静かに将来を語り合っていた2人の耳に、ノックの音が響く。
急いで体を離すと、穂波がドアフォンに向かって応答する。
「はい」
「あたしよ、もう入っていいかしら?」
「美空望ちゃん、待ってたよ」
その言葉が終わって一呼吸の間を置いた後、病室のドアが開いて村越が姿を見せる。
「どうかしら? 一応話は終わった?」
「うん、もう大丈夫だよぉ」
「そう。――だって、早く入んなさいよ」
彼女が後ろを振り返ってそう呼び掛けると、緊張した面持ちのいぶきが顔を出す。
(あっ)
確かに硬い表情ではあるものの、その顔は最近の生気の無い無表情なそれとは全く違っていた。
そして同時に、彼女が今日此処へ何をしに来たのかも直ぐ分かったので、立ってベッド脇の場所を開けてやる。
「有難う、隼太君」
しっかりした声でそう言ったいぶきは、彼に向かって深々と礼をする。
「俺、外に出てようか?」
「――ううん、いいの。気にしないで」
そう言いつつスツールに腰を下ろした彼女は、待っていた穂波の瞳に真っ直ぐ視線を合わせる。
「――穂波ちゃん、怪我はどう? もう痛みは無い?」
「うん、もう痛みは無いよ。大分落ち着いて来たから、もう少ししたら海軍病院に転院するの」
「そう――じゃ、リハビリとかするのね」
「うん、そうだよ」
「――義足――付けるんだよね……」
「うん――当分はね、仮義足だけど」
「何時迄――仮なの?」
「最低でもね、1年位掛かるんだって」
「――そう――やっぱり、随分掛かるのね……」
「仕方無いよぉ、成長ホルモンの分泌が落ち着くのに、それ位はやっぱり掛かるみたいだよ」
「そうなのね……」
「――うん……」
「――――あのね、穂波ちゃん」
「なあに?」
「――――わたしが――わたしが、あの日ずる休みとかしたせいで、こんなに大変な事になっちゃって――――本当に、本当にごめんなさい!」
如何にもいぶきらしく思い切りよく発せられた詫びの言葉は、周囲を音の無い空間に変化させてしまう。
体を折り曲げて、ベッドに頭が付く程に深く頭を下げた彼女は微かに震えている様に見える。
暫し沈黙が続いた後、穂波が穏やかに口を開く。
「いぶきちゃん、もう頭を上げて?」
その言葉にとてもゆっくりと反応したいぶきはそろそろと顔を上げ、自分を見詰めている穂波を見詰め返す。
「今ね――いぶきちゃん『ずる休み』って言ったでしょ?」
「――うん……」
「――本当にそうなの? ――いぶきちゃんだってしんどかったんでしょ? それは、ずる休みって言わないんじゃない?」
「――でも、わたし――」
「謝ってくれたのはね、とっても嬉しいよ? ――でも、本当にいぶきちゃんが悪いの?」
「……」
黙ってしまった彼女の視線が下がり、俯いてしまう。
どうなる事かと見守っていると、やがて再び顔を上げたいぶきは、改めて穂波と視線を交わす。
「――わたしね――、ずっと穂波ちゃんが羨ましかったの……。隼太君みたいな彼氏がいて、海軍迄追い掛けて来てくれるなんて――本当に羨ましかったの……」
「でも――わたしの事も、清次君が追い掛けて来てくれた――って思い込んじゃって――そしたら、只の勘違いで――糠喜びしちゃって――恥ずかしくて――馬鹿みたいで……」
一つ一つ、噛み締めるように訥々と話す彼女に、穂波は黙ったまま静かに相対していた。
隼太もまた、いぶきの本音を一言も聞き漏らすまいと思い、じっと耳を傾けていた。
「元々、そんな事は忘れる積もりで、艦娘になったのに――誰も、本気で好きになってくれる子なんていなかったし、――艦娘になれば、そんな事も忘れて、違う人生歩き出せるって――思ってた筈なのに――」
「――なのに、そこでもまた上手くいかなかったの。――わたしも、皆と一緒に頑張ってる積もりなのに――適性も高いって、評価して貰えた筈なのに――」
いつしか彼女の瞳には涙が溢れ、それが幾筋も幾筋も零れ落ちていた。
「でも、わたしが一番厳しく指導されて――一生懸命やってる積もりなのに――どんどん差がついちゃって――なんで、わたしってこうなんだろうって――」
