市内で唯一のシネコンはそれなりに賑わっているはずだがあさイチの上映だけにかなり空いており、そのおかげで彼らはかなり良い席を取ることができた。
ただしあくまでも彼らにとっての良い席なのであって、スクリーンの見易さよりも他の客に煩わされることなく二人きりの上映時間をゆっくり楽しめる席であることの方が重要だったが。
「あっ、ここってさぁ――」
「うん、これって伏線だよねぇ♪」
上映が始まると、二人は時折小声で言葉を交わしながらも徐々に映画の中身にのめり込んでいく。
ストーリーが進み、主人公たちが互いの気持ちに気付くとともに親密になり始めると、隼太と穂波はその姿を次第に自分たちに重ね合わせ始める。
「盛岡にあんなとこあるかなぁ」
「たぶんないよねぇ」
「でも――あんなのしてみたいね」
「う、うん、わたしも……」
だが、間もなく主人公達の想いとは裏腹に避けがたい悲しい運命へとストーリーが変わりはじめるころになると、二人はすっかり無口になり画面の中の物語に吸い込まれてしまう。
そして登場人物たちの感情が彼らにも染みてきて、このまま離れ離れになってしまうのではと言う根拠のない不安と切なさにいつの間にかどっぷりと浸りこんでいた。
そんな昂った感情の中で映画はクライマックスを迎え、永遠の別離に引き裂かれる主人公とヒロインの身悶えする様な悲哀が彼らを包み込み、そのせいで家族や同性の友人たちと来た折には経験したことのないような感覚の中に投げ込まれる。
エンドロールが流れ始め、二人が我に返って互いを見つめると隼太は両目に涙をにじませ、穂波は幾筋もの涙を零していた。
しかし彼らがもっと驚いたのは、いつの間にか互いの手をギュッと握り合っていたことだった。
「あっ――」
「あっ――」
同時に声を上げた二人は慌てて手を引っ込めるが、軽く跡がつくほど固く手を握っていたことに気付いて赤面する。
「ご、ご、ごめんね」
「う、ううん、い、いいの」
「でもほんとに嫌だったんだ、穂波ちゃんがあんな風に消えたりしたらどうしようって……」
「わたしもだよ、隼太君と二度と会えなくなったらどうしようって……」
「…………」
「…………」
「あ、あのね?」
「なに?」
「その――別に嫌じゃ無いよ、わたし……」
「えっ、あっ、えっと、うん! 俺もやっぱり――つなぎたい」
「う、うん……」
ザワザワと周囲の客が席を立って出口へと向かう中、遅れて立ち上がった二人は改めてぎこちなく手を繋ぐ。
先ほどは全く無意識だったものだからギュッと握っていたその感覚を何も覚えていないのだが、それが残念でたまらない程に彼女の手は柔らかく繊細で、その上どういう訳かちょっとひんやりとしている様に感じられた。
もしこの手が頬をそっと包み込んでくれたらどんなに心地よいだろうかと想像してしまった隼太の顔が、一瞬だらしなくにやける。
「隼太君、なにニヤニヤしてるのぉ」
「あっ! いやその、えっとぉ――やっぱり嬉しくて……」
「うふふ、ほんとにぃ?」
「ほ、ほんとだよ!」
実際もし出来るならスキップでもしたい気分だった。
これから盛岡一番の繁華街に繰り出して、まるで他人に見せびらかすかのように穂波と手をつないで歩き回るなど想像しただけでも嬉しさや誇らしさで倒れそうだ。
それでも確認せずにはいられなかったのでそうっと横目で斜め後ろにいる穂波の顔を盗み見る(別に堂々と見ればよいのだが……)と、少し顔を赤らめた彼女は恥ずかし気にやや俯いているものの口の端が少し上がっており、いかにも嬉しそうに見える。
(穂波ちゃん――)
その時、まるで彼の心の中の声が聞こえたかのように彼女が視線を上げ、互いの目が合うとはにかみながら笑みを浮かべる。
(!!)
その表情の可愛さと脳がとろけるような幸福感が隼太の意識を蒸発させてしまい、そのあとはいつの間にビルを出たのかどころか、さっきあれほど感動したはずの映画の中身すら思い出せない始末だった。
「は、隼太君、大丈夫?」
「え、いやぁ――あんまり大丈夫じゃないかも♪」
「えぇ~でもわたしも同じだよぉ♪」
「と、とりあえずどっかでランチしようか?」
「うん、そうしようね♪」
こんな時やたらに舞い上がってしまっている隼太からすると、あまり派手にはしゃがない穂波の存在が地味にありがたい。
二人が手をつないで漫ろ歩くアーケードは真夏の余韻を感じさせる人いきれに溢れており、軽くのぼせたような熱に浮かされたような頼りなさの中で、しっかりと握った彼女の手の感覚に表現しようのない安堵を覚える。
少しだけ背伸びしてみたくて子供っぽくない飲食店を探しかけたりもしたが、結局あまり混雑していなかったハンバーガーショップに入ることにする。
「子供のころはさぁ、もっと混んでたよね」
「そうだね、わたしも覚えてる」
「やっぱりあれ? チキンじゃハンバーガーっぽくないからかな?」
「ハンバーガーっぽいかどうかわからないけど、ハンバーガーもナゲットも同じお肉だからかな♪」
「あっ、なるほどね~そう言われたら確かにそれ淋しいよね♪」
「鶏肉おいしいけどなぁ」
「うん、俺も普通に好き」
「うふふ、わたしも♪」
普段戦争を意識することもない彼らも、こんな時にはそれを少しだけ感じ取れる。
