村に海軍の使者がやってきたことで、隼太と穂波達の運命は大きく変わり始めますが……。
【第二章・第一節】
生まれて初めて経験した充実感と幸福感に包まれた心地良い疲労から昨夜はぐっすりと眠った隼太は、翌朝まれにみる爽快さとともに目覚める。
朝食の最中も絶好調の彼を母や義姉が揶揄するが、それにも全く動じない上機嫌さにあんちゃん大好きな浪江まで一緒にはしゃぎだす始末だった。
そんな勢いのまま意気揚々と登校した彼ではあったが、それでも昨日はもろバレしたこともあって教室に入る時は若干慎重になり、さりげなく周囲の様子をうかがいながら着席する。
とはいえ穂波が言った通り昨日のことがクラス内に広まった様な気配はなく、やや安心した彼は多少の感謝の意を込めて左隣の村越を顧みたものの、彼女はチラッと視線を投げかけただけで「フン!」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
(なんだかなぁ……悪いやつじゃないんだけどな)
村越とは同じ小学校の出身でもあり、その気性は以前からそれなりに知っているつもりである。
口は悪いもののサバサバとしていて陰険なところがなく、少々辛辣なことを言われてもあまり本気で腹が立つことは無かったのだが、近頃はやたらに突っ掛かってこられるのでそれにはいささか閉口していた。
そのまま何事もなくその日は始まり、午前の授業が終わるといつも通り昼食を慌ただしく掻き込んだ隼太らは、サッカーボールを抱えて校庭に飛び出していく。
(あっ!)
ふと彼の視界の端を気になるものがかすめ、思わず立ち止まる。
校舎裏の職員駐車場には普段は教職員の車や小型のトラックが止まっている程度なのだが、今日は一番隅の方に濃紺色の大きく武骨な車が止まっていたのだ。
それはもちろん、昨日駅前で彼らが見掛けた海軍のものであろう車両に間違いはなかった。
(えっ、なんでうちの学校なんかに――)
「隼太ぁ! 早く来いよぉ~ボールが来なきゃはじまんねえぞぉ」
校庭の方から清次の大きな声が響く。
「わかったって、今行くから!」
とにかく見ていても仕方がないので、大声で叫び返した彼はその場をひとまず後にする。
だが昼休みの終わりにもう一度その場を通りかかった時には既に車はなくなっており、改めてゆっくり確認することはできなかった。
その日の放課後、部活を終えた彼はいつもの様に穂波と落ち合って帰り道を辿るが、車のことを口に出すと彼女もまたそれを見つけていた。
「ちょっとびっくりするよねぇ」
「ほんとだよね――、いったい何しに来たのかな……」
「ひょっとしてあれかな? 白石さんが夏休みに行った避難訓練のボランティアの勧誘に来たとか?」
「……」
気軽にそう言ったのだが、穂波はずいぶん不安そうに黙っている。
「どうしたの? なんか不味いこととかあるの?」
「ううん、でも――本当に隼太君の言った通りだったらいいのにな……」
「え、まさか海軍の兵士募集とか? でもそれだったら中学じゃなくて高校だよね?」
それにも応えなかった彼女は、しばらく逡巡したあとやや沈んだ声で話し始める。
「隼太君も、艦娘のことは知ってるよね?」
「ああ、元は沈んでる軍艦だったとかいうあれだよね? なんか不思議だよねぇ~」
「違うよ、その人達のことは『オリジナル』って言うんだよ」
「えっ、そうなの? でも前は『艦娘』って言ってなかった?」
「うん、でも人間の艦娘が採用され始めてからは、同じ呼び名じゃややこしいからってオリジナルって呼ばれてるんだよ」
「あ、そうか! そう言えばニュースか何かで見たことあるよ、なんか線の繋がったランドセルみたいなのを背負ったら海の上をスケートするみたいに滑れるようになるやつだよね!」
「今はもう線とかつながってないんだよ、ランドセルみたいなのは背負ってるけどオリジナルの人たちみたいに戦えるんだって」
「すごいなぁ……なんかいつの間にそんなことになってたんだ……」
「昨日今日の話じゃないよ、もう何年も前から人間の艦娘の人も戦争に行ってるんだよ」
