しばふ村より   作:Y.E.H

39 / 59
【第五章・第四節】

 『うさ』の入港後点検と後始末が一通り終わり、どうやら隼太は解放された。

風呂と夕食の時間は過ぎているが、こんな時は厚生施設が時間外対応してくれるし、例えそれを抜きにしても今は白石が優先だ。

損傷をうけた『かすが』の周りには多くの陸上要員が群がっており、この分では清次が下船して来るのは無理そうに見えたが、思い掛けず彼が舷梯を渡って来るのが見える。

どうやら配慮があったらしく、清次を含めて少々青褪めた顔の兵士達や軽傷と思われる者達が下船して来た様だ。

彼は隼太の姿を認めると護岸を急ぎ足で近づいてくる。

「おい、もう行けるのか?」

「ああ」

そう返事をした清次が照明の下に来たのを見て思わずハッとする。

遠目には少々蒼褪めた位に見えていたのだが、明かりの下で間近に見た彼はそれ処ではなく顔面蒼白と言った態だった。

「おい、大丈夫か? 何か腹に入れた方が良くないか?」

「いや、いらね」

即答したその声はやたらに硬く、別の事を薦める雰囲気ではない。

「そうか、だったら直ぐ行こう」

それだけ言って、2人は早足で医療棟に向かう。

以前であれば傷病者は漏れなく総監部近くにある海軍病院に搬送されていたらしいが、今では教育隊と同じ敷地内にその分院が設置されており、白石をはじめ今回の負傷者はそこに運び込まれていた。

棟内に入ると『かすが』の副長や隊の総務課員などが早くも負傷者の状況確認に来ていたが、それよりも更に奥の手術室近くの待合スペースに穂波ら艦娘達の姿を見出す。

 

「お疲れ様、どんな様子かな?」

取り合えずそう問いかけた隼太だったが、彼女達の表情は暗い。

特に浪江は、身の置き所が無いと言った様子で俯いたまま唇を噛んでいる。

 

思わず近くに座っていた穂波の顔を見ると、彼女は不安げに眉を寄せて口を開く。

「あのね、先生がまだいらっしゃらないの」

「えっ⁈」

「海軍病院から移動中らしいんだけどね、まだ到着しないみたいなのよ」

そう付け加えた村越の口調にも苛立ちが感じ取れる。

「もうっ! 先生早く来てよぉ~、雪乃に何かあったらどうすんのよぉ……」

いつも朗らかないぶきも、さすがに焦りを隠せない様だ。

 

(マジかよ――白石さんの生命(いのち)が掛かってるって時なのに……)

 

皆の焦燥がひしひしと伝わって来てついギュッと拳を握り締める。

その張り詰めた雰囲気と白石が自分を庇って倒れたのだという罪悪感とに耐えられなかったのか、俯いていた浪江が静かに嗚咽を漏らす。

「浪江ちゃん、大丈夫だよ……」

横に座った綾瀬が膝の上できつく握り締めたその拳を両手で包み込みながら声を掛けるものの、その彼女もまた涙を浮かべていた。

「ちくしょ~、やっぱりちょっと見て来るわ!」

「わたしも行く!」

堪え切れなくなったのか三森が立ち上がると浦戸も続いて立ち、2人は事務所と思しき方向に早足で消える。

彼女達が動き始めたのに少し遅れて穂波が立ち、泣いている浪江の横に座って肩にそっと手を掛けると反対側に座っていた臼井も間を詰めて綾瀬に寄り添う。

歯を食いしばるようにして耐えていたいぶきや、腿の間に両手をギュッと挟み込んで俯いていた初田も何時しか瞳を潤ませていたが、さすがに気丈な村越だけは唇を噛んで何とか踏ん張っていた。

 

(くそぉ、何とか出来ないのかよ……)

 

そう思ったその時、背後からツカツカと足音が響く。

「どうしたの? まだ手術が始まらないの?」

挨拶抜きでいきなり口を開いたのは、北上を伴った斑駒だった。

隼太と清次はさっと向き直って敬礼し、一瞬遅れて穂波らも立ち上がって敬礼する(綾瀬と浪江はさらにワンテンポ遅れはしたが……)と彼女もキビキビと答礼する。

「まだ先生が到着されない様です」

彼女達に口を開かせるよりはと、いち早く隼太が報告する。

「そうなのね――分かったわ、大方移動に手間取ってるんだろうとは思うけど、出来るだけ催促して来るからあなた達はとにかく気を静めて待っていなさい」

「はい!」

「ただし、臼井さん、初田さん、あなた達は宿舎に戻りなさい、三森さんと浦戸さんは何処かしら?」

「様子を見て来ると言って事務所の方へ行きましたが――」

「それじゃ、あなた達もそちらに向かって2人と一緒に宿舎に戻ること。いいわね?」

「はい……」

「分かりました」

彼女達がいささか後ろ髪を引かれながらそう肯うと、小さく頷いた斑駒は隼太達に向き直る。

「あなた達は特別にここで待つ事を許可してあげるけど、それでもちゃんと日課は済ませて消灯時間を守るのよ。分かったわね」

「はいっ!」

彼らが声を合わせてそう応じると、斑駒は傍らの北上に顔を向け、

「あなたは?」

と短く問いかける。

「多分大井っちが来ると思いますんで、それから戻ります」

余り間延びした感じでもなく幾らかは普通に応じた彼女の返答に納得したのか、斑駒はサッと踵を返して足早に歩み去る。

そして臼井と初田も席を立ってしまうと、再び廊下はひっそりとしてしまう。

 

