「はぁ、はぁ……ま、間に合った……!」
「お疲れさまです、柊さま」
事務所をダッシュで飛び出して数十分後。私たちは無事に撮影が行われるスタジオまで辿り着いていた。うむ、久々に全力疾走したけど、やっぱり体を動かすのは良いものだね。
まぁ、柊さんにとっては、そうでもなかったみたいだけど。
「さて、まずは何から運びましょうか?」
「いやいや待ってエレーナちゃん! あんなスピードで走ってたのに、なんで息切れすらしてないの!?」
「なんでと言われましても」
この体のスペックが凄すぎるから、としか言えないかな。走っても跳んでも、まったく疲れたりしないすごいボディーなのだ。
あ、ちなみに発育の方も大変よろしくって、生前の母に負けないレベルでおっぱいが大きくなってます。普段は動くのに邪魔だからサラシで潰してるけどね。
「さぁさぁ、何でもどんとこいですよー」
「ちょっ、エレーナちゃん待ってー!」
すでに疲労困憊な柊さんをスタジオの入り口に置いて、私はスタジオの中に入り込む。そこでは昨日見たスタッフさんたちが、ワイワイと忙しなく撮影の準備をしている最中だった。
今日のセットは昨日のお城の舞踏会のような豪華なものとは違って、ごく一般的な家庭のキッチンを模しているようだった。
「こんにちはー、お手伝いに来ましたよー」
「お? あれ、君は昨日の……なんでこんなところに?」
「おと……こほん。黒山さんの指示で、スタッフとして現場に入るように言われました。重いものを持ったりするのは得意なので、どんどんこき使ってください」
「お、おぉ……う、うん。じゃあお願いしちゃおうかな」
にっこりと親しみやすい笑顔で、そこら辺を走っていた男性スタッフさんに話しかける。若干キョドりながらも、そのスタッフさんの対応は紳士的だった。
「あそこにあるセットの壁たちを中央にある土台にはめてほしいんだ。一人じゃ無理だろうから、あと何人かに声かけて全員で──」
「あの壁を持ち上げればいいんですね?」
うむ、そんなの朝飯前だ。私はスタジオの隅に立てかけてあるセットの壁に近づいて。
「よい、しょっと!」
一息に、その壁たちを持ち上げた。
「うわあぁぁぁぁ!?!?!?」
「ええええええぇぇぇ!?!?!?」
「あの、ぶつかったら危険なので離れていてくださいね」
スタジオ中の視線が私に集まっているのを感じる。いや、みんな何をそんなに驚いているのだろうか。こんなの、酒樽十個よりは全然軽いんだが?
「な、なんであんな軽々持てるんだ……」
「あの壁、何キロだったっけ」
「全部合わせて100キロくらいか?」
「あの細身のどこにそんなパワーがあるんだ……」
周囲から何やら声が聞こえてくるが、そんなことは関係ない。私はそのまま壁を持ってスタジオの中央に歩いて行き、一個ずつセットの土台に壁をはめていく。よし、これにて仕事完了だな。
「ふぅ、さて次は何をしましょうか」
私は額の汗を拭う動作をしながら、とびっきりの笑顔を浮かべてスタッフの皆さんに話しかけるのだった。
⭐️⭐️⭐️
「予定より三十分も早く準備終わったんだけど」
「それは重畳ですね。ではゆっくりと黒山さんを待ちましょう」
スタジオの扉の前に立ち、仕事終わりの一杯を呷る。うむ、うまい。緑茶の味がおいしいって感じるのは、やっぱり元の魂が日本人だからなのかな?
まぁ細かいことは気にしないのが吉だ。うむ、今日もお茶がうまい。
「いやいや、エレーナちゃん何あれ」
「なにか問題がありましたか?」
「問題っていうか! あんなに大活躍されるとプロとしての私たちの立つ瀬が無いっていうか!」
なにやら頬を膨らませ、プンプンという擬音が聞こえてきそうな感じで柊さんは怒っている。いやそんな理由で怒られても。早く仕事終わったんだから、ラクできたぜラッキーって感じに思っておけばいいのに。大人ってヘンなの。
「それにしても遅いね墨字さん。セットが早くできても、肝心の役者と監督が居ないんじゃ──」
「ん、来たみたいですね」
「えっ」
前方の道路から、ものすごい勢いで爆走してくるワゴン車を視認する。側面にはスタジオ大黒天の文字。間違いなく、父が運転しているワゴン車であった。
いやまって、なんかフラフラしてない? うわ、ちょっ、ぶつかるって、危なっかしい! カースタントかよ! あっ、駐車場の壁にぶつかって爆発した──いや、何で爆発すんの? あと、なんで爆発したはずの車の中から平気な感じで飛び出してきてんだあのダメ親父。
なに、今ここだけギャグ漫画の時空になったの? 意味が分かんないんだけど。
「ほら事故ったじゃねぇか! お前が暴れるから!」
「暴れて当然でしょ、この犯罪者!」
「誰が犯罪者だ!」
あと、小脇に制服姿の女の子を抱えてるのも意味がわからん。なんだ、誘拐でもしてきたのか? ふむ、もしもしポリスメン?
