しばふ村より   作:Y.E.H

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【第一章・第八節】

 楽しい一日はあっという間に過ぎ去り、西日が彼らの頬に照り付ける頃二人は再び盛岡駅に戻ると、往路よりは多少乗客が多くなった列車に乗り込む。

弾んだ気持ちそのままにお喋りを楽しんでいた彼らは、気が付くと最寄駅のホームに降り立っていた。

 

「あー楽しかった!」

「うん、すっごく楽しかったね♪」

「今度はどこがいいかなぁ」

「うふっ、そうだね」

 

しかし、二人の会話は駅前に出た途端にふっと途切れる。

駅前の小さなロータリーには彼らが初めて見る濃紺色の大柄な車が二台停まっており、その傍らには白い制服姿の男性が数名、いかにも規律正しい様子で立っていたからだ。

さすがに立ち止まってジロジロ見つめるようなことはしないものの、いくら初めて見るとは言ってもその男たちがどうやら軍の関係者らしいということぐらいは予想がつく。

駐輪場から見るとはなしに見ていると、おしゃべりに夢中で気が付いていなかったが、どうやら彼らと同じ電車に乗っていたらしい真っ白な制服に身を包んだ男女二人組の乗客が改札から出てくると同時に、男達が一斉に姿勢を正す。

「お疲れ様です!」

はっきりと聞き取れたのはその一声だけであとは何かを言っているくらいにしかわからなかったのだが、彼らが驚いたのはその男女が車に乗り込んでからであった。

バルンッっという聞きなれない音を立てて身を震わせた二台の車は、何やら焦げ臭いにおいを振りまきながら走り去っていく。

「穂波ちゃん、あれって――」

「隼太君、覚えてる?」

「うん、ちっさい頃うちの車もあんな感じだったと思う――自信ないけど」

「でも多分そうだよね、あれってエンジンの付いてる車だよね」

「じゃあやっぱり――」

「海軍なのかな――」

 

ガソリンや軽油を使って走る車を一般の市民が維持することは、10年ほど前からほぼ不可能になっていた。

いまでも車庫などに大切に保管している家庭があるのはよく聞く話だが、どこへ行ってもそもそもガソリンなどの燃料を補給するスタンドがないため、燃料が無くなれば個々人が石油などを取り扱う企業から直接(しかも驚くほどの価格だと聞く)入手して補給するより手がないからである。

今の日本でもっとも潤沢に石油系の燃料を保有し使用できる組織はおそらく海軍だろう。

とは言うものの、こんな農村に海軍は一体どんな用があるのだろうか?

そればかりは二人にとって全く想像のしようもなかったが、ただ隼太の耳の奥では白石の言葉がこだまのように再生されていた。

 

『今は戦争中なのよ、わかってる?』

 

その響きに漠然とした胸騒ぎを覚えながらも、まだこれから村まで約10㎞の道のりを家路につかねばならないことに頭を切り替えた彼は、穂波とともに駅を後にする。

 

 そして西空が燈色を帯びる頃、朝待ち合わせをした一の鳥居前に帰り着いた二人は改めて顔を見合わせる。

「今日はありがとう、本当に楽しかったよ」

「ううん、隼太君が誘ってくれたからだよ♪ こんなに楽しかったの本当に初めて……」

「うん、もっともっと色んなとこ行きたいね」

「うん、とってもとっても楽しみだよぉ」

「そうだね♪」

「うん」

 

「……」

 

「……」

 

本来ならここで普通にさよならと言って別れるだけなのだが、出発直前の浪江の言葉が脳裏をよぎった隼太はさよならと言ういとも簡単な言葉を発するタイミングを失してしまい、思わず無言で見詰めあってしまう。

 

(おいこら! なに余計なこと考えてるんだよ! 穂波ちゃんを困らせるなよ⁈)

 

おのれ自身に懸命に突っ込みを入れるが、同時に穂波との(もちろん彼にとって初めての)キスという抗いがたいほどの甘い魅力に満ちたキーワードが彼を金縛りにしていた。

そのままどんどん時間が過ぎていくかに思えたが、隼太が葛藤している間に穂波が先に動き出す。

どうやら彼女は隼太が何を考えているのかを理解したらしくおずおずと近づいて彼の手を取り、下から見上げるように彼の瞳を見つめる。

 

(あ――)

 

一瞬緊張した彼はあらぬ期待をしてしまうが、無論そんなわけもなく、彼女のいかにも済まなげな声が響いて現実に引き戻される。

 

あのね――まだおしょすくてでぎねがら……今日はこらえてけろ

 

とても小さな声ではあったが、彼にとっては神のお告げにも等しい神聖な言葉だった。

彼女に対してそんな下心を抱いたことに対する自己嫌悪がどくどくと湧き上がってくるのと同時に、何も言わなくても彼のその下心を察して気遣いをしてくれた穂波に対する申し訳なさが彼を金縛りから解き放つ。

「穂波ちゃん、ごめん! 俺、バカなこと考えてたよ、ほんとにごめんね」

きっぱりそう言い切って頭を下げる隼太の頭にふわりと穂波の髪が触れる。

ハッとして顔を上げると、彼女はあの内側からにじみ出るような笑顔――それはまさに女神の慈愛に満ちた微笑だ――を浮かべて口を開く。

 

「ううん、いいの。ありがとう隼太君……好きよ」

 

(穂波ちゃん!)