「あ~、い-よ座んなよ~」

自身は突っ立ったままの北上が気を遣ってくれたものかそう声を掛けたので、隼太と清次以外は軽く会釈をしてまた腰を下ろす。

「分院造ってくれたのは良いんだけどさ~、そもそも医官の数が足りてないんじゃちょっとね~」

彼女の誰言うともない独り言は全くその通りなのだが、残念なことに今この場にはそれに相槌を打てる余裕のある者がいなかった。

そんな訳で少々気不味い空白が生まれてしまったものの、例によって北上はそれを気にしている様な素振りを見せない。

何よりも、その空白はほんの僅かしか続かなかったのだ。

 

「北上さん⁈ 北上さんはどこ⁈」

この場に全く似つかわしくない甲高く耳に障る声が響き渡り、当の北上ですら苦笑いを浮かべる。

「ああ北上さん! 良かったわ、無事だったのね!」

「ちょっと大袈裟だよ~大井っち~、出撃はしたけど戦闘にはならなかったんだしさ~」

「本当に御免なさいね、あたしが居なかったばっかりに――」

「いや~、それも大井っちの所為じゃないからさ~、まぁ兎に角ここは引き上げようよ」

「そうね、そうしましょ」

 

(何だかなぁ、幾ら強いとか凄いとか言っても、これじゃ大井さんはやっぱりちょっとヤバいヤツと思われても仕方無いよな……)

 

心中溜め息を吐いていると、北上がこちらに向き直って声を掛ける。

「それじゃあね、ちゃんと副長の指示は守るんだよ」

「はいっ」

正面に立っていた隼太と清次が返事をして終わりになると思った次の瞬間、チラッと浪江らに向かって視線を投げ掛けた彼女が発した言葉にその場が凍り付く。

 

「あんまり言いたか無いけどさ~、あたしらは兵士でここは戦場なんだよ? そんなにメソメソしてんの見ちゃうとさぁ、毎日が死と隣り合わせなんだっていう覚悟が足んないんじゃないのって思っちゃうよね~? ま、いいんだけどさ」

 

(――何だと?)

 

頭の片隅でカチンという金属的な感触がして、急に血の温度が上がった様な感覚に囚われる。

 

(それって、今言うべき事か? 違うだろ?)

 

彼女達や浪江の為にも何か反論し様と言葉を探し掛けたが、背中にドンと何かが当り、注意を引き戻される。

 

「おい――」

清次の低く据わった声が響くと共に、隼太の脳内で警報が鳴る。

 

(不味いぞ、こいつキレる!)

 

「待てよ清次」

咄嗟に振り返って彼の肩を掴んで押さえるが、同時に穂波達の反応も目に入る。

刺す様な強い眼で北上を睨んでいる村越といぶき、涙に濡れた恨めし気な眼差しを向けている浪江と綾瀬はもちろん、激しい感情を見せたことのない穂波ですらありありと不快感を漂わせている。

 

(そりゃそうだよな、なんでこんな煽る様な事を……)

 

浪江と綾瀬はともかく穂波達は既に十分実戦経験も積んでいるし、目の前で他の兵士達が倒れる姿も目の当たりにして来ているのだから、今更覚悟が出来ていないだの何だのと言われる筋合いはない。

しかし、例えどれ程経験を重ね様が覚悟が出来ていようが、友達を喪いたくないというその想いには何ら変わりがない筈だ。

 

(くそっ! 何わざわざ喧嘩売りに来てんだよ、俺が何とか言い返して抑えられるか?)

 

焦りながらも何とかせねばとそう思った次の瞬間の事だった。

全く思いもよらない方から声が上がる。

 

「駄目よ北上さん、そういう事言うの良くないわ」

 

大井の声は、先程と同一人物とは思えない位静かで落ち着いていた。

 

「でもさ~大井っち~、こういう事はさぁ、誰かが――」

「いいえ、今はこの娘達の大切な友達が生きるか死ぬかという時なのよ? 少し位取り乱したからと言って、それを殊更に責めるだなんて正しいとは思えないわ。今の言葉、取り消してあげて?」

「何だよぉ~、あたし何も間違った事は言ってないよ~?」

「言ってる事が間違ってる訳じゃないわ、でもね、あたしの北上さんにはこの娘達の痛みや辛さをちゃんと分かってあげられる人であって欲しいの。だからちゃんと謝ってあげて、お願いよ?」

 

