一夜明けた翌日、約ひと月ぶりに制服を着て登校する。
始業式での校長の話をうわの空で聞き流した彼にとっては、その話の中で触れられた現在の戦況や戦争の先行きについてのことなど存在しなかったも同然だが、彼に限らず海から遠いこの土地にあっては、戦争そのものに対する関心はお世辞にも高いとは言えなかった。
とは言うものの、斯波中全員がそうだと言うわけではないらしい。
式を終えて教室に戻った彼らは、久しぶりに全員が揃った教室のその空気のせいなのか、わずかな休憩時間にもかかわらず夏の思い出話に花を咲かせる。
「それにしても、敷島君ほんとに真っ黒ね」
「ほとんど毎日練習きてたからなぁ」
そう言う白石もうっすらと日焼けしている様だ。
「でも、白石さんもちょっと焼けてない?」
「あっ、わかる? 結構日が経って褪めてきたと思ってたんだけど」
隼太が指摘したことの何が良かったのか分からないが、彼女は少し嬉しげな笑顔で応じる。
1学期のあいだ成績優秀な白石が隣の席だったおかげで、あまり勉強熱心とは言えない彼はずいぶん助けられたと思っており、普通にと言うかそれなりに好意的に接しているが、特にいぶき派の男子達から彼女は過剰なまでに『堅物』扱いされている様に感じる。
(でも、なんかそこまでは思わないんだけどな~)
こんな風に雑談も普通にするし、見ようによっては皆が寄ってたかってちやほやするいぶきよりも可愛いのではないかと思うほどなのにだ。
「ひょっとして、どっか旅行でも行ってたの?」
「まさか! 夏に旅行なんて無理よ♪」
無論彼もそれを知らないわけではない。
田に稲がある間に家を空けて旅行する家庭はまずないだろう。
それは白石の家族であっても変わらないはずだが、一応聞いてみただけだ。
「でも、旅行じゃないけどちょっと出かけてきたのよ」
「へ~、どこに?」
「あのね、海軍主催の体験会とボランティアに行ってきたの」
「えっ⁉ 海軍の?」
「そうよ、仙台港に軍艦が入港してて、艦内見学や軍務体験をした後で避難訓練のお手伝いをしたのよ♪」
「避難訓練って?」
「敷島君、もしかして知らないの? 避難訓練は国民の義務なのよ?」
「あっ、いやぁその~――、ごめん、知らなかった……」
叱られると思っていた彼の予想を裏切って白石は逆ににっこりと笑顔になり、
「敷島君はやっぱり素直なのね、大事なことなんだからちゃんと覚えててね♪」
などとまるで家庭教師(もちろん、ドラマなどで見たやつである)の様な事を言う。
だがこれは特段に珍しいことでは無く、1学期の間を通じて隼太と白石の会話は概ねいつもこんな調子であり、あまり出来のよろしくない生徒と優しく熱心な家庭教師の関係とさしたる違いは無かった。
「あのね、沿岸部の自治体とそこに住んでいる市民は、年に1回以上は敵の襲撃に備えて避難訓練を実施することが法律で決まってるの。その訓練のお手伝いをするボランティアもしてきたのよ」
「それって、市民が全員参加で一斉にやるの?」
「そうよ、法律で認められた理由のある人以外は全員よ、自治体ごととか地区ごとに日を分けてやるんだけど――っていうか敷島君はちょっと無関心すぎるわね♪ 今は戦争中なのよ、わかってる?」