「芝居を教えてやるって言ったろ!? 親切だろうが!」
「信用ならないのよ! 現に誘拐でしょこれ!? 犯罪よ!!」
「違いますぅー! 送迎ですぅー!」
めっちゃ暴れてんな、あの女の子。いいぞもっとやれー、髪の毛とか毟ってやれー。
「墨字さん……ついにそこまで」
「通報しました」
「うぉい! せめてお前らはフォローしろ!」
いやまぁ、私は通報するための電話を持っていないので、通報できないんですけどね、初見さん。
というか、こっちに助けを求めないでほしい。大人なんだから、そういう面倒ごとは自分で処理してほしいものだ。
「はいはーい、お荷物お預かりいたしまーす」
「あっ、テメェこの、返しやがれ腹黒娘!」
「いーやでーす」
音も無くスルリと近づいて、父の手から女の子を奪取する。うわ、軽いなー。さっき運んだ機材とかと比べたら、羽毛布団みたいな軽さだ。
というか、別に父のものじゃないだろう、この子は。
「大丈夫でしたか? あのヒゲにセクハラとかされませんでしたか?」
女の子を安心させるために、そんな言葉をかけて顔を覗き込む。すると、そこには。
「ありがとう。そういうのはされなかったわ、平気よ」
「────わぁ」
大和撫子の具現化と言っても大袈裟ではない、絶世の美少女がこちらを見つめていた。
「か、か、か」
「か?」
ちょっと、初めて感じる未知の感情だ。母に抱いた
気がつけば、私は地面に降ろしたその子を抱きしめていた。
「か〜わぃぃぃ〜〜〜!!!」
「わ」
のちに、私はこれが一目惚れという感情だと知ることになるのだけど──今の私は、その感情の名前すら理解できないまま、目の前の愛しい少女を衝動のままに抱きしめるのでした。今思えば、すごい失礼だったなと猛省する私なのでした。
「いい?」
私に抱きしめられた少女は、キョトンとした不思議な表情を浮かべるばかりだったが。
⭐️⭐️⭐️
「ご迷惑をおかけいたしました」
「ううん、かわいいって言ってもらえて嬉しかったわ」
スタジオのジオラマ前。テーブルについた少女、夜凪景さんに向けて、私は渾身の土下座を披露していた。夜凪さんの対面には、笑いを必死で堪えている父と、気まずそうな表情をしている柊さんが座っていた。
うん、柊さんごめん、私の奇行のせいでめっちゃ微妙な空気になってしまった。あと父は帰ったらコロス。
「くっ、ぶふっ……いや失礼、続けて?」
「墨字さん、今のエレーナちゃんは煽らない方がいいと思いますよ」
ぶっ飛ばしますわよ? 控えめに殴って、成層圏の彼方までぶっ飛ばしますわよ?
オイコラ、笑うのやめろや。自分でもらしくないことしたなーって反省してるんだから、ほじくり返すんじゃねーよ。
「それで、何のために私を連れてきたの?」
「そりゃお前、最初に言っただろ。お前をウチの事務所にスカウトするために連れてきたんだよ」
二人は名刺を取り出して、夜凪さんの前に置く。スタジオ大黒天映画監督・黒山墨字と、スタジオ大黒天製作・柊雪。
え、名刺あるんだったら私にも渡してよ、なんかズルい。いや、名刺とか渡し合う関係になる前に就職したから、渡すタイミング無かったのかもだけどさぁ。
「ふーん……あなたは?」
「ん?」
「あなたも、この事務所の人なんでしょ?」
「え、まぁ、はい。一応は、ですが」
目の前の二人から視線を切って、地面に体育座りする私に視線を向けてくる夜凪さん。
いやぁ、私にはまだ役職とかそういうのは無いんですよねぇ。強いて言うなら雑用係みたいな?