「――ごめんね、それは知らなかったよ――でも候補者とか集めてるっていうのは聞いたことあるなぁ」
「そうなの、志願する人達には適性検査とかして適性のある人を採用してるみたいなんだけど……」
「誰でもなれるわけじゃないんだとは聞いてたけど今はあれなのかな、人間の艦娘の方が多いのかな?」
「そうじゃないらしいよ……」
「えっ、そうなの?」
「うん……」
再び口が重くなった彼女の様子を見て、どうやらその辺りに不安の原因があるらしいとは分かったもののまだピンときているわけではない隼太は、少々言葉に気を付けながら問い掛ける。
「穂波ちゃんは、海軍が艦娘のことで来たと思ってるの?」
「――うん、そうなの」
「志願して欲しいとか言いに来たってこと?」
「ちょっと違うんじゃないかなぁって思ってるけど……」
「どういうこと?」
「あのね、艦娘になれる人ってすごく少ないんだって。だから、志願者だけに適性検査してるだけじゃ全然候補者が集まらないんだって聞いたの」
「すごく少ないって――どのくらい?」
「1000人に1人くらいなんだって」
「えぇ~そんなに少ないんだ、知らなかったぁ」
「だからね、志願者がすごくたくさん来てくれても全員適性なしとかって普通にあるらしいよ」
「そりゃそうだよね、1000分の1じゃあなぁ――だったらやっぱり人間の艦娘って少ないんだね」
「うん、だから最近海軍は方針変えたらしいって……」
「ほんとに?」
「伯父さんが知り合いの人から聞いただけなんだけどね、海軍の人がね、全国で適性検査を受けてもらえるようにお願いして回ってるらしいって……」
「えっ――それじゃまさか、うちの学校に適性検査のお願いに来たっていう事?」
「まだ分かんないけど――でも、もしかしたらそうなんじゃないかなぁって思ったの……」
そう言って不安気に俯く穂波に何と言えば良いのか分からなかった彼は、素直に感じた通りのことを口にする。
「でもさ、まさかうちみたいな小さな村の中学校からそんな艦娘の候補者なんて見つかるわけないよ。そう言うのはさ、もっと都会の大きな中学や高校とか行かないと無理なんじゃないかな?」
「ほんとにそうだと良いんだけど……」
穂波の不安を取り除いてやれないもどかしさを感じながらも、結局彼にはそれ以上にしてやれることがなかった。
全く関心がなかったとはいえ、艦娘とオリジナルの区別すらついていなかった程度のいい加減な知識では彼女に言ってあげられるようなことがあるとも思えない。
朝のテンションがまるで夢の中の出来事でもあったかのように、二人はモヤモヤとしたものを抱えたままでそれぞれの家路についた。
翌朝、ホームルームで担任が言い出したことで穂波の予想が的中してしまったことを彼らは知る。
海軍からの申し入れがあり、学校としてはそれに応じるが詳しいことは別途説明するとのことで1限目は3学年の女子全員が体育館に集められ、男子はその間自習しておけという事になった。
男子の大半はお気楽に喜んだものの、無論のこと隼太には喜ぶ理由が何もない。
ただ少々意外だったのは、こんな時真っ先にお気楽全開になると思っていた清次がなにやら不機嫌そうにむすっとしていたことだ。
(清次のやつ、虫の居どころでも悪いのかな)
一瞬そうは思ったものの、それ以上の関心は特に湧いてこない。
たった今体育館で膝を抱えながら不安そうに教師の説明を聞いている穂波の姿に脳内を占領されている彼には、余計なことに頭を使っている余裕などなかったからだ。
そうこうするうちに1限目が終わり、それとともに女子全員がぞろぞろと教室に戻ってきたので早速彼女達(と言う体だが実際にはいぶき)にどんな話だったのか聞きたがる男子が続出したものの、それを察したものかチャイムが鳴る前に入ってきた教師が全員を席につかせてあっさりとそれを説明してしまう。
曰く、適性検査はあくまでも強制では無く体調が優れなかったり検査を希望しない者は参加しなくて良いこと、検査自体はそれほど時間がかかるわけでは無く斯波中の女子全員程度なら半日もあれば終わること、場所は近隣の大学病院であること、すでに県内の他校のうち一部では検査が開始しており斯波中の順番は3日後と決まっていること――などなどであった。
