それからも暫くの間2人だけの時間を楽しんだ隼太と穂波は、長門との待ち合わせ場所に余裕を持って到着した。
そして丁度5分前になったと思ったその時、彼らの背後から声が掛かる。
「うむ、5分前行動が徹底出来ているな、それでいいぞ♪」
「あ、はい!」
「長門さん、お帰りなさい」
「いやいや、お前達にはすっかり迷惑を掛けてしまったな」
「迷惑だなんて、そんな――」
「そうです、本当に楽しかったです」
そう口々に言う彼らに微笑だけで応えた長門は、サッと遠くに視線を走らせると話題を切り替える。
「それでお前達はこれからどこへ行きたいのだ?」
「あの――特にここへ行きたいという処は……」
「まだ少し時間がありますから、どうしようかとは思ってましたが」
「そうか、ではお前達さえ良ければ少し私に付き合ってくれるか?」
「はい!」
「お供して宜しいところですか?」
「ああ、無論だ――が、念のために聞いておこう。お前達、甘いものは苦手ではないか?」
「はい、結構いける方だと思ってます」
「とっても好きです」
「ならば何の心配も要らんな、では行こう」
かくて3人は再び引率者となった長門を先頭に歩き始める。
繁華街から離れて比較的静かな街に向かった彼らは、程なくして落ち着いた雰囲気のカフェと言うべきか喫茶店と言うべきなのか――の前に立つ。
「こちらですか?」
「ああ、そうだ、少々久し振りなのだがな」
(なんか、甘いもの出す様なお店に見えないな)
そう思っていると穂波もまたそう感じたらしく、彼をちらりと一瞥する。
しかし彼らが目語しているのに気を留めることも無く、長門は淡い色合いのタイル張りの低い段を上がってドアに手を掛けていた。
少々年季が入ってはいるものの小ざっぱりとした構えに似つかわしい、チリンチリンと言う控え目な音色と共に彼女は店内に足を踏み入れる。
外観と同じく余り飾り気の無いやや古びた店内に居たのは、老境に至って久しいと思われる白髪の男性だった。
「おお、これはいらっしゃいませ長門さん」
「いや、随分無沙汰をしているなマスター、1年振りか、それとももっとだろうか」
「いえいえ、私の様な老人にとっての1年など昨日の事みたいなものですよ」
「またその様な事を♪ マスターにはまだまだ長生きして、この店を続けて貰わねばならんのに」
「ええ、体が続く限りはやらせて貰いますが、それが何時迄なのかは神様任せですな」
「それは奥に居る神様の事かな?」
「どちらもですよ、長門さん。そちらのお連れ様方も同じものでよろしいので?」
「ああ、もちろんだ。その為に来たのだからな」
そんな会話を続けながら、その『マスター』は窓際の4人掛けテーブルにコースターを3つ並べて奥へと下がっていく。
「さぁ、とにかく座れ」
「はい」
「失礼します」
穂波と並んで、コートを脱いだ長門と向かい合って腰を下すが、窓の外に心なしか眩し気な視線を投げかける彼女の姿に形容し難い不思議な感覚を覚え、言葉が出てこなくなる。
「あの――長門さんはこちらには良くいらっしゃるんですか?」
やはりどんな時でもペースを乱さない穂波は、隼太がつい口を噤んでしまっても不自然な間が空いて仕舞わない様に無難なフォローをしてくれる。
「そうだな、最近は色々あって足が遠のいてはいたがな」
「そうなんですね、でもちょっと意外です、甘いものがお好きだなんて」
「まぁ、私もこの店を知ることが無ければ、そうはならなかったかも知れんな」
「何だか凄いものが出てきそうですね、楽しみです」
「凄いかどうかは分からんな♪ ただ、私は最初にここに来た時、陸の上にはこんなとんでもないものがあるのかと衝撃を受けたのは事実だな」
「それってかなり以前のお話って言う事ですか?」
やっと話に追い付いて会話に参加した隼太に向かって、彼女は軽く微笑みながら応える。
「ああそうだ、もう20年以上も前の事になる」
(あっ、まただ……)
先程感じた不思議な感覚――表現し難いのだが、まるで彼女以外の誰かがその場にいる様な――。
「――済みません、ひょっとしてお聞きしてはいけないことでしたか?」
