しばふ村より   作:Y.E.H

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【第五章・第三節】

 『かすが』は隼太が想像していたよりも損傷がひどかった。

先程迄は『あつた』が横付けして負傷者を移送しており、『うさ』はその周囲を警戒中だったが、移送が終わった『あつた』は今し方最大戦速で帰途についていた。

傷ついてほとんど無防備の上に船足の遅くなった『かすが』を単艦で放置する訳にはいかないので、今は『うさ』がエスコートしながら帰投している途上である。

プールでは引き続き北上と穂波といぶきが周囲を警戒し続けており、戦闘態勢もそのまま継続していた。

とは言え『かすが』からの報告で少なくとも交戦していた敵を撃退した事ははっきりしていたので、あくまでも念のための対応と言える。

それでも艦上に粛然とした空気が漂っているのは、この戦闘で少なからぬ死傷者が出てしまったからだ。

目の前のコンソールに集中し様と努力しているのだが、少し気を抜くとつい待機スペースの方をちらりと見てしまう。

そこには、傷ついた『かすが』から移乗してきた村越と浪江がいた。

戦闘でプール付近の設備を損傷してしまった『かすが』では彼女達の作戦行動が出来ないため、いざという時のためにこちらに移乗しているのだ。

そう、村越と浪江だけなのである。

 

(白石さん……)

 

詳細は分からないのだが、彼女は重傷を――推測を交えて言うなら瀕死の重傷を――負って、『あつた』に移送されていた。

村越と浪江は見たところ軽傷であり、こちらに移乗している事からも非常時には戦闘可能と判断されているのだろうが、残念ながらその様には見えない。

少なくとも見る限りでは村越は問題ないだろうが、例え本当に『いざ』という時が来ても浪江は全く役に立ちそうになかった。

 

(そんなに怖ろしかったのか、浪江……)

 

彼女は待機スペースの片隅に蹲っていたが、移乗してきた時からずっとしゃくり上げている。

村越や一緒に移乗してきた『かすが』のWaveが傍に付いて落ち着かせようとしてくれてはいるのだが、その甲斐も無く小刻みに震え続けていた。

心配しても仕方がないと己に言い聞かせてみても、彼女の泣き声が殊更に耳についてしまう。

高速で航行していれば艦が波を蹴立てる絶え間ない轟音に掻き消されてしまう筈だが、ゆっくり航行している所為で艦上が静かなのだ。

そして彼の耳に聞こえている位なので、少なくともこの場にいる全員に聞こえているのは確実だった。

 

「敷島」

その時突然班長が声を上げる。

「はいっ!」

慌てて返事をして顔を上げた彼を見ながら、班長は浪江の方に向かって顎をしゃくって見せる。

直ぐにその意を悟った隼太であったが、さすがにまだ戦闘態勢が解かれてもいない中であり、思わず問い返す。

「ですが班長――」

「構わん、行ってやれ」

言葉少なにそう言って、再び視線を戻した班長の考えている事が彼にもなんとなく分かった。

こんな風に放っておく事は、本人にとっても周囲の全員にとっても何一つメリットがない。

「有難うございます」

立ち上がってそれだけを言うと、プールを回り込んで待機スペースに近づく。

言葉を掛ける迄もなく、村越がこちらに向かって顔を上げるとややホッとした様な眼差しを投げ掛けてくる。

「お願いするわ、控室、使うわよね?」

「うん――迷惑掛けてゴメン」

そう言うと彼女はフッと鼻を鳴らす。

「いいのよ、皆通る道だし」

短い言葉ではあったが、彼女の深い思い遣りが感じられた。

少し暖かな気持ちになった隼太は、そのまま浪江の横に膝をつくとその肩に手を掛ける。

「浪江、ちょっと控室に行こう」

だが、しゃくり上げながらも彼女は抵抗しようとする。

「い――イヤだ――ここに――いる」

 

(なに、こんな時に責任感発揮してんだよお前は)

 

そう思ったものの、同時に少し安心した。

残念ながら全く空回りしてしまってはいるものの、浪江はただパニックに陥っている訳ではなく責任感に縋る事で何とか恐慌を克服し様ともがいている。

「後で戻って来ればいい、今はここにいちゃ駄目だ」

少し低い声でそう言って二の腕をグッと掴んで立たせると、浪江は束の間それに抗い掛けた。

しかしその様子を見た村越が見上げて目を合わせて見せると、急に項垂れてスッと力が抜ける。

そのタイミングを捉えて肩に手を回し、備品庫脇の控室に向かって歩き始めると彼女は素直に従った。

 

