総務課に予定を確認していたところ、大井に確実に面会出来るタイミングを掴んだので、迷わず挨拶に行く事にした。
金剛らの挑発に堪えて命を助けてくれた上に、彼を巧みに擁護する事迄してくれた彼女に礼を言わない訳には――もっとも、大井がそれを喜ぶとは思えないが――いかないだろう。
夕刻、彼女専用の控室の前に立って、ドア脇のセキュリティパネルに触れると直ぐに応答がある。
「何方?」
「敷島海士です! お休みのところ申し訳ありません」
それに対する返答はなく、ただ小さなカチッという音がしてロックが解除されたことが分かる。
「失礼致します」
そう声を掛けてからドアを開けると、こじんまりとした部屋の窓際に、此方に背を向けて立つ大井の姿があった。
しかし彼女は振り返る気配もなく口を開く様子も無いので、先ずは報告からだと思い、少し声を張って処分内容を告げる。
「自分は今月末日を以って任意除隊を申し渡されました。査問に於いては格別のご配慮を頂き、誠にありがとうございました!」
「――そう、懲戒にならなくて良かったわね。五十田さんもホッとしてるでしょうね」
「まだ会えてはおりませんが、そう思ってくれていれば良いなと思っています」
彼がそう応じると大井はハァッと溜め息を吐き、毎度の如く仕様の無い奴と言わんばかりに口を開く。
「あんた、まさかそれ本気で言ってないでしょうね?」
「えっ⁉ あ――いえ、その……」
「身体を張って自分の命を助けてくれた男の事を、気にも留めない女なんていると思ってるの? あの娘はそんなに薄情なの?」
「そんな事はありません!」
「だったら、そんな余所行きの言葉は何処かに捨てて行く事ね。これからのあんたの人生、何に使わなきゃいけない位はもう分かってるんでしょ?」
相変わらず容赦のない物言いだが、その中身は隼太が考えている事そのものであり、まるで何もかも見透かしている様なその鋭さに舌を巻く。
返事の言葉が見つからずに思わず沈黙してしまうと、幾らか間をおいて大井は再び喋り始める。
「あんた見たいにね、好きな女の為にに命令違反はするわ、命を粗末にするわの様な手合いに軍は向いていないわ、それ位自分でも分かるでしょ?」
「はい……仰る通りです」
「今回、たまたま運良く温情のある処分になったのは幸運だったと思いなさい、これに懲りたら安直に戦場に近づこうだなんてしないことね」
「は、はい……」
軍への復帰を考え始めるようになった隼太だったが、いきなりそれを否定されてしまい、思わず口籠る。
だが、どうやら彼女はそれも見透かしている様だ。
再び溜息を吐きながら口を開いたその言葉に、思わず唸らされる。
「あんたが、今一番しなければいけないことは何なのよ?」
「そ、それはつまりその――あの、プライベートな事で申し訳ありませんが――」
「そんな事位良く分かってるわよ! 体の一部を喪った痛みや傷は癒えても、その事で負ってしまった心の傷を癒すのが簡単じゃない事位、あんた身に沁みて分かってるんじゃないの?」
「は――はい! 間違いありません」
「全く……本当に男って奴は如何し様も無いわね――いい? あんたがまず第一に考えなきゃいけないのはあの娘の幸せでしょ。身の振り方なんてその後の話じゃないの?」
返す言葉が無いとは正にこの事だ。
彼女は、余計な事を考えるのは後にして、今はとにかく穂波を支える事を最優先にしろと言っていた。
たとえ口には出さなくても、彼が心の中で軍への復帰だの何だのに思いを巡らせていれば、間違いなく穂波はそれを感じ取ってしまうだろう。
それは、これ迄穂波やいぶきと接していて幾度となく経験して来た事だった筈だが、なかなか頭の中に定着してくれないものらしい。
しかし大井は、それに気付いてわざわざ忠告してくれていた。
(はぁ……俺なんかじゃ、この
最初から最後まで頭が上がらなかったが、彼女が自分達に注いでいる眼差しの暖かさに気付かされたのもまた事実だった。
神経質で高飛車なその仮面は、ひょっとすると照れ隠しなのかも知れない。
