しばふ村より   作:Y.E.H

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【第六章・第八節】

 トラッカーの指し示す方向にひたすら機動艇を走らせていると、間もなく画面上にもう一つのビーコンが表示される。

 

(あれっ?)

 

暫くそれが何なのか理解出来なかったが、その方向や接近してくる速度を見て初めて合点が行く。

 

(大井さんか……)

 

陸軍によって空路下田にある海上警備庁の支部迄移送された彼女は、そこから彼らが交戦している海域に駆け付けて来る途上だったのだ。

艤装を装着した彼女は40ノットを遥かに超える高速で海上を移動出来るので、無人機を除けば誰よりも早く戦場に到達する事が出来る筈だったのだが、それすらも既に手遅れとなってしまった。

 

(仕方の無い事だったんだろうか――運命ってやつなのかな……)

 

無力な一人の人間である隼太には、その真理は知る由もない。

今はただ、彼に出来る事――一刻も早く穂波の許へ辿り着くこと――を無心に為すばかりだ。

意識を前方に戻し、改めてトラッカーの表示を確認すると、彼女のビーコンの位置は既に1,000m以内にある様だ。

舵をキープしたまま立ち上がって前を見渡すと――――

 

「あっ!」

思わず声が出てしまう。

艇のかなり前方に、小さな物体が波間に漂っているのが見える。

 

(あれだ、間違い無い!)

 

胸を突き上げて来る激しい動悸を抑え込んで艇を操る内に、その小さな物体に蛍光色のオレンジ色が混ざり始め、間もなくその色が2つに分かれ、そして更にオレンジ色の塊の上に載った人型の物体が見えてくる。

 

「穂波ちゃん!」

 

我慢できずに叫ぶが、全く反応する気配がない。

 

(まさか――そんな、まさか……)

 

今やはっきり見えてきたその姿は、間違いなく穂波だった。

彼女が背中に背負った艤装は緊急時の水没を防ぐためのフロートが一杯に膨らんでおり、正しく機能している事は分かるのだが、その上に横たわった彼女は全く動かない。

 

(頼むから――頼みます――神様……)

 

速度を落としてそっと艇を動かし、最後はエンジンを止めて惰性で接近する。

 

「穂波ちゃん! 穂波ちゃん!」

そう呼び掛けながら海面に手を突っ込んで水を搔き、艇を止めると彼女はもう目と鼻の先であった。

逸り立つ気持ちを必死で抑えながら、海上救難教本の一節を懸命に思い出す。

 

まずは艇に備え付けのハーネスを取り出し、それを装着してベルトの一端を艇中央のフックに固定する。

これでしっかりと踏ん張れるようになったので、舷側から精一杯身を乗り出して艤装の上に付いているハンドルをしっかりと握る。

力を込めて引き付け様としたその時、彼女の顔にグッと自身の顔が近付くが、その額に微かに生暖かい空気が吹き付ける。

 

(これは――ひょっとして――)

 

そう思ってもう一度その口許に頬を近づけると、今度は間違いなく呼気が当たるのを感じる。

 

(息をしてる!)

 

その瞬間、彼の全身に力が漲ってくる。

 

艤装と穂波自身を合わせた重量は軽く80㎏を超えているのだが、今の彼にとっては何程もない重さだ。

火事場の馬鹿力というのは正にこの事を言うのだろうか、信じられない事に、彼は只でさえ嵩張る艤装ごと一気に彼女を艇の上に引き摺り上げていた。

 

「や、やった――なんで――こんな事――出来たんだろう……」

 

座り込んで荒い息を吐いた彼はつい独り言を口にするが、のんびりしている訳にはいかないと直ぐに思いなおす。

何はともあれまず艤装を固定しているハーネスを外し、プロテクタージャケットとスーツの前を開けて、彼女の細い呼吸を少しでも楽にする。

そうしておいてから、穂波が何処か傷を負っていないか確認し様としたその時、彼はのけぞりそうになる。

 

(嘘だ、そんな事……!)

