週末をじりじりしながら過ごした彼は、翌週クラスの女子に頼み込んで吹輪いぶきの端末アドレスを教えてもらった。
今回の騒ぎでクラス中に隼太と穂波が付き合っていることはバレてしまったわけだが、状況が状況なだけに誰からも冷やかされたりすることはなく、特に女子達はかなり同情的だった。
おかげでずいぶんすんなりと教えてもらえたわけだが、このことは穂波には言わないで欲しいと付け加えることも忘れなかった。
隼太が何をしようとしているか分かってしまえば、彼女を不必要に心配させてしまうことは明らかだったからだ。
そして一夜、緊張気味にいぶきのアドレスを入力した隼太は、内臓がせりあがってくるような不快感に抵抗しながら、じりじりと彼女の返事を待ち受けていた。
(隼太君! 突然どうしたの? あたしのアドレスなぜ知ってるの?)
(吹輪さんと話がしたかったから、無理言って教えてもらったんだ……たいへんな時にごめんね)
(ううん、そんなことないよ! 隼太君から連絡貰えてうれしい♪ それに苗字じゃなくていぶきでいいよ!)
(ありがとう、それじゃいぶきちゃん、出来たら会って話したいんだけど出来るかな?)
(いいよ! 土曜日で良い?)
(うん、ゑびす記念館の碑の前とかだめかな?)
(え~一緒に盛岡行きたいなぁ~、ねぇ行こうよ♪)
(こんなたいへんな時にダメだよ! そんなことさせるわけにはいかないよ)
(あたしは別にいいのにぃ、ほんとにそこでいいの?)
(うん、無理言って悪いんだけど、2時にそこでいい?)
(わかった、じゃあ土曜日ね!)
(ありがとう、よろしく!)
やり取りを終えた瞬間、彼は期せずして深いため息を吐く。
何気なく額に手をやってみてはじめて気が付いたが、いつの間にか汗びっしょりになっていた。
とは言うものの自分でも無理のない話だとも思う。
何様いぶきは志願に積極的なのだから、それを否定するような意見をそう簡単に聞き入れるとも思えない。
だが彼女以外の2人について言えば、村越は明らかに志願には消極的な様だし、白石は彼らと価値観は違うものの、日頃接している限り自分の主張を一方的に押し付けるタイプではない。
となれば、やはり一番志願に乗り気だと思われるいぶきを説得することができない限り、全員が志願せずにこの村に残るという選択は不可能だろう。
(けっぱれ、俺! 穂波ちゃんのためなら何だって出来るだろ⁈)
懸命におのれを叱咤しながら、隼太は土曜日を待った。
そしてその朝、緊張のあまり早くから目を覚ました彼は、部活の練習に出て2時間ほど汗を流したあとでさっさと切り上げて自宅に戻る。
昼食のテーブルを囲んだ家族は、隼太の内心を気遣ってか当たり障りのない話題をしてくれているが、そんな空気を読み切れない浪江だけは、
「あんちゃん、またデート行ぐのが? 穂波が艦娘になる前にデートしどぐのが?」
と、彼の感情を逆なでするようことを口走る。
一瞬カッとなりかけた隼太より一歩早く義姉が
「こらぁ! 隼太兄ちゃんの気もしらねぇで生意気ばあか言ってんでね、こんわらすは!」
と窘めてくれたので大声を出さずに済む。
ところが、言われた浪江はキョトンとした顔で
「なんでだ? 穂波は艦娘にならねのが? 嫌なのが?」
と不思議そうに問い返す。
このリアクションにあっけにとられ黙ってしまったのは隼太ばかりではなく、食卓を囲んでいた大人たちも同じだった。
やがて兄が真顔で
「浪江、おめ怖ぐねのが? 戦争さ行ぐんだぞ? 死ぬかも知れねぇぞ?」
と聞き返すと、彼女はなにやら憧れの入り混じった表情で、しかも少々得意げに
「だってぇ艦娘はすげぇんだぞ、そんなに簡単にゃやられね! そん前にやっつけちまうんだぞ? おれだって艦娘になってみで!」
と無邪気に応じる。
(いぶきちゃんだけじゃないんだ、浪江までこんなこと平気で言うんだ……)
やはり女性はみな強いのだろうか?
だとしたら、穂波が戦場に行ってしまうかも知れないというだけで居ても立っても居られない自分(も含めた男達)とは一体何が違うのだろう?
