ですので至らぬ点も多々あると思いますが、よろしくお願いします。
一原数人の野球人生は栄光と共にあった。
中学時代の頃から既に頭角を現した彼は、自慢の直球を武器に他の打者を圧倒し全国の頂点に立った。
当然、そんな彼をスカウトが見過ごすはずもない。是非うちに、というラブコールが連日のように押し寄せた。
葛藤の末に一原が選んだのは東京の名門校。これまで甲子園優勝を三度経験している学校だ。高校生になっても彼の実力は留まる事をしらず、名門の激しい争いの上に一年にしてベンチ入りを果たし、二年生になるころにはエースとして君臨する。甲子園の土を踏めたのは三年の選抜大会のみ。それでも一原はポテンシャルの高さを遺憾なく見せつけた。マウンドでは他の投手がせいぜい150km/hが限界の中、平均球速153㎞/hを連発し、打席に立っても二試合で3番打者として4安打の暴れっぷり。スポーツ雑誌は一原の事を「十年に一人の逸材」と褒め称え、一位指名候補として取り上げた。
そして運命の秋。
二球団競合の末、一原は東京タイタンズに外れ外れ一位として指名された。
動揺はなかった。自分の実力に絶対的な自信を持っていたから。
入団会見、大勢の報道陣が詰めかける中、一原はマイクを持って高らかに言い放った。
「数年後には、必ず球界を代表する投手になってみせる」、と。
◇
それから三年がたった春のこと、一原は二軍でひたすら投げ込んでいた。
野球人生が順風満帆だったのは高校まで。プロに入ってからはその壁の高さにぶつかっていた。
一年目の防御率は十点台。二年目は流石に改善こそしたものの、防御率六点台。
しかもこれは一軍ではなく、二軍での成績だ。ファンの期待とかけ離れた成績になっているのは言うまでもない。
ネット上では入団会見の発言をビッグマウスとなじられ、嘲笑されていた。
当の一原も高い高いプロの壁を前にして心を折られかけていた。
高校の頃の打てるものなら打ってみろと言わんばかりの強気な投球は鳴りをひそめ、コースに集めようと置きに行った球を軽々と捉えられた。
(何故だ…どうして上手くいかない)
一原の武器は最速154超のストレート。だが言ってしまえば
制球はお世辞にも良いとは言えないし、変化球も大して空振りを取れるわけではない。
相手も直球が武器だとよく理解いるので簡単に打ち返される。投球内容の改善も見られず、早くもクビ候補としてその名前を挙げられていた。コーチもお手上げ状態、プロ野球選手としては手詰まり。そんな状態の彼に転機が訪れた。
「トレード…ですか」
「そうだ。明日から北海道に行ってくれ」
自球団ではこれ以上の成長が見込めないと捉えたタイタンズは匙を投げた。まだ価値がある内にと他球団との金銭トレードを成立させたのだ。移籍先は別リーグの北海道ベアーズ。長年4位以下から抜け出せないチームだと一原は記憶していた。しかし、何でも首脳陣の刷新や若手の台頭により今年こそはという期待も大きいらしい。
「じゃあ、移籍先で成功する事を願っているよ」
二軍で指導していたコーチが作り笑いを浮かべながら淡々と言葉を投げかける。
―――そんな事、思ってもないくせに。荒れた胸の内はしばらく晴れそうにも無かった。
◇
「ようこそ北海道へ!!まぁ、一旦座ってくれ」
北海道に来て一日目。監督室でまず一番に響いた一声がそれだった。
「…はぁ。どうも」
「ほら、肩の力を抜いて!そう力まずにしてくれていいから!」
力むなという方が無理な話だ。なにぶん、目の前にいるのはレジェンドながらにして今年から監督を務める漆原光彦その人なのだから。漆原は高卒で野手としてベアーズに入団して以降、チーム一筋で主軸として長年にわたって打線をけん引した人物だ。積み重ねた安打の数は2098本。各ポジションで一人ずつしか選ばれないベストナインに選出される事十回。二軍ですらろくな成績を残せない一原にとって、漆原は雲の上の存在だった。
「さて、とりあえず本題に入ろうか。まず我々が獲得に踏み切った理由だが…君には内野手として活躍してもらいたいと思っている」
「……は?」
突然告げられた野手転向の話に、一原は自分の耳を疑った。野手転向?俺が?ありえない、というか考えた事も無かった。嫌だと言いたかった。しかし今までの成績を振り返ると何も言い返せなかった。
「……それは、投手としての俺に価値がないという事ですか」
「それは違う。球種を新たに覚えるなりして経験を積めば、数年後に先発の一人に割って入る事も不可能じゃないだろう」
「それなら……!!」
「落ち着いて聞いてほしい。それでも我々は……いや、俺は
「そんな事、突然言われましても……」
そうしろと言われて、はいそうですかと首を縦に振るわけにはいかなかった。
少なくとも自分は投手として活躍してきた。まだプロには通用してはいないが、努力すればいずれ通用するものだと思っていた。それを支えにしてこれまでやってきたのだ。
「高校通算43本塁打。これは高校生の頃の君が積み重ねた数字だ。それに俺は君のバッティングには類まれなるセンスがあると思っている。指導次第では、3割30本塁打30盗塁だって夢じゃない」
センスがある。そんな事、プロになって言われたのは初めてだった。
どいつもこいつも、自分以上のセンスの塊ばかりだったから。
「それに、君の肩の強さは内野手…特にサードあたりでこそ生かされると思う」
憧れの投手として評価されたかった強肩が、まさか野手として評価されるとは。笑えない皮肉だ。しかも内野手としてだ。内野を守った事など一度も無いというのに。
「今すぐ決断してほしいとは言わないよ。でも、我々の評価も忘れないでいてほしい」
投げかけられたその言葉に、一原は俯いたまま、両の拳を握るだけで何の返事も返せない。自分を信じて投手をとるか。監督の言う通り、野手として再スタートするか。
投手として活躍した人間が野手に転向するなど、よくあるケースだ。それでも一原には一原なりに積み重ねてきたものがあった。
(分かってんだよ、今の俺が投手として通用してないことくらい……!)
二軍相手に滅多打ちにされた光景がフラッシュバックする。いつしか失望の眼差しばかり刺さるようになっていった。自尊心と現実の間で、心が絶え間なく揺らぐ。野手に転向したところで、活躍できるなんて保障はない。
(だけど、このまま投手にこだわって終わる方がずっと嫌だ)
それでも一原は、あがくことを選んだ。
結論はもう決めた。もう引き返すのも、振り向くのもナシだ。
投手への未練はある。戸惑いだってある。それでも進む事を決めたから。
「……分かりました。監督、俺コンバートします」
漆原は少しの間呆気にとられたようだったが、すぐに何度も頷いて通常運転に戻った。
「……そうか、そうかそうか!!いやはや、嬉しい限りだ」
漆原から差し出された手を握る。
こうして、一原数人のプロ野球人生は挫折から始まった。