パパ、認知して   作:九龍城砦

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バック・トゥ・ザ・フューチャー

 マネージャーという言葉には、芸能人について仕事の交渉にあたる人、という意味の他に、チーム(個人)の世話をする人という意味合いもあるらしい。

 つまり、父が言うマネージャーとは面倒を見る人。つまり、私に夜凪さんの仕事を引っ張ってこいと言っているわけではない。夜凪さんが立派な女優になる面倒を見ろ、という意味で私をこの役職に任命したのだろう。

 

「言葉選びがいちいち回りくどすぎるんですよね」

「うっせぇ。だったら、ライバルでも競争相手でもなんでもいい。要はおまえが夜凪と()()()()()()になればいいってこった」

 

 隣でこぼした私のぼやきに、父はいつも通りの悪態で返してくる。いやいや、無視していいんですよ、こんな呟き。これから大事な大事な夜凪さんの初仕事なんですからね、ええ。

 いやもう、これっぽっちも拗ねてなんていませんとも、ええ。

 

「準備はいい?」

「ええ」

 

 目の前のセットの上に立つ夜凪さんに向けて、柊さんがカチンコを向けている。セットの外とその内側、2台のカメラが異なる角度から夜凪さんを捉えている。私の時と同じ感じで撮影するという事だろうか。 

 今回、夜凪さんが演じる役は『父の日に初めて一人でキッチンに立った少女』という設定らしい。これから家に帰ってくる父のために初めて台所に立ち、不慣れながらも温かいシチューを作るという芝居をするそうだ。

 

「へぇー……父親にシチューですかー……へぇー」

「なんだよ、なんか文句あんのか」

 

 いえ別に。

 ただ、どのツラ下げてこんな仕事取ってきたんだって思ってるだけですよ、ええ。

 それ意外に特別な感情は抱いていませんよ、うん。

 

「テスト、よーい!」

 

 柊さんがその言葉と同時、カチンコを鳴らす。

 さて、夜凪さんはどんな演技を────

 

「えっ」

 

 手慣れた様子でニンジンの皮を剥いていく夜凪さん。

 すごい速さでタマネギを微塵切りにしていく夜凪さん。

 そしてそれをアルコール度数の高いお酒で炒めて、香ばしくも味わい深い素材に仕立て上げる夜凪さん。

 

「えぇ……?」

 

 そうして出来上がったシチューは、プロも顔負けのすごく美味しそうな出来だった。うむ、遠くからの匂いだけでお腹が鳴りそうなくらいには美味しそうだな、あのシチュー。もしかして夜凪さんって、相当に料理上手?

 

「カァァァット! 達人かお前は! 初めてキッチンに立った少女の役だぞ!? 真剣にやれよ!!」

「真剣よ! 味見してみる!?」

「真剣に作れじゃねぇ! 真剣に演じろ、ボケ!」

 

 たまらずカットを出し、セットに上がって夜凪さんと口論を始める父。いや、なんで喧嘩腰なのさ。

 しょうがない、連れ戻しにいくか──とセットに上がった私は、ふわりと鍋から漂ってくる魅惑の香りを間近で嗅いでしまった。

 ぐぅ〜、という音がお腹から響き、フラフラと灯かりに吸い寄せられる蛾のように、自然と足が鍋の方に向いてしまう私なのであった。

 

「わぁ……とても美味しそうですね。ご飯、いただいても?」

「あ、そうね! 今すぐ炊くわ!」

「炊くわ、じゃねぇんだよ! なに本格的に飯の時間みたいになってんだ! つーか引っ込んでろ、腹黒娘!!」

 

 うーむ、舞台のセット組み立てるので思ったよりカロリー使ってたみたいだ。この体、頑丈だしハイスペックなんだけど、燃費が悪いのが珠に疵だよなぁ。

 あっ、夜凪さんお米研いでる。冷水でチャチャっと研いで、適量の水と一緒に釜に入れて、炊飯器のボタンをポチっ。まさに料理に手慣れた、主婦の動きそのものだった。

 

「あーもう、カオスすぎるでしょこの状況……」

 

 そして、そんな私たちを見て天を仰ぐ柊さん。ごめんなさい、ものすごくグダグダにしちゃって。でも、お腹が空くのは生命だったら当然のことだと思うのです。健康な証だと思うのですよ、うん。

 でもまぁ、夜凪さんが色々とぶっ飛んでるっていう子なのは理解できた。こりゃ制御するのが大変なじゃじゃ馬娘ですわ。

 

