離岸した『うさ』は暫くの間「あつた」と同航するが、城ケ島沖でそれぞれ西と東に別れて独航による哨戒に遷る。
言う迄もなく彼らは教育隊なので、哨戒そのものを目的としている訳では無く教育訓練の一環として実施しているのだが、神出鬼没の深海棲艦に対する警戒はどれだけ厚くしてもし過ぎることは無いため、かなり以前からこの様な形が定着していた。
独航開始後間もなくスピーカーを通じて艦娘哨戒準備の号令が掛かり、それと共に隼太が所属する艦娘支援班の動きが慌ただしくなる。
支援班は海軍内でも特にWaveが多い部門だが、艦娘に直接接触する必要がある為にそうならざるを得ない。
しかもその最も重要な業務として艦娘達への艤装の装着がある事から、体格に恵まれた屈強な者が特に選抜されていた。
隼太も教育期間中に艤装に触れた事があるが、バッテリーを装着した状態では40kg以上にもなるそれは、男であっても持ち上げるのが精一杯の代物だ。
それを中学の頃とほとんど変わりない体格の穂波やいぶきらが背中に背負う訳で、普通にしている限り自力では立ち上がる事すら難しいだろう。
今しもプールの縁で始まったその準備は、艦娘一人に付きWaveが二人掛かりで行われる作業だ。
そうだ、プールについても触れておかなければならないだろう。
『プール』或いは『艦娘プール』と言うのは艤装と同じく通称であって、正式な名称はただ単に貫通部だとかいう如何にも素っ気ないものだった筈だ。
しかし現在海軍で使われている艦艇のほとんどに設けられているだけでなく、一部の外航用の民間船舶にも設けられている程広く普及している船体構造であり、艦娘運用の為にはなくてはならないものとも言える。
『うさ』をはじめとするほとんどの艦艇では、艦尾の直前付近に孔が開いた様な形で設けられており、落下防止のための鉄格子はあるものの海中に向かって素通しになっている。
この開口部の海面に立っている限り艦娘は普通に哨戒が可能だし、砲撃による応戦も可能だ。
また、艤装のバッテリーによる稼働時間は最大でも2時間が限度であるが、プールに立っていれば有線接続で電源を供給出来ることから長時間の哨戒も可能になる。
現代の艦艇が装備しているレーダーやソナーにとっては、深海棲艦も艦娘も人間大の小さな物体としてしか捉えられないため近距離で無ければ捕捉出来ず、それまで一方的に攻撃されてしまう事から圧倒的に不利な戦闘になってしまう。
もちろんドローンによる索敵やレーザーマーカーによる標的補足などの対策も導入されて久しいが、互角に闘うには程遠い。
結局その深海棲艦の攻撃に備えるためには、艦娘やオリジナルの哨戒・索敵能力に頼らざるを得ないのだ。
そう言った必然性から艦艇設計に取り入れられている構造は、実はプールだけではない。
例えば『うさ』の様な海軍艦艇のほとんどは、スクリューではなくハイドロジェット推進が採用されている。
これは艦娘やオリジナルがソナーを使用する際に出来るだけ妨げにならないためで、低速での効率の悪さは犠牲にされているが、それでもなお深海棲艦による攻撃或いは接近を出来るだけ早く察知する方がより重要視されているという事だ。
話を艦娘達に戻そう。
今しも穂波といぶきがプールの縁に座って艤装を装着しているものの、先程も言った様にそのままでは立ち上がる事すら覚束ない訳だが、ひとたび艤装が稼働し始めればそれは一変する。
「装着完了しました!」
それぞれ担当のWaveがほぼ同時に作業終了を申告すると、それを受けて班長から指示が飛ぶ。
「起動最終点検掛かれ!」
この指示と共に艤装が通電状態になり、艤装自身のシステムチェックと装着した艦娘達のバイタルチェック、そしてそれらを監視し制御する艦艇側のシステムチェックが行なわれるが、異常でも無い限り5分も掛からない工程だ。
「全点検項目異常なし!」
これは各艤装=艦娘1名当たり1つずつ設置されているコンソールに取り付いている兵達からの申告であり、これまたほぼ同時だった。
