そして、とうとう穂波と面会できる日がやって来た。
様々な配慮をして貰った彼らは、少なくとも1時間は誰にも邪魔されずに2人だけで話せることとなった。
緊張しながらそっと病室のドアをノックすると、ドアフォンから『はい』という穂波の声がする。
「俺だよ、入ってもいい?」
「うん、待ってたよ隼太君」
何故だろうか、その声の調子に言葉に出来ない違和感を感じるが、彼女に会いたい気持ちの方が優り、病室の引き戸を開ける。
2ヶ月ほど前に白石を見舞ったのと同じ造りの病室に、穂波はいた。
ベッドの上にしっかりと半身を起こした彼女は、幾らか上気した面持ちで此方を見詰めている。
「傷はどう? まだ痛む?」
「ううん、もう痛みは無いよ――でもね、時々左脚が痒くなったりくすぐったくなったりする時があるの……」
(あ……)
四肢を喪った者のほとんどが経験するという――幻肢という現象だった。
穂波の脳は、未だに喪った左脚の感覚を覚えており、おそらくそれは彼女に否が応でもそれを永遠に喪ってしまった事を思い知らしめるのだ。
「ごめんよ、穂波ちゃんが辛い時に傍にいてあげられなくて……」
「ううん、そんな事無いよぉ――だって、隼太君が助けに来てくれなかったら、もうこの世にいなかったかも知れないんだよ? だから、そんな事気にしないでね」
そう言ってくれる彼女の言葉には、やはりどこかしら作った様なぎこちなさを感じる。
(どうしちゃったんだろ――穂波ちゃん……)
「――除隊処分――になっちゃったね……」
「うん、でも任意除隊だからさ、ちゃんと賞与や退職金だって出るよ? まぁ雀の涙位だけどね♪」
「だけど――隼太君、とっても真面目に勤務してたのに――司令や艦長さんにも――班長さんにだって、凄く期待されてたのに……」
「ありがとう――でも、そんなに期待されてたとかは聞くの初めてだなぁ♪」
「――皆ね、言ってたんだよ? 隼太君は間違いなく最短コースで三曹に上がるって」
「ははは、それは残念だったかな~♪」
「そうだよぉ……わたし、隼太君にとんでもない事させちゃって……」
俯いて沈んだ声をを出すその姿を見て、どうやら先程から感じていた違和感の正体が少し分かった様な気がした。
(穂波ちゃん――俺が処分される事に責任を感じてるんだな)
正に大井が指摘した通り、自分を助けた事によって隼太が喪ったものを気にしてくれているのだ。
「でもね、穂波ちゃん」
「――なあに?」
「あの時、君を助けに行かないなんて選択肢、俺には欠片も無かったよ」
「――それでも――もう少し時間があれば、ちゃんと許可を貰えてたかも知れないんでしょ?」
「もちろん、そうだよ。大雑把にだけど、大体1時間以内位には正規の任務で捜索に行けたかも知れないよ――でも、きっともう穂波ちゃんには会えなかっただろうね」
「……」
「――今でも信じてるんだ、あれがギリギリのタイミングだったって。それは皆も同じだったと思う、だからこそ、わざと片目を瞑って俺を行かせてくれたんだと思ってるよ」
「……」
すっかり黙ってしまった穂波の様子が気になって来た隼太は、一旦言葉を切ってから改めて問い掛ける。
「ねぇ、覚えてる?」
「――――ひょっとして――夜神楽の日の事?」
「うん、そうだよ――あの日約束したよね、俺が必ず迎えに行くって――俺が自分で言った事なんだからさ、約束守るの、当然だよ♪」
出来るだけ優しくそう言って笑い掛けて見せる。
真面目な彼女は自分で自分を追い込んでしまうので、それを少しでも軽く出来ると思ったからだ。
ところが、それは残念ながら彼の思惑とは全く逆方向に働いてしまったらしい。
突然穂波が、その瞳から涙を溢れさせる。
「穂波ちゃん! どうしたの?」
我ながら、もっと気の利いたことが言えないのかと嫌になるが、今は冷静にそんな事を考えられる時では無かった。
