しばふ村より   作:Y.E.H

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【第六章・第九節】

 「待って⁈ 待って下さい!」

 

背後から、今度は聞き覚えのある別の叫び声が聞こえる。

何事かと振り返ると、それはやはり大井だった。

初めて見る必死の形相で近付いて来た彼女は、ほとんど速度を緩める事無く隼太達の許迄やって来るが、そのまま艇の横を素通りしつつ再び大声を出す。

 

「お願いです! 待って下さい! 金剛さん! 浦風さん!」

 

(えっ!)

 

大井の言葉に、思わず背中を蹴飛ばされた様な衝撃を覚える。

現在海没中の旧海軍艦艇のほとんどは日本に帰国しており、いわゆる『オリジナル』として暮らしている。

しかしながら日本に好意的でないごく一部の国が、深海棲艦と実質的な戦争状態に突入する迄に彼女達の捜索を認めなかった為に、帰国出来なかった艦艇が僅かではあるが存在していた。

それら艦艇達は、現在はおそらく深海棲艦側の一員となって人類側と敵対している筈――いや、既にその一部は実際に確認されている。

その全てが頭に入っている訳では無いが、教育課程でも習う有力艦位ははっきり記憶していた。

そしてその筆頭が戦艦金剛と駆逐艦浦風なのだ。

更に付け加えて言うならば、今ここにいる大井もまたかつては深海棲艦であり、極めて稀な『奪還組』だった筈だ。

 

脳が目まぐるしく回転している隼太の前で、なおも追い縋ろうとする大井に対して青白い姿をした女達――大井の言葉を信じるならば金剛と浦風――は、背中を向けたまま冷えた声を発する。

 

「止まりなさい、大井」

「うちら、大井さんを撃ちとうないけんね」

 

その言葉を聞いた彼女は、突然凍り付いたようにスッと静止する。

 

「何故ですか⁈ 折角こうして出会えたのに、戻って来ては貰え無いんですか?」

「そんな、簡単な話しではありません」

「簡単じゃない事位は、分かってる積もりです! でも――それでも、わたしは戻って来て欲しいし、皆も同じ気持ちの筈です!」

「うちらかて、ほんまは戻りたいんじゃけえの」

「だったら――」

「戻りたいから戻れるなら、どれ程良い事かと思いマース、でも、そうはいかないネー」

 

「そんな、何故そこ迄――」

うちは忘れとらんけえ

 

小柄な――おそらくは浦風であろうと思われる方の――女が、凍てつく様な冷え切った声で大井の言葉を遮る。

彼女がハッと息を吞む微かな音が響いた後、その場を沈黙が支配する。

長い静寂が続いてから、金剛と思われる――そう言えば酷く傷ついていた筈だ――女が徐に話し始める。

 

「大井は一体どう思ってマスカ? 人間達の働いた悪事など、もう忘れてしまいましたか? それとも、彼らはもう充分罪を償ったと思うのデスカ?」

 

聞いている隼太が歯痒くなる程に、冷たく――しかも皮肉に満ち溢れた不快な物言いだ。

彼が知っている大井に向かってこんな言い方をすれば、多分只では済まないだろう。

だが、此処での彼女はそうではなかった。

苛立つ様子一つ見せずに、真正面から説得し様としている。

 

「金剛さんも、良く分かっている筈です! どれ程犠牲を払おうが、もうこれで十分などと言う事はあり得ない位は――――だからこそ、赦すことは尊い事なんじゃありませんか?」

 

大井の必死の言葉が胸を打つ。

彼の言葉にこの半分でも説得力があれば、これ迄経験して来た事にももっと違う展開があったのかも知れない。

にも関わらず、彼女らには全く響いた様子がない。

金剛に代わって口を開いた浦風の言葉には、侮蔑とも嘲りともとれる悪意が充ちていた。

 

「大井さんにゃあ――ぶち大切な人がでけたんじゃねぇ」

 

(何なんだよ、その言い方は!)

