配属後一ヶ月が経過したが、相変わらず彼は雑用に駆け回りながら穂波といぶき、そして綾瀬ら候補生達の哨戒訓練をひたすら見つめ続けている。
そして何となく班長の言った事が少し分かり掛けて来たと感じていた矢先に、それを更に決定的にする出来事があった。
その朝、隼太が離岸準備のために岸壁にやって来ると、班長が久し振りにしかめ面で腕組みをしている。
「お早うございます!」
こういう雰囲気の時は、逆に少し大袈裟に挨拶をする等して班長の肚の内を推し量るやり方を身に付けつつある彼はそれを実践したものの、その反応は予想外のものだった。
「貴様、オリジナルの艤装を見た事はあるか?」
「はい! 教育期間中に実物教育を受けましたし、坂巻三曹のお手伝いとして大井殿の34式特殊戦闘装備のバッテリー交換をしました!」
もちろん偶然なのだが、先週の在港勤務日に坂巻から頼まれて箕田と共に手伝いをしたのだ。
「よし、ならば今日は貴様の雑用は免除してやる。お前には今日一日接待係を命じる」
「接待係――ですか?」
「そうだ、それも我が教育隊付属艦隊一の美人のだぞ、光栄に思え」
(えっ……)
もうこの瞬間に嫌な予感がしていたのだが、残念な事にその予感は1ミリ足りとも外れてはくれない。
舷梯の前で待つこと暫し、例によってと言うべきか否か何故か坂巻三曹を従えて悠然と現れたのは大井だった。
「お早うございます! お待ちしておりました!」
「別に、そんな心にもない事言わなくてもいいのよ?」
いきなり辛辣な言葉を投げつけられるが、かつて村越に鍛えられていた隼太にとっては十分にスルー可能な範囲だ。
「敷島と申します、本日はよろしくお願い致します!」
「はいはい良く分かってるわよ。勤務中に鼻の下伸ばしてたりしたら承知しないわよ」
「申し訳ない敷島君、今日は宜しく頼むよ」
横合いから坂巻がフォローしてくれるが、それがまた大井は気にいらないらしい。
「あんたが申し訳ながる事なんて何もないでしょ⁈ 学校か何かじゃあるまいしちゃんと命令しなさいよ!」
「命令ならもう彼の上官がしてますよ、僕はただ彼に妙な言い掛かりをつけるのは――」
「言い掛かりじゃ無くて注意してるんでしょ⁈ あんたこそあたしに言い掛かりつける気なの⁈」
これは危険だと思った隼太は、思い切って割って入る事にする。
「大井殿、こちらではなんですからひとまず控室でお休み下さい! 坂巻殿! 戦闘装備を受領致します!」
数秒間の沈黙が流れた後、はぁっと軽く溜め息を吐いた大井が、
「ええ、そうさせて貰うわね。それとあたしに『殿』はやめてちょうだい、分かったわね」
と言い捨ててスタスタと舷梯を渡っていく。
残された彼らは顔を見合わせて思わず苦笑する。
「これが彼女の艤装だ、よろしく頼むよ。それと『大井さん』でいいからね」
「はい! 承知致しました」
敬礼を交わして、カラカラと台車を押しながら去って行く坂巻を見送ると、改めて大井の艤装をプール脇のスタンバイボックスへ運び込む。
オリジナル用の艤装は艦娘用とは全く違い、ランドセルよりもまだ小さいうえにバッテリーを含めても10kg前後しかない。
しかもこれだけ小さく軽いのに戦闘継続時間は4~5時間かそれ以上にも達するのだから、艦娘との差は歴然としていた。
そんな事を考えながら顔を上げると、穂波といぶき、それに綾瀬が珍しく3人一緒に現れる。
何時もの様に挨拶しながら乗船して来た3人は、隼太の姿を認めると真っ直ぐに近付いてきたので、彼もまた歩み寄ってサッと敬礼する。
「大井さん、もう来てる?」
「はい! 控室に入っておられます」
班長の注意を守って他人行儀な応答をする彼に軽く含み笑いをして見せたいぶきだったが、穂波らを顧みると互いに小さく頷きあって迷わず控室に向かう。
(やっぱり挨拶に行くんだ――まぁ仕方無いよなぁ)
何様班長からして敬遠する位なのだから、おそらく直接指導を受ける彼女達が緊張するのは当然かも知れない。
その点新米として特に失うものがない隼太は、オリジナルの実際の機動を見るのは初めての事でもあるので、どちらかと言うと興味の方が優っていた。