「起動完了、全機能異常なし! 艦娘、有線機動準備完了しました!」
班長のこの申告は艦橋に対して行われたもので、それに対して副長のものだろうと思われる声がスピーカーから響く。
「了解、艦娘は哨戒訓練予備行動を開始されたし」
先程も触れたようにこれはあくまでも訓練なのだ。
副長の持って回った様な言い方はそれを象徴しているが、それと実戦とを区切ってくれる都合の良いラインなど無いのは白石が看破した通りで、建前だと言ってしまえばそれ迄かも知れない。
「五十田、吹輪、哨戒訓練予備行動開始します!」
(あ、そうなんだ……)
意外な事に、いぶきでは無く穂波が二人を代表して応答したのだ。
だが意外に感じたのはどうやら隼太だけの様で、その場に居合わせた全員が(もちろんいぶき自身も含めてだ)何事もなかったかの様に淡々としていた。
2人はそれぞれ艤装が接続されたコンソールのある側に応じて両舷に別れてプールの海面に立ち上がり、プールサイドから繰り出された手摺を掴んで定位置に就く。
「両舷、水上索敵及び水測を開始します」
穂波の落ち着いた声が響き、彼女達が艦娘の特殊能力を発揮して周辺の監視を始めた事が分かる。
海面に立っている二人は今隼太がいる甲板から1m近くは下にいる訳だが、そんな状態にも関わらず『うさ』を中心とした半径約十海里前後の海上を見渡す事が出来るのだ。
それだけでは無くソナーによる音響監視もある程度は可能なのだが、こちらの方は『うさ』がもっとゆっくり航行するなどして環境を整えなければ、それ程遠く迄索敵が出来る訳ではない。
それでも、艦艇に装備されたソナーで深海棲艦のたてる水音を探知し様とするよりはずっと良く、特に雷走音を探知するのは彼女達で無ければ不可能なのだから、艦艇の生残性を高める為にはなくてはならないものだと言える。
「敷島」
「はいっ」
雑用に駆け回っていた隼太が待機の態勢に入ったのを見計らってか、班長が普通の声音で声を掛けてくる。
「よく見ておけ、いずれ貴様にはあれをやって貰う」
そう言った彼が顎をしゃくって見せたのは、穂波の偽装に接続されているコンソールだった。
「あ、はい!」
それこそ隼太が望んでいた事だ。
戦う穂波を直接サポートする事が出来る願ってもない役割である。
その気持ちが声に出ていたものか、班長は如何にもと言ったシニカルな仕草で口元を少し歪めて(当人は苦笑している積もりなのだろうか……)見せると、幾らか声を低める。
「貴様を見ている限りではどうやら分かってはいる様だが、改めて言っておくぞ。何があろうと絶対に調子に乗るな、大袈裟な位に謙虚にしていろ。例え理不尽な言い掛かりだろうが、戦場で仲間を信用出来ない状態になる事を思えばそれ位は我慢しろ、いいな?」
「有難うございます! 絶対に守ります」
「ふん、それでいいぞ、その調子だ」
「はい」
「――これは興味本位の質問だ、嫌なら答えんでいい」
「どんなことでしょう?」
「五十田と吹輪、白石、村越は全員貴様の同級生だったのか?」
「はい」
「そうか――貴様の目から見て4人はどうだ、昔と変わっていたか?」
「変わって――、性格だとかそういう事でしょうか?」
「まぁそんな所だ。雰囲気の様なぼやっとした意味でも構わん」
「――――その――まだ1回面談しただけなので自信はありませんが――皆ほとんど変わっていないと思います」
「そうか――変わっとらんか……」
「何かあるんでしょうか?」
隼太が思わずそう聞き返すと、今度こそ班長ははっきりと口許に笑みを浮かべる。
「いや――さっきも言った通りよく見ていろよ、その内色々と分かってくる。貴様をあそこに就けるのは、その辺りが飲み込めてからだ」
「はい!」
いささか含みのある物言いで会話を打ち切った班長が一旦艦内に消えた後、彼は言われた通り穂波達や他の班員達の様子をそれこそ目を皿の様にして見ていた。
穂波といぶきはもし何か異常を感知すればその都度直ちに報告をする訳だが、そうでなければどうやら30分に一度定時報告をする様だ。