「――なんで、こんなに何もかも上手くいかないんだろうって――まるで、世界がみんな敵みたいで――それでも――どこにも行けなくて――今更村に帰るなんて出来ないし……わたしの居場所なんて――もう何処にも無いんだって……」
一体何を思って、彼女の事を強メンタルだなどと思い込んでいたのだろう。
いぶきは誰にも言い出せない、その自身の思いに葛藤し、苦しみながら日々を過ごして来たのだが、あの日を境にその限界を超えてしまったのだろう。
「――ごめんね――いぶきちゃんの辛い事、聞いてあげられなくて……」
そう言った穂波も涙を一杯に溜めていたが、その眼差しには慈愛が籠っていた。
「ううん、――だって、今聞いてくれてるじゃない――穂波ちゃんは脚を無くしちゃったのに――わたしが、肝心な時に――役に立たなかった所為なのに……」
「いぶきちゃんの所為なんかじゃないよぉ、それは皆、良く分ってるからね」
「ごめんね――本当にごめんね――わたしが――わたしが……」
後はもう言葉にならなかった。
穂波に縋りつくようにして、いぶきは号泣していた。
そんな彼女をしっかりと抱き締めた穂波も泣いていた。
だが、それは悲しみの涙では無く、ずっと抑え続けてきた濁った感情を吐き出した後で、それらを洗い流す浄化の涙だった。
(ごめんよいぶきちゃん――俺は結局、何にも君の助けになれなくて――でも、俺の代わりに、穂波ちゃんが君を助けてくれた――こんなに嬉しい事は無いよ……)
隼太も涙が溢れてくるのを感じたが、それもまた重たいものでは無かった。
またも彼女達の絆が、互いを救う場面に立ち会うことが出来た――その感動に胸が熱くなっていたのだ。
「――本当に――」
そう村越に向かって言った積もりだったのだが、そこにいる筈の彼女の姿が無く、口を衝いて出掛けた声が引っ込んでしまう。
(あれ? ――いつの間に……)
確かに村越の姿は病室から消えていた。
隼太が2人の会話に集中している間に、病室を出て行ったのだろうか。
首を捻りながら、抱き合って泣いている彼女達を残して、そっと病室から出る。
廊下に出て左右を見渡すと、廊下の突き当りの窓から一杯に日が射し込んでいるのが見える。
その光の中に、滲むような長い髪の人影があった。
(村越さん――どうしたんだろう……)
彼が長い廊下を歩き始めると、窓から射し込む日の光がゆらゆらと揺らめき、まるで陽炎の様にその姿がぼやけては揺れる。
程なく此方に背を向けたその人影に近付くと、それはやはり彼女だった。
光の射す窓に顔を向けた村越は、時折手で顔を拭う様な仕草をしており、やはり彼らと同じように泣いていたらしい。
「村越さ――――」
彼女に呼び掛けようとしたその瞬間、突然脳裏にあの夜の――神楽を舞い終えた彼女の眼差しと、そして声なき声が蘇る。
『美空望よ!』
(――――そうか――そうだったのか……)
あの眼差しの意味は――――
そして脳裏に響いた彼女の声は――――
「全く――――情けなくて、本当に泣けてくるわよ!」
「…………ごめん……」
「あんたが情けないんじゃないわよ! ――あたしが情けなくて涙が出てくんのよ!」
再び脳裏には別の情景が蘇る――
小学校のあの日――
彼の隣に立った村越は、自分の名前の意味を発表していた……。
「――天之御中主神様――――だったよね…………」
そう呟くと、村越は顔を覆って嗚咽を漏らす。
だが、その涙を止める事は、既に隼太には出来なくなっていた。
後戻り出来ない選択をした事を、彼ばかりでなく彼女もまた知っていたのだ。
それに――、何よりも、彼女はとても気丈だった。
まるで最初から、彼の手など差し伸べる必要すら無いかの様に……。
「本当に――本当に、情けないったらありゃしないわ…………なんであたし――こんな鈍い奴――好きになっちゃったんだろ……」
言う迄も無く、情けないのは彼女では無く隼太の方だ。
たった今迄、彼はかつての自分が、村越を好きだった事にすら気が付いていなかったのだから。
「何だってのよ――もう、絶対確信あったのに――なのに――いきなり何、穂波とかに浮気しちゃってるわけ⁉ ――本っ当、最悪だわ⁉」