穂波も何かを感じ取ったのか、口調が変わっている。
「いや、そんなことは無いぞ、ただ昔の事を思い出しているだけの事だ」
「そうですか、失礼でなければいいんですが……」
「長門さんに限って、その様な心配はご無用だと思いますよ」
突然横合いから違う声がしたのでハッとするが、そこにはいつの間にか先程のマスターが立っていた。
彼は使い込まれた真鍮製のトレーを手にしており、その上には複雑な輝きを見せる色ガラスの容器に盛り付けられたパフェと思しきモノが3つ載せられている。
「美味しそう――」
思わずといった調子で穂波が呟く。
「そう思うだろう? 私も一遍で病みつきになってしまってな」
「お褒めを頂いて光栄ですが、こんな寒い時節によろしかったのやら」
「いえ、寒い時に冷たいもの食べるのとか嫌いじゃないですから」
実際彼らのテーブルは陽射しの温もりが感じられ、比較的寒さが穏やかなこともあって場違い感は無い(とは言えホワイトクリスマスが全く期待出来そうに無い点は残念だが……)。
コトンコトンと控えめな音と共に3人の前にそれらを配したマスターが一礼して引き下がると、再び長門が口を開く。
「さぁ、話は後から幾らでも出来る。何はともあれ食ってみろ」
「あ、はい」
「頂きます」
器に添えられた洋銀製の匙でそっとプディングとクリームを掬い取って口に運ぶ。
「うわ――」
「美味しい……」
感想を言おうとした隼太の言葉を遮る様に発せられた穂波の言葉は、彼女が意識することなく自然に発した様だ。
横を見た彼の目に映ったのは、子供の様にキラキラと輝く瞳だった。
「穂波ちゃん、そんなに?」
「うん――こんなの食べた事ない……」
答えるのももどかし気に、彼女は更にもう一匙口に運ぶ。
「ふふふ、最初にここへ来た時の私も、おそらくそんな
「そうだったんですね――確かにちょっと経験したこと無い美味しさです」
「そうだろう、そう来なくてはな♪」
楽しそうに応じた長門の瞳も星の様に煌めいている。
その余りの美しさにドキリとした彼の目に、一瞬彼女の姿が別の姿と二重になった様に映る。
(なんだ、一体?)
「どうかしたのか?」
「あっ、いえ、その――目がおかしくなったのかも知れません――錯覚かな……」
「――いや、一概にそうとは言えんかも知れんな」
「えっ、どういう事ですか?」
「ひょっとしてお前の目には私ではない別の姿が重なって見えたのではないか?」
「え――そ――そうです! 何かご存じなんですか?」
だが彼女はそれには応えず、黙って再び窓の外を眺める。
その眼差しは遥か遠くに――おそらくは彼らが生まれるより以前の過ぎ去った日々へと向けられていた。
「申し訳ありません――やはりお聞きすべき事ではありませんでした……」
いつの間にか手を止めていた穂波が申し訳なさそうに詫びるが、窓外に視線を向けたままで長門が応じる。
「そんなことは無い、そうでなければ、お前達をこんな処へ連れて来たりはせんよ」
そう言った彼女は、遠い時の彼方へと向けていた瞳を彼らへと戻し、フッと口許に笑みを浮かべる。
「それにしても、お前達は本当に2人で1人の様に話すのだな♪」
「い、いえ、その……」
「ほな――いえ、彼女が自分をフォローしてくれてるだけです、自分は思い付きで喋ってるだけですから……」
「そうか、だがな、やはりお前達はどこか似ているのだ。姿形は似ても似つかんのだがな……」
咄嗟に『誰にですか?』と聞きそうになったのだが、穂波が腕を掴んだので辛うじて思い止まる。
とは言え長門にはすぐ分かったらしく、苦笑されてしまう。
「お前達を見ていると、本当にあの頃を思い出す――20数年前の事だというのにな――――あの日食べたこの味を特別なものにしてくれたのは、傍らに我が妹が居てくれたからなのだろう……」
「妹さん……」
「――陸奥さん――ですね……」
「――そうだ」
彼らはもちろん、陸奥の名は聞いていた。
軍の教育課程では必ず学ぶ、深海棲艦との戦争に先立つ前史とでも言うべきものだ。