「それで? こっからどう軌道修正するおつもりですか、黒山監督?」

「おう、テメェの最初のお仕事だ。夜凪にどういう演技すりゃいいかアドバイスしてみろ」

「うふふ、部下に仕事丸投げとか、いい度胸してますわね?」

「あんまりにも的外れなこと言うようだったら、俺が修正する。いいからやってみろ」

 

 ふむ、そういうことなら。

 私は夜凪さんの正面に立ち、その麗しの美貌を覗き込む。うーむ、やっぱり顔がいい。初対面の時のようにいきなり抱きつきこそしないが、油断すれば表情がにやけてしまうくらいには美人さんだ。

 

「では夜凪さん、僭越ながら私から演技というものについてのアドバイスを一つ」

 

 きっと父は、私の演技に対するスタンスを知りたいのだろう。だからこうして、夜凪さんにアドバイスさせるという形で私の言葉を引き出そうとしている。

 まったく、言葉選びといい、コミュニケーションといい、どうしてこうも父は回りくどいのか。聞きたいことがあるんだったら、私に直接聞けばいいのに。まぁ、それで素直に話す私ではないんですけどね?

 

「演技とは────その人物の過去と向き合うことです」

「過去?」

 

 ニヤリと、父が私の斜め後ろで意味深に笑ったような気がした。

 

「ええ。その人物が今まで出会ってきた人間、体験してきた経験、抱いた感情、その全てを煮溶かし、自分という鋳型に流し込むのです」

「人間、経験、感情……」

 

 夜凪さんの綺麗な瞳が、真っ直ぐにこちらを向く。

 ああ、まるで黒い夜空に星をまぶしたような、とても綺麗な瞳だ。

 そんな瞳が、真っ直ぐに私を撃ち抜いている。

 

「過去を積み重ね、今のキャラクターができている。それ即ち()()()()()()()()()()()()()()ということ」

「…………」

「その過去を読み解き、理解し、自分のものにする。そうすることで、演じるキャラクターの時間を未来へと進ませる事ができる──それこそが、役を演じるという事だと、私は思っています」

「……そっか」

 

 夜凪さんの瞳の奥に、先ほどとは違う煌めきが宿る。

 燃え盛る太陽のような輝き。そして、それを閉じ込める果てなき夜空の瞬き。

 ああ、彼女は今この瞬間にも噛み砕いている。

 

 自身の過去を。

 自身の体験を。

 自身を、初めてキッチンに立った女の子(キャラクター)として、その過去を煮溶かしている真っ最中だ。

 

「ありがとう。ちょっとだけ、お芝居についてわかった気がするわ」

 

 ちょっとだけ、か。

 どうやら、彼女はまだまだ食べ足りないらしい。目の前の少女はまだまだ伸び代だらけということだ、うむ。

 そんな彼女を見て、父は満足したような表情でセットから降りていく。その後に続いて、私も夜凪さんにエールを送ってからセットを後にする。

 

「準備はいいな、夜凪?」

「ええ、もちろん」

 

 映画監督としての父からの言葉に、役者としての夜凪さんは凛とした表情で答えた。

 もう、先ほどまでの彼女とは違う。

 今ここにいるのは、夜凪景という一人のキャラクターだ。

 

「よーい……アクション!」

 

 父の掛け声と共に、カチンコの音が鳴らされる。

 その瞬間、現場の雰囲気が変わった。

 さっきまでの弛緩した空気ではない。暖かくも柔らかい、幸せな家庭を思い起こさせる雰囲気が、スタジオ内を一瞬にして包み込んだ。

 

「わっ、えっ……さっきまでとは別人みたい……」

「撮り逃すなよ」

 

 夜凪景(ヨナギケイ)が、不器用な手つきでニンジンの皮を剥く。

 夜凪景(ヨナギケイ)が、危なっかしい手つきでタマネギを切っている。

 夜凪景(ヨナギケイ)が、包丁の切っ先で指を怪我した。

 

「симпатичный」

 

 今目の前にいるのは、夜凪さんじゃない。夜凪さんであって、夜凪さんじゃない。

 過去の自分を噛み砕き、煮溶かし、新しく自分という鋳型に流し込んだ、まったく新しい彼女だ。

 過去そのものを演じるのではない。キャラクターの過去──経験や感情、人生そのものを()()自分に混ぜ入れて出力する。

 そうすることで、よりリアルに、さまざまな人物へと中身を変える事ができる。

 過去を知り、中身をそのキャラクターの今に変える。これが私にとっての演技というものの在り方。私はただ、その基本的な始まりの一歩を夜凪さんに教えただけに過ぎない。

 

「これで満足ですか、黒山監督?」

「ああ。30点ってところだな」

 