 

これ程迄に下手に出て懸命に説得し様としているのに、金剛と浦風は全く聞く耳を持たないばかりか、却って煽る様な言動をする。

さすがの大井も一瞬言葉に詰まり、隼太の耳にはギリリと歯噛みをする様な音が聞こえた。

だが、再び彼女はそれに耐えて、悲痛な声を振り絞る。

 

「例えそうだとしても――わたしにとって仲間は同じ位大切なものよ⁉ お願いだから、わたしと一緒に日本に戻って――そして、どうか人間達の謝罪を受け容れて下さい!」

 

今更ながら、彼女が人間達にこれ程優しい眼差しを注いでいた事に気付く。

やはり自分は上辺ばかりを見て、その胸の奥の本心を見ていなかったのだろうか。

しかしながら、大井の説得は功を奏する事無く終わりそうだ。

結局金剛と浦風の態度が変わることはなく、彼女らは背中を向けたままで酷薄な言葉を投げ掛ける。

 

「もしそうさせたいと思うのなら、実力で私達を倒して見れば良いのデス。かつて大井自身がそうだった様に」

「もし今、大井さんにそれがでけるんじゃったら、何時でもそうして貰うてええよ」

 

何故ここ迄して金剛と浦風は、大井を挑発するのだろうか?

これはもちろん推測に過ぎないが、大井の能力から言えば、例え金剛と浦風2隻を相手にしたとしても決して引けは取らないだろう。

今の彼女は、艤装によって本来の能力を大幅に強化されており、しかも全オリジナル中でもトップクラスの増幅値を叩きだしている程の実力者なのだ。

見たところ浦風はほぼ無傷の様だが、金剛はかなりの深手を負っている様であり、もし本当に彼女達が対峙したならば大井が勝利する可能性は高いと思える。

 

(そうか――そうなのか……)

 

そこ迄考えて、漸く隼太は気が付いた。

大井が重いハンデを――隼太と重傷を負っている穂波という、非力な存在を――背負っている事に。

もしもたった今、この場で彼女達が果し合い紛いの戦闘を始めてしまえば、彼ら2人は余程運が良くない限り脱出する事は出来まい。

金剛と浦風は、そこ迄自分達の事が大切だと言うのであれば、目の前にいるこの人間達の命など意に介さない筈では無いのかと迫っているのだ。

そして彼女達は、言外にこう言っていた、『やれるものならやってみろ、この裏切り者め!』と……。

 

大井はそれには返答する事無く黙っていたが、よく見ると彼女の両手がきつく握り締められ、ブルブルと震えている。

間違いなく彼女は、隼太達を戦闘に巻き込まないために、金剛らの侮辱にも等しい態度を耐え忍んでくれていた。

 

(大井さん――済みません、俺達のために……)

 

誇り高い彼女が、如何に必死で己を押し殺しているかと思うと、つい歯を食い縛ってしまう。

 

その耐え難い時間が何処まで続くのかと思い始めた頃、背を向けたままの2人が再び声を上げる。

 

が、それは先程迄とは異なり、心なしか寂し気な別れの言葉だった。

 

「何時の日にか、もう一度共に海原を駆ける日が来ることを祈ってマース……」

「皆には、よろしう伝えてつかあさい……」

 

それだけを言い残すと、彼女達は急速に遠ざかって行く。

 

大井は既にそれを見ようともせず、ただ俯いたまま握り拳を震わせていた。

 

しばし茫然とそれを見ていた隼太だったが、突然大井に怒鳴り付けられたので思わず飛び上がりそうになる。

 

「いつまでボサッとしてるつもりなの⁈ その娘を助けに来たんでしょう⁈」

「は、はい!」

「分かったらさっさと戻るわよ⁉ 付いて来なさい!」

「はい!」

 

こうして彼らは帰途についた。

 

 