隼太がそんな疑問を抱きかかった時、突然義姉が大きな声を出す。
「馬鹿言ってんでね! おめが死んじまったらどうすんだ! おれがなんで行かせるだ!」
そう叫ぶように言って涙を浮かべる。
「ほら落ち付け、浪江がいぐわけじゃねだぁ」
そう言った兄がその肩に手をまわしてやると、大声を出されて驚いた浪江も急に悲しくなったものか涙を溢れさせ、
「なしてだ、なしてわがねだ――おれがわがねのか……」
と言いながら俯き、机の上に涙を滴らせる。
母が立ち上がって傍らに寄り添い、その両肩を抱くと浪江は母にしがみついてすすり泣く。
なんとも気まずくなってしまったその場の空気に耐えられなくなった隼太が立ち上がると、父が顔を向けてくる。
「隼太、けっぱれ。五十田さんのこど好きなんだったら、うんとけっぱれ」
静かだが強いその言葉に背中を押されたように感じた彼は、ぐっと腹に力を入れて応える。
「うん、俺けっぱる、うんとけっぱるから」
そう言い残して食卓に背を向ける。
今はとにかく当たって砕けるしかないという思いが全身にみなぎっていた。
すでに10月になっていたが、まだ寒くなるというには程遠い陽気の中、待ち合わせ場所に自転車を走らせる。
そして間もなく彼が碑の前に辿り着くと、いぶきは既に到着しており所在無げにぶらぶらしていたが、彼の姿を見るとパッと輝くような笑みを浮かべる。
全身から喜びをあふれさせて
「隼太君!」
と呼びかけて駆け寄ってくる彼女が、いくら穏やかな陽気とはいってもちょっと季節外れなのではないかと思えるほど開放的な服装をしているのに気づく。
胸元が大胆に空いた上衣から覗く素肌や、挑発的に切れ上がった様なホットパンツからのぞく太腿がやたらに眩しい。
思わずどぎまぎしてしまう隼太の様子をいぶきは見逃さず、歩みを緩めてゆっくり近寄ってくると一瞬ちろりと舌を出して唇をなめ、上唇で下唇を咥えながら上目遣いに見上げてくる。
「うふっ、ちょっと大胆だったかなぁ♪ 隼太君はこういうのあんまり好きじゃなかった?」
そんな筈は無かった。
同年代の女子のこんな恰好と積極的な好意が嫌いな男子などいるわけもなく、ましてやそれが明るく可愛いいぶきなのだから、これが隼太でなくいぶき派の男子であればこの時点でもうメロメロになっているところだ。
だがどうしたことか、目の前にいるいぶきの姿に重なるように、穂波のどこか心許なげな姿が浮かび上がってくる。
(穂波ちゃん――)
一瞬揺らぎかけた隼太の自我はここで改めて踏ん張り直し、抵抗しがたいほどに蠱惑的だったいぶきが普段学校で見かける時と同じように見えてくる。
(よ、よし! けっぱれ隼太! やるぞ!)
必死におのれを鼓舞する彼の瞳に自身の姿が映っていないのをどうやら確認したらしい彼女は、少々残念そうな表情を浮かべたものの、すぐにいつもの愛想の良い笑顔に切り替えてくる。
「それで? 話しってどんなことなの?」
そう水を向けられた彼は、昨夜からさんざん反芻してきた言葉を慎重に引っ張り出す。
「あ、あのね、いぶきちゃんはもうどうするのか決めたのかな?」
この様な質問は予め想定内だったらしく、いぶきは笑顔を浮かべたままで
「ううんまだだよ? 気になるの?」
と、再び彼の瞳の奥を覗きこむように問い返してくる。
「うん、気になるよ。だって戦争に行くってことだよね? それって、命の危険もあるってことなんだしさ」
これを聞いた彼女は、先程一旦は仕舞い込んだ積極的な好意を再び漂わせながら
「わたしのこと心配してくれるの? 嬉しいな――ありがとう隼太君♪」
と呟くように言うと、くるっと背を向けて碑のぐるりを回るように歩き始める。
「うふっ、隼太君にそんなこと言われちゃったら迷っちゃうなぁ~――どうしよっかなぁ……」
「え――それじゃいぶきちゃんは、艦娘になるつもりなの?」
「だってぇ、普通の軍隊じゃ深海の敵と満足に戦えないんでしょ? でも、艦娘にはそれが出来ちゃうなんてすごいと思わない? なんかそういうの憧れるなぁ~って思ってたの」
「で、でもさ、本当の戦いになったらさ、敵の弾も飛んでくるんだよね? もし中ったら大けがしたり、し、死んじゃったりするかも知れないよ? いぶきちゃんは怖くないの?」
「正直に言うとねぇ~――実はそのことあんまり考えてなかったの、えへへっ♪」
思わずあっけにとられるほど、いぶきは能天気な返事をして見せる。
(これって真面目に言ってるのかな? それとも――なんかはぐらかされてる? 分からないよ……)