「いい⁈ 余計な事なんか考えてる間に敵はあんた達の息の根を止めに来るのよ⁈ もっと集中しなさい!」
「はい!」
道中の哨戒訓練から既に大井のパワーは全開だった。
繰り返しにはなるがあくまでもこれは訓練であり、実際に深海棲艦の接近やその予兆である不審な音源を探知している訳では無い。
とは言うものの、この付近の海域では海流の影響なのか所謂境界面反射が起こり易い他、鯨などの生物による音源もかなり頻繁に探知される様で、彼女はそれを穂波達がいかに正確に捉えているのかもチェックしている。
「2時方向、距離概ね5,000以上に不審音源あり、おそらく境界面反射と思われます!」
「それで?」
「えっ?」
「だ・か・ら・そ・れ・で?」
「いえ、その……」
「全く……五十田さん、あなたはどう?」
「あ、はい。8時方向、距離概ね8,000以上にごく微弱な不審音源あり、こちらは海洋生物の可能性があります」
「距離はもう少し近いわね、もっと注意深く判定しなさい。必要なら複数で確認するのは常識でしょ?」
「はい、注意します」
「吹輪さん、あなたもっと真面目にやりなさい! これが敵なら船ごと全員心中してる所よ? 分かってるの?」
「はい、申し訳ありません!」
「それじゃ、もう一回最初から全員でおさらいよ、はじめ!」
「はい!」
(なんか、見てるだけで疲れてくるな~)
今は穂波といぶき、それに綾瀬の3人に加えて大井もプールに立っているのだが、3人が通常と同じ様に手摺を掴んでいるのに対して、大井は何も掴まらずに腕組みをしたまま器用に同じ立ち位置を維持している。
(大したもんだな……)
艦は定速で航行しているとは言え、その速度も進路も厳密に一定な訳では無いはずなのに、彼女はほとんど微動だにしていないのだ。
しかもその状態のままほぼ完璧に周囲を監視しつつ水測もしながら穂波達を叱り飛ばしているのだから、ちょっと次元が違っている。
そうこうしている内に昼食の時間が近づいて来たので隼太は一足早く食堂に走り、給養班長から直々に大井の食膳を受け取って控え室に運ぶ。
しかし意外だったのは、彼女の食事は特別食でも何でもなく他の乗員と全く同じメニューだった事だ(但し、隼太達が受け取る様な雑な盛り付けではなく、班長自らの手による芸術的とも言える盛り付けだったが)。
そして食事の用意が出来た事を伝え様とプールに戻り掛けると、彼女はそれを見計らっていたものか、隼太が口を開くより早く声を上げる。
「それじゃ午前の訓練はここ迄にするわよ! 午後の機動訓練は全員一通りやるからその積もりでいなさい!」
「はい!」
三人が声を揃えて返事をすると、大井は自ら艤装の着脱操作をしながら滑る様に斜め横に移動し、そこで待ち構えていたWaveに背中を向けて艤装を外してもらう。
艤装が軽いのもさる事ながら、オリジナルである彼女は艤装無しでも平然と海面に立っていられるのでこんなことが可能なのだ。
そのまま海面とデッキの境界など何も無いかの様にスタスタとプールから上がって来た大井は、支援班の面々に軽く声を掛けておいてからこちらに向かって歩み寄ってくる。
隼太は先にたって控え室の水密扉を開けると、その傍らに立って口上を述べる。
「お疲れ様でした! お食事の用意が出来ておりますのでお召し上がり下さい!」
「ええ、有難う」
厭味の一つも言われるのだろうかと構えていたのだが、以外にあっさりとした反応に少々拍子抜けしてしまう。
「他に何かご入用でしたらお申し付けください!」
「そうねぇ、じゃ北上さんをお願いできるかしら?」
「えっ――」
「なによ、ご入用なものを申し付けていいんじゃなかったの?」
「申し訳ありません! それはご用意出来兼ねます……」
「なぁんだ、せっかく北上さんとお喋りしながらお昼に出来るかと思ったのにがっかりだわ」
冗談なのか本気なのか判断に悩むことを言いながら控え室の椅子に腰を下ろした大井は、用意されたナフキンで手を拭う。
ひとまず退散しようと扉に手を掛けた隼太だったが、次の瞬間彼女が口にしたことで思わず面食らってしまう。
「それじゃ、到底北上さんの代わりにはならないけど、あんたが話し相手になってくれるかしら?」