 

穂波の左足が――――膝から先が、無くなっていた。

 

ぬらぬらと血に塗れたその傷口からは骨も見えている。

だが、これも訓練と――そして何よりも穂波に対する強い想いの故なのか、彼はパニックに陥る事なく応急処置をすることが出来た。

 

艦娘が着用している専用スーツには特殊な機能があり、強い力が加わって破れたり切断されたりすると、その周辺が強く収縮する様に作られている。

どうやらその機能は完璧に発揮されている様で、彼女の失血を防いでくれていた。

艇のメディカルボックスから必要な物を急いで取り出した隼太は、まず切断された脚にしっかりと止血帯を巻き付け、次に傷口に消毒フォームを吹き付ける。

これは傷口の消毒のみならず、空気に触れると固化して傷口を保護してくれるものだ。

それが固まり始めるその上から、四肢の切断時に使用する保護袋を被せて口をベルクロで止めると、取り敢えず出来る事は終了した。

 

「待っててね、穂波ちゃん。直ぐに連れて帰ってあげるからね」

応急処置の痛みでも意識を取り戻さない事からしても彼女の衰弱は激しい様で、一刻も早くちゃんとした治療を受けさせる必要があった。

念のためにもう一度彼女の全身を見回して、重大な傷の見落としが無いか確認し終えたその時、背後にチャプンと小さな水音がする。

 

(大井さん!)

 

てっきり彼女が来てくれたものと思い込んで振り返った隼太は、今度こそ全身が凍り付いてしまう。

 

そこにいたのは大井などでは無かった。

 

死体よりもまだ不気味な青白い肌に、雪の様に真っ白な髪をした、女によく似た姿をした異形の者が2人、血の様に赤く爛々と光る怖ろしい眼差しで、射抜くように睨みつけていた。

 

(これが――深海棲艦……)

 

頭の中に言葉は浮かぶものの、口も含めた体中が硬直してしまって身動きも声を出す事すらも出来ない。

 

「キサマ、アノフネカラキタノカ?」

 

2人の内、背の高い方がくぐもったおどろおどろしい声で問い掛けて来る。

その身長は隼太よりも少々低い位で、事前の彼の予想に反してごく普通の大きさだったが、よく見るとその身に着けた奇妙な衣服は大きく裂けており、全身あちこちから毒々しい色の気味の悪い体液の様な何かが流れ出していた。

傍らにいるもう1人は穂波と余り変わらない位に小柄で、見た処ほとんど無傷の様だ。

 

兎に角何とか応じ様としたのだが、どうしても言葉を発する事が出来なかったので、仕方なく何度か頷いて見せる。

 

「ソウカ、デハイノチダケハタスケテヤル。ソイツヲオイテサッサトタチサレ」

 

そう言って穂波の方に向かって顎をしゃくって見せたその女が、一瞬何を言っているのか良く理解出来なかった。

しかし、数秒ほど掛かってやっとその言葉が脳内に沁み込んで来た彼は愕然とする。

この女達が見逃してくれるのは自分だけで、止めを刺す積もりなのか連れ去ろうとしているのか分からないが、穂波を置いて行けと言われている事をやっと理解したのだ。

 

「嫌だ、それは出来ない!」

急に声が出せる様になった隼太は、無我夢中で拒む。

 

にも関わらず、女達は彼の言葉に全く関心を示さない。

 

「ウルサイ、ソイツヲオイテハヤクイケ、ジャマダ」

 

そう感情の籠らない冷え切った物言いを、無感動に繰り返すだけだ。

 

ここに至ってやっと頭が回転し始めた彼は、例え僅かでも時間を稼ぐ必要がある事に思いを至らせる。

もう少し粘る事さえ出来れば、大井はすぐ傍迄来ているのだ。

そう思って、渾身の勇を奮い起こして再び口を開く。

 

「何故だ? 彼女も俺と同じ日本人だ、助けてくれるというなら彼女の命も助けてくれないのか?」

 

「ウソヲツクナ、オナジニホンジンダトイウナラ、ナゼワレワレトオナジチカラヲモッテイル?」

 

思わずハッとなる。

深海棲艦達は、艦娘がどういう存在なのか分かっていないのだ。

 

(やっぱりそうか! 奴らの狙いは艦娘だったんだ……)

 

とは言え、それが分かった処で如何すればこの場を言い逃れる事が出来るのか、彼にはさっぱり見当もつかない。

 

(クソっ! 結局俺は何時もこうだ――こんな事ばっかりだ……)

 

そう思ったものの、今は誰の助けも得られない事に変わりはなく、肚を括るしかなかった。

 

「彼女が特別なんじゃない、彼女に特殊な力を与えているのはこの機械だ」

 

艤装の事で嘘は吐いていない、ただ穂波が1000人に1人の選ばれた存在である事は言わない方が良いと思っただけだ。

 