彼女の物言いは優しく静かではあったが、何処か抗い難い迫力があった。

 

それに気圧された北上は言葉に詰まってしまい、暫し逡巡する様な素振りを見せた後でプイとそっぽを向くと、不服そうにしながらも謝罪を口にする。

「無神経な事言って悪かったね――白雪の無事、祈ってるからさ」

それだけ言ってしまうと彼女はくるっと背を向けて足早に去っていく。

その姿を軽く目で追い掛けた後で大井はこちらに向き直り、なんと彼らに向かって頭を下げる。

 

「あなた達には不愉快な思いをさせてしまったわね、――でもね、北上さんにとってこの戦場は死にに行く為の場所じゃなくて生きる為の大切な場所なの。本音を言えば怖ろしくて仕方がない筈だけど、そんな自分を奮い立たせる為にあんな風に振舞って見せているだけなのよ。あなた達と何も変わりはしないわ……。きっと腹を立てているだろうけど、それだけは分かってあげてくれないかしら。――白石さん、きっと助かるわ、あたしもあなた達と一緒に祈ってるからね」

 

隼太と清次が思わず呆気にとられる程、優しく温かい言葉だった。

現れた時とは別人の様に静かに去っていく彼女の後姿を見送っていた彼らは、やがて同時にほーっと溜息を吐く。

「今の、本当に大井さんだったのか?」

「俺には……一応そう見えたぜ?」

「そうだよな――」

 

「大井さん……優しいと思うよ」

穂波が口をはさんだので、2人が顧みるといぶきと村越もそれを肯う。

「確かに訓練とかでは凄く厳しいんだけど――」

「でも意地悪されてる雰囲気じゃないわ、寧ろ細かく気遣ってくれる感じよ」

「そうなんだ……」

 

会話が続いたのはそこ迄だった。

白石を執刀する医官が来てくれないという現実が、彼らの上に重く圧し掛かっていたからだ。

息が詰まる様なその時間は永遠に近い程長く感じられたが、実のところは大井らが立ち去ってから20分程度の事だった。

斑駒の催促が功を奏したものか、手術衣に身を包み手袋を引っ張りながら急ぎ足に歩いてくる医官がとうとう彼らの前に姿を現したのだ。

「先生――」

思わず隼太が声を掛け様としたその時、彼を遮って大声を出す者がいる。

 

「白石の手術をして頂く先生でしょうか?」

突然そう言って一歩前に踏み出したのは清次だった。

「――む、私がそうだが、君は?」

 

唐突なその様子に少々訝し気にしながらもその医官は応じてくれるが、それを聞いた清次は全く思いもよらない行動に出る。

 

彼は医官の前に進み出ると、なんといきなりその場に土下座してしまう。

「き、君! 何の積もりだ?」

「私は『かすが』乗組みの一等海士で木俣と申します。先生にお願いがあってお待ちしておりました!」

「おい清次、やめろ――」

「白石の手術にあたって、もし血が必要であれば私の血を使って下さい! 白石の血液型はA1、Rh+です。私はA3、Rh+ですから輸血出来ます! もしも体の一部や臓器が必要であれば私のものを使って下さい! 例えそれが心臓であっても構いません、それで白石が助かるのであればお使い下さい! 私はどうなっても構いません、ですから、どうか、どうか白石を――白石を助けて下さい! お願い致します! …………」

 

(清次、お前!)

 

余りの事に固まってしまったのは、どうやら隼太だけではなかったらしい。

その場は束の間静寂に包まれ、先程まで漂っていた焦燥感が何処かへ吹き飛ばされてしまった様だ。

しかし、そんな中にあってやはり医官だけは冷静だった。

 

「君、彼の顔を上げさせてやってくれないかね? 私は今何かに触る訳にはいかんのだよ」

「あ、はい……」

 

そう声を掛けられて金縛りが解けた彼は、清次の横に膝をついて顔を上げさせる。

 

「木俣君と言ったね」

「はい――」

「私は神様では無いので『必ず助ける』という約束は出来ないが、私のベストを尽くすと約束しよう、それで許して貰えるかな?」

 

その医官はもちろん初対面なのだが、にも関わらず若造の彼らに向かってそこ迄誠実な言葉を掛けてくれた事に、危うく涙が零れそうになる。

傍らにいた隼太が既にそんな心境だった位なので、当事者である清次が我慢出来る筈もなかった。

 

「あ――有難うございますっ!」

 

言い終わると同時に彼は床に突っ伏して啜り泣き始める。

「よろしくお願い致します」

辛うじてそう言った隼太に軽く目で微笑すると、その医官は手術室に通じる自動ドアを颯爽と潜っていく。

 

その後暫くは誰も口を開く事もなく、ただ清次の聞き苦しい啜り泣きだけが聞こえていたが、やがてハァッと溜息を吐いた村越がボソッと呟く。

「本当――如何し様もないバカよね……」

その言い草はやはり何時もの彼女そのままだったが、今日は少しだけ『バカ』のニュアンスが柔らかい様な気がした。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。