両手で顔を覆った彼女が、途切れ途切れに声を絞り出す。
「――ごめんね――本当に――本当に、ごめんね――隼太君の――言う事、聞かなくて……」
「待ってよ! 穂波ちゃんが謝る理由が無いよ⁉」
「そんな事――無いよ――だって――隼太君は――ずっとずっと――言ってくれてたのに――
いう事――聞かなかったの――わたしだもの……」
「そんなの! 俺は何時だって、穂波ちゃんが決めた事を全力で支えるだけだよ⁉」
「だから――だからわたし――甘えてたの――隼太君に甘えて――ずるずる引き伸ばして――
隼太君に――命令違反迄させて――脚まで無くしちゃって――
全部――全部わたしが――甘えてたから――」
穂波の悲しみと後悔が胸に染みて来て、何も言えなくなってしまう。
隼太が言い続けた事が正しいなど所詮結果論に過ぎないし、何より彼自身が穂波の選んだ道を精一杯応援し支えると誓っていた。
だが蓋を開けてみれば、彼女の選択が2人にとって悲しい結果をもたらしたのは事実であり、穂波が自分を責めてしまうのは避けられない事かも知れない。
「わたし――ずっと――夢見てたの――
何時か――何時か、隼太君の――お嫁さんになって――2人で村で――暮らすって――
でも――わたしの所為で――隼太君に――命令違反させて――
それに、こんな――こんな脚の無い――お嫁さんなんて――
全部――全部わたしが――隼太君に――甘えてたから――こんな事に……」
(穂波ちゃん……分かったよ、全部聞くからね)
先程、ぎこちない様子の正体が理解出来たように感じたのは、まだまだ中途半端にしか彼女の本心を掴めてはいなかったのだろう。
そう感じた彼は、容を改めて言葉を紡ぐ。
「穂波ちゃんの辛さを、一緒に受け止め切れなくて本当にごめんよ」
「――隼太君の――所為じゃ無い――全部――わたしが――」
「だとしても、俺の努力が足りなかったんだと思ってる――だから、穂波ちゃんが胸の奥に溜めてる事は全部言って欲しいんだ」
「――隼太君……」
「5年前に誓った事は、今も何一つ変わってないよ。後からあれが正しかった、これが間違ってたなんて最初から俺は関心ないからね」
「――でも――でも、隼太君に――これ以上――甘えられないよ――
折角、皆から――期待されてたのに――それ棒に振って――助けに来て――くれたのに――それなのに……」
「命令違反をしなければ、穂波ちゃんと二度と会えなかったんだ。そんなの迷うとか以前の話だよ」
「隼太君は――優しいから――そう言って――くれるけど――でも――
脚の無い――お嫁さんなんて――隼太君が――不幸になるだけだよ――」
「脚があるから、穂波ちゃんを好きになった訳じゃないよ」
「でも……最初から――わたしに脚が無かったら――隼太君は――好きになってくれた?
――――やっぱり――違うよ……
隼太君が――好きだって――言ってくれたから――どこまでも――優しくしてくれたから――
だからそれに――甘えてただけなの――隼太君に無理ばかりさせて……」
「好きな娘のために無理するのなんて、誰でも同じだよ。好きだから無理をするんだよ」
「――そうなの――隼太君は――何時もわたしの為に――無理してくれるから――
だから――調子に乗って――隼太君の言う事――聞かなかったの……
こんな――こんな事になる迄――それに気付かなかったの……
本当に――ごめんなさい……」
(有難う穂波ちゃん……今度こそ良く分かったよ)
彼女の悲しみに寄り添う覚悟は出来ている積もりだが、穂波はそれを自分のエゴが為さしめる事だ思っているのだろう。
それだけは、彼女が何と言おうが否定しておかなければならない。
「それじゃあね、これだけは聞いて欲しいんだ。俺はもう決めてるんだよ、一生穂波ちゃんの左脚になるって」
「そんなの――駄目だよ――」