「左舷方向、水上索敵異常なし、水中に不審音源の感知なし」
「右舷方向、同じくです!」
穂波の報告に続いていぶきも申告するが、それを聞いた穂波は少しばかり困った様な顔をしてインカムのマイクを跳ね上げ、いぶきに向かって何事か声を掛けている。
「えっ? あっ、うんそうだったね!」
無線が活きたままのいぶきの声だけがスピーカーから響いたのち、一瞬静寂が挟まれたその後から再度彼女の声が流れる
「右舷方向、微弱な不審音源を感知していますが、状況から海洋生物と思われます!」
「了解しました、引き続き予備行動を継続されたし」
副長の応答があって定時連絡が終了すると、いぶきが穂波に向かって『ごめんね!』と言う様な仕草をして屈託のない笑顔を浮かべ、穂波も笑顔でそれに応じるが、周囲には一瞬弛緩した様な微妙な空気が流れてすぐに消える。
それから間もなく今度は綾瀬が機動準備に入り、一頻り先程と同じ手続きが繰り返された後に彼女もまた穂波らと同じ様にプールの海面に立ち上がる。
「起動完了、全機能異常なし、訓練生、有線機動準備完了しました!」
「了解、艦娘及び訓練生は、哨戒訓練を開始されたし」
その指示に従ってどんな風に訓練が始まるのかじっと目を凝らしていると、ここでも役割分担が明確になっている様だった。
まず穂波が哨戒範囲の確認をし、その中から索敵範囲を指定するとそれに従って指導役のいぶきが旗艦、訓練生の綾瀬が麾下の艦艇となって当該範囲の索敵を実施する。
その後今度は穂波から不審音源の指定があり、再びそれに従って二人が……という事を何度か繰り返すのだ。
(あれかな、何回か毎に交代するのかな?)
何となくそう思いながら一部始終を見ていたのだが、案に相違して何時迄経っても穂波といぶきは交代しない。そうこうする内にふと気が付くとチンチンチンと鐘が鳴り、昼食の準備が出来た事を告げる。
「敷島、貴様先番で行って来い」
「はい!」
班長の指示に従ってサッと立ち上がった隼太がちらりと顧みると、穂波がプールサイドに腰掛けて艤装を脱着して貰っている。
(穂波ちゃんと一緒なら良かったのにな)
しかし残念な事にそうは行かなかった。
ここでも艦娘には専用の控室が用意されており、彼女達はそこで乗員達とは別に食事を摂るのだ。
そんな訳でさっさと食堂に向かった彼は、他の乗員達でごった返す中同じ班のWaveの後ろに並んで暫く待ったのち、トレイを受け取って空いた席を探し掛けると先程のWaveから声が掛かる。
「敷島、こっち来なさいよ!」
見るとそのテーブルはWaveばかりで、空いているのは端では無く彼女達の真っ只中だった。
(ええ……)
さすがにそれは遠慮したいと思ったものの、まさか本当に断わる訳にもいかない。
ここは一つ、肴になりに行くより他ないだろう。
そう腹を括った隼太は出来るだけ愛想よく返事をする。
「はい! ありがとうございます!」
そう言って思い切りよく席につくと、機先を制して
「いただきます!」
と挨拶して勢いよく食べ始める――が、そんな勢いだけで乗り切れる訳もなかった。
同じ班のWaveが箸を振りかざしながら尋問口調で話し掛けてくる。
「で、やっぱり敷島もあれなんだ、やっぱり成熟した女よりもロリッ娘が好きなのか?」
「えっ……」
「だって付き合ってんだよね? あの娘とさ」
虚を突かれた彼が絶句するその間隙をぬって、他班のWaveが突っ込んでくる。
「いや、その――」
「なーんだよぉ、素直に認めちまえばいいだろう?」
これに合わせてそうだそうだと他のWaveも騒めくのだが、彼としては当たり前の答えしか返し様が無い。
「いや確かにそうですけど――でも、自分は彼女と同級生で同い年なんですが……」
この言葉は、内容の平凡さに対してそのもたらした効果は絶大だった。
それ迄沸き立つ様な空気感に覆われていたその場が一瞬にして静まり返り、数秒間それが続いた後で彼女達全員が一斉に笑いを爆発させる。