「あぁ、そいつはお前のマネージャーだよ」
「そうそう、私はあなたのマネージャ……ぁ?」
おい、今このヒゲなんて言った。
「そして、お前のライバルでもある」
「???」
本格的になに言ってんだこのヒゲは。
ちょっと、誰か説明して。こいつ言葉が足りなさすぎる。
「それはどういう意味でしょうか、黒山さん?」
「言葉通りの意味だろ。おい夜凪、コイツはお前のマネージャーであると同時に、一人の役者だ」
「うん」
「うん、じゃないですよ?」
一方の夜凪さんは、父の言っていることを理解して飲み込んでいるようだった。理解が早ーい。
「お互いに喰らいあって成長しろ。残った方が、俺の撮る映画の主演だ」
「黒山さん、それ蠱毒って言うんですよ?」
「面白そう」
「え、夜凪さん?」
困惑する私とは対照的に、一寸の迷いもなく、夜凪さんはその凛とした瞳で父を見据えていた。
その横顔ですら、私にはまるで一枚の絵画のように見えてしまって。思わず呼吸も忘れて、時間が止まったように夜凪さんの横顔を見つめ続けてしまった。
「わかったわ。私、この事務所に入る」
「ホント!? じゃあこれ、契約書です!」
夜凪さんの返答に、今まで一部始終を見守っていた柊さんは嬉々として懐から契約書を取り出した。もしかしてあれ、いつも持ち歩いているのだろうか。私の時もカバンから出してたし。
差し出された契約書に名前とサインを記入した後、そのまま夜凪さんは私の方を向いた。
「名前」
「え?」
「あなたの名前、聞いてなかったわ」
ああ、そういえば言ってなかったか。
私は立ち上がり、修道服の裾を摘んで少し持ち上げながら、恭しくお辞儀をした。
「エレーナ。シスター・エレーナとお呼びください」
「そう──よろしくね、エレーナちゃん」
私の挨拶を受けて、夜凪さんは少しだけ微笑みながらそう言ったのだった。
⭐️⭐️⭐️
「マザーシスター・クラーラ!」
とある村の、とある修道院。その院長室の扉が乱雑に跳ね開けられる。開いたそこから入ってきたのは、年端もいかぬ金髪碧眼の女の子であった。
「おや、どうしました。そんなに慌てて」
そんな小さな来訪客を、この部屋の主である銀の髪をした老齢の女性──クラーラは落ち着いた態度で出迎えた。中央の机に着いたまま、走らせるペンの速度も変わらない。
対して金髪の少女は、苦虫を噛み潰したような表情で、ツカツカとクラーラの前に詰め寄った。
「どうしました、じゃありません! シスターエレーナの件、なぜ黙っていたのです!」
「話す必要がありませんでしたからね」
「何を仰っているのです! 彼女がここを去るなど、村の全員に知らせなければならない重大事件ではありませんか!」
端正な顔を顰めながら、少女はクラーラを糾弾する。しかしその怒声を受けても、クラーラはどこ吹く風といった様子だ。
「知らせたところで、何かが変わるのですか? たとえ村の住民全員にその事を伝えても、あの娘がこの村を去るという事実は変わらないのですよ」
「それはっ……!」
ギリッ、と少女は唇を噛み締める。クラーラの言っていることがあまりにも正論すぎて、言い返す言葉すらも失ってしまったのだ。
「でも……でも、せめてお別れの言葉ぐらい……!」
少女の目に涙が滲む。一番の親友である自分にすら、その事を伝えていなかった事が。お別れの言葉すら言えなかった事が。エレーナの様子に微塵も気づけなかった自分の不甲斐なさが。一粒の涙となって、後悔となって頬を伝う。
そのまま、数分の時が流れた。部屋には少女の嗚咽が響くばかりで、それ以外の物音は聞こえてこない。
「あの娘は、皆に愛されていました」
そんな中、クラーラはポツリと言葉をこぼす。
「皆に伝えなかったのは、あの娘自身にお願いされたからです。『旅立つ際にみんなの顔を見てしまうと、決心が鈍ってしまうので』と。そう言っていました」
「ひっく、あの、バカ……!」
泣きじゃくり、目元を真っ赤に腫らした少女は、それでもまだ諦めてはいなかった。目の奥に宿る輝きは、まだ失われてはいなかった。
それどころか、より強い輝きを放っている。
「ぐすっ……エレーナの行った場所、教えて下さい」
「本気ですか? シスター・クローネ」
「本気も本気、超本気です」
涙を拭い、クラーラを正面から見据えるクローネ。その瞳は、決意の光で満ちていた。
「もう一度アイツに会って、ちゃんといってらっしゃいって言ってやるんです」
シスタークローネ、日本へ旅立つまであと100日。
アンケート、投票していただきありがとうございました。
80票ほどの差で、最終話まで認知しない、に決定されました。
今回のアンケート等についての小話を活動報告に置いたので、時間がある方は見てやってください。