「じ、自分がですか?」
「そうよ、何でもいいけど扉くらい閉めなさい、ちゃんと教育受けてるんでしょ?」
「は、はい!」
言うまでもなく規則だから閉めはするが、彼としては出来ることなら中からではなく外から閉めたかった。
室内で大井と二人切りになってしまうだけでなく、話し相手になれ等と言われた日には緊張で胃がどうにかなりそうだ。
だが、そんな事には全く頓着すること無く彼女は食事に箸をつけながら平然と口火を切る。
「あんた、あの子達と同じ村で育ったのよね」
「はい」
「なぜ五十田さんを好きになったの? 他の子じゃなくて」
「――何故かは自分でも分かりません。でも――」
「でも、なに?」
「4人の中から選んだ訳じゃありません。自分には彼女しか見えていませんでした」
「そう……そういうものなのね」
「あ、はい……」
しばらく沈黙が続いた後、再び彼女が口を開く。
「好きになった子をこんな風に軍まで追い掛けて来るのって普通な事なの?」
「――よくは分かりません――でも、普通にある事じゃないかも知れません」
「多分そうよね――幾ら好きでも、命と引き換えて迄そうするのって普通じゃないわよね」
「で、ですがその――」
「なあに? あんたはそうじゃないって言いたいの?」
「そう言う訳ではありません! しかしその、ただ死ぬ積もりで来た訳では――」
途端に彼女はフンと嘲るような鼻息で彼の言葉を遮る。
「何を甘ったれた事言ってるのかしら? 命が保証されてる戦場なんてこの世の何処にあるの?」
「そ、それは……」
「それともあんた、ひょっとして気合だの根性だので弾が止められるの? 魚雷が止められるの? そんな凄いこと出来ちゃう彼氏だなんて五十田さんも幸せ者ね♪」
「――いえ、そんな事は出来ません……」
「そんなの当たり前でしょ! いい? 人間は弾に中ったら死ぬのよ? あんたがどんなに嫌だと言っても、五十田さんだろうが他の誰かだろうが弾に中れば死ぬの! あんたの目の前でね。あんた、その時どうする積もりなの?」
「――自分は――その……生きるも死ぬも彼女と一緒だと覚悟してきた積もりです、ですから――」
「後を追って死にますって?」
「……」
大井が吐き捨てるようにそう言ったので、思わず口篭ってしまう。
これに較べれば、あれほど辛辣に思えた村越の言葉は遥かに優しさに満ちたものだったとしか言いようが無い。
そしてまた沈黙が流れるが、黙って突っ立っている隼太とは違い、彼女は当たり前の様に食事を続けている。
よくもこんなトゲトゲした空気の中で普通に食事が出来るものだと感心してしまう。
「じゃあ聞くけど、あんたがもし戦死したら、やっぱりあの子に後を追って死んで欲しいと思うわけ?」
(あっ……)
そんな訳など無かった。
彼にどんな事があろうと穂波には生き延びて欲しい。
生きて彼の分まで人生を全うして欲しい、深く考える迄も無くそう思える。
「いえ、そうは思いません」
彼がそう答えると、先程とは少々ニュアンスの異なる『フン』で応じた大井は、やれやれといった調子で話し始める。
「あんたたち人間には命は一つしか無いのよね。そのたった一つの命を誰かの為に使いたいと思うのは仕方無いけど、自分の為にたった一つの命を捨てて欲しいと思う人間ってどれだけ居るのかしら?」
「その――多分ほとんど居ないんじゃないでしょうか……」
「そう思うんだったらもう少し真剣に考えなさい? 命の安売りなんかしたって誰も喜ばないわよ」
「あ、はい!」
隼太の返事に満足したのか、彼女は残り少なくなった食事の残りを優雅に平らげてしまうと、先程のナフキンできちんと口元を拭っておいてから宣言する。
「どうもご馳走様、後片付けお願いね」
「まことにお粗末さまでした!」
「食事はそうでもなかったわよ、でもお喋りの方が随分お粗末だったわね」
「も、申し訳ありません……」
「あ~あ、早く帰って北上さんとゆっくりお話したいわ、あんたも余計な手間掛けさせない様にちゃんと協力しなさいよ?」
「努力致します!」
そう言いながらドアを開けると、大井は再び悠然と控え室を出て行く。
残された彼は、溜息を吐きながら食事の後片付けに掛かった。