「ほら、とにかく座れ」

控室の扉を開けて壁に折畳まれていた椅子を引き出し、そう声を掛けておいてから扉を閉めると、突然背中に浪江がしがみ付いてくる。

俄かに胸の奥から懐かしい感情が染み出して来た隼太は、一呼吸おいてから向き直り、まだ小刻みに震えているその華奢な体を抱き締めてやる。

 

「――あんちゃん……」

 

もう何年も聞いていなかったその呼び名は、彼女が幼かった頃の記憶を呼び起こさせる。

今ここに居るのはすっかり生意気になってしまった浪江ではなく、確かにあの頃の『あんちゃん』の助けを必要としている浪江だった。

 

「何があったんだ?」

出来るだけ優しい声でそう聞くと、震える様な絞り出す様な答えが返ってくる。

「――先輩が――、白石先輩が――」

「重傷らしいな――白石さんがどうしたんだ?」

 

問い返した隼太の腕の中で、浪江が身を固くする。

甦ってくる怖ろしい瞬間の記憶と闘っているのか、それとも自分の中の何かに抗っているのだろうか。

 

「今でなくていいぞ、話せる時でいい――」

 

「ううん、今――今、話す……」

 

改めて回した腕にギュッと力を入れると、それに応じるように彼女は深く息を吐き出し、幾つか心臓の鼓動を数えた後に話し始める。

 

「哨戒訓練中にね――――、敵が撃って来たんだ」

「うん」

「それでね――応戦してたら――反対側から――魚雷の音がして……」

 

深海棲艦の潜水艦は、一般の船舶にとっては勿論艦艇にとっても危険極まりない相手だった。

雷走音を捉えるにせよ雷跡を発見するにせよ、それらが出来るのはオリジナルか艦娘だけなのだ。

 

「水上艦から攻撃して注意を惹き付けておいて、反対側から雷撃して来たのか」

「うん――だけど――、間一髪でそれは回避できて――」

 

実際、潜水艦が襲撃する場合はひっそり待ち伏せして不意打ちする方がずっと効果的な筈だ。

だがそうしなかったという事は、こちらに艦娘が乗っている為に不意打ちが困難である事を知っていたのではないのか。

 

「それで――村越先輩が出撃して――、爆雷で攻撃してたんだけど――」

「うん」

「あたしは――水測で補助してて――、そしたら――」

「どうしたんだ?」

「弾が――飛んできて――真っ直ぐ飛んできて――」

「お前にか?」

「うん――でも――どうにも――どうにも出来なくて――」

 

どうにも出来ないというよりどう仕様も無かったのだろう。

浪江はプール上に居た筈なので、自身が直撃を回避する事は出来てもその弾は船体に命中するだけだからだ。

そう考えるのと同時に、怖ろしい情景が脳裏に浮かんでくる。

 

「浪江、まさか白石さんは――」

 

腕の中で浪江が大きく身震いする。

 

「そう――、そうなんだ――先輩が――白石先輩が――あたしの前に出て――、その弾を――――右手で――右手で――――」

「もういい、もう言わなくていいんだ」

 

思わず彼女をきつく抱きしめていた。

 

話を聞いているだけの隼太ですら、その瞬間を想像すると震えが襲ってくる程だ。

 

(白石さん……なんて事を……)

 

自分だったらそんな事が出来るだろうか?

いや、どう考えてもそんな真似は出来そうに無い。

彼女は、『かすが』と浪江を救う為に咄嗟に自らを犠牲にしたのだ。

到底常人に出来る事とは思えなかった。

 

「偉かったな――頑張ったな、浪江」

「あたし――何もしてないよ――、何も――何も出来なかった――ちっとも――ちっとも――偉くないよ……」

「何言ってんだ、お前と村越さんで敵を追い払ったんだろ?」

「あたしじゃないよ――先輩が――全部、村越先輩が――やったの――、あたしは――水測と――白石先輩を――看てただけで……」

 

