彼らが白石を見舞うことが出来たのは、その後2週間以上経ってからのことだった。
それでも特に配慮された上でのことであり、今回も許可されたのは斯波府村出身者に限られていたため、三森や浦戸達からはどんな様子だったか必ず教えてくれと念を押されていた。
手狭ながらも個室のリクライニングベッドに横たわり、上半身を起こした彼女は予想していたより遥かに血色も良く、健康を取り戻している様に見える。
とは言っても、やはり保護具に覆われたまま不自然な短さで途切れてしまっている右腕が痛々しい。
病室に入った直後、それを目の当たりにした一同は思わず無言になってしまったが、間もなく白石が笑顔を浮かべて口を開く。
「みんな、来てくれて有難う」
それを聞いた途端、彼女達の感情が一斉に弾ける。
「雪乃! 良かった――ほんとに良かったぁ――」
「ごめんね雪乃、あたし本当に何もしてあげられ無くて――」
「雪乃ちゃん、もうこんな無茶しないでね! 絶対だよ!」
「みんなごめんね、迷惑掛けて本当にごめんね」
「何言ってんのよ! 何で雪乃が謝るのよ――謝るのはあたしの方なのに……」
「有難う、こんな風にまた皆と一緒に会えるのが本当に嬉しい! 皆居てくれて本当に有難うね……」
4人が涙ながらに喜び合い、そして手を取りあう姿を隼太達はじっと見守っていた。
5年の月日は彼女達を互いに掛け替えの無い戦友にしており、その絆の確かさを感じて思わず目頭が熱くなってくる。
ただ、ここにはその気分に浸って共に分かち合う為に高いハードルを越えなければならない者もいた。
1人は先程から身の置き所が無い様な態で病室の片隅に縮こまっている清次であり、もう1人は隼太に両肩を支える様に掴まれ右手を綾瀬に握られて俯いている浪江だ。
(まぁ、お前は自力で頑張ってくれや)
心の中で清次にそう言い渡すと、彼の前に立つ浪江に注意を戻す。
無論白石が彼女を責めたり詰ったりする事はあり得ないものの、浪江としては白石に詫びてその赦しを得なければ今回の事を乗り越えて行くことは出来ないだろう。
そんな訳で4人が感涙に咽んでいる間、彼としては浪江が緊張の余り倒れてしまわぬ様支えていてやらねばならないのだ。
かくする内に次第に4人の高揚が治まり始め、言葉の遣り取りも一段落して雰囲気が落ち着いてくる。
「浪江」
低く小さな声で呼び掛けると、彼女の肩にグッと力が入る。
束の間浪江の返事を待つかと思われたのだが、すぐにそれを待つ迄も無いと感じ取ったらしい綾瀬が声を上げた。
「白石先輩、よろしいですか?」
それを聞いた穂波達は夫々に涙を拭ったりしながらも場所を開けてくれ、迎える白石も軽く顔を拭いながら目を向けてくれる。
隼太が軽く押し出すようにして手を離すと、浪江は一瞬ハフっと息を吸い込んだ後に思い切って声を出す。
「せ、先輩、――私が、――私がボケっとしてた所為で――こんな大変な事になってしまって……本当に申し訳ありません!」
痞え痞えではあったものの、彼女は何とか事前に練習した通りに言う事が出来た。
ただ、それを言うだけで一杯一杯になってしまい、後は微妙な沈黙が流れる。
にも関わらず、白石は軽く笑顔を浮かべながら声を掛けてくれた。
「敷島さん、ここに来て?」
白石がベッド脇のスツールを指差すので、促された浪江はおずおずと腰を下ろす。
「敷島さんが謝る様なことは何も無いし、ボケっとしてた訳でも無いわ。だからそんな事何も気にしなくていいの、でもね――」
そう言いつつ彼女は左手を伸ばすので、戸惑いながらも浪江が手を差し出すと、その手を取ってなんと短くなってしまった右腕に触れさせる。
思わず硬直した浪江に向かって、彼女は言葉を続けた。
「ひょっとすると、この腕は敷島さんの命そのものだったかも知れないし、他の誰かの命だったかも知れないわ。戦場では、一瞬の迷いや判断の遅れがそのまま誰かの命に直結してるの。私はね、誰かの命を喪うかも知れないその一瞬を、この右手に変えるチャンスを掴み取っただけよ」
それは、横で聞いている隼太が身震いする程に神聖で冒すべからざる言葉だった。