大井と共に『うさ』に辿り着いた隼太は、班の仲間達が開けてくれた艦尾のゲートからそのまま艦娘プールに進入して接舷する。

直ぐに担架が用意され、まず穂波が艇から担ぎ出される。

『あつた』と『たかちほ』は既に10分余りの距離迄接近しているとの事なので、以前の白石の様に移送されるのだ。

例によって腕組みをしてしかめ面をした班長がプール甲板に仁王立ちしているので、艇をWave達に預けてその前に進み出る。

少し離れた所から、清次と浪江が心配そうに此方を見ていたが、どういう訳か綾瀬は膨れ面をしてそっぽを向いていた。

 

「敷島、戻りました! 命令に背き持ち場を離れ、軍の装備を無断で使用した事については、如何なる処分を受けても異存ありません」

自分で思っていたよりも、冷静に申告することが出来た。

そして、班長のリアクションもほぼ想像通りだった。

「馬鹿者! そんな事は当たり前だ! 今更しおらしい事を言うな!」

 

が、そう怒鳴っておいて言葉を切った彼は、小さく低い声でこう言ったのだ。

 

「――よくやった」

 

その言葉を聞いた途端、胸の奥から感情がドッと溢れてくる。

涙が零れて止まらなくなるが、何とか必死に堪えて直立不動を保ち続ける。

「後悔する位なら、命令違反など犯すな、未熟者め! ――こいつを用具室にぶち込んでおけ」

班員達を顧みてそう言うと、彼は立ち去ってしまう。

 

両腕を掴まれて用具室に連行されながらも涙の止まらない彼に、Wave達が話し掛ける。

「お前、きっと凄ぇ体験したんだろうな、何時か聞かせろよ」

「――は、はい――必ず――お話しします……」

「あーあ、あたしが死に掛けた時も、誰か助けに来てくんねーかなぁ……なぁお前、五十田に内緒で来てくれよ?」

「だ、黙っては――行けませんけど――許可して貰えたら――何とかします……」

「へへへ、言うじゃねーか♪ その言葉ぁ忘れんなよ」

「はい……」

 

彼女達が外側から鍵を掛けた用具室の中で、独りになった隼太は己の涙の意味を噛み締める。

穂波の容態は一刻を争う重症なのだが、何故か彼には不思議な確信があり、全く不安な感情は沸いてこない。

彼の心に溢れている感情の正体は、これまでに経験して来た穂波との想い出そのものだった。

初めて彼女を意識した、あの中学二年の始業式の日の事、グラウンドを駆けながら盗み見た、花壇の前にしゃがみ込む後ろ姿――そこから始まる、懐かしくも大切な日々の記憶だ。

人は死を迎える時やそれを覚悟するような瞬間に、過去の思い出が走馬灯の様に蘇ると聞いたことがある。

隼太は走馬灯も見た事は無いし、実際にそんな経験もしたことがないが、たった今の状況は正にそうなのだろうか?

しかし、彼は死に掛けている訳でもないし、穂波を喪おうとしている訳でもない。

それどころか、仲間達や大井の助けを得て穂波を死の淵から救い出したという達成感すらある。

 

(そうか――終わったのか……)

 

俄かに彼は覚った。

彼が5年間追い求めて来た事――穂波と共に戦場に立ち、そして生死の間を共に潜り抜けて彼女と共に故郷へ戻る事――が、今終わりを告げようとしているのだと。

10通にも満たない手紙の向こうの彼女を追い続け、現実の彼女に追い付いてからは多くの新たな仲間達と過ごした日々――それは掛け替えのない充実した日々だった。

 

隼太の瞳から溢れ続ける涙は、その日々に対する追憶なのだ。

 

(有難う――皆本当に有難う――俺は――俺は、皆のお陰で、辿り着けたんだ……)

 

あの激しい戦闘が夢であったかの様なゆったりとした揺れを感じながら、彼はただ無心に涙を流し続けた。

 

 




これで第六章は完結です。
次回からは、最終章である第七章を投稿する予定です。
最後までどうぞよろしくお願いします。

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