処分を受けて教育隊を去る隼太は、多くの者達が生きる為に葛藤する様を垣間見ます。
本章では、拙作『陸奥と僕のこと改』及びそれからの作中での時間経過を含めた背景が、前置き抜きで多数登場します。
やや消化不良になるかも知れませんが、どうか最後までお付き合い下さい。
【第七章・第一節】
2度、3度とパネルに触れ、更にはノックもしたのだが、室内からは何の反応も無い。
夜も更けて、歩哨の者と宿直担当以外はほとんどが退出してしまった司令部建屋内では、そんな音ですら耳障りな程に響き渡る。
(仕方あるまいな)
長門には高いレベルのセキュリティパスが交付されており、このドアもロックを解除することは可能だが、普段はその様な事をする必要が無いだけだ。
セキュリティキーを取り出してパネルをスッとなぞり、カチリと小さな音がしたのを確認してドアを開ける。
「私だ、入るぞ」
そう声を掛けたのだが、やはり何の応答も無い。
ぐるりと見渡した室内は灯りが点いておらず、ブラインドの隙間から差し込む月光だけが、冷えた光条を投げ掛けていた。
もし、何の物音もしていなければ無人なのかと勘違いする処だが、微かに漏れる押し殺した呼吸が、この部屋の主の存在を辛うじて示していた。
規則通りに制帽を被って、デスクの上に固く握った拳を二つ置いたまま身動き一つしないその姿は、まるでその様に設えられた彫像の様だ。
(胸の痛む事だ――陸奥よ――お前ならば、こんな時に如何声を掛けてやるべきか、答えを知っているのだろうな……)
今この瞬間も自分達の事を見守っているであろう妹に、心中でそう話し掛けてみたものの、当然ではあるがその応えが返って来る事は無かった。
溜息を吐いた長門は、諦めて己の言葉で話しかける。
「そろそろ帰宅してはどうか――司令」
予想通りと言えばそれ迄だが、やはり彼は反応しない。
「此処にいても、もう出来る事はあるまい。逝く者を悼むのであれば――」
「副長を喪ったというのに、その司令がさっさと帰宅していいものなんですか」
「そうだ、――そう言っているのだ」
彼女の言葉を遮って口を開いた渡来に向かって、きっぱりと言い切る。
「それにもう少し付け加えるならば、既に『さっさと』などと言う時間では無いぞ」
「時間なんて関係ありませんよ――彼女にはもう、その時間すら無くなったんですよ? まだ沢山遣り残した事があった筈なのに――」
「じゃあ仁は、駒ちゃんが消えて無くなったと思ってるの?」
突然全く違う声が響いたので、さすがの彼も思わず顔を上げる。
「――子の日……」
「子の日は、姉様も長良ちゃんも高雄ちゃんも――それに陸奥さんも、皆天国にいると思ってるよ? 何時でも仁の事を見守ってると思ってるよ? 仁はそう思ってないの?」
「――そんな事無いよ――皆、何時も見守ってくれていると思ってるよ……」
「でも、駒ちゃんは別なの? 駒ちゃんは人間だから違うの? 仁のお父さんやお母さんもそうなの? ――仁もそうなの? 死んじゃったら――無になるの? ――――陸奥さんが言った事、忘れちゃったの?」
重い沈黙が流れる。
彼女の言葉に抗う術などあろう筈も無かったし、彼が何か適切な言葉を絞り出す迄じっと待っている積もりも無かった。
「その位にしておいてやれ、子の日よ」
「――うん――ねぇ仁、今頃駒ちゃんはね、皆ともう再会してるよ、皆と一緒に笑ってるよ? 仁ったら、またあんなに大泣きしちゃって――ってね」
「――良く分かったよ――子の日の言う通りだよ、そうでなきゃおかしいよね――僕自身が信じていた事なのにね……」
「分かったら、もう帰ろ? 正門のとこで葉月が待ってるよ」
「――でもね、僕は葉月にあわせる顔が無いよ……」
「仁だって知ってるでしょ? 葉月はずっと前から何もかも知ってたって」
「うん――――だからね、あわせる顔が無いんだよ」
「もし葉月が何か言ったらね、子の日がちゃんと言ってあげるから――今日迄何故黙ってたの? って――仁が辛い思いするのは分かってたでしょ? って……」
そう言いながら近付いてきた彼女は、肩から下げたポーチから見覚えのあるナフキンを取り出して、彼の顔に手を伸ばす。
暫し、顔を拭われるのに任せていた渡来は、それが一頻り終わると弱々しい笑顔を浮かべて口を開く。
「有難う、――何時も迷惑ばかり掛けてごめんよ……」
だが、そう言われた彼女は不服そうな顔になり、唇を尖らせる。
「子の日、その言い方嫌ーい」
「えっ、あぁ、その、ゴメン……」
「仁は何時も謝ってばっかりなんだから……あのね、一緒に暮らしてもう何年経つと思ってるの? 子の日は、仁のお母さんやお父さんよりも長く一緒にいるんだよ?」
「うん、そうだね――本当に、そんなに時間が経ったんだね……」
「それにね――言っとくけど、子の日は葉月の事――許した積もり、無いからね」
そう言った一瞬、如何にも年端のいかぬ幼い姿の彼女の瞳に、女の情念の様な焔が揺らめいて消えた。
それを目にした長門は、改めて子の日が心の裡に秘めている感情に思いを巡らせる。
(結局、お前も私と同じ事を考えているという訳か――そしてそれ故に、塔原葉月を許せぬのだな……)
長門にとって、この優しく誠実ではあるが何処か頼りない男の生涯を見届ける事は、天上へと去った我が妹に対する誓いでもある。
しかし子の日もまた、その動機は異なるにせよ同じ思いを抱いているのだろう。
そしてそれが簡単では無い事も、彼女はその幼い容姿とは裏腹にちゃんと心得ている様だ。
(現に、斑駒殿はそれを果たせぬままに去ってしまった……)
愛する者を次々に喪うのが、この男の背負った宿命なのだろうか。
だとすれば、自らの誓いを果たすためには、どうあってもその宿命に巻き込まれる訳にはいかない。
そう思ったその時、ちらりと視線を上げた子の日と目が合う。
「長門さん?」
「うん、何だ?」
「きっと駒ちゃんはね――知らずに逝ったと思うよ……」
「――――そうだな、そうかも知れんな……」
「何の話ですか?」
コートを羽織り、鞄を手にした渡来が問い掛けるが、何もかも答えてやるという筋合いの話では無かった。
「何でも無いよ、仁は知らなくていいの」
「そうだな、お前は知らぬ方がいいな」
「――分かりました、聞かない事にしますね」
そう言った彼は先に立って扉を開け、2人を先に出る様促す。
扉が閉まる最後の瞬間、暗い室内に人影が見えた様な気がした長門の胸に、幾つもの懐かしい声が響く。
(後は頼んだわよ? お目付け役さん♪)
(長門さん、彼の事よろしくお願いします)
(ほほ、頼りにしておりまするぞ)
(傍に居られなくて御免なさい――姉さん……最後迄、お願いね)
もとよりその積もりなのだ――そう、あの夏の日以来ずっと。