 

全身に感動と不思議な感情(すでに述べた通り、まだ彼のボキャブラリーには存在しない『愛おしさ』である)が充満し、思わず涙が出そうになった彼のその純粋な感情がストレートに口をついて出る。

「お、俺もだよ! 穂波ちゃん大好――」

いつまでそんなことしてるつもりなの? さっさと帰りなさいよ!

 

危うく心臓が口から飛び出すところだったが何とかこらえてゴクンと飲み下し、胸の定位置に戻すと恐る恐る背後を振り返る。

そこにはデニムのショートパンツにTシャツというおよそゆるい普段着姿の村越が逆さにした竹ぼうきを杖のように地面に突き立て、空いた片手を腰に当てて立っており、またしてもあの鋭いまなざしで彼を睨みつけていた。

「全く――そんなとこでいちゃつかれたらおちおち掃除もできやしないわ⁉ さっさとやることやって帰ったらどうなの⁉」

「なっ――」

そのあまりに身も蓋もない言い草に隼太は思わず絶句してしまい、穂波は真っ赤な顔で俯いてしまう。

「バ、バカ言うなよ!」

どうにか気を取り直して言い返してはみたものの、村越はそもそも彼を相手にするつもりは無いのかその反論には全く取り合わず、彼を飛び越して顔を赤らめている穂波に話し掛ける。

「穂波、余計なこと言うようだけどあんたも余り甘い顔しちゃダメよ⁉ 好きだなんだって口で言うのは簡単だからいくらでも言えるけど、結局男はどっかに下心を隠してるもんなんだからね!」

『男』と一般論の様な言い方をしたものの、彼女の言い方は露骨に隼太を名指ししているも同然だった。

村越にクソミソに言われるのはいつものこととは言え、穂波に対してまでこんな言われ方をするとはとことん嫌われたものだと少々呆れてしまう。

ところがいつもと少々違ったのは、穂波が下手にでながらも彼のために反論してくれたことだ。

「美空望ちゃん、でもね――男の子にはみんな下心があるんだったら誰でもみんな同じってことでしょ? だったらね、我慢してってお願いしたらこらえてくれるのはいい人って考えちゃいけないの?」

正直に言って踊りだしたくなるほど嬉しいが、本当に嬉しそうにしたら村越を不必要に刺激しそうな気もするのでじっと我慢してみていると、その言葉を聞いた彼女はハアッと深いため息をつく。

「はいはい良くわかったわよ――邪魔者はさっさと退散するからあんた達もさっさと帰んなさいよ。でも、言っとくけどうちの参道でキスとかするのはやめてよね! もちろんもっと他のこともだけど!」

そう言い捨てた彼女はくるりと二人に背を向けると、ほうきをブンブンと振り回しながら二の鳥居に向かって歩き去っていく。

こういうストレート過ぎるもの言いは確かに村越の身上かもしれないが、それにしてもいつも以上に辛辣に聞こえるのは気のせいなのだろうか?

とにかくまた赤面してしまった二人は、すっかり毒気を抜かれた体で顔を見合わせると互いに苦笑いする。

「うふふ、美空望ちゃんに叱られちゃったね♪」

「っていうかもろバレしちゃったかぁ」

「仕方ないよ、場所が場所だもん」

「良く考えたらそうなんだよなぁ、待ち合わせし易いから何も考えてなかったよ~ごめんね」

「ううん、いつかは分かっちゃうし、それに美空望ちゃんは言い触らしたりしないから」

「そうだよね――それじゃ穂波ちゃん、暗くなるといけないから気を付けてね」

「うん、隼太君もね」

「ありがとう、それじゃまた明日」

「うん、明日ね♪」

そう言いかわすと軽やかに手を振って穂波を見送った隼太も、間もなく自転車に跨って家路につく。

 

遠ざかっていく彼の背中には、憂いを帯びた寂しげなまなざしがひたと注がれていた。

 




第一章はこれで完結です。
年末年始を挟んで、次回からは第二章を投稿する予定ですのでよろしくお願いします。
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