しばふ村より   作:Y.E.H

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【第二章・第五節】

 たった今まで喜びを溢れさせていたいぶきが急にすっと体を離し、射抜くように彼の瞳を見つめてくる。

「ねえ、隼太君――――ひょっとして嘘ついてる?」

ほんの数秒前まで真夏だった彼女の季節は一気に真冬に進んでしまったようで、その声は凍りつきそうなほど冷え切っている。

「う、嘘なんかついてないよ⁉ ほんとにそう思ってるよ!」

ひょっとすると、必死で否定するほど嘘臭くなるのかも知れないと一瞬思ったのだが、だからと言って他にどうすればよいのか咄嗟にはなにも思いつかない。

「ふーん嘘じゃないんだ、じゃあ教えて? もしも4人の中で私だけが艦娘になるのを断って、他の3人は艦娘になるって決めたらどうするの? それでも隼太君は嬉しいってことなんだよね?」

昔話に登場する雪女の眼差しと言うのは、こんな感じなのだろうか。

実際彼の体はすでに凍りついてしまったように動けなくなっているのだが、彼女が意図して凍らせなかったものか残念ながら口だけはちゃんと動くために、厭でもその問いに応えなければならない。

「もちろん嬉しいよ――でも、4人が全員断って残ってくれる方がもっと嬉しいと思う……」

どうにかひねり出したその言葉を、いぶきは慎重に吟味しているようだ。

少し間があいたあとで、彼女はいくらか雪女から人間の少女に戻って彼を見つめる。

「隼太君――嘘ついたんじゃないってことは信じてあげる。――でも、ほんとの事は全部言ってないよね?」

急に空気が薄くなったようで、息苦しくて眩暈がしてくる。

彼女の次の言葉が恐ろしくて仕方ないのだが、凍り付いてしまったままの彼はその場から一歩も動くことが出来ない。

「ねぇ、正直に言ったら? ほんとは戦争に行ってほしくないのは穂波ちゃんなんでしょ?」

彼女の言う通り、正直にそう言えたならどれほどスッキリするだろう!

そうしてしまって楽になりたいという誘惑と必死に闘いながら、全身で唯一凍っていない口を懸命に動かす。

「さっきも言った通りだよ、五十田さんもいぶきちゃんも4人とも全員残って欲しいと思ってるよ」

そう言ってはみたものの、口に出してしまってから、いぶきが聞きたいのはこんな堂々巡りの答えではないんだろうなと思いなおして情けなくなる。

そんな彼の感想そのままに、彼女はあてこするように大きなため息を吐いて見せた。

「あーあ、何だかすんごくがっかり――――つまんないよ、ちーっとも面白くない!」

それは隼太も同感だったが、そもそもそれを覚悟のうえでここに来ている以上、面白くないからと言って終わりにするわけにはいかない。

そんな彼にまだまだ何かを言わせたいらしいいぶきは、さらに動揺を誘うような言葉を続ける。

「もう嫌になっちゃったなぁ、さっさと決めちゃって4人で一緒に横須賀に行った方が楽しいだろうなぁ~」

 

(おい隼太、黙ってないで何か言えよ! ……でも、何て言ったらいいんだ?)

 

駆け引きというものの性質上、相手が何かを言わせたいと思っているときに口を開くのは概ね良くない結果を招くものだが、この場合隼太の側には交渉できる材料は何もないので、このまま何も言わずに黙っていても良くない結果になるのは目に見えている。

結局彼は口を開かなくてはならないのだ。

「でも、ただ都会に行くだけじゃないんだよ? ここにもう一度無事に戻って来れる保証もないんだよ?」

出来るだけ彼女の思惑に絡むことなく、しかもちゃんと引き留める理由になっていることを捻り出すだけでもたいへんな苦労だ。

テストの時でもここまで脳みそを酷使したりしないだろうとは思うが、残念ながら彼の努力が評価された気配はほとんどない。

「へぇ~、隼太君ってここが一番好きなんだぁ♪ 変わってるよねぇ、ここに戻ってきたいって思うんだねぇ~、でも、ここで待っててくれる誰かがいなくてもやっぱりそうなのぉ? わたしはなんか違うなぁ~」