『ファースト・コンタクト』として語られるオリジナル(但し当時は『艦娘』と呼ばれていた)と人類との最初の接触において必ず出る名前であり、これ迄に地上に存在した全てのオリジナルの中で最初にサルベージされて天上に去ったのが彼女なのだ。
ファーストコンタクトから10数年後に現在の艦娘が登場し、それから少なからぬ数の穂波の様な人間の女性が艦娘となったが、今のところ陸奥の適性を持った艦娘は一人も出現していない。
ただの偶然なのかも知れないが、それでも今後もきっと現れないだろうとまことしやかに語られる程、その存在は神秘的だ。
「あ、あの――」
「どうした、そんなに固くなる必要は無いぞ」
「あ、はい、先程言われた別の姿と言うのは陸奥さんの事なんでしょうか?」
「私が見た訳ではないので断言は出来んが、そうだと言った者も過去には居たのだ」
「それはつまり、彼が初めてではないという事なんですね」
「うむ、合理的な説明は全く出来んのだがな」
「そうですか……」
「ただ、私はこう思っている。我が妹は確かに天上に去りはしたが、同時にいつも我々の傍に寄り添ってくれているのだとな。だからこそ、思いの通じる者はその姿を見てしまうのだと……」
「……」
「……」
暫し沈黙が流れた後で長門がフッと表情を緩める。
「折角美味しいものが目の前にあるというのに、徒に手を止めさせてしまったな♪ さぁ、溶けてしまわぬ内にちゃんと味わっておこう」
「はい」
実際それは特別に甘党な訳でも無い隼太にとっても、得も言われぬ程の体験そのものだ。
ましてそれが女性であれば、それこそ長門の言う様に病みつきになっても不思議はないだろう。
ただ、今の彼は先程の説明不可能な体験もあって、陸奥にかかわる話が気になって仕方が無い。
そんな訳で、一頻りカチャカチャと匙を動かした後、頃合いをみてつい質問を重ねてしまう。
「その、やっぱり陸奥さんは――」
「もう、隼太君⁉」
こんな時は躊躇する様子も見せない穂波が彼の太腿をキュッと抓り掛けるので、慌てて詫びる。
「ご、ゴメン」
「しつこく根掘り葉掘りしたら駄目!」
「ハハハ、もう敷島は五十田に頭が上がらんのか。ますます似ていることだ♪」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、そうだ。もっとも、お前はそれ程優柔不断な訳では無さそうだがな」
「優柔不断な方――なんですか? その何方かは」
「そうだな、さっき我が妹は我々の傍にいてくれると言ったが、それは別に私が心配な訳ではないだろうな、その優柔不断な男が心配で仕方がないのだろう♪」
まるで傍らに本当に陸奥その人がいるかの様な口振りで笑った彼女は、心なしか楽し気だった。
「陸奥さんは――その方をとても大切に思っていらっしゃったんですね」
「――その通りだ、我が妹がこの地上でただ一人、心から愛した男だ」
(あっ!)
突然何の脈絡もなく隼太の脳裏を過ったもの――それは、あの日見上げた渡来司令の瞳だった。
あの哀しみを湛えた眼差しのその理由とはひょっとして――。
しかし、彼の心の動きは穂波に筒抜けの様で、口を動かす前から釘を刺されてしまう。
「隼太君、もう駄目だからね?」
「ほ、穂波ちゃん――分かったよ、もう聞かないから」
「本当に気を付けて? 失礼だよ!」
「敷島よ、生殺しの様なことをして済まんが、私も時には誰かに話したくなってしまうのだ。赦しては貰えまいか♪ 五十田もどうか敷島を勘弁してやって欲しい」
微笑をまた苦笑に切り替えた長門が可笑しそうに言うと、穂波が2人を代表して答える
「はい、長門さんがそうおっしゃるのでしたら♪」
「それは有り難いことだ、良かったな敷島よ♪」
「あ、はい、恐れ入ります……」
「ハハハハハ♪」
「うふふふ♪」
(なんだかなぁ――まぁ仕方ないか)
いささか煙に巻かれてしまった様で、なんとなくモヤモヤとはするのだが、此処まで長門と穂波に楽しそうに笑われてしまっては蒸し返すことなど出来そうにない。
そんな訳で、彼としてはパフェの残りを平らげることで一先ず満足するしかなかった。