 低いなぁ。でも、その割には随分と嬉しそうじゃん。

 努めて無表情を作ろうとしてるみたいだけど、その奥に隠しきれないほどの喜びがあるのが丸わかりだ。

 

「素直じゃないんですから」

 

 まぁ、素直じゃないのはお互い様だけど。

 苦笑いを浮かべながら、ふと夜凪さんに視線を向ける。

 味見を終え、穏やかな笑顔を浮かべる夜凪さん。

 

「ああ、ほんと──呆れるくらい綺麗ですね」

 

 そんなこんなで、夜凪さんの初めてのお仕事は無事(?)に終了したのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 時間は過ぎ、帰りの車の中。

 

 柊さんの運転で、私たちは事務所への帰路についている真っ最中だった。運転席に柊さん、助手席に私、後部座席に夜凪さんと父が乗っている。

 私は夜凪さんの隣に座りたかったのに、なぜだか父が横取りかましてきたので、仕方なくこうして助手席に座っているというわけだ。

 いや、柊さんの隣も安心するから、嫌いじゃあ無いんだけどね。でもやっぱり初対面だから親交を深めておきたいと言いますか。

 

「…………」

「夜凪さん、さっきからずっと素材見てますね」

「けいちゃん初めてのお仕事だったからね〜、嬉しくてしょうがないんでしょ」

「おい夜凪、こっちのも見てみろ」

 

 父が懐から取り出したスマホを夜凪さんに手渡す。

 そのスマホを受け取った夜凪さんは、キョトンとした顔でそれを覗き込む。どうやら何かの映像が再生されているみたいだ。

 

「これは?」

「腹黒娘の初仕事の素材」

「ちょっ──!?」

 

 なんてもん見せてんだこのクソ親父!?

 わ、ちょ、見ないで、見ないで夜凪さん。恥ずかしいから、色々とヤバいから。

 

「わ、エレーナちゃん綺麗ね。お姫様みたい」

「でしょ〜? エレーナちゃん綺麗だよね〜」

「外見だけは良いからな、この腹黒娘」

「ぶっ飛ばすぞ、ヒゲ」

「!?」

 

 あ、ヤベ。思わず口調が崩れてしまった。夜凪さんが驚愕の表情でこちらを見ている。

 

「エレーナちゃん! けいちゃんが見たことない表情になってる!」

「あ、失礼……こほん、ぶっ飛ばしますわよ、ひげ?」

「エレーナちゃん! フォローできてない!」

 

 柊さん、ツッコミも良いけど前見て前。車すっごい蛇行運転してるから。事故ったら私はともかく、みんな無事じゃ済まないから。

 いや、父と夜凪さんは大丈夫か? 爆発した車の中から平気な感じで飛び出してきてたからな。

 

「二人は、結構親しい関係なの?」

「ええ、それはもちろん」

「んなわけねぇだろ、知り合いですらねぇよ」

「はぁ?」

「あぁん?」

 

 オイオイオイ、知り合いなんかよりよっぽど深い関係だろうが。なんなら遺伝子レベルで関係してるだろうが。

 いやまぁ、外見はお母さん100%みたいな見た目してるから、パッと見じゃ絶対にわかんないとは思うけどさぁ。

 

「あのですね、この際だから言っておきますけど、私とあなたは親子なんです。それはもう変えようのない真実なんですよ」

「えっ」

「自己申告だろーが。なんなら遺伝子検査でもやってみるか?」

 

 お、それいいね。帰ったら早速やってみよう。もちろん、検査費は全額父持ちで。

 ふふん、決定的な証拠が出てくれば、父も私を娘として認めるしかないはずだ。勝ったな、第三部、完。

 

「……えっ、まって。二人が親子って、本当?」

「あっ」

「ん゛ん゛っ」

「あちゃ〜……」

 

 会話の中から聞こえてきた衝撃の事実に、驚愕の表情を浮かべる夜凪さん。やっちまったと天を仰ぐ私たち三人衆。

 しまった。売り言葉に買い言葉で、ついいつものテンションで口喧嘩をしてしまった。

 うむむ、これはもう誤魔化せないか? まさか夜凪さんに、こんなふざけた形で私の秘密が知られてしまうなんて思ってもみなかった。

 

「あ〜……暫定、本当ということで」

「……まぁ、八割くらいな」

 

 気まずそうに、それとなく真実であると肯定する私たち。そんな私たちの回答を受けて、夜凪さんは。

 

「ぜっ、全然似てない!!!」

 

 今日一番の面白表情(おもしろがお)を晒して、車内に響き渡るような絶叫を披露したのだった。

 


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