これを聞いた男子達は皆静かになってしまい、その後もごく普通に授業が始まるがもちろん彼らがその説明に満足して納得したわけではなかった。
昼休みになり、いつもの通りであれば校庭に飛び出していくはずの男子達は、サッカーに対する興味を今日は全く失ってしまったかのようにいぶきの周りに何やらもの問いたげな様子で集まってくる(当然隼太を除いてだが)。
いぶきもまた彼らの期待に応える義務を感じているのか常日頃の様な朗らかな笑顔を浮かべ、
「あのね、昨日海軍の人が来てね――」
と喋り始めたもののその途端に
「駄目よ、吹輪さん!」
と鋭く声がかかる。
その場にいた全員が振り返ると、その視線を受けて立ち上がった白石が腰に軽く手を当てながら、
「ベラベラ喋っては駄目って言われたでしょ⁈ 変なことを言ってしまって海軍から咎められるのはあなただけじゃ無くて関わった全員なのよ⁈ 余計なことはしないで!」
とピシャリと言い渡す。
一瞬で冷え切ってしまった空気に横から傍観していた隼太ですら少々心配してしまったが、そこはやはり手慣れた様子のいぶきは苦笑いしながら男子達に向き直り、
「ほんとに、特に変わったこととか無かったから大丈夫だよ♪ だからそんなに心配しないでね」
と笑い掛ける。
そのいかにも自然な笑顔と可愛さにいぶき派の男子達が鼻の下を伸ばしたのはもちろん、これといって彼女に興味があるわけではない隼太ですら、
(さすが斯波中№1の笑顔だなぁ、やっぱり可愛いよ……)
と感心するほどだった。
それに比べると、気の毒だが白石はまた一段と男子達の間で株を下げてしまったことだろう。
どんな話があったのかはわからないものの、おそらく白石の言っていることは正しいのだろうがタイミングも言い方も彼女の『堅物』ぶりを更に印象付けるのには十分過ぎる。
(白石さん、あんなに可愛いのになんか勿体ないよなぁ――まぁでも白石さんはそもそもそんなこと関心ないか)
などとぼんやりと考えていた隼太だったが、彼には珍しく微妙な視線の気配を感じる。
何気なく振り返ってみたところ、その視線の主は拗ねた様な顔でこちらを睨んでいる穂波だった。
(えっ⁉)
目が合った瞬間、なにか見えない手で喉元を握りしめられたような錯覚に陥って思わずドキリとする。
(まさか――穂波ちゃん、俺の考えてたこと分かってるの?)
先輩や兄などから聞かされていた『彼女(嫁)に隠し事は出来ない。どう言うわけか何もかもばれてしまう』という教訓めいた愚痴を鼻先で受け流していた彼は、今になってそれが本当のことであることを思い知る。
慌てて
(ち、違うからね⁈ 可愛いとかいうのは一般論だよ⁉ 俺の一番は穂波ちゃんだからね!)
などと口に出してそう言うわけには行かないながらも心の中で必死にそう弁解しながら視線を合わせ続けていると、やがて彼女は、
『もうっ、しょうがないんだから……』
とでも言いたげにプッと軽く頬を膨らませて見せた後に普通の表情に戻って軽く視線を逸らす。
(はぁ~後であやまっとこう……)
安堵のため息を吐きながら元の姿勢に戻った隼太だったが、またも不穏な視線を感じたので左を向くと村越が横目で睨みつけていた。
(うっ……もちろん分かってるんだよな)
これまでにも何度となく彼の内心を見透かす様な鋭い突っ込みを浴びせてきた彼女のことでもあり、穂波との無言の遣り取り位は容易に察していることだろう。
苦笑いでもしてみようかと一瞬思ったものの、ただでさえ非難がましい視線を投げかけている彼女がより一層不機嫌になりそうな気がしたので、少し真顔で声を出さずに(ゴメン)と口を動かして見せる。
それを見た村越の反応はこれまで見たことのないものだった。
隼太の顔を改めてひと睨みしたその瞳には複雑な感情の色が踊り、そのまま目を伏せるとどこか悲し気に顔を背けてしまう。
(え……)
しかしたいへん残念なことに彼にはその反応に秘められた村越の胸の裡が伝わることはなく、ただただ戸惑うばかりだった。