「いぶきちゃんは、ここが嫌いなの?」

「ううん、別に嫌いじゃないよ? でも、せっかく艦娘になって都会に行けるチャンスなのに、それに乗っかりたくなるのって普通じゃない?」

「普通――なのかな……」

彼がそう応じると、いぶきはいくらか常日頃の様な朗らかな口調に戻って答える。

「隼太君は、自分の未来が予想できるのが嫌じゃないの? わたし、きっと中学出たら斯波高とか行って、もしうまくいけば大学とかいくかも知れないけど、そうじゃなかったらさ、家の手伝いだよ? そして、やっぱりこの辺りに住んでる誰かと仲良くなって――」

ここで言葉を切った彼女は、意味深に彼を見つめてからさらに言葉をつなぐ。

「そして結婚して農家やるんだよ? でさ、そのまま年取って子供が大きくなって、またその子が農家継ぐんだよ? ――隼太君はそんな未来の方が良いの?」

そう問いかけたその瞳には曇りも翳りもなく、いつもの明るく可愛い彼女そのものだった。

 

(それが、いぶきちゃんの本当の望みなんだ――俺は今とほんの少し先だけしか見ていないのに、君はもっとその先を見ているんだ……)

 

彼女は確かに斯波府村を嫌っているわけではないが、そこに――自分が良く知っているその世界の中にうずもれたくないと願っていた。

ここよりもずっと広い世界に羽ばたき、予想できない未来の自分が見たいと希っているのだ。

そんな彼女にとって、自分が艦娘になれるというこの事実は、無限の可能性を秘めたまたとないチャンスなのだろう。

「どう? わたしが艦娘になりたいって思うの、隼太君には理解できない?」

「い、いや、よく分かったよ……」

 

(ってバカ! なにあっさり認めてるんだよ⁈ 説得しに来たはずなのに説得されてどうすんだよ!)

 

必死におのれにセルフ突っ込みを入れてから慌てて言い繕おうとするが、彼の予想とはかなり違ういぶきの反応を見て口をつぐむ。

どういうわけか、彼女は隼太を言い負かして喜ぶどころか逆に再びハァっとため息を吐いて見せ、またも意味ありげな様子で近寄ってくると息が掛かりそうな微妙な距離で立ち止まり、改めて視線を合わせてくる。

「けどね――隼太君、もう分ってるよね? せっかく目の前にめぐってきたチャンスだけど、それ見逃しても構わないって思ってるんだよ?」

さらにその後に言葉が続くものだと思っていたが、彼女はそれを言わずに止めてしまう。

もちろんどんな言葉だったのかはさすがの隼太にも想像はついているが、それに対してどう応えればいいものかさっぱり分からない。

そんなわけで芸のないことだが黙ったままでいると、次第にいぶきの様子が変わってくる。

瞳に不機嫌そうな光がチラチラと躍るのが見え、真っ白な前歯が軽く下唇を噛んだ後すぐに引っ込められたと思ったら、わずかな間が空いた後で唇が真一文字にむすばれる。

 

(えっ……)

 

強い光がやどったまなざしが突き刺さった瞬間、隼太は全身の神経が逆立つ様な感覚を覚える。

どうやら彼女は、何か重大な要求――夢を現実のものにしてくれる絶好の機会を見送るその代償――を突き付けることに決めた様だ。

「ねぇ、隼太君が何を願ってるのか、わたし、ちゃんと分かってるからね? だからそれを叶えてあげてもいいんだよ?」

そう話すいぶきの瞳は、相変わらず抵抗できないほど強い光を湛えており、そのきらめきは彼を金縛りにしている。

彼はただただ無防備に、次にやってくる恐ろしい言葉を受け止めるしかなかった。

「どうしても穂波ちゃんを戦争に行かせたくないんだったらね、隼太君、わたしと付き合って? もしそうしてくれるんだったら、艦娘になるの断ってあげるよ――ううんそれだけじゃないよ、わたしが雪乃ちゃんと美空望ちゃんを説得してあげる。確実に全員が断るようにしてあげるよ――わたしなら、してあげられるんだよ?」

再三繰り返しにはなるが、まだこの時の隼太のボキャブラリーはかなり乏しいために、この場を的確に表現できる言葉を持っていない。

しかし後年になってから彼は、このきわめて印象的な瞬間こそ正に『魅入られて』いたのだと回想することになる。

それほどにいぶきの言葉は怖ろしくも魅惑的だったのだ。

「それにね、わたし、穂波ちゃんに負けない位素敵な彼女になってあげられるよ? ――もしね隼太君がね、その――色んなこと興味あるんだったらね、――いっぱい――許してあげてもいいんだよ♪」