「――何から何迄本当に有難うございます。大井さんに教えて頂いた事は、何があっても忘れない様に努力します」
改めて彼がそう言うと、窓の外を見ながら背を向けたままの彼女が応じる。
「――それが言葉だけにならない様に注意しなさい――大切な何かを喪ってしまう、その前にね」
「――肝に銘じておきます……」
それに対する返事は無く、大井はそのまま口を噤んでしまう。
どうしたものかと幾らか逡巡した隼太だったが、これ以上付け足す言葉も思いつかなかった。
「それでは、お時間を頂き有難うございました。失礼致します」
「いいえ、わざわざ有難う」
相変わらず背を向けたまま応じる彼女に一礼すると、彼はそのまま退出した。
隼太が退室した後も、暫く窓の外を見つめたままの大井だったが、程なくコンコンコンと少し変則的なノックが響く。
無言でロックを解除すると、幾許も無く
「失礼します」
という言葉と共に坂巻が入ってくる。
「今し方、誰か来ておられた様ですが――」
「――今度、除隊になるあの子よ」
それを聞いた彼は、幾らか悄然として口を開く。
「そうでしたか……残念ですね、良い軍人と言うか我々の信頼出来る仲間になってくれるものと期待していましたが」
「仕方無いわ、あの子は軍人になる為に此処へ来た訳じゃなかった、大切な誰かを守りたい、支えになりたいという一心で軍に来たんだもの。例え今でなくても、何時かは去って行く事になったでしょうね」
そう呟くように言った大井は、腕組みをしたまま無言で窓外を見つめている。
2人の間には暫し沈黙が流れるが、それは思わぬ出来事によって突然中断される。
何の前触れも無く彼女の両手に力が籠り、自身の二の腕をギュッと掴むと、まるで何か激痛に耐えているかの様に体を折り曲げる。
激しい力が加わっているからなのか、或いは逆にそれを押さえようとして力を入れているのか、全身が小刻みに震えていた。
「大井さん!」
叫んだ坂巻が駆け寄り、その肩を包み込むように掴むと、俯いて歯を食い縛ったその隙間から彼女が声を絞り出す。
「――そう――――じゃない――――もっと――強く――もっと……」
その意を察した彼は、背中から両腕を回して強く抱き締める。
その腕の中で、大井の体は苦痛に耐え兼ねるかの様に強張っており、息をするのすら儘ならぬ様だ。
他にどうする事も出来ないまま、ひたすら言われた通りに抱き締め続けていると、何時の間にか窓外の夕暮れが消え去り、宵闇がそれに取って代わる頃、少しずつ彼女の体から力が抜け始める。
「――大丈夫ですか……?」
恐る恐る掛けたその声には応じず、少しだけ力を緩めた彼のその腕の中で、大井は悲痛な声を絞り出す。
「――人間は――人間達は――まだ、殺され続けなければいけないの……? どれ程殺され続けようが――黙ってそれに甘んじなければならない程――邪悪な存在なの……?」
「大井さん……」
坂巻は答える術を知らなかった。
20年近く前、当時アジアの覇権国家を自称していたC国の海軍が、台湾海峡に沈んでいる駆逐艦浦風に対して行なった非道な行為がこの戦乱の始まりだと考えられているが、既にそのC国は崩壊していた。
深海棲艦の執拗かつ徹底的な攻撃によりC国の沿岸部は焦土と化し、強力な海軍も壊滅してしまった為に、国内が大混乱に陥ったからだ。
しかし、C国が崩壊しても深海棲艦は人類に対する敵対行為を止めなかった。
全世界の海上交通は実質的に途絶し、海中にあったものは油田だろうが、海底ケーブルだろうが根こそぎ破壊されてしまった。
そんな未曽有の大惨事にも関わらず、日本が何とか国民生活を維持出来ているのは、他国に比較して遥かに多くのオリジナルがいてくれたからだ。
彼が何と応じて良いものか分からず沈黙していると、再び彼女が口を開く。
「人間が――それ程迄に罪深いのなら――幸せになる事なんて、許されない程罪深いのなら――それを赦しているあたしは――只の裏切り者なの……?」