「村越さん――そんなに凄かったのか?」

「凄かった――本当に凄かったよ――、1人で潜水艦も――もう1隻も……あたしなんて――、全然ダメで――、違い過ぎて……」

「違って当たり前だろ」

「でも――でもさ――」

「白石さんも村越さんも5年やって来たんだ、実戦経験だって積んでる。訓練始めたばっかりのお前が敵わなくて当然じゃないか」

「違う――違うよ――、あたしは――5年経っても――あんな風になれないよ――、絶対――無理だよ……」

 

それもまた当たり前の事なのだと隼太は思う。

5年後の浪江は今の白石や村越は勿論の事、5年後の綾瀬ともまた違っている筈だ。

良し悪しや優劣は所詮他人が決める事だし、まして必要とされない者が何時迄も軍に居続けたり実戦を生き延び続けられたり出来るほど甘くは無いだろう。

 

「同じになれなきゃダメか?」

「だって……」

「気持ちは分かるけど、同じじゃなくたって誰かから必要とされる様になれればそれで良いんじゃないのか?」

「それでも――それでもやっぱり――あたしは……あたしは……」

「もし本当にそれもなれないって言うんだったら、自分の中で納得する迄考えてから結論を出せばいい。急ぐ事じゃないさ」

 

それを聞いた浪江は黙ってしまう。

暫くの間、腕の中の小刻みな震えは続いていた。

しかし、やがてそれが静かになっていくのに気付く。

 

「――狡いよ、あんちゃんは狡い――自分の事じゃ無いからそんな事言えるんだ」

 

その声音は、震えた弱々しいものでは無くなっていた。

何時も通りとは到底言えないものの、先程よりは幾らかしっかりした声に聞こえる。

「当たり前だろ、俺はお前じゃない。けど、お前も村越さんじゃないし白石さんでもない。何処迄行ったってお前はお前、俺は俺だ」

そうきっぱり言い切ってみせると、それ迄痛い程にしがみ付いていた両腕からスッと力が抜ける。

隼太もまた回した腕を緩めると、一歩後ろに下がった浪江が何処かしら不服そうだが落ち着いた眼差しで見つめ返して来た。

 

「――何だか損した……」

「何がだよ」

「隼兄ぃにこんな事喋って損した」

「決まってるだろ、俺がそう易々と浪江を得させたりしねぇよ♪」

「フン!」

勢いよく鼻を鳴らしてそっぽを向いた浪江は、ほとんど聞こえない位小さな声で何か呟く。

「え、何か言ったか?」

「何にも言って無いよ!」

「そうか、だったら良いんだ」

 

「――もう戻る」

「大丈夫か、戻るって事は万一また襲撃があったら応戦するって事だぞ?」

「そんなの分かってるよ」

「じゃあそうしよう、迷惑にならない位にはちゃんと挨拶するんだぞ?」

「それも良く分かってるよ! 隼兄ぃに言われなくたってさ」

そう言い捨てるなり、浪江は彼を押し除ける様にして控室の扉に手を掛けるので、苦笑しながらクイックハンドルを廻してやる。

それがまた気に入らなかったのか、膨れ面になった彼女はさっさと扉を開けると隼太を置き去りにしてスタスタとプールに向かって歩いて行く。

「ご迷惑お掛けして申し訳ありませんでした!」

大きな声で詫びるとピョコンと頭を下げ、そして如何にも何事も無かったような顔で待機スペースに腰を下ろす。

その後姿にまた苦笑させられた隼太に向かって、村越がチラッと振り返り目で嗤って見せた。

 

(有難う)

 

やはり目でそう礼を言うと、急いで持ち場に戻る。

班長に一言礼を言おうと思ったのだが、彼はわざと視線を逸らして見せたので止めておいた。

 

(白石さん――頼むから無事でいてくれよ……)

 

彼女を乗せた『あつた』はそろそろ帰投した頃だろうか。

今はまだ浮足立った様子を微塵も見せない村越もいぶきも、そして言う迄も無く穂波もさぞ心中穏やかでない事だろう。

それでも目の前の任務に対して淡々と取り組み続ける彼女達は、確かに浪江の言う通り到底追い付けなさそうなほど軍人になり切って見える。

 

(俺もそうならなきゃいけないんだ――、一緒の戦場に立ち続け様とするなら……)

 

グッと奥歯を噛み締めて、視線をコンソールに戻す。

そんな彼の横顔を何処かしら寂し気な眼差しで村越が見詰めていたが、隼太自身を含めてそれに気付いた者は誰も居なかった。

 

海上には、急速に宵闇が迫っていた。

 

 

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