果たしてこの洗礼に浪江は耐えられるのだろうかと心配になったが、彼女は肩を震わせながらも白石の言葉を全身で受け止め様と努力していた。
「だからね、敷島さんはこの事を絶対に忘れないでね。それが何時か必ず、敷島さんや誰かの命を助ける事になるから」
「――――はい――――絶対に――忘れません……」
辛うじてそう応じた浪江は、堪え切れずに顔を覆って啜り泣き始めるが、それを見詰める白石の表情はとても穏やかだった。
これで終わったと感じた隼太は、泣いている彼女の肩を掴んで立たせる。
「本当に有難う、白石さん」
おそらく浪江は、彼女の言葉を一生忘れないだろう。
そしてそれは正に白石が言った通り、何時の日にか必ず浪江自身を救ってくれる事だろう。
そう思ってとても暖かな気持ちに浸っていると、相変わらず穏やかな微笑を浮かべたままの白石が声を掛ける。
「ねえ、私もう一人お話を聞かなきゃいけない人がいるの♪ 敷島君、呼んで来てくれないかしら?」
その言葉の調子につい笑みが零れてしまった彼は、啜り泣いている浪江を穂波達に任せておいてからニヤッと笑って応じる。
「うん、ちょっと待っててくれる? 今呼んでくるから♪」
と言いながらくるっと背後を振り返り、病室の隅で置物の様に固まっている清次の許へ近づく。
「おい、出番だぜ」
「む、無茶言うなよ……」
「何が無茶なんだよ、白石さんが話聞きたいって言ってくれてんだぞ?」
「どの面下げて話しすんだよ――俺は何にも出来なかったんだぜ? 白石は右手を失くしちまったのに、俺はこんな無駄にピンピンしてるんだぜ? 情けなくて顔向け出来ねぇよ……」
最後は消え入りそうな細い声だった。
(お前、本当に白石さんのこと好きなんだな――だったら、尚更その気持ち伝えるべきだぞ)
そう思った隼太が彼の肩に手を掛けて口を開こうとしたその時だった。
機先を制するかの様に、白石の張りのある凛とした声が響く。
「清次君、傍に来てちゃんと顔を見せて?」
その途端、それ迄背中を丸めて縮こまっていた清次が、まるで背骨にスプリングでも入っていたかの如くビシッと背筋を伸ばして直立する。
そして、ポンコツの重機よろしくガクガクしながら半回転すると、途中で止まってしまいそうになりながらもどうにか白石の枕元まで辿り着く。
あたかも磁石で吸い付けられたかの様に例のスツールに腰を落とした彼は、そのまま微動だにせず停止してしまった。
その様子を目にして苦笑した隼太だったが、俄かに一つの事実に気が付く。
彼女は今確かに『清次君』と呼び掛けたのだ。
例え親しい友達であろうが常に姓で呼び掛ける白石が……。
しかし、そんな些細な事に彼が驚いている間に、白石は全く自然に清次に話し掛けていた。
「私を執刀して下さった先生がね、教えてくれたのよ、清次君が何て言ってたのか」
「えっ!」
素っ頓狂な声と共に顔を上げた清次は、その拍子に彼を見詰めていた白石と目が合ってしまい、赤面して俯く。それに対して白石は変わらず穏やかな微笑を湛えており、そのまま言葉を続ける。
「わたしね――――とっても嬉しかった」
彼女の左手がスッと差し出される。
それを見てしまった清次は、普通の人間がこれ程スローモーションで動けるのかと感心する位恐る恐る手を伸ばし、とても微かにその手に触れる。
「で、でも、――俺は白石の傍にいたのに何も出来なかった――、白石の為に、この体と血を使って貰う事すら出来なかった――。俺は――俺は、一体何の為に海軍に入ったのか分からねぇよ――、こんな積もりじゃ無かったのに……」
俯いたままの彼は、絞り出す様にそう言うと再び黙ってしまう。
がしかし、逆に白石はニッコリと笑顔を見せ、幾らかお道化た様な明るい声を出す。
「生意気な事言うんじゃないの♪ わたしはね、自分に備わった艦娘の力とわたし自身が経験で身に着けた力の全てを発揮したのよ? その力で敷島さんや村越さんや『かすが』の皆と、それに――清次君を守る事が出来たんだからとっても満足してるの。これで傷病除隊にはなっちゃうけれど、胸を張って村に帰れるわ♪」