「ダァッハッハッハ、違いない! 確かに違いないよ!」
「言われて見りゃそうだよ! お前はあの娘を追い掛けて来たんだもんな!」
「あたしらだって昔はロリだったんだからな! そりゃそうだ、ハハハ!」
もちろん彼も一緒になってここぞとばかりに大笑いして見せたのだが、実の所は彼を挟んで両側に座ったWaveが力任せにバンバン背中を張り飛ばすので、到底飯を食ってなどいられなかっただけだ。
実際その夜風呂場で確かめて見ると、背中一面が晩秋の紅葉よろしく真っ赤な手形だらけだったくらいだ。
言う迄もなくこの一角には食堂中の全ての視線が注がれていたが、彼女達はそんな事を毛の先程も気にする様子は無い。
「いや~、あたしらもすっかり勘違いしてたよ、せっかく生きのいい若いのが入って来たと思ったらまーたロリコンかよってウンザリしてたとこさ♪」
「全くだよね~、ここはやっぱり扱き倒して大人の女の魅力ってやつを徹底的に叩き込んでやるぜって気合入れてたんだぜこいつ♪」
「ちょっと待って下さいよ、あたし一人悪者すかぁ?」
(やれやれ、皆凄いよな……やっぱり男よりも女の方が強いんだな)
とにもかくにも隼太としては、ひたすら彼女達の勢いに上手く合わせながらこの場を乗り切るより仕方がない。
「まぁしかしさ、お前の彼女が五十田だってとこはまぁ好感度ちょっと高かったよ」
「え、そうなんですか?」
「ああそうさ、なかなか渋いチョイスするじゃねえかって話さ♪」
「渋い――ですか?」
「そりゃそうだろ、あたしらが知ってた男子共にしたって、みーんな可愛くて愛想の良い八方美人の娘に群がってたんだぜ?」
「そうそう、あたしらなんかは見向きもされねえのな♪」
「え、そんな事ないでしょう?」
一応気を遣って隼太がそうフォローすると、隣に座ったWaveがニタァ~っと笑うと肩に手を回し、
「何だよ嬉しい事言ってくれんじゃん♪ そんな可愛い事言われたら本気にしちまうぞぉ♪」
と冗談とも本気ともつかない様な事を言う。
(えっ……)
実の所この構図は諸にセクハラ行為ではあるのだが、彼としては十分受け流せる範囲の事ではあったし、それよりもどうすればこの場を無難に切り抜けられるのかの方が遥かに重要だった。
しかしそんな心配にかられていることなど全く頓着しない彼女達は、そのまま話し続ける。
「マジな話さ、艦娘は強いに越したことはないけど、あたしらにとってはそれだけって訳にはいかないんだよ」
「その、それはやっぱり――」
「そうだよ、こちとら只の人間だからね、戦って勝つ事よりもまずは生きて逃げ帰る事の方がずっと大事だろ? だから一秒でも早く敵を見つけてくれる事、そしてそれをいつ何時でも確実に同じ様にやってのけてくれる事の方がず―っと有難いってことさ」
「つまりあれですか、彼女がそれを一番確実にやれると……」
「そゆこと! お前の彼女が一番信用出来るってこった♪」
「そうなんですね――初めて知りました」
「なんだい、自分の彼女の癖に分かって無かったのかよ」
「いや、そう言う理由で好きになった訳じゃ無かったんで……」
「ハハハ、さすがにそりゃそうか♪」
「けどあれだな、可愛いとか美人だとか見た目にコロッとやられる連中に比べりゃ、お前はまだしも女を中身で見てるって事だ」
「そ、そういうもんですか――」
隼太がそう返し掛けたその瞬間だった。
「こらぁ! 貴様ら何時迄うだうだと油うっとるんだ! さっさと後番に席を譲らんか!」
厨房から顔を出した給養班長が大声で一喝すると、途端に彼女達は返事もそこそこに飯を掻き込み始める。
思わずホッとした彼もまた一緒になって勢いよく飯を口に放り込む。
(なんか――色々とありそうだな……)
一心不乱に箸と口を動かしながら、先程の班長の意味深な物言いの答えはこの辺にありそうだと感じていたが、ただ一点だけは全力で(無論、心の中だけではあるが)否定しておかなければならなかった。
(まるで穂波ちゃんが可愛くないみたいな言い方だけどさ、言っとくけどすげえ可愛いからね!)