今、彼の瞳には、ほんのりと頬を染めて眼だけを動かしてこちらを見ているいぶきが、この世のものとは思えないほど可愛いく映っていた。

こんなに可愛い彼女に『いっぱいゆるしてあげる♪』などと言われたら、エロティックな想像をしてしまうのは当然の結果だろう……。

隼太が明らかに自身の言葉に反応しているのをちらりと確認した彼女は、ダメ押しとばかりにスッと距離を詰めてくる。

「うふっ♪ ――隼太君のエッチ♪ ――でもいいんだよ、彼女なんだからそれくらい当たり前だよね。 ――――ね、分かるでしょ? 普通に考えたらどうするのが一番いいのかすぐ分かるよね♪ 隼太君はな~んにも損しないんだよ?」

その甘美な言葉はほぼ彼の心に止めを刺しかけていた。

確かにいぶきの言う通りで、もしも彼女が艦娘になることを選択すれば、穂波が手の届かないところに行ってしまう事は避けられない。

ただの田舎の中学生である隼太が穂波のあとを追いかけるすべなど無く、ただひたすら無事に戻ってきてくれることを願って何年も待ち続けるしかないだろうし、最悪の場合彼女を喪ってしまうかも知れない。

だが、今いぶきの条件を受け入れるならば穂波は戦争に行かずに済むことになる。

確かに穂波とは付き合えなくなるが、永遠の別れという最も残酷な運命から彼女を守ることは出来るし、自分にはちゃんといぶきという彼女も残るのだから、何も損をしないというのは間違いない……

間違いないはずだ……

はずなんだ……。

 

今や彼の目と鼻のさきにあるいぶきの顔が満面の笑みを浮かべている。

しかしそれは、彼女が大好きな相手にだけ見せる無邪気な笑顔というだけでは無く、自らの勝利を確信した笑顔でもあった。

 

(――いぶきちゃんの勝ちだ――でもそれで穂波ちゃんは救われる――だからこれでいいんだ、これで……)

 

彼がそう思って抵抗をあきらめようとしたその瞬間、突然いぶきの笑顔の向こうに広がる田園風景が歪み始め、みるみるうちに見慣れた眺めに変わっていく。

 

(あっ⁈)

 

垣間見えたのは、あり得るかも知れない未来の光景だ。

いつもと同じクラスの眺め――そこには目の前のいぶきはもちろん村越も白石もいて、皆が戦争に行かずに済んだことが分かる。

そして――そう、穂波もちゃんといた。

今にも消えてしまいそうなほど、儚な気で寂し気な眼差しで、明るく笑う隼太といぶきを見ている穂波が……。

 

(違う! 違う!)

 

胸の中に彼自身の声が響き、再び陽の光に照らされた風景がよみがえってくる。

 

(俺が望んだのはこんなことじゃ無い! これじゃあ穂波ちゃんに別の不幸を押し付けてるだけだ!)

 

それは甘っちょろい理想なのかもしれないし、たとえ最善ではないにしろいぶきの提案はより現実的なのかも知れないが、少なくとも彼が望む解決策では無かった。

「ごめん、やっぱりそれは出来ないよ」

「えっ?」

彼女は言っていることがとっさには理解出来ないといった顔で隼太を見つめるが、それ以上なんと言って説明していいものか見当がつかないので、またしてもただじっと黙っていた。

とは言えその沈黙は数秒ほどで終わり、いぶきの顔が次第に険しい敵意に塗りつぶされていく。

「ちょっと意味わかんない――隼太君、自分が何言ってるのか分かってる? わたしが艦娘になるって言ったらそこでお終いなんだよ? 穂波ちゃんを戦争に行かせたく無いんじゃないの?」

それはイやというほど良く分かっていたが、彼にはどうしても出来ないことなのだ。

「ねぇ、もう一回ちゃんと考えてから返事してね? 今隼太君が一番欲しいものをあげられるのはわたしなんだよ? ――それに一応言っとくけど、わたし、穂波ちゃんに嫌がらせしたいと思ってるんじゃないからね?」

それが嘘ではないらしいことはなんとなく理解出来た。

彼女は隼太と付き合いたいがためにこの機会を利用しようとしているだけで、穂波に対する悪意や邪念めいたものは伝わってこない。

それだけに余計理解できないのだが、一体いつ頃からいぶきはそんな強い好意を抱いていたのか、彼にはさっぱり思い当たるフシが無かった。

「隼太君、もう一回聞くね? わたしと付き合ってくれるよね? そうしたらわたし、隼太君のために艦娘になるの断ってあげるよ? それでいいよね?」

一体なにが変わったのだろう?

