同時に勢いよく立ちあがった彼の耳に、ガラッという扉を開ける音が響いた。
驚いて――彼だけではなくクラスの全員が――振り返ると、いぶきを先頭に4人が室内に入ってくる。
最後尾にいた穂波の姿を認めた彼は、辛うじて声をかけそうになるのを思いとどまるが、クラスの中からは彼女たちに声がかかった。
にもかかわらず4人はそれに対してかすかな反応すら見せず、穂波はもちろんのこといつも朗らかないぶきや、あのクールで辛辣な村越ですら口を真一文字に固く結び、軽く蒼ざめた様な緊張した面持ちで自分達の席に向かい、押し黙ったまま慌ただしく帰り支度を始める。
彼に限らず、声を掛けたクラスメートたちも彼女らの異様な様子に気圧されたのか、ただただ無言でその様子を見守るばかりだ。
やがて帰り支度を終えた彼女ら(やはり穂波は一番最後だった)は、一言も口をきかないまま教室の出口に向かうので、たまらなくなった隼太は思わず
「穂波ちゃん!」
とクラス全員の前であることも忘れて声をかける。
その声にビクンと反応して立ち止まった穂波は弾かれたように彼の方を振り返ったが、そのまなざしが隼太の視線と交わった瞬間、今にも泣きだしそうな心細さを溢れさせ、
「隼太君……」
と縋り付くような声を出す。
体の奥からどっと感情が湧きあがってくるのを感じた隼太は、自分が何をしたいのかも覚束ないまま彼女に駆け寄ろうとするが、彼が動き出すのと同時に堅物の白石――ではなくてなんといぶきがズイと進み出るなり、キッときつい視線を穂波になげかけ、
「ダメよ穂波ちゃん! 話してはいけないって言われたでしょ⁉」
と強い口調で言い放つ。
(ふ、吹輪さん――)
彼だけでなく、クラス全員がいつものいぶきとのあまりの違いに面食らってしまい、黙り込んでしまう。
「さあ、行くわよ⁉」
「う、うん……」
相変わらず厳しい物言いのいぶきが穂波の腕をつかんでくるりと背を向けさせると、その様子を見た村越が一瞬顔をそむける。
そして普段とは全く逆に白石が隼太に向き直り、
「ごめんね、何も話さずに帰宅の用意をしてきなさいって言われているの。だからこらえてあげてね」
と、通常であればいぶきが言いそうなことをいかにもすまなげに口にして、視線を落とすと彼に背を向ける。
そのまま彼女達は教室の後ろ扉を出て、最後に村越がちらっと隼太を一瞥してからガラガラと音を立てて扉を閉める。
後に取り残された隼太達は、ただただ茫然とするばかりだった。
その夜、隼太は穂波の端末にしきりにメッセージを送るが一向に音沙汰がない。
じりじりしながらも、あまりしつこくして穂波がプレッシャーを感じないように気を付けながらなおもリアクションを待っていると、そろそろ寝ようという時間になって、
『家でたくさん話さなきゃならないことがあるの……だから、少しの間はごめんね隼太君……』
と、いかにもすまなげな彼女の顔が浮かぶような返事がある。
(穂波ちゃん……俺、何にもしてあげられなくてゴメン……)
そう思った彼は、実際にその様な返事を返してそのまま床に就く。
彼女のために何かをやらねばならないものの、それが何なのか何をすべきなのかという迷路のような想いがぐるぐると果てしなく脳裏を旋回していた。
翌日、4人は揃って学校を休んでいた。
全くそんなつもりもないのに、気が付くと穂波のいない席をちらちら振り返っている自分に気が付いてしまう隼太ではあったが、いつもであればそれを思いきり突っ込んでくれる村越もまたいないのだ。
そんな状態でまともに授業が頭に入るはずもなく、ただ席に座り続けているだけの存在になっていたものの、それは彼ばかりではなくクラスの男子達もほぼ全員が似たような挙動不審者と化しており、残った女子達もみなそわそわとして落ち着きがない。
そんな様子を見て取った担任が、さすがにこのままでは不味いと思ったのか終業時のホームルームで、
「いいか、絶対にべらべらしゃべるな。約束できん奴がいるならこの話しはなしだ」
と言い出した。
もちろん約束できないなどと言う者はおらず、少し緊張気味の担任はおもむろに話し始める。
曰く、これまで10年以上に渡って海軍は適性検査を実施してきたが、たった30人程の被験者の中から一度に4人も適格者が見つかったことなどただの一度もなかったことだという。