彼女のその最後の言葉に反応した清次は、ビクンと顔を跳ね上げると先程よりもずっとしっかりした声でその想いを告げる。
「俺も――、俺も一緒に帰る! こ、これからは俺が白石を支え――」
「駄目よ!」
一瞬、隼太はあの斯波中の教室に舞い戻った様な錯覚に陥る。
清次の言葉を強く遮った白石の固く厳しい声は、正にあの頃の彼女そのままだ。
「で、でも、お前はそんな体で――」
「駄目なものは駄目!」
清次は必死に食い下がったものの、こんな時の白石には全く通じない。
そればかりか病室内はすっかり彼女の気迫に飲まれてしまい、シンと静まり返ってしまう。
「いい? 男ならちゃんとやり遂げて見せなさい! 折角頑張って下士官候補生になったんでしょ? それなのに、下士官にもならずに除隊なんかして如何する積もりなの? そんな中途半端な事する清次君は嫌いよ⁈」
まるで自分が叱られている様な気持ちになった隼太は、清次が今どんな心境なのかと思うとさすがに同情を禁じえなかった。
返す言葉が無いとはこういう事なのだろう。
たった2ヶ月程前にもそれが健在である事を示したばかりの、あの頃と同じ太々しさは何処へ行ってしまったのか、彼は口を噤んで俯いてしまう。
今迄彼女の左手に微かに触れていた筈のその手は、何時の間にか膝の上で筋が浮き出る位固く握り締められていた。
(お前、良く頑張ったよ――でも、やっぱり白石さんには敵わないよな)
静まり返った室内で問答無用とばかりにこっ酷く叱り付けられて小さくなっている彼が可哀想になって来た隼太が、如何にかして助け舟を出してやれないか考えていたその時だった。
白石がその厳しい顔をふっと緩めると、左手を伸ばして清次の頬に優しく触れる。
「心配しなくても大丈夫よ。わたし――ちゃんと待ってるから――――、立派になった清次君がわたしを迎えに来てくれる迄、ちゃんと村で待ってるからね」
隼太が――いや、おそらくそれを聞いていた全員が――軽い痺れを覚える程、慈しみと労わりと――何よりも深い愛情の籠った言葉だった。
この世に聖母が存在するのなら、こんな声で喋るのだろうか。
そしてその声は、清次の数年越しの思いが報われた事を告げたのだ。
彼は震えていた。
震えながら顔を上げると、そこにあったのは慈愛に満ちた眼差しだった。
何かを言わなければという義務感に追い立てられる様に彼は唇を戦慄かせ、
やっとの思いで途切れ途切れの言葉をなんとか捻り出す。
「や――約束――するよ、俺――やり遂げっがら――か――必ず白石を――迎えにぐがら……」
言いながら清次は大粒の涙を零しはじめ、どうにかそれだけを言い終えるとそのままベッドに突っ伏して男泣きし始める。
「うぉおおぅっ――おっおっ――おうっ――ぅおぅっ、おおおぉぅ――」
まるで吠える様な激しい嗚咽は、胸の奥底に抱き続けて来た強いその想いがやっと蒼天の下へと解き放たれた故なのだろうか。
言葉に言い表せない安堵や喜びの様な混ざり合った激情が彼を包み込んでいた。
(良かったな……本当に良かったな……)
何か言ってやりたいと思った隼太だったが、心の中でそう呟くのがやっとだった。
何よりも号泣する清次を愛おし気に撫でてやる白石は、本当に聖母が降臨したのかと勘違いしそうな位に得も言われぬ表情で、それを見ているだけで止めどなく涙が溢れてくる。
何時の間にか穂波が彼の腕をギュッと抱き締めていたが、彼女の瞳からも大粒の涙が幾筋も零れ落ちていた。
「本当に――――バカには敵わないわ……」
これ迄で一番柔らかく『バカ』と言った村越もまた涙を零している。
浪江も綾瀬も、そしていぶきもまた涙を滲ませていた。
(こんなに良い気分にさせやがって……、全く、お前は禄でもない食わせ者だよ♪)
そう思ってしまった隼太は勿論、この場にいる全員がその良い気分を共有しているものだと思い込んでいた。
それ故に、誰も気付くことが出来なかったのだ。
涙を浮かべたいぶきが、血が滲む程強く唇を噛み締めていた事に。
これで第五章は完結です。少々間が開いてしまうかも知れませんが、次回からは第六章を投稿する予定です。引き続きよろしくお願いします。