「う、うん、そのまぁ一応は……」
「一応だなんて――軍の人に言ったら叱られるわよ? 毎年たくさん戦死者が出てるのに、私達も何かできることでお手伝いするのが――」
「なんだよ、また説教してんのかぁ白石は~」
彼女の言葉をさえぎって、清次が割って入ってくる。
「隼太もいちいち全部聞いてやらねぇでもいんだぞぉ、委員様に任しときゃいんだからよぉ~」
いぶきに対する態度と比べると、正反対と言っていいほどひどい言い草だった。
さすがにちょっとたしなめてやろうと彼が思った矢先に、今しがたまでとは打って変わって厳しいまなざしを清次に投げかけた白石が固い声を上げる。
「木俣君は論外ね! 敷島君はただ知らないだけでちゃんと素直に聞き入れてくれるのに、頭からバカにして聞こうとしないなんて全く処置なしだわ⁉」
「へいへい、それで全然ケッコーだし~、まぁせいぜいお国のために頑張ってくれりゃいんでねーのぉ」
太々しいその態度は、いくらなんでも度を越している。
「おい、いい加減に――」
「ナニ寝ぼけたこと言ってんのよこのバカ清次! お国どうこう以前にあんたがそもそも斯波中のお荷物の癖に!」
そう隼太が口に仕掛けた言葉をさえぎって、耳に突き刺さる様な鋭い叱声が背後から飛んできたので思わず振り返る。
そこには腕組みをして仁王立ちになった村越が、親の仇でも見るような目つきで清次をにらみつけていた。
「お~こえこえ、神さんにまで叱られちまったぁ♪ 隼太ぁ、おめーはなんで平気でしゃべってられんだぁ? なーんかよくわかんねぇわほんとぉ」
そんなことより、彼にとっては清次がなぜ白石や村越に嚙みつかれても平然としていられるのか、しかもそのすぐ目の前でいぶきにデレまくれるのはなぜなのかということの方が全く理解不能だった。
「フン! 全く、何度言われても懲りないヤツよねぇほんとに!」
「うふふ、でもありがとう村越さん」
「別にいいのよ、それにしても普段からあんないい加減なことしてて、いぶきの前でだけ取り繕って恰好つけて見せてたら好かれるとか本気で思ってるのかしらね」
「ほんとね、バカみたいね♪」
「『みたい』じゃなくて本物のバカよ!」
(うぅ、こわっ! ……でも本当だから仕方ないか♪)
白石と村越が特別に仲が良いわけではなくて、クラスの女子同士はみなそれなりに仲が良く、彼ら男子たちの一挙手一投足はほとんど筒抜けなのだ。
それを知っていればこんなあからさまな手のひら返しなど無駄な努力どころか、かえって嫌われることぐらいわかりそうなものだが……。
「それはおいとくとしても、こいつにあまりためになる話とかしても無駄だと思うわよ? さすがにあのバカほどじゃないけど、それでも結構なおバカなんだから」
「おい、言い過ぎだろ⁉ なんかついでみたいにバカバカ言うなよ!」
「そうよ村越さん、敷島君のこと同じ扱いしたらいくら何でもかわいそうだわ♪」
なんと白石は笑顔で隼太のことを擁護してくれる。
ありがたいと思う反面、彼にとってはたいへん意外だった。
「やれやれね♪ 雪乃も買い被り過ぎよ、こいつだって十分ロクなもんじゃないと思うわよ? ま、いいんだけど」
一体彼が村越に何をしたというのだろうか?