数年前から牛肉を使ったハンバーガーは販売されておらず、ほぼ全て鶏肉あるいはそれを使用したパテに切り替えられており、その所為なのか彼らが幼い頃には盛況だったハンバーガーショップも今では空いていることが多くなっていた。
とは言うもののたった今の隼太にとっては、牛肉だろうが鶏肉だろうがどちらでも構わなかった。
彼にとっては恥ずかしそうにハンバーガーを食む穂波を見ているだけで満足であり、何も食べなくても満腹になりそうなほどだったからだ。
(おふくろの言った意味、よ~く分かったよ)
出かける前にしっかり飯を食わせてくれたおかげで、彼は心置きなく彼女を見つめていることができる。
その穂波から抗議されなければという前提ではあるが……。
「は、隼太君、あんまりジロジロ見られたら恥ずかしいよぉ」
「ご、ごめんね、そうだよね、食べてるとこジロジロ見られたら落ち着かないよね」
そう言いながら今まで手に持っていることすら忘れていた己のハンバーガーに、まさに思い出したがごとく一気にかぶりつく。
「あっ、零れてるよ♪」
そう言った穂波が紙ナフキンで彼の口元を拭ってくれる。
「うー気付いてなかったよ~」
「ううん、いいよぉ、いつでも拭いてあげるから気にしないで食べて♪」
「う、うん」
思わずもう一度零そうかなどとろくでもないことを考えてしまう。
彼女の繊細な指がほんのわずかな動作ではあるものの口もとを撫でていく感覚は、そんな不埒な考えをついおこさせるほど嬉しい。
幼い頃に幾度となく母や義姉、さらには幼いなりで大人のまねごとをしたがる浪江までが同じことをしたはずなのだが、それらはほとんど記憶に残らない程ぼんやりしているというのに、穂波が同じことをするとなぜこれほど違うのだろう?
傍目から見ているものにとっては何とも分かり易過ぎる話ではあるが、すでに恋の魔法に掛かってしまった彼にとって、それは永遠の謎でしかなかった。
余談にはなるが、彼がもう少し注意深い性格であれば自分自身が女性達からやたらに世話を焼かれる傾向にあることに気が付いたかもしれない。
特別にだらしないわけでもないのに、周囲の女性達は彼のちょっとした粗相も見逃すことなく手を差し伸べてくるし、村越やクラスの女子達はまるで見逃してはならないとばかりに口を出してくるのだった。
「隼太君が食べるとそのハンバーガーすごくおいしそうに見えるよ」
「えっ、でもほんとにおいしいよ?」
「うふふ、そうだよぉ、隼太君がおいしいって思ってるのすっごくわかるよ♪」
「そ、そうなの?」
「うん、隼太君はね、裏表がないから」
「やっぱり単純だからかなぁ~」
「単純と裏表がないのは違うよぉ」
「そっかなぁ?」
「単純っていうのはね――」
「あっ! 分かった分かった、言わなくてもわかるよ♪」
「うふふふ♪」
こうした他愛のない会話の端々から感じることだが、わずか数週間の間に穂波はずいぶん朗らかになっている。
もちろん隼太以外のクラスメイト達の前ではこうはいかないが、どこかしらおどおどした様な雰囲気がなくなり、容姿も心なしか明るく生き生きとしているように見える。
(穂波ちゃん、俺のこと信用してくれてるのかな)
それはとても嬉しいことであるのみならず、なにより彼自身にとって既に穂波は無くてはならない存在になりつつあった。
それからもしばらくランチタイムを楽しんだ二人は、やがて店を出ると再び手をつないで繁華街を歩く。
まだ中学生の二人にとって実際に気ままな買い物を楽しむようなことまではできないが、穂波と二人でいればただ眺めているだけでも心が浮き立つほど楽しい。
そのまま二人は繁華街を抜けると城跡公園の中をウロウロし、それからこんな時でなければ行くこともない官庁街を歩いて岩を割って繁る桜を興味深そうに眺め、そのまま足に任せてひたすら街中を歩き回る。
走る車は電気自動車ばかりでその数も決して多くないことから街は静かなのだが、公共交通機関が利用しにくくなっているためか多くの市民が徒歩や自転車で盛んに往来していた。
二人にとってもこの位は気楽な散歩に毛が生えた程度なうえに、手を繋いでお喋りしながらの楽しさが時と疲れとを忘れさせてくれており、間もなく彼らは市内で最も大きな大学の前にまでたどり着く。
「隼太君は大学に行きたいの?」
「うん、行きたいなぁーとは思ってるんだけど」
「田圃はお兄さんがするの?」
「そだなぁ、うちはもう兄貴が継いでるから俺は別に好きなことしてもいいかなぁって」
「うふふ、だったらもうちょっと勉強しないとね♪」
「あうっ! 穂波ちゃん厳しいなぁ~でもそうなんだよな~」
「隼太君もちゃんとわかってるんだよね」
「うん、一応そのつもりなんだけどさぁ――なんかどうするのがいいのかなぁとか基本的なことがね――ちょっとね……」
「あのね、雪乃ちゃんみたいにはいかないけど少しくらいは教えてあげられるよぉ」
「あ、そうか! そうだった俺には穂波ちゃんがいるんだ!」
「やだ、大げさだよぉ――でも――わたしもね、隼太君と一緒に大学行けたらいいなぁって思うから……」
(穂波ちゃんと一緒に――)
彼の胸の中で、その言葉はまるできらきらと光り輝く様に何度も何度も反響し続ける。
「穂波ちゃん、俺なんだかすごくやる気出てきたよ」
「うれしい♪ わたしもね、隼太君と一緒に行けるように頑張るね」
「うん」
明るく夢を語る二人にとって、やはり戦争はニュースの中で見るずっと遠い出来事でしかなかった。