無論、単なる偶然だという事は簡単だが、どう控えめに見たところで偶然では片づけられないこの結果について、海軍内部でも相当な議論があったらしい。
とはいうものの、この結果に対する調査は後々のこととして、今回実際に適性が明らかになった4人については、艦娘に志願するかどうかについて家族とよく話し合って決めて欲しいとのことで、それは彼女達に伝えられると同時に家族に対してもすでに連絡しているという。
従って今の時点ではまだ何の結論も出ていないが、4人とその家族の意思が固まるまでは学校を休むことになるので、その間皆にはノートやプリントの配布などについて協力してほしいとのことだった。
ただ、候補者不足に悩んでいる海軍からは、もし志願してくれるなら、可能な限り彼女達が希望するタイミングを優先するもののできることなら今すぐに受け入れたいし、そのための環境整備は惜しまないと言われたようで、実際すでに住環境や教育環境などが整備されている横須賀で受け入れる準備を整えているとまで具体的に説明を受けていた。
それらをひとしきり説明した後で、担任はこう話を締めくくる。
「君らにとって戦争は遠いところで起こっている話かもしれんが、現に戦争は続いているし、しかも特殊な能力も何もない男の兵士ではむざむざ殺されるだけになりかねないから、どうしても艦娘に頼らなければならないのが現実なんだ。だからもし彼女らが志願してくれるなら、我々も村を上げてその後押しをしなけりゃならんだろう」
その言葉が終わった後の教室は、全員が呼吸する音しか聞こえないほど静まり返ってしまい、話をした当人である担任ですら居心地悪そうにキョロキョロしてしまう。
その空気の中で発言することは本来大変な努力がいりそうなのだが、今の隼太にとっては黙っていることの方が却って苦痛だった。
「先生!」
「なんだ敷島」
「でも、それじゃあもし断りたいと思ってても断れないじゃないですか」
「そんなことは無いぞ、もし嫌だったら断っても構わんと海軍からははっきり言われとるんだ」
「だって今、後押しするって言ったじゃないですか、それに海軍は返事も聞かないうちからどこで受け入れるかまで決めてるんでしょう? そんな中で断るなんて本当にできるんですか?」
「――まぁ――、確かに全員で断りでもせんかったら、少々居心地の悪い思いもするかもしれんが……」
「居心地悪いどころじゃないですよね⁉ 結局、全員志願するか全員断るかどっちかしかできんと言う事ですよね⁉」
憤然と言い切った彼の声が教室内に響いた後、再びその場は水を打ったように静まり返ってしまい、担任はもとよりクラス全員の沈黙が重苦しく彼らの上にのしかかる。
それでも教師としての義務感を発揮した担任は、苦しげにしながらも再度口を開く。
「敷島、お前が言いたいことはよく分かるし、お前の気持ちもわかっとるつもりだ。――ただな、さっきも言うた通り艦娘でなければ満足に敵と戦う事すらできんのだ。だから、もしも艦娘のなり手がおらん様になったら、じきに船を出すことすら出来んようになってしまう。社会の授業でもちゃんと言うとる通り、日本の国や国民が日々生活していくためにはどうしても海外の資源や物産が必要だし、海外の市場で製品を売らなければ企業は成り立たん。今、日本はオリジナルや艦娘のおかげで何とか船で海を行き来できとるが、もしそれが叶わん様になれば確実に破綻するだろう。現にいくつもの国がこの15年ほどの間に破綻しとるんだ……。そうなりたくなかったら何とかして敵と戦うしかないし、それができるのはオリジナルと艦娘だけだ。我々ができることは、ただ裏方として彼女らを支えて送り出す以外には無いんだ……」
生徒たちの前で、校長を含めた教師の誰かからこんな素の言葉が出るのは、おそらく初めてだっただろう。
担任の言葉尻には、何とも言えない無力感がこもっていた。
(でも――それでも――)
思わず隼太は唇をかむ。
(だからって――何もしないでいるなんて――俺にはできない――やっぱりできないよ……)
確かに、戦争の事にしても日本の国の事にしても今の隼太にできることは何も無いのかも知れないが、ただ穂波のためにならばまだ何かできることがあるはずだ。
そう思った彼は、一つの行動を起こす決意を固めた。