「今迄はね、穂波ちゃんの選ぶ道を全力で応援して来た積もりだけど、今回だけは譲れないからね。これからは、俺が君の左脚になるんだ、不自由な思いなんてさせないよ――俺の大切な大切なお嫁さんに、そんな思い絶対させないからね」
こう言い切ると、再び彼女は黙ってしまう。
暫くの間、顔を覆ったまましゃくりあげていたが、隼太はじっと待っていた。
やがて顔を覆っていた両手が下がると、やや俯き加減のままで涙を零し続ける彼女に、懐かしいあの日と同じ事が出来るのに気付く。
制服の後ろポケットからハンカチを取り出すと、涙でクシャクシャになったその顔をそっと丁寧に拭う。
「あの時さ、俺の口拭いてくれたよね、やっと同じ事を穂波ちゃんにしてあげられたよ」
そう言った彼の顔を、涙に濡れた瞳が見詰める。
「あのさ、俺がもし穂波ちゃんとはもうこれで別れる――なんて言ったらさ、清次の奴がなんて言うと思う?」
「……」
「あいつの事だからさ、『お前ぇがそんな下衆野郎だとは思わなかったぜ!』とか言ってぶん殴られるだろうなぁ」
「――今の……ちょっと似てた……」
「当たり前だよ、もう7年近くも一緒にいるんだから覚えちゃったよ♪」
「――もう――そんなになるんだね……」
「そうだよ、長い長い旅だったよ――――俺にとってはさ、一生に一度の大冒険の旅だったよ……」
「――本当にいいの? そんな長い長い旅がね――片脚の無いお嫁さんを貰って終わり、でいいの?」
「ハハハ、穂波ちゃん、そのセリフは突っ込み待ちなの?」
「え? なにが?」
「決まってるよ、そんな風に言っちゃったらさ、必ずこう突っ込まれるんだよ『これは終わりじゃない、新たな旅の始まりだ!』ってね♪」
一瞬狐に摘ままれた様な顔をした彼女は、次の瞬間ぷっと吹き出す。
「ハハハ」
「うふふ」
軽く笑った2人は、改めて見つめ合う。
「――なってくれるよね? 俺のお嫁さんに」
「――隼太君は、本当にそれでいいの? わたしなんかがお嫁さんでいいの? ――無理してないの?」
「――俺はね、君じゃなきゃ嫌なんだ。――今日迄ずっとその為に努力して来たんだから、悪いけどそう簡単には諦めないからね♪」
幾らかお道化てそう言うと、穂波の瞳から眩い程に煌めく雫が一粒零れ落ちる。
「――隼太君がね――お嫁さんにしてくれるなら――わたし、一生懸命頑張るからね――
これ迄隼太君に支えて貰った分――いいお嫁さんになれるように、一杯頑張るからね……」
「――一緒に帰ろう――俺達の故郷に……」
「――うん……」
潤んだ瞳で彼を見つめるその肩を抱き寄せると、彼女は隼太の腕の中にいた。
しっかりと、だが優しく抱きしめると、穂波は安心し切った様に体を預けて来る。
「さっきはね、あんな風に突っ込んだけどさ――」
「うん」
「俺はずっと、こんな旅の終わりが――ゴールが夢だったんだ――――だから今、凄く幸せだよ……」
「――わたしも幸せ……隼太君に出会えた事が、わたしの一番の幸せだよ……」
「――やっぱり――俺達は同じなんだね……俺もそうだよ」
「――こんな風に、同じ幸せを貰えるなんて――隼太君と同じ幸せを、掴めるなんて……」
(そうだ――この瞬間の為に――俺はずっと努力して来たんだ……とうとうやり遂げたんだ……)
隼太の――いや、2人の耳に、遠くさやさやという響きが伝わってくる。
彼らを包み込む金色の稲穂の波を、夏の仄かな夕風が優しく撫でていた。
だが、それはもう幻想では無く、彼らが還るべき故郷の声であり、歓呼の木霊そのものだった。
(俺は誓った……君を、あの村の大地に、この手でしっかりと繋ぎ止めておくと……)
その誓いを稲の女神は祝福し、彼の手に穂波を委ねてくれた。
そして同時に、彼は悟った。
彼女と共に故郷の大地を踏みしめる、その聖なる瞬間の為に、もう一つだけ必要な言葉があることを。
それは、彼らの純粋な想い以外のなにものでも無かった。
「――愛してるよ……」
「――愛してます……」