「ニンゲンドモハ、ソンナモノヲドウヤッテツクッタ、ソレハタクサンアルノカ?」

 

「どうやって作ったのかは俺にも分からない、数も良くは知らないが、これからはどんどん作れるだろう」

 

出来るだけ平静を装って返答するが、緊張の余り汗が伝って来るのが分かる。

 

女達は暫く沈黙していたが、やがて再び感情の籠らない不気味な声を出す。

 

「キサマガホントウノコトヲイッテイルホショウハドコニモナイ、ドチラニセヨココデシマツシテオクシカナイヨウダナ」

 

「待ってくれ! 機械を壊せというなら目の前で海に捨てる! 彼女だってもう戦場に出る事は出来ない! だから、どうか見逃してくれ!」

 

「イマサライノチゴイスルクライナラ、ナゼサキホドタチサラナカッタノダ? オロカモノメ」

背の高い方の女が嘲る様にそう言うと、傍らのもう1人もまるで嘲笑する様に歯を見せる。

 

「駄目だ、それだけはどうしても出来ない! 彼女を置いていく事だけは絶対に出来ない」

 

「ゴチャゴチャトウルサイヤツダ、キサマニトッテ、ソノオンナハイノチヨリタイセツダトデモイウノカ?」

 

「命よりも大切なものだってある! 俺は誓ったんだ! だから彼女だけは絶対に渡さない!」

 

彼の胸に何かがひたひたと押し寄せて来る。

大井や味方が駆け付けて来てくれない限り、この絶体絶命の危機を逃れる事は彼の力ではやはり無理だったのだろうか?

思わず彼は穂波を抱き起こしていた。

 

「バカナヤツメ、セッカクタスケテヤルトイッタノニ、ワザワザイッショニコロサレルミチヲエラブトハナ」

 

そう冷たく言い捨てて片手をすっと上げるその女に倣って、傍らの小柄な女も同じ様に手を上げる。

 

(ここ迄か――ごめんよ、穂波ちゃん――俺の力が足りなかったよ……)

 

今はこれ迄と覚悟した彼は、しっかりと彼女を抱き寄せ、これが今生で最後の意地だと思い、精一杯に叫ぶ。

 

何と言われようが、俺は絶対に彼女を放さない! 俺の命を捨ててでもそれだけは絶対にしない!

 

(清次、浪江……約束守れなくてごめん、親父、お袋、兄貴、義姉さん……無事に帰れなくてごめん、穂波ちゃんの親父さん、お袋さん……穂波ちゃんを連れて帰れなくて済みません、村越さん、白石さん、いぶきちゃん、綾瀬、河勝、箕田、班長、みんな……本当にごめん……)

 

心の中に浮かんで来た顔に一人ひとり別れを告げて、ギュッと歯を食い縛る。

最後の瞬間とは一体どんなものなのか見当もつかないが、少なくとも彼の腕の中には穂波がいた。

共に生きて帰る事は叶わなかったが、こうして一緒に死ねるだけでもましなのかも知れない。

そう思って彼女の体を大切に抱き締めると、目を瞑ってその瞬間がやってくるのをじっと待っていた。

 

 

――――――ところが、何故か何時迄待ってもその瞬間がやって来ない。

 

一体どの位の時間が経ったのだろうか。

恐る恐る目を開けると、そこには相変わらず穂波の顔があり、細いが規則正しい息をしている。

 

(どうなってんだ? 此処はもう、死後の世界か何かか?)

 

そう思った時、背後から声がしてビクッと反応してしまう。

 

ところが――その声は、先程とは全く違っていた。

 

そう――まるで、普通の人間の女性の様な――しかも、とても悲し気な――声だった。

 

 

「そうデスカ……だったら、精々大切にしてやるネー……」

「そうまで言うて貰えるとか、なんかちいと羨ましいのぉ……」

 

 

胸を衝かれた彼が振り返ると、その不気味な姿こそ変わりは無いものの、先程迄爛々と燃えていた血の様に赤い瞳は、彼らと変わりない普通の人間の様な瞳に変っていた。

 

そして何よりも、その瞳の奥には、胸を突き刺すような深い哀しみが湛えられていた。

 

(どうして――、そんなに哀しそうな目を……)

 

言葉を喪った彼が見詰めるその前で、2人は静かに背を向けると、そのまま滑る様に遠ざかっていく。

 

抱き締めた穂波の心臓の鼓動を感じながら、隼太は呆然とそれを見送る事しか出来なかった。

 

 

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