彼女の真意がなんなのかは図りかねるものの、なんとなく想像できることはあった。
いぶきに見えているのは、ひょっとすると艦娘になって戦場に立つ自分の姿ではなく、横須賀という都会で暮らす姿なのかも知れない。
いぶきに限らず、斯波中の生徒達で都会への憧れを持たない者はおそらく少数派だろう。
隼太は子供のころに一度だけ東京に行ったことがあるが、彼にとって大都会の忙しなさや騒がしさは良い印象としては残っていない。
同じ都会でも小学校の修学旅行で行った仙台の街の方が良いと思ったし、さらにそれよりも盛岡の方が良いと感じるくらいなので、自分には東京や横濱と言った場所に対する憧れは無さそうだと思っている。
そして、穂波もまた彼と同じ考えを抱いていることを知って互いに強いシンパシーを感じたくらいなので、いぶきが多数派に属していてもなんら不思議ではないからだ。
「でもね」
すこしタメてから口を開いたいぶきは、焦らすようなゆっくりとした足取りで隼太に近づいてくると、少し背中を丸め気味にしながら斜め下から見上げるように彼の眼を見つめ、
「隼太君がぁ本当に心配してくれるんだったらぁ――わたしぃ、やっぱり断っちゃおうかなぁ♪」
とひどく思わせぶりに言葉を切る。
(い、いぶきちゃん……)
彼女の服はやや垂れ下がり気味で、大きく開いた胸元は一層ひろがっており、その奥にはやや控えめながらも真っ白な二つの膨らみが彼の視線を誘い込むかのように揺れていた。
その強烈に刺激的な光景に心臓は肋骨を突き破らんばかりに暴れまわり、背中ににじんだ汗が水滴となって背筋を伝っていく。
この手のことにあまり敏感な方とは言えない隼太であっても、さすがにここまでの露骨なサインを見落とすことはあり得なかった。
信じられないことだが、彼はいぶきに好意を持たれているのだ。
斯波中男子達からはおよそ引く手数多のはずの彼女が、一体なぜよりによって彼女にあまり関心を示さない自分に好意を持っているのかひどく意外かつ不思議ではあったが、ともかく目の前のいぶきは紛れもなく現実だった。
(いぶきちゃんが――俺のことを……)
しかしながら、その驚くべき事実もやはり彼の望みを変えてしまうほどのインパクトは持っていなかった。
(でも……俺はやっぱり穂波ちゃんがいいんだ)
そう改めて確認してみたものの、どう考えてみたところでたった今隼太に好意を露にしている彼女に向かって『ほんとに大事なのは穂波ちゃんなんだ』などと言おうものなら、その場で話が終わってしまうことは明らかだ。
(それじゃ何しにここに来たのか分からないよ――なんて答えたらいいんだろう……)
今すぐこの話を中断して、続きはまた明日と言うことにできたらどれほど良いだろうか。
穂波への想いを確認したばかりではあったものの、それでももしいぶきが1日待つと言ってくれたなら、それはそれで彼女を好きになってしまいそうなほど必死で悩むが、いつまでも待たせることは不可能だった。
とうとう観念した隼太は、今彼が思いつく最善の返事をする。
「本気で心配してるよ、いぶきちゃんに戦争に行ってほしくないんだ」
少なくともこれは嘘ではない。
彼女だろうが白石であろうが村越であろうが大切なクラスメイトであることにかわりはなく、戦争になど行って欲しくは無い。
ただ、一番行って欲しくないのは穂波なのだがそれを言わなかっただけだ。
そう何とか己に言い訳をした隼太の七転八倒は、これで終わるどころか今正に始まるところだった。
その言葉を聞いたいぶきは、突然真夏の太陽が出現したような眩しい笑顔を見せて、
「隼太君! わたし嬉しい!」
と叫ぶように言うと、ドンと体をぶつけてくる。
(う、うわ!)
彼女は何のためらいもなく隼太の首筋に顔を押し付けて、手を心臓の真上にぴたりと当ててくる。
「隼太君、隼太君がそう言ってくれるならわたしどこにも行かないよ⁉ ずっと傍にいるよ! 信じていいんだよね隼太君⁉」
部活の一番きついメニューを10連続でこなしたとしても、これほど動悸が激しくなったりはしないだろう。
彼の体は焼き切れる寸前で、それほど長くはもちそうになかった。
なんとか口を開いて彼女の問いかけに応えようともがくが、まともに声が出せない。
(けっぱれ! けっぱれ、俺!)
再三再四自分を叱咤して、なんとか言葉をまとめると声を絞り出す。
「もちろんだよ、いぶきちゃんにどこにも行ってほしくないよ」
そう力強く答えたつもりだったのに、一瞬声がしゃがれて震えてしまう。
(し、しまった!)
そう思った時には既に手遅れだった。