ずいぶん嫌われたものだが、これといって心当たりがあるわけではない。
まぁ彼女の口の悪さは今に始まったことではないので、彼にとってもこの期に及んで真剣に悩んだりすることではなかった。
「おら~席さつげー」
その時担任が声を上げながら入ってきたので、彼らは慌ただしく席についた。
その後は新学期にお定まりの課題提出や連絡事項などのほかに、これまたお定まりの席替えが行われた。
もちろん彼の関心は穂波の席がどこになるのかだけであったが、それでも隣の席になりたいと思う反面、もしそうなったらどう接すれば良いのかについてモヤモヤしているのも事実だ。
(そうなんだよな~、最初からばれちゃってたらもう気にする必要もないんだけどな……)
などと心配していたのだが、結局それはただの取り越し苦労に終わる。
穂波の席は彼の右斜め後ろというなんとも微妙な場所になり、白石やいぶき、清次らは遠ざかり、左隣に村越が来るというこれまた微妙な配置になった。
「なんか心配して損したぁ~」
「でも良かった♪ 隣とかになったらどうしようって思ってたから」
再び帰り道で自転車を押しながら、彼らは席の感想を言い合う。
「そうなんだよな~隣り同士になりたい様なそうでない様な――って感じだったからさぁ」
「って言うか、わたしは隣にならないでってずぅっと祈ってたよ」
「え~でもなったらなったでそれは嬉しくない?」
「ううんやっぱり無理。だってみんなの前でこんな風にお喋りとかするわけにいかないし、だからって無視して知らん顔してたらすっごく不自然だし――どうしていいのか分からないから……」
「なるほどねぇ、確かに穂波ちゃんの言う通りだな~、不自然じゃないくらいに当たり障りなくしゃべったりとかしなきゃいけないって言われると、結構むずかしそうだね」
「うん、だからちょっとホッとしちゃったの」
「でもさ、それってつまり公認になっちゃえばもう迷う必要ないってことだよね」
「ええっ! そ、そんなの恥ずかしいよ――」
「ははは、やっぱり無理かぁ♪」
「そ、そうだよぉ」
ただ、そう言いながらも穂波はどことなく嬉しそうで、恥ずかしいのは間違い無さそうなのだが隼太と付き合っていることを誰にも知られたくないと固く思っている様ではない。
「でも――いつかは分かっちゃうんだよね……」
「そうだね、そんなに先の話じゃないよね」
「そうなったらどうしたらいいのかな――本当に毎日どうしたらいいのかな……」
「成り行きでいんじゃないかなぁ」
「えっ、そんな成り行きなんて……」
「だってさ、自然とか不自然とかって悩んでたら楽しくないよ。せっかく穂波ちゃんと付き合えるようになったのにさぁ」
思わず彼が本音を口に出すと穂波はわずかに頬を染めて視線を泳がせるが、数秒後には顔を上げて笑みを見せる。
「隼太君の言う通りだね。わたしもやっぱり楽しいほうがいいな、いっぱい楽しいことしたいね」
「そうだよ! だからさ、あんまり考えすぎないようにしようよ♪」
「うん♪」
その明るい声に気が緩んだ隼太は、まだ切り出すつもりのなかった事をつい口にしてしまう。
「い、一緒にさ、その、どっか行きたいな……」
「あっ――、う、うん、そうだね……」
さすがに早すぎるんだろうか?
でも付き合いはじめてどの位経てばこんな話を切りだしていいのか、教えてくれる相手がいるわけでも無い(兄に聞いたりすればまたからかわれるだけなので何があろうと聞くつもりは無い)ので、彼女の好意を信じて正直に振る舞う以外の方法は思いつかなかった。
「ご、ごめんね、やっぱりまだ早いよね――」
「そ、そんなことないよ! わ、わたしも隼太君とどっか行きたいよ――でも――」
「でも――?」
「父と母にちゃんと話してからじゃないと……」
「そ、そうか、そうだよね! お、俺もちゃんと言っとかないとなぁ」
「そうだよ、隼太君もご両親にちゃんと話してね、わたしもちゃんと話しするから」
「えへへ、ひょっとして猛反対されたりして――」
「うふふ、絶対そんなことないよ♪ ちょっと驚かれるかも知れないけど」
ただし穂波のこの心配は杞憂だった。
彼らが二人で下校する姿はすでに目撃されており、穂波の母親にそっと告げた者がいたからであるが、それはまだ斯波中の生徒達が知るところでは無い。
どちらにせよこれで隼太もまた彼の両親に穂波のことを話さねばならなくなったのであり、彼にとっては少々悩ましいことであるのには違いなかった。
(まぁ、お袋に話しとくかぁ)
父がそもそもこんな話に興味を持つとは彼には到底思えなかった。