つい先ほどのいぶきは抵抗するのが難しいほどの魅力を溢れさせていたはずだったのに、今の彼女の言葉は教室でかわす他愛のない雑談と何ら変わりがない。

「いぶきちゃんがそう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、でもやっぱりそれは出来ないんだ、ごめんね。だけど何とか考え直して欲しいんだ。いぶきちゃんも村越さんも白石さんも五十田さんも、誰も戦争には行って欲しくないんだよ、本気でそう思ってるんだ」

彼自身も何が変わったのかよく分からないが、今はなぜか落ち着いていて頭もちゃんと回転している。

ただとても残念なことに、彼が落ち着いて発したその言葉は全くいぶきの琴線に触れなかった様だ。

「そう――よく分かった、それが隼太君の答えなのね。じゃあもうこれ以上話すことなんにもないから、わたし帰るね」

その声と言い表情と言い、まるで氷の世界の住人ではないかと疑うほど凍てついていたが、それでもただそれを見送って終わりにするわけにはいかない。

「ま、待ってよいぶきちゃん! 頼むからもう一度考え直してよ! お願いだから!」

とっさに立ちふさがった隼太の瞳を突き刺すように睨みつけた彼女は、やはり氷のままで応じる。

「その言葉そっくり返してあげる。どう? 考え直してくれるの?」

彼女が本当に期待している答えはいくら分かっていても返し様がない。

それでもなお、彼が諦めてしまえばそこで全て終わってしまうことははっきりしていた。

「どうしてもって言うんだったら時間が欲しいんだ! そうしたらいぶきちゃんが言ったこと真剣に考えてみるから! だからいぶきちゃんも考え直してよ、頼むよ!」

その必死の言葉は今度は少しいぶきの心に届いたらしく、束の間彼女は探るように隼太の瞳を見つめる。

ただ、それは大して長続きせず、再び冷え切った視線を投げかけたいぶきは冷たい声で断じる。

「ううん駄目よ、その時間で穂波ちゃんと相談するつもりなんでしょ? 悪いんだけどそんなことさせるわけにいかないの。さっきも言ったけど、わたし別に穂波ちゃんに意地悪したいわけでもなんでもないのに、そんなことされたらすっごい悪者になっちゃうじゃない?」

「えっ、で、でもさ――」

「それでも穂波ちゃんに言いたいんだったら別に言ってもいいよ。でもね、もしこれから一緒に戦争に行くかも知れない時に、わたしと穂波ちゃんが仲悪い方が良いと思うの? いくら隼太君だってそれくらいわかるでしょ?」

「……」

悔しいが全くその通りだと思った。

もし本当に艦娘になって戦争に行かなければならないのであれば、4人が仲良く助け合っていける方が良いに決まっている。

 

(それは――それはそうなのかも知れないけど――)

 

自分が男だからなのだろうか?

いぶきの割り切った答えは隼太にとって理解しがたいものがある。

もし彼がいぶきの条件を呑んだときは、当然のことだが穂波に何があったのか全て知られてしまうのに、うまくいかなければ知られたくないと言うのは明らかに筋が通らないように思えてならない。

どちらにせよ、既にそんな疑問をぶつけられるような状況ではないので、彼が抱いた素朴な疑問に対する彼女の答えを聞く機会は、おそらくもうやって来ないだろう。

「一応今日の夜までは待ってあげてもいいけど、それより後はもうないからね。それじゃあね隼太君」

言葉とは裏腹に、彼の変心などかけらも期待していないという空気を振りまきながら、いぶきは自転車の前カゴからパーカーを取ってサッと羽織ると、そのまま振り返りもせずに走り去っていく。

あとに残された隼太は、しばし呆然とその後ろ姿を見送るばかりだった。


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