まるで血を吐く様な痛々しい言葉と共に、その瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「そんな――そんな訳ありませんよ! そんな事間違ってます!」
堪え切れずに無我夢中で叫んだ坂巻だったが、その言葉にも彼女の涙は止まらない。
「――でも――そう考えている者達が――現にいるのよ? 幾らあたし達が道理を訴えても――理解してはくれないのよ? ……どうしてなの?」
「それでも――それでも、貴方は裏切者なんかじゃない! 一体、貴方が何を裏切ったと言うんですか⁉ 貴方だけじゃない、長門さんや、オリジナルの皆さんも裏切者なんですか⁉ ――僕ら人間には確かに落ち度はありますが――貴方を裏切者呼ばわりする事だけは、断じて受け容れられませんよ!」
思わず頭に血が上って捲し立ててしまったが、直ぐに馬鹿な事を言ったと思い、口を噤む。
そのまま暫く大井は彼の腕の中で荒い息をしていたが、少しづつそれが穏やかになり始め、強張ったまま折り曲げられていた体も次第に力が抜けて元に戻って来る。
それに合わせて腕の力を抜いた坂巻だったが、何かを言おうとするとまた興奮して余計な事を口走りそうなので、グッと堪えて黙っていた。
「――人間の罪は認めるのよね……」
「――はい、正確には分かりませんが、彼女達を怒らせる様な事があったのは間違いないと思ってます」
「――だったら――殺されても文句は言えない?」
「そんな事を認める積もりはありません――それに、最初に悪事を犯した者達のほとんどは、既に殺された筈です。残された我々は、謝罪して彼女達のために何かをする必要はあると思いますが……」
「――何かって?」
「――済みません、具体的に考えている訳じゃありません……」
「それはやめろって――何時も言ってるでしょ」
「あ、は、はい……」
そう返答した彼に対して暫く無言だった大井は、やがてフッと息を吐き出すといくらか軽い声を出す。
「司令はね、具体的な事を既にお考えなのよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、幕僚監部におられる篠木海将と、――それに斑駒副長と話し合っておられたわ……」
「――司令は、悲しんでおられるんでしょうね……」
「あんたも知ってるの?」
「事実はともかく、噂だけでは……」
「司令と副長と篠木海将――それに長門さんや赤城さん加賀さん達は、皆20年以上前からの戦友だった――その上に、副長は司令にとって掛け替えのない大切な存在でもあったのよね……」
「ずっと――前からだったんでしょうか?」
「そうじゃないみたいだけど――奥様との間に、何かあったのかしらね」
「それは――今の奥様という事ですよね? 高雄さんではなくて――」
「そうね、少なくとも高雄さんがおられた頃には、そんな様子は無かったわね。何より、司令は心の底から高雄さんを愛していたと思うわ――今の奥様を愛してないとは思わないけど」
「――そうなんですか……」
「なによ?」
「いえ――その、司令は不思議な方だな~と――なぜそんなに次々――その……」
言い難そうに口籠った坂巻の反応に、大井はフンと鼻を鳴らして少し悪戯っぽく口を開く。
「なあに? あんた、まさか妬いてるの?」
「ち、違いますよ! そんなんじゃありませんから絶対に!」
「そんなの当たり前でしょ! しもべの癖に、ご主人様以外の女に目移りなんかしたら海に沈めるわよ?」
「勿論です! 誓いますから」
「ふふっ――――だったら、まぁ大目に見てあげてもいいかしら♪」
「あ、有難うございます……」
そう言って再び口を噤んでしまった彼の様子に微笑した大井は、首を微かに傾けて彼の胸元に頬を寄せると、艶のある栗色の髪が彼の肩から胸に流れ落ちる。
「――――有難う――傍にいてくれて……」
長い長い沈黙が流れた後、坂巻が低い声で呟くように応じる。
「――――傍にいます――例え、この身が灰になっても――ずっと……」