「ごめんよ、本当に気付いてなかったんだ――自分の事なのに……」
「謝る位だったら、あたしの初恋、返してよ!」
「――もしも――返せるんだったら返したいよ……自分につくづくガッカリしてるよ……」
「――言葉に気を付けなさいよ――」
「えっ?」
「あんたがそう言った――って、穂波に言いに行くかも知れないわよ⁉ それでもいいの⁉」
「――君はそんな事、しないよ……だからこそ、俺は多分、君のことを――」
「何分かった風な事言ってんのよ! そんな台詞、穂波を振ってからにしなさいよ! ――穂波に『この薄情者!』って、横面張り飛ばされてから言いなさいよ!」
「――もしも何時か――そんな日が来たら――その時はそうするよ……」
「フン! そんな『何時か』なんて来やしないわよ、こんないい女がそうそう売れ残ってる訳無いでしょ⁉ その時になって後悔したって、後の祭りよ!」
「うん――後悔だけはしない様に、気を付けるよ」
「当たり前よ! ――いい? 穂波の事、死ぬ気で好きになるのよ――愛して愛して愛し抜くのよ、分かってる⁉」
「――そうするよ――約束する」
「――ちょっとでも気を抜いたら――その時は、容赦なくあんたを奪い取ってやるからね! ――穂波の事、泣かせたく無かったら――死ぬ気で愛しなさい!」
「誓うよ……必ずそうする」
隼太がそう言ってしまうと、後はお互いに躱す言葉も無く黙りこくっていた。
暫くしゃくり上げていた村越も、やがて静かになり、手で何度も目頭を拭う。
今日迄ずっとその想いを胸に秘めたまま、彼女は隼太と穂波を見つめ続けていたのだ。
どれ程憎らしかったことだろうか――いや、そんな感情を抱く事を恥じる性格の村越にとって、彼らがすぐ目の前にいたこの半年間は耐え難いものだった筈だ。
そう思うと、再び詫びの言葉が口を衝いて出そうになるが、辛うじてそれは踏み止まる。
「あのさ――村越さ――」
「一度ぐらい、名前で呼んでくれたって罰はあたらないんじゃないの⁉」
「あ――うん……今日迄本当に有難う――美空望ちゃん……」
そう呼び掛けてみて初めて、昔彼女をそう呼んでいた事を思い出す。
小学校の低学年の頃ではあったが、確かにそうだったのだ――それもまた忘れてしまっていたのだが……。
「――全く……本当に馬鹿みたいじゃない! あたしばっかりそんな事覚えてるだなんて――みっとも無いったらありゃしないわ⁉」
「――でも、俺は嬉しいよ――そんな事、全部覚えてくれてたなんて……本当に有難う」
「あんたと言い、あのバカと言い――結局は似た者同士なのよね! いちいち
こればかりはぐうの音も出なかった。
が、また謝ると噛み付かれそうなのでそれはしない事にして黙っていると、やがて村越がくるりと振り返る。
「いい? 少し間をおいてから戻ってくるのよ、分かったわね?」
「うん、分かったよ」
その返事を聞いた彼女は、如何にも普通にスタスタと隼太の横を通り過ぎて――行く筈だった。
ところが、突然目の前に何か火花が散り、一瞬何が起こったのか理解できず面喰らう。
「な、なんだ?」
思わずそう言った瞬間、何が起こったのか理解出来た。
何の前触れも無く、彼女に頬を引っ叩かれたのだ。
「あ~あ、これでちょっとスッキリした♪」
「――いや、おい――幾らなんでも酷いだろ!」
さすがに抗議すると、更に彼女は信じられない行動に出る。
彼の腕を掴んで軽く背伸びをすると、耳元で小さな声を出す。
「ごめんなさい――」
その言葉と共に、引っ叩かれたその頬に、暖かく、柔らかく、濡れた何かがチュッと触れる。
「っておい! 何すんだよ!」
「うふふ、今日はこの位で勘弁しといてやるわ♪ 何時か必ず、あんたには思い知らせてやるから覚悟しときなさいよ!」
そう言い捨てて、心なしか楽し気に美空望は歩き去っていく。
「――何だかなぁ――これもみんな俺が悪いってのか?」
思わずそう独り言ちてしまうが、それでもまぁ仕方が無い事かとも思う。
幾らかジンジンする――それでいて手で触れるのが惜しい様な――不思議な甘さとほろ苦さを噛み締めながら、隼太は窓際に突っ立って病室に戻るタイミングを計っていた。